第5話 れっつ魔法講座
遠く城壁を望む、広大な牧草地。西日に照らされ草を食む放牧中の馬がチラホラ。のんびり流れる憩いの時。
その柵沿いの道を、いつもの雨雲でプカプカ浮かぶドナに連れられ、リアは歩いていた。フェオがいる墓地へと向かう途上でセシルもいっしょ。
ただし、彼に一番興味津々だったはずのアリスとは別れていた。
「――――そうだねぇ、んじゃあれは?」
「……空?」
「いや、そんな単純な話ちゃうな。ズバリ雲や」
「ムッ……!」
フェオとの決着。ドナはとことん追求するつもりなのだろう。あの提灯騎士を生み出し、そして十年前、リアを誘拐した犯人こそトール教だとうそぶいた彼のことを。
こんな話を下手にアリスへと聞かせるわけにはいかない。信憑性がなく、リアの父である剣聖グランにすらまだ聞かせていないのに。そういう判断だった。
「そんじゃこれ、なーんだ」
「ハイッ! 地面!」
「まったくこれやからポンコツ単細胞は。ズバリ道やな」
「ムムッ……!」
そして、リアの呪いのこともある。
それについて知っている人間は限られており、アリスに聞かせても困惑させるだけだろうとのこと。ゆえに「見たい見たいリアの初恋相手見たーい!」と騒ぎ立てる恋愛至上主義者をなだめて追い払ったのだ。だから「魔法って何?」と聞いたアリスの代わりに説明を受けるのはまあ良い。百歩譲って。
問題は、魔法と全然関係なさそうなことだ。
「じゃあそれは?」
「おっきな木!」
「と見せかけて葉っぱや」
「セシルさっきからズルい! 後出しばっかり!」
「勝手にそっちが早押ししとるだけちゃいますぅ?」
「ま、別にどっちでもいいんだけどね」
「じゃあなんだったのこの時間!?」
長いポニーテールを勢いよく揺らして振り返ると、ドナが耳をふさいでうるさそうに「んじゃ最後」と煙管を向けた。
その先は、柵の上の猫耳幼女。
「これは?」
「ハニャ?」
器用に歩いていたセシルが思わず固まる。その前を、雨雲がスイーッ。
リアは慌てて追いついた。
「セシルはセシル、ですよね?」
「それはあんたが知ってるからだろ? 知らない人間は猫耳族って答えるだろうね」
「いや姐さん、ほんまなんやのさっきから」
セシルが支柱から支柱へピョンと飛び移ったところで、リアはハッとした。さっきのトランプだ。
――トランプのカード。
見たままではトランプのカード。
自分は、スペードのエースと知っていただけ。
「この世界は全部、トランプの裏側なのさ。セシルもセシルと知ってるだけで本当のセシルは見えてない。そしてそれは、あの空やこの地面、そこらにある木も同じなんだよ」
ドナはどこか遠い目をして続けた。
「あれは空で、これは道。そんな目に見えるものすべてが思い込みなのさ。実際はただの光の幻、あるいは数字や文字の羅列なだけかもしれない。けど、真実は誰にもわからない」
「姐さん、さすがに突飛すぎやで言うてること。魔法の話どこ行ったん?」
「だから、魔法の話さね」
「……んー?」
腕組みするセシルと違い、リアはなんとなくだが理解した。
「つまりこの世界はトランプの裏側で……真実というか、数字や絵柄のある表側の世界があるってことですか?」
「お、意外と優等生。ポンコツ単細胞はどっちだろうねぇ」
ピン、と猫耳が横へ伸びて不機嫌に。
フフンと鼻が伸びる。
「じゃあ魔法っていうのはズバリ、トランプを裏返すこと――」
「めくれないんだよ、真実は。そのための神秘さね」
「あ、そうですか……」
「ドヤ顔恥っず」
「うるさいなもうっ!」
「はいはい、ケンカしないの」
取りなすように差し出された煙管。
その木製の管を見れば、いくつか傷のような文字が。
「もしかして、これがルーン?」
「そう、十三の共有文字。これは道であり通行手形、つまり扉なのさ」
「? 十三だけやったっけ?」
「いやあんたは知っときなよ。裏側の世界はひとつだけど、表側の世界はひとつじゃない。ルーンで通じる先はそれぞれ六つある。つまりひとつのルーンにつき六つだから、魔法の数だけで言うと七十八かね」
「そんなにあるの!?」
「あたしも全部は使えないよ。それに結合魔術……同一上位世界の魔法で神秘を掛け合わせた、いわば魔術師個人のオリジナル魔法。それも入れると優に百は超える。たとえばあたしのこれとかね」
そう言って、ボフッと叩かれる雨雲。確かにフェオもそんなことを言っていた。
(『雲』と『天』の共有文字だっけ……それで、カテゴリーなんとか?)
ポンコツらしからぬ記憶力を発揮しながら、隣でフヨフヨ進む雨雲へと手を伸ばす。
しかし、スカッ。
「あれ?」
「だから乗れないっつってんだろ」
そうだった。リアはなんの感触も得られなかった空しい手のひらを見つめて肩を落とした。「乗せてください!」とお願いしても断られていた理由は「乗せない」ではなく「乗れない」だった。
「なんでドナは乗れるんですか? どういう仕組み?」
「それもさっきの続きさね。とどのつまり、魔術師ってのは世捨て人になりたいのさ。裏側の世界を捨てて、表側の世界へ渡りたい人間……真理の探求者たち。そいつらは扉を開けていくうちに現世との縁が薄れ、だんだん向こう側の理の影響下に置かれちまう」
寝転んでいたドナが身を起こし、雨雲を手でボフボフする。
「あたしがこの若さと美貌を保っているのもそのおかげだし、この雲もそう。目に見える現象としての雲とは根本的に違うから、肉体に縛られた人間には乗れないんだよ。まあそもそも雲なんて実際には乗れない……って、あんた聞いてる?」
「え? あ、はい。それで、どうやったら触れますか?」
「あたしも長くなって悪かったけど、集中力のない子だねぇまったく」
リアが手をスカスカ――私もボフボフしたいっ――させていると、雨雲がスイーッと逃げる。しかし、柵沿いの道からは外れていた。先行するセシルも「ハニャ?」と振り返る。
フェオがいる墓所はそっちじゃない。
「ドナ、どこへ?」
「ちょっと寄り道」
豊かに波打つ黒髪を手で払い、魔女は妖しげに笑む横顔だけをこちらへ向けた。
「いっちょ実演としゃれこもうじゃないか」
王都を囲う城壁の外側、突き出た形でさらに囲われる城壁。クルス家が所有する広大な敷地の境界線だ。
その高い城壁の前で、雨雲から降りたドナが煙管を掲げる。
「――――『我は問う。蓋し家なる天の名を』」
指揮棒のようにひと振り。
「――――『賢者の石は記さん。人々の間では天』」
さらに、もうひと振り。
「――――『石の賢者は答えん。小人たちの間では……』」
そしてピタリ。石造りの壁を差す。
肌に張りつくドレスの深いスリットが、風でフワリ。
「――――『水の滴る館』」
――パァッ。
光る壁。広がる波紋。左右どこまでも、とは行かずにすぐ消えた。
キョロキョロ見回して満足したらしいドナがひとつ頷き、後ろのリアとセシルを振り返る。
「とまあ、こんな具合さね。最初の一文で魔法の種類、次に扉としての共有文字を指定。最後に同じ意味の上位世界言語を鍵に……って、なんだいその微妙な面」
「だって、ねぇ?」
「実演とか言うてたわりに地味やなって」
「あんたら言っとくけどこれ超高等魔術、なんてわかんないか」
ドナが首を振り、出した雨雲のソファーへとボスンッ。寝転ぶ顔の上に三角帽子。怒らせちゃったかな。
リアは悪い気がして取り繕おうとしたが。
「十年間、誰のためにこんな結界を張り続けたと思ってるんだか」
続いたセリフに喉が詰まる。
十年間。それはまさに、誘拐された自分が箱入り娘になったのと同じ期間。
まさか。
「今の魔法は、いったいなんですか? なんのために?」
いきなり、核心なのか。
つばを上げた三角帽子の影から、魔女がこちらを見定める。
「結界っつっても、人や攻撃を防ぐわかりやすいものじゃない。これは因果そのものを断ち切る障壁なのさ。家の中にさえいれば、急な雨に降られることもないってね」
「よくわかりませんけど……つまり私は、ドナが作った家にずっと守られてたってこと?」
「簡単に言えばね。この前ちょっと本気出しちまったから魔力の供給が足りてなかったけど、かけ直したからもう大丈夫――」
「何が?」
強まる語気に自分で驚く。二人もビックリしていた。
しかし、いい加減に知らなければならないだろう。
「私の呪いのこと、ですよね。それはなんとなくわかります。だけど、教えてください」
自分がなぜ、十年間も外に出られなかったのか。
「私にかけられた呪いってなんですか? それに、いったい誰が?」
おそらくそれが、誘拐の理由にもつながる。そんな気がした。
魔女の沈黙、引く血の気。早鐘を打つ心臓。急なシリアス展開で居心地悪そうにする猫耳幼女。
そしていよいよ、身を起こしたドナが重たい口を開く――
「そいつらの勘違いだ」
「え?」
――寸前に、空から声が一雫。
「は? って、ちょ……!?」
「ニャニャ!?」
続いて落ちてくるのは、裾の広がった黒ローブ。
――バサッ――――ガシャンッ!
伸び放題の雑草をクッションに、自分とドナの間へと着地する灰銀の手足。立ち上がる腰には長短二本の杖。
突如として現れた、額を隠す灰髪の美青年。
「フェオ、どうしてここに!?」
「後から来たのはそっちだぞ」
フードを目深に被るフェオへ、猫耳を逆立たせたセシルが叫ぶ。
「いちいちビビらすなや! 城壁の上おったんなら声かけるか、先に飛び降りるて言わんかい!」
すると、隠せぬ口元がこちらを向いて。
「飛び降りた」
「見りゃわかるわボケコラァ!」
「お、落ち着いてくださいセシル! まともに会話できると思っちゃダメですってば!」
恋する相手にとんでもない言い草だった。
少女が幼女を羽交い絞めにしていると、魔女が気色ばむ。
「『勘違い』とは聞き捨てならないね。いい加減、洗いざらい吐いてもらうよ」
「わかった」
「またそうやってごまかす気……は?」
ドナの肩がずり落ちる。リアも思わず羽交い絞めからセシルを落とした。
驚きの目で見つめていると、フェオがあごをしゃくる。
「まずは役者がそろってからだ」
「役者って……ん?」
振り返ると、遠くに馬。背中に人を乗せ、縮尺でも狂ったかのように巨大な馬がゆっくりとこちらへ。剣聖グランの愛馬アルデバランだ。
「ということは、お父様?」
「おや、ゲンドゥルもいるじゃないのさ」
「わかりやすいシルエットしとんな、あの髭長族の爺さん」
いつセシルが知り合ったのかはともかく、確かに騎馬がもう一騎。人影は乗っている馬よりも横幅がある。間違いなく髭長族一の巨漢、ゲンドゥルだ。
「ゲンさんまで、こんな場所へ何しに?」
首を傾げたリアへとフェオが答える。
「おそらく見届け人だろう」
「? 見届け人?」
「ちょいと、あんたまさか……」
「安心しろ。話し合いが先だ」
あっさりとした物言いに、ドナは眉をひそめた。
「ずいぶん協力的じゃないか。どういう風の吹き回しだい? まさか、教えても記憶が消せるからってんじゃないだろうね」
ドキリとした。その可能性は無きにしも非ず。
しかしフェオは首を振り、フードの端をつまみながら夕暮れ近い空を見上げた。
「……それこそ、こっちが聞きたいぐらいだ」
そこには、遥か高くから地上を見下ろす、一羽の思考が飛んでいた。




