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2050  作者: 落川翔太
16/20

15

七月二日。東京・下北沢(しもきたざわ)


「ただいま」と、梶武尊(かじたける)は言って、リビングへ入る。

「あなた、おかえりなさい」と、妻の諒子(りょうこ)が梶に気付いて言った。

「タケ、おかえり」

 それから、妻の正面のテーブルに座り、お茶を飲んでいる母親が言った。

「母さん、ただいま。遅くまで起きていて、平気なの?」

 それから、梶は彼女にそう訊いた。

「さっきまで寝てたんだよ。目が覚めちまって」と、母は言って笑う。

「そっか」

「あんたも、お茶飲むかい?」

 それから、母がそう訊いた。

「いや、お腹空いたから、先ご飯を食べるよ」

 梶がそう言うと、妻はすぐに席を立ち、キッチンへ行く。

 五分もしないうちに、妻が食卓に晩御飯を並べてくれた。

「ありがとう。いただきます」

 梶は手を合わせて、彼女の作った酢豚に箸を伸ばす。

 豚肉のうまみと、甘酢(あん)がよく絡んでいて、旨かった。すぐに白いご飯をかきこむ。うん、うまいと梶は思った。

「うまそうに食うねえ」

 梶の食べっぷりを見て、母がにやりと笑う。

「うん、うまいよ」と、梶は答えた。すると、妻が照れ臭そうに笑う。

「さて、私はお風呂にでも入ろうかな?」

 それから、母がそう言った。梶は彼女を見る。彼女はパジャマを着ていた。それに、髪も少し濡れている。おそらく少し前に風呂には入ったのではないかと梶は思った。

「お義母(かあ)様、お風呂はさっき入りましたよ」と、妻は言った。

「入ってないわよ!」と、母は言い張る。

「いいえ、入っていましたよ」と、妻は言い直した。

「え? 入ったかしら?」と、母はとぼける。

「ええ、お義母様、頭を触ってみて下さい」と、妻が言った。

 彼女にそう言われて、母は自分の髪を触る。

「濡れているわね」と、彼女は言った。

「それに、服も見て下さい。パジャマを着てらっしゃるでしょ?」

 妻がそう言い、母は自分の着ている服を見る。

「本当だ! パジャマだわ!」

 母はそこで自分がパジャマを着ていたことに気が付いた。

「それじゃあ、お風呂には入っているのね。じゃあ、もう寝ないとだわ。お二人とも、お先に失礼します」

 母はそう言って、リビングの扉を開け、自室へと戻って行った。

 ふう、と妻はため息を吐く。

 それから、リビングは一度静かになる。

 梶は晩御飯を食べ続ける。妻も椅子に腰掛け、お茶を啜る。

 そして、五分後にリビングの扉が開いた。

「諒子さん、晩御飯まだかしら?」と、母が彼女を見て言った。


 母は認知症である。

 認知症になったのは、五年前のことである。

 ちょうどその一年前に、親父が亡くなった。ガンだった。

 彼が亡くなった後、梶一家は自分と妻と、それから、母の三人になった。自分と妻の間には子供はいなかった。妻は子供を作れない身体であった。

 親父が亡くなった影響なのか、自分たちに子供が出来ない境遇だからなのかは分からないが、母は段々と物忘れが激しくなった。

 そこで、梶たちは病院へ行ってみることにした。医師の診断結果、母は認知症であると言われた。梶はそれを聞いて、驚愕した。妻も同じようにビックリしていた。

 それから、梶たちは夫婦二人で、母の介護をすることにした。

 梶は警視庁の副署長になっていたので、仕事は極めて多忙だった。

 また、今年になって新たに加わった法制度により、更に仕事も増え、実母の介護は殆ど妻に任せきりになってしまっていた。

 妻には申し訳ないと、梶は常に思っていた。だから、梶はいくら仕事であれ、定時で上がることだけは守ることにした。もちろん、母のことは周りに知らせているので、そこはありがたいと梶は思った。

 その翌日も、梶は定時で上がり、直帰する。

「ただいま」と梶がリビングに入って言うと、「おかえりなさい」と、妻が答えた。

「母さん、ただいま」

 ソファに横になっている母に梶は声を掛ける。

「ん? ああ、タケか。お帰り」と彼女は言って、起き上がる。

「寝てたのに、ゴメンね」

 梶が謝ると、「いやいや、ついうたた寝していたみたいだ」と、彼女は笑った。

「そろそろ、晩御飯かい?」と、母は訊いた。

「うん、そうだね」

 梶はそう頷いて、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。母もそこへやって来て、椅子に座る。

「あなた、お待たせ」と、妻がテーブルに料理を運ぶ。その日の料理は肉じゃがだ。

「あれ? 俺の分だけ?」

 梶が妻にそう訊くと、妻が口を開く。

「私たちはもう食べたわよ」

「あ、そうなんだ。今日は、ビールを貰おうかな」

「分かった」

 妻はそう言うと、すぐに冷蔵庫から缶ビールを出し、梶に渡した。

「ありがとう」

「お義母様は、お茶でも飲みます?」

 それから、妻が母にそう訊いた。

「いただくわ」と、彼女は言った。

「はい」と妻は返事して、母と自分の分のお茶を作る。

 梶は早速、缶ビールを開けて、それをそのまま一気に飲む。

 ぷはっと息を吐く。そのビールは旨かった。

 少しして、妻は母と自分の分のお茶をテーブルに置いた。「諒子さん、ありがとう」と、母は妻にお礼を言った。すぐに母はそのお茶を一口啜る。

 妻も椅子へ腰を掛ける。それから、彼女もお茶を一口啜った。

「ねえ、あなた、そう言えば……」

 すぐに妻が口を開いた。「お隣の奥さん、亡くなったそうよ……」

 梶はそれを聞いて、驚いた。

「隣って、石川(いしかわ)さん?」

「ええ、そうなの」と、妻は言った。

「どうして?」

「喋っちゃったんだって……」

 喋ったとは、「日本語」を喋ったのだろう。

「あららら……」

「明日は我が身って、こういうことを言うんだわ」と、妻がポツリと言った。

「ああ」と、梶も頷く。

「……みんな死んじゃうのね」

 少しして、母が呟くように言った。梶は彼女を見た。妻も彼女の方を向く。

原田(はらだ)さんも、吉岡(よしおか)さんも、それに、佐々木(ささき)さんだって……」

 母が言う原田さん、吉岡さん、佐々木さんとは、梶たちの近所に住んでいた家族たちのことである。彼らは全員、次々と日本語を喋ったため、処刑されてしまったのだった。

「それに、タケんところだって、署長さんや警視総監さんだって、死んじゃったんでしょ? 可哀想にね……」と、母は言った。

「うん……」

 それから、梶は署長や警視総監のことを思い出す。自分たちの仲間が亡くなってしまうことは、とても悲しいし、辛かった。

「お父さんだって、亡くなっちゃったわ……」

 それから、母はぽつりとそう言った。

 親父だって、と母は言った。

 けど、親父は違う。

 親父はガンで亡くなったのだ! 決して「日本語」を喋って、処刑されたわけではない。

「親父は……」

 梶が言おうとすると、母が話をする。

「お父さんだって亡くなったのよ、それで!」

「違う! 親父はガンだった!」

「いいや、喋っちゃったのよ。タケ、この間、お父さんと喧嘩していたみたいじゃない。そうよ。その時、お父さん、うっかり喋っちゃったのよ!」

 母は捲し立てるように意味の分からないことを言う。

 しかし、それは少し合っているが、少し間違っていた。

 確かに梶は昔、父親としょっちゅう口喧嘩をしていた。

 親父は酒の飲み過ぎだった。それを梶が注意すると、親父にブチ切れられたことがあった。親父は酒に酔っていた。泥酔している父に歯向かっても、ぐちぐちと言うだけで、埒が明かなかった。けれど、その後、親父がガンであったことを知って、梶はひどく驚いた。

 母は何かを勘違いしているようだ。その口喧嘩と親父の死は関係ない。あれは、六年前の話だ。日本語を喋っていても、処刑などされない時代であった。

 本当に関係がなかった。

「あれは、六年前だ。あの時は、日本語を喋っても良かったんだよ」と、梶は言った。「親父はガンだった! 母さん、つい最近処刑されたわけではないんだよ。親父は関係ない! 本当に関係ないから!」

 梶はそう言って、黙る。

「そう……なの?」と、母は梶の顔を見て訊く。

「ああ、そうだよ」

 梶がそう答えると、「そう……六年前だったか……」と、母が納得したように言った。

「ああ、そうだ!」それから、母が思い出したように言う。「諒子さん、夕飯まだかしら?」

 妻は目を丸くする。それから、彼女は口を開こうとしたが、すぐに梶が口を開く。

「なあ、母さん、さっき食べただろ? とぼけるのもいい加減にしてくれ!」

 梶は怒って、日本語で言った。

 妻がすぐに目を見開いて、今度は梶を見る。

「いま、あんた、なんて……?」と、母が訊いた。

 母にそう言われて、梶は自分がうっかりと「日本語」を喋っていたのに気付いた。

「いや、さっき食べたって聞いたぞ!」

 梶は誤魔化すように英語で言った。

「あら? そうだったかしら? ねえ、諒子さん、そう?」と、母は妻に訊いた。

「はい、お義母様。先程食べられましたよ」と、妻は言った。

「そう……分かったわ。それより」と、母は言って口をつぐむ。その後すぐに、彼女は口を開いた。

「タケ、さっき「日本語」を言わなかったかしら?」

 母は梶を見て訊いた。

「…………」

 梶は何も言えなかった。

 梶が何も言わないので、母は妻に訊ねた。

「諒子さん、この人、『日本語』を言わなかったかしら? あたしには聞こえたような気がしたけど……」

「……ええ、私も聞きました」と、妻は答えた。

 梶は間違いなく言った。言ってしまったのだ。自分でもそれは分かっていた。

「すまない……警察を呼んでくれ......」

 結局、梶は二人にそう言った。

 それから、妻はすぐに一一〇番通報した。


 その朝、警視庁ではいつも通り朝礼から始まる――

 ――のだが、その日、そこに梶副署長の姿はなかった。

 そこに居た皆が不思議に思った。

 それから、代わりに捜査第一課の沢村巡査部長が登壇した。全員が彼に注目する。

「おはようございます」と、彼は大きな声で挨拶をする。おはようございますと、全員が挨拶する。

彼は話を続ける。

「昨日、梶副署長が亡くなられました」

 彼のその言葉に全員が目を丸くした。真平や田宮さんも驚く。

 再び彼は話をする。

「ここにご冥福をお祈り申し上げます。さて、全員で黙祷をしましょう。黙祷!」

 沢村巡査部長はそう言い、全員でそれをする。

 それが終わると、朝礼は終わり、そこに居た全員が自分たちの部署へ移動した。

 その翌日の夕方、梶副署長の葬儀が青山の葬儀場で行われた。

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