ゴキブリとギルド長の値段交渉
交渉に必要なものは三つある。
売る品物。
譲れない条件。
そして、相手に舐められない態度だ。
「大将、背中に乗せろ。いつもより大きく見える」
「却下」
「では二号を肩に乗せ、ルビーを頭に、俺を背中に――」
「合体してもゴキブリはゴキブリだ!」
「名づけて超巨大クロ!」
「巨大になってない!」
俺たちは白炎殻獣の前で相談していた。
向かい側では、冒険者ギルド長のブラムが腕を組んでいる。あちらの肩幅は俺たち全員を横に並べても足りない。交渉を始める前から、見た目だけなら完敗である。
だが、品物はこちらにある。
いや、正確には村と俺たちの共同所有だ。だから村長、オルド、リリアも立ち会っている。地下からはガーロ、二号、ルビー、チュウタ。ピコは広場の樽の陰から人間の言葉を拾い、俺たちへ伝える役だ。
そして交渉台は、壊れた教団の説教台だった。
「悪徳の証を捨て、清らかな魂を――とか言っていた台で値段の話ですか」
オルドが複雑そうな顔をした。
「捨てるより売る。清らかだろ」
ブラムが豪快に言う。
「ギルド長、その理屈はたぶん聖典にはありません」
「次の版に足してもらえ」
「大将、俺たちも一項目もらえないか。『毒袋の上には乗るな』とか」
「お前が破ったら聖典ごと燃える案件だろうが」
嫌いじゃない、この男。
解体職人が最初の甲殻を運んできた。二人がかりで説教台へ載せる。人間の盾ほどもある白い板だ。昨日の火を失った今も、内側に淡い光が流れている。
「白炎殻、胸部第一板」
職人が木槌で表面を叩く。
コォン。
澄んだ音がした。
「欠けなし。熱も抜けています。魔力を通せば軽くなり、切れば耐火板になる。鎧なら胸当て一枚、盾なら二枚。細く割って火除けの札にもできます」
ブラムが頷く。
「一枚、金貨一枚と銀貨二枚」
値段を聞いた村人たちが、どっとざわめいた。
高いのか。
安いのか。
俺には分からない。
硬貨の価値を知らない奴が、値段交渉へ来てしまった。
「大将、今のは喜ぶところか?」
「顔に出すな」
「顔のどこへ出すんだ?」
「触角を止めろ!」
俺たちの触角が全員、激しく揺れていた。
ブラムは見逃さない。片目がわずかに細くなった。
「十八枚ある。全部同じ質なら、金貨二十一枚と銀貨六枚だ」
村長が息を呑んだ。
オルドが小声で教えてくれる。
「この村の屋根をかなり直せる額です」
かなり。
便利な言葉だが、曖昧すぎる。
俺は土の上へ十八本の線を引いた。そのうち、一番きれいな甲殻を指し、次に端が焼けた甲殻を指す。それから同じ値段を示す線を引いて、首を横に振った。
「ほう」
ブラムが笑う。
「全部同じ値段にするな、と言っているようです」
オルドが訳した。
「逆だろ。傷物まで同じ値段で買うと言ってるんだ。良心的じゃねえか」
俺は一番きれいな殻を前脚で叩いた。
コォン。
焼けた殻を叩く。
ゴン。
もう一度、きれいな殻を叩く。
コォン。
「なるほど。傷物に合わせず、上物を上げろ、か」
俺は頷いた。
「大将、通じてるぞ!」
「黙ってろ。今、強そうに見せてる」
「さっき背中を貸してくれれば――」
「それは忘れろ!」
ブラムは職人へ顎をしゃくった。
「選別しろ」
十八枚の甲殻が、三つの山へ分けられた。完全なものが六枚。小さな傷があるものが八枚。焼けや割れが目立つものが四枚。
「上物は一枚、金貨一枚と銀貨五枚。中は最初の値。下は銀貨七枚。これ以上は出せん」
土へ三つの数字が描かれる。
二号が小石を並べて合計する。俺より計算が速い。腹立たしいが、頼もしい。
「さっきより増えた」
「どのくらい?」
「チュウタの食事では表現不能」
「では塩で」
「まだ塩の値段を知らない」
俺は数字を確認し、頷いた。
最初の勝負は取った。
「次、右牙一本。左牙は根元から折れて半分だ」
職人が俺たちの身長より太い牙を転がしてくる。
「削れば短剣が六本。粉にすれば火傷薬の材料にもなる。金貨一枚と銀貨三枚」
俺は首を振る。
「何が不満だ」
牙を指す。次に、リリアの腕の包帯を指す。炎を描き、その炎を消す印を描いた。
リリアが目を瞬いた。
「火傷薬になるなら、昨日みたいな魔物が出たとき、たくさん必要になるって言ってる?」
そうだ。
しかも白炎殻獣は、教団が地下で育てていた。あいつらの施設がここだけとは限らない。同じ魔物がもう二度と出ないという保証もない。
「需要が増える、と踏んだか」
ブラムの声から笑いが消えた。
俺は頷く。
「ゴキブリのくせに嫌なところを突きやがる」
「褒め言葉として受け取るぞ」
向こうには聞こえないので、俺は胸だけ張った。
「金貨一枚、銀貨六枚。ただし薬師に調べさせて、効能がなければ次は下げる」
条件つきだ。
悪くない。
前脚を出すと、ブラムが指先を近づけた。握手には大きさが違いすぎる。だから俺は爪の先で、その指を一度叩いた。
交渉成立。
「では、鎌脚六本」
「待ってくれ」
ガーロが俺の前へ飛び出した。
「大将、一本は残してほしい」
「武器にするのか?」
「いや、調理台の包丁だ。今の石刃では乾燥茸を切るたび、腕を二本ずつ交代している」
「切れなさすぎるだろ!」
「だから欲しい」
「部隊全員分の乾燥茸を切ってるのは俺だ。腕が四本減ったら夕飯が遅れる」
「それは困る!」
真っ先にチュウタが騒いだ。自分の胃のことになると反応が早い。
「ほら見ろ、大将。俺の主張は部隊の総意だ」
「今、勝手に総意にしただろ!」
ガーロの言うことはもっともだった。
金に変えることばかり考えて、必要な物まで売ったら意味がない。
俺は六本のうち一本をこちらへ引く印を描いた。
「一本は売らないそうです」
オルドが伝える。
ブラムは残す脚を確認した。
「一番細いのを選んだな。売値を減らさず、使いやすい物を取ったか」
「たまたまですかね」
オルドが言う。
「いや、たまたまじゃねえ」
ブラムの目が、また俺を測った。
「こいつらは、自分たちが何を必要としているか分かってる」
その言葉は、硬貨の額より嬉しかった。
俺たちは哀れな虫ではない。
暮らしがあって、仲間がいて、足りない物がある。足りないから考える。考えて、作って、それでも無理なら外から手に入れる。
それを人間と同じように見てもらえた気がした。
「次は、毒袋二つ」
問題の品が運ばれた。
チュウタも一緒に運ばれてきた。
「なぜまだ乗ってる!」
「降りる機会を失った」
「今だよ!」
俺とガーロで引きずり下ろす。
職人は毒袋を厚い革の輪で固定した。
「中身は腐食毒。ただし薄めれば害虫除けと、麻痺止めの材料になる可能性があります。傷はなし」
「可能性に金は出せん。二つで銀貨八枚」
安い。
今度は村人たちの顔で分かった。
俺は首を振った。
「危険物だ。運ぶにも保管するにも金がかかる」
俺は毒袋を指し、次に白炎殻獣を指す。村の外へ続く道を示し、さらに村人たちを指した。
「村まで運ばず、ここで無傷のまま取り出してある。運搬前の手間と危険を、こちらが引き受けたと言っています」
オルドの訳が、いつもより滑らかだ。
さすがだ。
「いや、取り出したのはうちの職人だろう」
俺はガーロの切り跡を指す。
「それは毒袋を破りかけた跡です!」
オルドに即座に否定された。
くそっ。
事実は交渉の敵になることがある。
「では運搬前の発見料と、討伐者の危険手当だな」
村長が助け舟を出した。
「この者たちが地下で燃料を断たなければ、袋ごと焼けていた」
ブラムは腕を組んだ。
「銀貨十二枚」
俺は首を振る。
「十三」
まだ振る。
「十四。それ以上なら買わん」
俺は毒袋を見る。
持ち帰っても、俺たちに安全に扱う技術はない。地下で破れたら居住区が終わる。売れなければ危険なゴミだ。
引くべきだ。
だが、すぐ頷けば余裕がないと見られる。
俺は一度、仲間たちを集めた。
「どうする?」
「売れ」
「売ろう」
「絶対売って」
「あれの上、落ち着かなかった」
「じゃあ乗るなよ!」
相談を終え、ゆっくりブラムへ戻る。それから渋々という顔を――ゴキブリの顔で作れたかは分からないが――して、前脚を出した。
「決まりだ」
ブラムの指を叩く。
最後は魔石だった。
青白い石が、鉄の箱へ収められて運ばれてくる。中心はリリアの剣で割れている。それでも周囲の欠片には、白い火が細い血管のように流れていた。
俺の気門がきゅっと閉じる。
嫌な匂いだ。
昨日の熱と、檻の揺れと、ヴァルガの声を思い出す。
ルビーが俺の触角へ自分の触角を重ねた。
「もう、動かない」
「ああ」
「私たちが止めた」
「ああ。そうだな」
怖い記憶まで売れるなら、最高だ。
職人が慎重に告げる。
「種類不明。古い魔力が混じっています。浄化しなければ使えません。ただし核の大きさは相当です」
「金貨三枚」
俺は即座に首を振った。
「四枚」
首を振る。
「大将、相場を知らないのに強いな」
「向こうが簡単に上げる間は、まだ上がる」
「なるほど!」
チュウタまで首を振り始めた。
「お前は分かってないだろ!」
「勢いだ!」
ブラムがこちらを睨む。
俺も見返す。
人間とゴキブリ。
片方は巨大な元冒険者。片方は靴より小さい虫。
広場の全員が息を呑む。
「金貨五枚。それと、ギルドで調べた結果を報告する。これが最後だ」
情報までついた。
欲しかった条件だ。
俺は前脚を出した。
ブラムの指を、今度は強く叩く。
「成立だな」
二号が全ての小石を数え直した。
甲殻十八枚。牙一本半。鎌脚五本。毒袋二つ。砕けた魔石一つ。
売値は全部で、金貨二十四枚と銀貨六枚。
「おお……」
オルドが声を漏らした。
村長も目を見開いている。
俺たちは金貨を見たことがないので、なんとなく胸を張った。
「次は分け前だ」
ブラムが言う。
「討伐者、土地の所有者、設備を壊された村。揉めるなら、ギルドは金を預かる」
俺はすぐ二号へ合図した。
地面へ、まず村の壊れた屋根と礼拝堂を描く。次に怪我をした者の包帯。そこへ硬貨を置く。
残りを二つに分け、村と俺たちへ。
「最初に修繕と治療の費用を取れ、と言っています。そのあと村と自分たちで分ける、と」
村長が俺を見た。
「クロ殿。魔物を育てたのは、村ではないぞ」
分かっている。
でも昨日、村人が網を引かなければ倒せなかった。井戸水を運んだ子供たちがいなければ、火は広がった。地下へ続く道を教えた者も、トーマを手当てした者もいる。
俺は一匹で勝ったんじゃない。
俺たちだけで勝ったんでもない。
だから、取り分も一緒だ。
村長はしばらく黙り、やがて深く頷いた。
「分かった。村はその申し出を受ける。ただし地下の住まいで必要な修繕費も、先に取ってくれ」
二号がすぐ、村と地下の屋根を同じ大きさで描き直した。
ブラムが鼻で笑った。
「値切るくせに、分けるときは欲がねえ。変な連中だ」
「仲間から値切ったら、飯がまずくなる」
俺の声は届かない。
だが、ルビーが羽音で笑った。
ブラムは書記に分配と査定内容を二枚の羊皮紙へ書かせた。一枚を村長へ。もう一枚は、俺たちには大きすぎるので、オルドが預かる。
「では支払いだ」
ブラムが片手を上げた。
冒険者二人が、馬車から小さな鉄箱を運んでくる。
小さい。
人間には。
俺たちにとっては、家だった。
説教台の上に置かれた瞬間、ズンッ、と重い音がした。
蓋が開く。
朝日を弾いて、金色の硬貨が並んでいた。
チュウタの口が開いた。
ガーロの触角が止まった。
二号はなぜか硬貨を数え始めた。
俺は、一番手前の金貨へ脚をかけた。
「大将」
「なんだ」
「それ、どうやって持って帰る?」
俺は金貨を押した。
動かなかった。
もう一度、六本の脚で踏ん張った。
金貨は、俺の誇りと同じくらい、びくともしなかった。
「押してだめなら、転がすとか」
ガーロが加勢する。二匹がかりで縁へ肩を入れ、せーの、と力を込めた。
金貨は、地面へ薄く刻まれた紋章の溝一本ぶんも動かなかった。
「二号、計算では何匹いれば運べる?」
「金貨一枚、体重換算でだいたい俺ら五十匹分やで」
「五十匹!?」
チュウタが叫んだ声に、ブラムまで振り返った。
「なんだ、その顔は」
「いえ、なんでもありません」
俺は必死に触角を平静に保った。稼いだ額を誇る前に、もっと根本的な問題があるらしい。




