戦利品を捨てるなんてもったいない
世界を救った翌朝、俺たちは死体に群がっていた。
言い方!
もっとこう、英雄たちによる戦利品の回収とか、勝利の証を集める勇壮な作業とか、そういう表現があるだろう。
だが、村の広場に横たわる白炎殻獣の周りを、黒くて小さい俺たちが走り回っている光景は、どう見ても死体に群がるゴキブリだった。
「大将! ここの肉、まだ温かいぞ!」
「食うなよ、チュウタ!」
「確認しただけだ!」
「口で確認するな!」
「舌も鼻の一種だろ!」
「その理屈は今度先生の前で言ってみろ、器官図から説明されるぞ」
昨日、村を焼き払おうとした大型魔物は、今朝になっても馬車より大きかった。当たり前だ。夜の間に小さくなってくれたら運ぶのが楽だったのだが、死体にそんな気遣いを求めても仕方がない。
白い甲殻は、朝日を浴びると真珠みたいに光っていた。
綺麗だ。
そして、硬い。
「せーの!」
ガーロが人間から借りた小刀を、甲殻の継ぎ目へ振り下ろす。
カァン!
小刀が跳ねた。
ガーロも跳ねた。
「ぐおおおおっ! 腕が六本とも痺れた!」
「一本しか使ってなかっただろ!」
「残り五本は気分で痺れている!」
器用な奴だな。
俺は甲殻へ前脚をかけた。つるりとしている。脚の先の爪が、磨いた皿の上みたいに滑る。昨日はこれが火を噴きながら襲ってきたのだ。今なら落ち着いて観察できるが、やっぱり近くで見ると嫌になるほどでかい。
こいつの脚一本だけで、俺たちの居住区の柱が何本作れるだろう。
殻なら屋根になる。
牙なら掘削具になる。
魔石なら暖房か、照明か、それとも培養棚の熱源に使えるかもしれない。
捨てるところがない。
倒した怪物が怖かったぶんだけ、役に立つ物へ変えてやりたい。それが俺たちなりの勝ち方だ。
「クロ殿、そちらは危険です!」
オルドが駆け寄ってきた。
俺の真横で、ルビーが透明な袋へ鼻先を近づけている。白炎殻獣の腹から出てきた、ぷるぷるした大袋だ。
「いい匂い、しない」
「それは毒袋です! 嗅いで判断しないでください!」
「嗅いでない。空気が勝手に鼻へ来た」
「屁理屈が上手くなりましたね!?」
次の瞬間、チュウタが袋の上へ乗った。
「柔らかいぞ!」
ぶにゅっ。
「全員、離れろぉぉぉ!」
俺はチュウタの後ろ脚を咥えて飛び退いた。ガーロがルビーを抱え、二号が荷車の陰へ飛び込む。オルドだけが逃げ遅れ、顔を真っ青にしたまま両手を広げた。
袋は、ぷるん、と揺れただけだった。
沈黙。
「……丈夫だな」
チュウタが言った。
「お前の命が雑なんだよ!」
俺が怒鳴ると、村人たちの間から笑いが起きた。
昨日までなら、その笑いが俺たちへ向けた嫌悪かもしれないと身構えただろう。
今日は違った。
「そこの黒い兄ちゃん、毒袋に乗るなよ!」
「踏むなら殻のほうにしとけ!」
「こいつ、昨日から何度死にかけてんだ?」
「七回だ!」
チュウタが誇らしげに答える。
「数えてたのかよ!」
また笑いが広がった。
怖くないわけではないのだろう。こちらを見るたび肩を強張らせる者もいる。近づけず、遠巻きにしている者もいる。それでも昨夜一緒に桶を運び、網を引き、火を消した時間は残っていた。
俺たちは急に愛される精霊になったわけじゃない。
ただ、同じ村で朝を迎えた戦友にはなれたらしい。
悪くない。
いや、かなりいい。
「クロ、にやにやしてる」
ルビーに言われた。
「ゴキブリの顔で分かるのか?」
「触角」
俺の触角は、そんなに正直らしい。
「大将、口も緩んでるぞ」
ガーロにまで指摘された。
「ゴキブリの口元なんて分かるか!」
「長年の付き合いだ、分かる」
長年て、まだ二ヶ月くらいだろう。だが否定できないくらい、こいつは俺の顔色を読むのがうまくなっていた。
慌てて左右を揃えたところで、村長が大きな斧を持ってやってきた。
「さて。村の斧で割れるか試してみよう」
「待ってください、村長」
オルドが止める。
「刃が欠けるかもしれません。それに、どの部位に何があるか分かりません。昨日の白い火が残っていたら……」
「だが、このまま置けば腐る」
「腐る前に地下へ!」
俺は前脚を上げた。
当然、村長には通じない。
二号が煤で板へ絵を描く。甲殻の屋根。牙のつるはし。脚の刃物。魔石の明かり。
「ふむ。クロ殿たちは、これを使いたいらしい」
オルドが読み取ってくれた。
村長は顎を撫で、白炎殻獣を見上げた。
「村の者も屋根や柵に使えると思っていた。分け方を決めねばなるまいな」
「昨日はみんなで倒した」
リリアが、崩れた礼拝堂のほうから歩いてきた。
銀色の髪が朝日に光る。昨日あれだけ戦ったのに、背筋はまっすぐだ。ただし右腕には包帯が巻かれていた。白炎殻獣の火を剣で受けたときの火傷だ。
俺の脚が勝手に一歩出た。
痛くないか。
ちゃんと薬を塗ったか。
朝飯は食べたか。
聞きたいことはいくらでもある。
だが、俺の口から出るのは人間には聞こえない音だけだ。
リリアは俺の前で膝をついた。
「おはよう、夜の精霊さん」
「……おはよう」
「昨日の目印、助かった。あなたがいなかったら、魔石の場所を見つけられなかった」
近い。
娘の顔が近い。
嬉しいのに、逃げたくなる。父親だと名乗りたいわけじゃない。名乗れるわけもない。ただ、触角の先が彼女の包帯へ伸びそうになるのを止めるので精いっぱいだった。
リリアは俺が甲殻の上へ描いた線を見た。
「解体したいの?」
俺は何度も頷く。
「じゃあ、私が剣で――」
「待ったぁ!」
オルドが叫んだ。
「勇者様の剣で毒袋まで真っ二つにしたら、この広場が三日は使えなくなります!」
「大丈夫。薄く切る」
「昨日、礼拝堂の柱を薄く切ると言って土台まで切りましたよね!?」
「あれは柱が弱かった」
「剣が強すぎるんです!」
俺たちは一斉に頷いた。
リリアが少しだけ頬を膨らませる。
ああ。その顔、昔から変わらないな。
胸が温かくなった、そのときだった。
村の入口から、鐘の音が響いた。
カラン、カラン、カラン。
見張りの青年が叫ぶ。
「馬車が三台! 冒険者ギルドの旗だ!」
村人たちがざわめいた。
昨日、村長がベルガの街へ早馬を出した。教団兵の拘束と、大型魔物討伐の報告を届けるためだ。夜通し走ったとしても、返事が来るのは早くて夕方だと思っていた。
「ずいぶん早いですね」
オルドも驚いている。
「近くで依頼を終えた一隊を、そのまま寄越したのかもしれません」
やがて、土埃を上げた馬車が広場へ入ってきた。
先頭には剣と盾を組み合わせた紋章。荷台には樽、縄、解体台、それから鎧姿の男たち。最後の馬車だけは荷物がなく、頑丈そうな鉄枠が載っていた。
あれに戦利品を積む気だ。
俺の腹が、妙にむずむずした。
馬車から最初に降りたのは、熊だった。
いや、人間だ。
人間だが、肩幅が扉より広い。赤茶けた髭は胸まで伸び、左目の上には太い傷が走っている。背負っている大剣は、リリアのものより幅があった。
「ベルガ冒険者ギルド長、ブラムだ。村長はいるか」
声まで熊だった。
「私だ。ずいぶん早かったな」
「教団の狼煙を見て、討伐隊を出すところだった。そこへ早馬が来た。大型魔物を倒した、怪我人はいるが死人はなし、教団兵を拘束した、とな」
ブラムは広場を見回した。
「話が景気よすぎる。半分は盛ってると思った」
「全部本当だ」
「らしいな」
その片目が、白炎殻獣の巨体を見上げた。
驚きは一瞬だった。
すぐに傷口、焼け跡、砕けた魔石の位置へ目を走らせる。しゃがんで土を触り、井戸から広場へ続く濡れた跡を見て、屋根に張られた穀物網を見る。
「剣だけで倒した傷じゃねえ。冷やして、動きを止めて、下から燃料を切ったか」
村長が目を丸くした。
「見ただけで分かるのか」
「これでも元は冒険者だ」
「今も冒険者では?」
「今は机と喧嘩する仕事だ」
分かる。
机は強敵だ。
ブラムの後ろから、革の前掛けをした解体職人が二人降りてきた。一人が甲殻へ近づき、切りかけの跡を見つける。
「ギルド長、ここ、誰かが刃を入れてます」
「どこだ」
「腹の第三節。あと指一本深かったら毒腺です」
全員の視線がガーロへ集まった。
「俺ではない」
「お前だろ」
「小刀が勝手に!」
「武器に責任を押しつけるな!」
「大将こそ、朝一で『せーの』って号令かけただろう!」
「号令と実行は別の罪だ!」
「無茶苦茶な理屈だ!」
解体職人が二人、顔を見合わせて吹き出した。
ブラムの片眉が上がった。
その視線が、ようやく俺たちを捉えた。
空気が変わる。
後ろの冒険者が剣の柄へ手をかけた。解体職人の一人は、短く息を呑んだ。俺の六本の脚が地面を掴む。逃げ道は右に樽、左に死骸、後ろに村人。踏まれたら終わりだ。
ガーロが前へ出た。
二号が板を抱えた。
「兄ちゃんら、うちらと喧嘩するんやったら先に言うといてや。作戦名決めなあかんし」
こんな時まで作戦名の心配をするな。
だが震えた声じゃないのは、伝わった。
ルビーの翅が開く。
チュウタはなぜか毒袋の上から降りていない。
「剣を抜くな」
ブラムが言った。
冒険者の手が止まる。
「ですが、ギルド長。魔蟲が――」
「村人の足元を見ろ」
冒険者が見る。
村人たちは俺たちから逃げていなかった。逆に、何人かは俺たちと冒険者の間へ立っていた。
「それから、あの小さいのが乗っている袋を見ろ」
チュウタが胸を張る。
「あれが破れたら、お前の新品の革靴は二度と使えんぞ」
冒険者がものすごい速さで三歩下がった。
「そこですか!?」
オルドの突っ込みが広場に響いた。
ブラムは俺たちの前まで来ると、巨大な膝を土につけた。
怖い。
顔だけで俺の全身より何倍もある。髭の一本一本が縄のようだ。吐息が触角を揺らす。人間は話をするだけで風を起こす。こっちの身にもなってほしい。
「こいつらが夜の精霊か」
「ゴキブリだ」
リリアが答えた。
「本人たちも、そう言ってる」
ブラムはしばらく黙った。
やがて、ふっと笑った。
「そいつは助かる。精霊相手の礼儀なんざ知らんからな」
ずいぶん豪快な納得の仕方だった。
彼は甲殻の切り跡を指した。
「これを切ったのは?」
ガーロが二歩下がる。
全員でガーロを見る。
「仲間に売られた!」
ブラムが喉を鳴らして笑った。
「刃の角度は悪くない。力を入れる場所が最悪だ。解体したいなら、うちの職人に触らせろ。素材を殺さず剥がしてやる」
俺は触角を立てた。
素材。
この男は、これをただの気味悪い死骸ではなく、価値のある物として見ている。
二号が板へ素早く描いた。
村の屋根。地下の家。半分ずつ。
さらに硬貨の絵を描き、首を傾げる。
ブラムは板を覗き込んだ。
「ほう。分け前の相談までしてるのか」
村長が頷く。
「村だけで倒したものではない。この者たちの働きが大きかった」
「勇者様は?」
「私は最後に斬っただけ。作戦を考えたのは、この子たち」
リリアが俺を指した。
ちょっと待て。
そんなふうに紹介されたら、触角が嬉しさで曲がるだろうが。
ブラムの片目が細くなる。
俺を値踏みする目だ。
怖い。だが、不思議と嫌ではない。
姿ではなく、昨日したことを見ようとしている目だった。
ブラムは立ち上がり、白い甲殻を拳で軽く叩いた。
ゴン、と鐘みたいな音がする。
「白炎殻、毒袋、鎌脚、牙。それに魔石の残片。どれもベルガじゃ滅多に出ねえ。村で屋根にするのも、巣で道具にするのも自由だ」
そこで言葉を切り、俺たちを見下ろした。
「だが、全部を自分で使う必要はない」
熊みたいな顔が、商人みたいに笑った。
「その甲殻、ギルドへ売らないか」
売る。
働いた物を、必要とする相手へ渡す。
代わりに、俺たちが必要な物を得る。
昨日まで、俺たちが人間から受け取れるものといえば、悲鳴か、箒か、靴の裏くらいだった。
それが今、値段をつけると言われている。
「大将」
ガーロが小声で言った。
「これは、俺たちが稼いだということか?」
「たぶんな」
「食料を買える?」
チュウタが毒袋の上から聞く。
「まずそこから降りろ」
「塩は?」
「買えるかもしれない」
「布は?」
「買えるかもしれない」
「菓子は?」
「お前は最後だ」
「横暴だ!」
「あたしは羽の手入れ用の油が欲しいんだけど」
ルビーまで参戦してきた。
「お前も並べ」
「なんでチュウタより後ろなのよ」
「毒袋に座った奴を優先する謎ルールがある」
「意味わかんない!」
仲間たちが一斉に騒ぎ出す。
俺の胸も騒いでいた。
冒険者ギルド。
戦利品。
買い取り。
今まで遠くから眺めるしかなかった人間の仕組みへ、小さな脚一本ぶんだけ、俺たちの道が繋がった。
ただし。
俺はブラムを見上げた。
こっちは命を賭けたのだ。
安く買われる気はない。
前脚で土を引き寄せ、大きく数字の印を描く。
ブラムの笑みが深くなった。
「いい目だ。値切られるだけの虫じゃねえらしいな」
こうして。
大型魔物との戦いが終わった翌朝、俺たちは新しい戦いを始めた。
武器は牙でも毒でもない。
値札だった。




