第9話 ヘレーネ・クルス
※
――コンコン。
その来訪の合図に、墓所の管理人であるボー・ナハベルは赤い瞳を細めた。こんな夕暮れ時に誰だ。
しかし雑木林の手前にある管理小屋の扉を開けたとたん、目が真ん丸に。
「こんにちは、ボー。久しぶりね」
儚さのある笑み。亜麻色の長い髪。それ以外は先日会った少女そっくり。
だが早朝にジョギングするあの溌溂さはなく、身体を冷やさぬ重ね着と上質なストールを羽織るその身はやや痩せこけ、どこか病人を思い起こさせる淑女。
剣聖グランの妻、ヘレーネ・クルスだ。
「……あら? もうこんばんはだったかしら? それともごきげんよう?」
「ナハベル卿は驚いているだけでございます、レニ様」
我を取り戻し、すぐさまその場へ跪く。後ろでまとめた長いドレッドヘアは床につかぬも、ゆったりとしたくるぶし丈のチュニックが木目の上の砂を舞わせた。
「お久しぶりでございます、奥方様」
「あらやだ、驚かせちゃってごめんなさいボー。ほら、立って立って」
肩に手を置かれ、浅黒い肌から冷や汗。相変わらず分け隔てない方だ。やすやすと使用人に、それも墓守である不浄なこの身に触れるなど。
そのうえ引っ張って立たせようとする無茶な気配まで感じたので、ボーはしぶしぶ顔だけ上げた。
「……もう、立ってって言ったのにぃ」
拗ねるとなおさら娘そっくり。とても子持ちには見えない。
そして姉――娘より身長が低いので下手したら妹――でも通じる見た目の歴とした母親は、うれしそうに手を合わせた。
「でもおかげで、首が疲れなくて済むわ。ボーったらしばらく見ないうちにまた背が伸びたのかしら」
まるで親戚の子の成長を喜ぶように頭を撫でられ、三十路手前の男としては苦笑するしかなかった。
そんなボーへと謝るのは、愛称で呼ぶ主人の後ろに控える女性。
「申し訳ありませんナハベル卿。レニ様、どうかその辺りで」
黒髪を余さず白いカバーキャップで覆い、その身も質素な白と黒のエプロンドレスで包む年嵩の侍女。未だ騎士時代の呼称を使ってくる侍女長のテスだ。
ボーはいつものように訂正しようとしたが、それよりも玄関口で二人を立たせたままなことに気付き、片手と膝を床に着けたまま道を開けた。
(かといって、奥方様をこのような場所へ招くのは……)
チラリと室内へ目を向ける。
殺風景。ベッドと机に、椅子がひとつだけ。もちろんもてなす茶などなし。ボーは顔を伏せ、一人窮した。
その様を見かねてテスが言う。
「レニ様、お気は済みましたか? 私めが申し上げたとおりでございましょう、ナハベル卿を困らせるだけだと」
「うーん、そうみたいね。本当にごめんなさいボー、お茶をいただきに来たわけではないのよ? せっかくだからあなたの顔も見たくて寄ったの」
「? 私の顔も、ですか?」
ついでなことは理解したが、未だ要領を得ず。ボーは怪訝な顔をレニに向けた。
「実はねー……フフッ、ウフフッ、来ちゃった」
口を両手で覆い、少女のように笑い転げる茶目っ気たっぷりな貴婦人。もちろん意味はわからない。
テスの素早い補足。
「姫様の想い人が墓所にいると聞きまして。本日はだいぶ体調も良いので外に出ていたのですが、最後にどうしてもと……」
表情の読めない顔に刻まれたシワの分だけ、苦労が偲ばれる。生まれつき病弱だからこその好奇心に彼女が振り回されているのをボーは何度も見たことがあった。
しかも、今回は本当に無駄足だ。
「あら、テス。想い人だなんてそんな。恋人でしょ?」
「そのような関係ではないはずです。姫様とドナ様のお話を聞く限り」
なぜなら彼は今、この雑木林の奥の墓所にはいないのだから。
「あらあら? そうだったかしら、どうしましょう」
かの松明持ちの騎士は今頃、二代目剣聖グランと対峙して――
「言っちゃったわ、主人に。恋人だって」
「……なんと、恐ろしいことを」
――右に同じく。
(まずいなそれは)
英雄豪傑。そんなグランの唯一の欠点を重々承知しているボーはその胸中を察し、慌てて窓のほうを見た。そちらで彼は戦っているはず。
せめぎ合う忠誠心と信仰心に居合わすことは遠慮したが、どうやら悪手だったらしい。
「? あれは狼煙、ではなさそうな……?」
窓の外、遥か遠くの煙に向けた怪訝な顔を、サッと青ざめさせるテス。おそらく同じ所感。あれは、紛うことなき火の手だ。
ボーはすぐに立ち上がった。
「ナハベル卿、まさか様子を見に?」
「お任せを」
不安げな声に軽く頷けば、テスが胸を撫で下ろす。
「あなたが行ってくださるのなら安心ですね、『赤眼猟剣』殿。どうかよろしくお願い致します」
捨てた名だが、押し問答する時間も惜しい。ボーはすぐさま小屋を出ようとした。
そして、非礼ながら軽い会釈だけで御前を退出しようとした矢先。
「そうね、早く行きましょうボー」
胸元から届く声に、ピタリ止まる身体。駆け巡る不安。
見下ろすもそこに姿はなく、小さな背中はすでに玄関口の外へ。
「? どうしたの二人とも、置いてっちゃうわよ?」
ボーは思い出していた。そういえばこの方の好奇心に振り回されるのは、今も頭を抱える侍女長だけではなかったな、と。
※
いえすろりーた、のーたっち。はっきりとした拒絶の意思。しかしリアに、悲しみに暮れる暇はなかった。
フェオが追い詰められていたからだ。
――カンッカンッ、カキンッ!
一方的に攻め立てる、白と黒の雌雄火炎の双剣。
専守防衛の長杖。
――ザザッ……ガキンッ!
それでもなんとか雌火の細剣の突きを払い、打ち下ろされた雄炎の両手剣もかわして、黒ローブの青年が一転攻勢。素早く背後へ回り込む。
だが、その動きを先読み。
――ザスッ!
散る草露、地に刺さる黒剣。そこを支点にグルンッ。
俊敏な偉丈夫が振り向きざまに左の聖剣で薙ぎ払うも、軽妙なバックステップであえなく空振り。だが回転は止めず、逆手で引き抜いた右の魔剣へと遠心力を上乗せ。
夕焼けに舞う土。払った露で円を描く、回転連撃。
「双炎隻流『竜』の火剣――」
それは、雲斬る羽、草薙の尾。
「――火旋十字!」
――ドゴォ――――ッ!
大地が吐き出す土石流。赤い肉片は見えない。
盛大に広がる土煙から灰髪が出てきたのを見て安堵するも、フェオは素早く間合いを開けたところでガクッと膝をついた。
「……おいおい、ボコボコやんけ」
セシルの言うとおりだ。杖を支えとするその姿に浮かぶのは、敗北の二文字。取れたフードを被り直す余裕もないらしい。
「当たり前じゃいあの方をどなたと心得る、と言いたいとこなんじゃが……ちと妙じゃのう」
巨大な両手剣を片手で地面に突き刺したまま、ゲンドゥルが白い髭を撫でる。
雨雲の上でドナが応じた。
「そうだね、魔術を一切使ってないってのもだけど……」
同時に、日陰の観客席に張られた光の障壁の向こうで土煙が晴れる。
現れる影。短い金髪と碧き竜眼、赤銅色の肌。
「何より動きが単調すぎる、さっきから同じことばっかり。あたしでも見切れるよあれじゃ」
「んー、せやなー」
土で汚れようと傷ひとつない、剣聖グランの偉大なる勇姿。
「なんであいつ、あんな背後を取ることにこだわってんのやろ」
それに関して、リアには仮説があった。
フェオの狙い。これは、首の後ろへの手刀。双炎騎士を気絶させた必殺技『リアル首トン』を狙っているのだろう。
ふざけた技名なのはともかく、同じ技を目の当たりにしていたゲンドゥルがつぶやく。
「お館様には通じんと思うがのう」
おそらくそうだ。
けど、そうじゃない。
(三原則……)
仮説なのは他者の記憶だから。
ガルドが言っていたではないか。彼を縛る三原則。
(魔物の排除、人類の保護、自己防衛……)
つまりフェオは、人間に攻撃できない。
(首を狙っても、寝かしつけるだけで攻撃じゃない……対人用のために編み出した技? でも、ううん、やっぱりおかしい。だってデレクには……)
そして切り替わる己の記憶は、契約を交わした月夜の一幕。
三角屋根の上で不運な事故の凶刃からかばってくれた時、フェオは乳姉弟の顔面を殴っていたはず。あれから顔を合わせていないが――自分に刃を向けたせいで謹慎中らしい、申し訳ない――しばらくは腫れていたとのこと。人間への明らかな攻撃。やはり勘違いか。
借り物の確信が揺らいだところで、重低音が愉悦を含む。
「この程度……なはずもなし、か」
高揚を隠しきれぬグラン。
立ち上がるフェオ。
「知っているか二代目。いや、二代目候補」
頬の切り傷からは赤い血。
「好きに呼べ。して、何を?」
あの夜、彼の右手に刺さる剣を引き抜いて飛び散ったのと同じ、鮮やかな色。
リアは唐突に理解した。
「ボスキャラというのはたいてい、第三形態まであるらしい」
わざとだ。
「……戯れ言を。何が言いたい?」
あの夜、デレクの細剣からかばってくれた際、フェオは傷を負った。彼ほどの技量なら無傷でデレクを吹き飛ばせただろうに、そうしなかった。
自らの手を刺し貫かせてから殴りつけた。
「つまり、第二形態だ」
三原則の最後、自己防衛。必要なのはある程度の負傷。その二つが、人間へ攻撃できる条件。
揺らいだ確信を取り戻したリアの前で、フェオが胸元から何かを取り出す。
「ちなみにだが……」
手には縦長の白い紙束。描かれしは文字のような模様。十数枚。
それらを一斉に――――バサッ。
「ガルドは第二形態まで、もっと早かったぞ」
舞い散る四角大の吹雪は積もらず、土に還らず。
やがて規則正しく、一枚一枚がまるで生き物のようにフェオの周りをクルクル回り始めたところで、グランではなくドナが驚愕の声を上げた。
「ウソだろ、呪符をあんな大量に!?」
「? 呪符、前も言ってましたよね。どんなものなんですか?」
問いかけると、魔女は生唾をひとつ飲み込んでから語り出した。
「あれは魔術師が扱う触媒の、ある種の究極系。一回きりしか魔法が使えない杖みたいなもんさね」
「え、使い捨てってことですか?」
「それがなんで究極やねん」
「物語や絵を描く紙はある意味、別世界の窓。ルーンで開く世界間の扉としての役割にピッタリなのさ。だから効果も抜群。ただし馴染みすぎて形が保てず、すぐに灰となる」
「じゃったらお前さんも大量に作れば良いのでは? ほれ、あんなふうに」
「簡単に言うんじゃないよ、手間と時間にどんだけかかると思ってんだい。こっちは百年生きて数枚がやっとだっての」
呆れたドナがため息をつき、こちらへ向けた視線を切る。
「なのに、あいつは……。あれはもう風織りみたいな代替わりじゃない」
そして改めて見つめる先は、身体の周囲で呪符を踊らせる魔術師。
「……正真正銘だね、間違いなく」
八百年という長い時を、きっと、誰の記憶にも留まらずに生き続けた騎士。
「? ホンモノってなんじゃ?」
「ジィさん後にせえ! それよりウチ、とんでもないことに気付いたかもしれへん……!」
フェオが松明持ちの騎士だと知らないゲンドゥルの気を、セシルがうまく逸らす。
なんてつもりはなかったようで。
「姐さんあの呪符って、たまに貴族とか金持ちの家にあったりせえへん!?」
「ん? そうだね、御利益あるって評判だし、そういう蒐集家もいるし。あたしのも一枚クルス家にあるよ」
「ナンボなん!?」
「は? いや、あたしゃあくまで寄贈だよ。そういう話も聞かないではないけど」
「やから売ったらナンボなん!?」
「……都に一軒、家が建つぐらい?」
「フェオの兄貴ぃぃぃっ! 今すぐこんな無益な争いやめてウチとカードショップ経営ニャブベラッ!?」
そして駆け出した猫耳守銭奴が光の壁に、ビタンッ、と張り付いたところで。
「行くぞ――――『弓神』」
――ボッ。
たぶん夢のマイホーム計画の一端が、灰となった。




