第8話 涙は要らない
リアは城壁が伸ばす影の檻に囚われながらその光景を見つめた。
風に揺れる草原。暮れなずむ黄金の中、一人たたずむ黒ローブの青年。まるで幻想の一頁。どこか荘厳で、どこか孤独で、高揚と静寂に息が詰まる。
しかし、不思議な呼び方――転生者の末裔――で名指しされたグランは、すでに一歩を踏み出していた。
「貴殿の目的は知らぬが、こちらは元よりそのつもりだ」
双炎十字の白コートは娘に着せたまま、腰から抜き放つ白い細剣。
「我が祖に唯一土をつけた剛の者よ。剣聖の名を継ぐ者として、この『陽炎稲妻』と……」
そして肩口のないジャケットから伸びる丸太のような片腕で、黒い両手剣を軽々と一振り。
「この『劫火夫』にて、お相手仕る」
白と黒の炎を模した雌雄火炎の双剣。
初代剣聖ガルドが鍛えし、七双宝剣が一対。
「……言っておくが、負けだのなんだのはガルドが勝手に騒いでいただけだ」
「それで十分」
左手に握る白き聖剣を縦に構え、長大な黒き魔剣は水平に肩へ。
「遺言でなくただのうわ言。それでも代々の当主たちは寝物語に子へ伝え、貴殿の存在を夢見てきた。いずれ、剣聖を破りし者が自らの前に現れるかもしれぬと。それが今、我が代にて叶った」
双炎隻流における、半身の基本姿勢。
後ろから見つめるリアも、そして前から見るフェオも幻視しているであろう、双剣で描く横十字。
「この千載一遇なる機会、剣士として逃しはせぬ」
「……継いだのは、血と名と夢だけではないらしいな。剣の求道者よ」
暮れなずむ黄金に二人きり。幻想の一頁に加わるは、赤銅色に肌を燃やせし金髪碧眼の偉丈夫。松明持ちの騎士と二代目剣聖による夕暮れの決闘。
今まさに始まらん、としたところでリアは我に返った。
「お父様! フェオも! いったい何を――」
「下がるんじゃ、姫様。邪魔してはならんぞい」
「漢の戦いに口挟むんは野暮っちゅーもんやで」
前回虫の息だったギャグ要員二人の急なシリアスに「話またいだとたん復活か!」とツッコむのもまあ野暮だった。
「ダメですよ、怪我したらどうするんですか! 二人も止めてください!」
「ウチに死ね言うてる?」
「むしろわし、お館様と代わりたいんじゃが」
「……もうっ!」
鼻息荒く視線を切り、雨雲に乗ってフヨフヨやってきたドナへと懇願の目を向ける。
彼女はポリポリ頬をかいた。
「息の根ごとでもいいなら止めるけど?」
「なんでそうなるんですか!?」
「あのレベルでお互いやる気満々だと、あたしだって手加減できないよ」
「怪獣バトルロイヤルになりそやな」
「わしも混ざっていい?」
「いいわけないでしょゲンさんのバカッ!」
日陰の外野席が騒がしくなるも、戦いの火蓋はまだ切られず。
「それに……『見定める』だと?」
代わりに、雲行きが怪しく。
「見定めるはこちらのセリフだ。事情は、妻やアリスたちから聞いた」
グランの言い草に、リアは小首を傾げた。事情ってなんだろう。
それに、なぜゲンドゥルは髭を揺らして頷き、ドナは頭でも痛そうに目頭を押さえているのか。
「外に出せば、このような日がいずれ来るとは覚悟していた。娘に自由を与えてやれず、閉じ込めて守ることしかできなかった不甲斐ない父の、願いのひとつでもあった」
いよいよわけがわからなくなってきたところで、何かを察したらしいセシルが今さらながらに水を向ける。
「ジブン、それなんやねん」
「? 白コート? えっと、なぜかお父様に着せられて……」
ブカブカなコートのダルダルな袖余りを揺らすと、クリッとした猫目が細目に。
「あとな、ずっと聞きたかってんけど、なんでその服装で冒険に来えへんかったん?」
「その服装?」
「コートの下の動きやすそうな格好のことやがな。あんなスカートだのタイツだのよりよっぽど冒険者らしいで」
「それは、ゲンドゥルやお父様が――」
「しかし娘にはまだ早いっ!」
「――ダメ、だって……」
なんか似た感じのセリフを差し込まれて視線を戻せば、親バカの背中がより大きく、たくましい腕がさらにムキッ。血管すごい。
状況が掴めないリアの隣から野次が飛ぶ。
「そうじゃそうじゃー! やったれいお館様!」
「もうヤダこいつら……」
「えっと、どういうことゲンさん?」
顔を両手で覆うドナはそっとしておき、リアはゲンドゥルに尋ねた。
「? どうって姫様」
すると彼が立てたのは、親指。
「あやつ、姫様のこれじゃろ?」
この白コートとフェオへの態度。
点と点がつながり、勘違いを悟ったところで重低音が場に轟く。
「それでも娘を欲するならば、我が屍を越えてゆけっ!」
「何変なこと言い出してるんですかお父様のバカァ――――ッ!」
「要は『娘の彼氏認めるぐらいなら死ぬ』でええか」
真っ赤になって叫ぶリアと、思いっきり意訳するセシル。
そして、よくわかんないからとりあえず黙って聞いてたけど結局よくわかんなかった、みたいなフェオ。
「……よくわからんが」
やっぱりだった。
しかし、彼は続ける。
「俺は悪魔だ」
フードを目深に引っ張り、どこか悲しげに。
「人の死に涙ひとつこぼさぬ、人ならざるもの。だが……」
どこまでも真剣に。
「……死にゆく者たちへの敬意は、少なからずあるつもりだ」
だけどやっぱり、どいつもこいつも。
「たとえリアに急用があっても、屍をまたいで死者の尊厳を汚すことなど俺はしない」
「そーゆーことじゃないんですよフェオのバカァ――――ッ!」
「ちょいちょいズレてんな、あの二人。実は似た者同士ちゃう?」
「父親に似た人をって言うしね……」
「しかしじゃな、姫様にはやはりまだ早いとわしも思うんじゃよ」
「祖父バカまで出てくんなや、まだ前フリ長くする気かいな。ちゅーか親バカ目の当たりにして思うんやけど……」
それからやっとこさ切られる戦いの火蓋はその直前で――
「……下半身ゴブリン野郎、殺されるんとちゃう?」
――この場にいないセクハラ赤毛の背筋を、ゾッとさせたことだろう。
「我は王都守護伯にして、双炎十字騎士団団長グラニート・クルス」
そして先制は、名乗りを上げる剣聖。
「人呼んで、剣聖グラン――――いざ参るっ!」
基本姿勢を崩したグランが矢の如く駆ける。
しかしそれは、まさしく矢だった。
――ガチッ……!
双剣のギザギザな刃を噛み合わせ、細剣を短い弓に、両手剣を巨大な矢に見立てて固定。弓なりならぬ十字の弓矢。長い柄の底を右手で握り、長靴で固めた右足を大きく踏み出す。
剣のリーチを最大限に生かした突進技。
「双炎隻流『兵』の火剣――」
それは、篠突く雨、一陣の風。
「――火箭十字!」
噛み合う細剣を振り切った勢いで、大型弩砲の如く放たれた両手剣による一突きはしかし、ボッと空気を破裂させただけ。フェオは軽々と横へよけた。通常の突きより倍近いリーチの突き技を、まるで熟知していたかのように。
だが反撃とはいかない。畳みかけるは返す刀、引き寄せられる両手剣。
――パシッ!
雄炎の両手剣にはリカッソと呼ばれる部位がある。鍔の上、刀身の一番下を握れるようにした部分の名称であり、ここを持って短くすることにより棒状兵器としても扱えた。
例えば、槍のように。
――ダンッ!
流麗。矢から槍へ。つながる連携。強く踏み出す左足はすでに、槍突きの工程。
片手でリカッソを握り、細剣を再び噛み合わせて支えると、先端で交差する刃。すなわち貫く炎が双つ。
「『兵』の火剣――」
それは、鳥寄らぬ林、石穿つ蛇。
「――火槍十字!」
そしてリアは初めて見た。フェオがまともに攻撃を喰らうところを。
しかし、直撃というわけではなかった。
――ガキィンッ!
突きの先端。交差する刃の根元へ、上下に握った長杖を食い込ませて防ぐ。軽く吹き飛ばされてそのまま鍔迫り合いへ。
体格が違いすぎた。杖はなぜか断てず折れずの強度だが、フェオの上体は明らかに仰け反っていた。グランが押し込み、双剣の交差する位置を先端から根元へと移す。
そこで、観客席から叫び声。
「あの子本気かい!? ゲンドゥル!」
「わかっとるわい! ガルドの火を継ぎしゲンドゥルが命じる!」
状況について行けず。声を上げる間もなく。
ただ、白と黒の剣の交わりが一番深い根元に達した時だった。
「――――『神文業火』」
重低音のささやき。フェオやドナの詠唱よりも不思議な響きで、耳の中へとスルリ。
続く裂帛。挟まれるしわがれた声。
「双炎隻流『地』の火剣――」
「護れ、『大陸霊亀』!」
「――猛烈火十字!」
――ギャリッ――――ゴォウッ!
重なる事象。目の前には、かつてフェオが出した半透明な光の障壁より巨大で堅固なもの。あれが鹿の角ならばこれは亀の甲羅か。
そして広がる光景は、美しい地獄だった。
「ってなんやねんこれ!? 姐さん消火! はよ消火活動!」
「わかってるよ! ったく、まさか魔法剣までやるとは……!」
「だからわし呼ばれたんじゃよ」
障壁の向こうは焼け野原。なおも燃え広がり、草原が火の海に。
夕暮れに染まる紅蓮の炎。
「あたしがいなかったら大火事だけどそれは!?」
「……あ」
「ここの男どもはいつも脳筋でやんなるよっ!」
黄昏を紅蓮に変え、そこへ降り立つ赤銅色の肌をした偉丈夫が、この世のすべてを焼き尽くさんとする者のように見えた。優しい父とは重ならなかった。
それに、あっという間だった。
「……フェオ?」
秒で繰り出された三つの技。その最後。
白と黒の双剣が、交わる根元から荒い刃の上を、互いに無理やり擦れ合いながら振り切られた。激しい不協和音と同時に摩擦で閃いたのは火花でなく業火。炎を象る刃から繰り出された、炎の斬撃。
その中心にいた彼。
「そんな……フェオッ!」
リアは思わず駆け出したが、障壁に阻まれた。物理的に通り抜けることはできないらしい。
拳の底をドンドンと打ちつけ、なおも叫ぶ。
「フェオッ! フェオ――――ッ!」
手の衝撃が涙腺に。いつ、涙がこぼれてもおかしくない。
だからこぼれるより早く降ってきたその声は、そんな少女を察したもの。
「もう泣くな、リア」
「えっ――」
――バサッ。
おそらく光の甲羅の上に乗っていたのだろう。自ら逃げたのか、吹き飛ばされてしまったのか。少し焦げた跡を見るに後者かもしれない。
しかし目の前へ着地した無事な背中に、リアは心配よりも喜びが勝って見えない壁に張りついた。あまりの安堵に声が出ない。
それに彼も、振り返らない。
「俺は二度とリアを泣かせない」
唐突な決意表明。胸に響く言葉。だけど、なぜだろう。うれしくなかった。
その理由はすぐにわかった。
「だからもう、俺のために泣かなくていい」
それは、拒絶だったのだ。
「……いえすろりーた、のーたっちだ」
そして彼はこちらを一度も見ずに歩き出した。ただ父を見つめ。
声は、かけられなかった。
「『地』の業は、地獄を見た者にしかたどり着けぬ境地。お前も見たか、二代目。かつての初代のように」
ドナが小さな雲で降らす雨に打たれながら、消されゆく火の海の中で彼を待ちわびていたグランが返す。
「鍛兵山竜、星月地天。すべてを会得してこその剣聖。言わずもがなだ」
「無粋だったか、謝ろう。しかしわかっているだろうが『天』の奥義は使うな。大陸大亀でも防ぎきれない」
「? そんなものはない」
「何?」
「火継八景の書の最終章、『天』に記されているのは一文だけ。それも、ガルドの人生訓のようなものだ」
「……どうやらお前を、二代目と呼ぶのは早かったらしいな」
怪訝だった父の表情が剣呑なものに変わる。
長杖を逆手に、彼が構える。
「来い、剣聖に近き者よ。もしも資格があるならば、俺がその一助となろう」
少女は、そんな二人を黙って見つめることしかできなかった。泣かせないと、泣かなくていいと言われた涙を、静かに流しながら。
いえすろりーた、のーたっち。よくわからないけどそれが、この屋敷でずっと自分から逃げ回っていた理由。
そして少女にはそれが、こう聞こえた。
「お前がこの国と、リアを守らなければならないのだから」
お前の涙は要らない。確かにそう聞こえたのだ。
隔てる壁が分厚くて、少女には焦がれる相手の背中が、どこまでも遠くに見えた。




