第36話 最悪
フェオの瞬間移動はおそらく、空間魔法の類ではない。黒ローブの肩に手をポンと置いたドナは実体験することにより、その憶測を確信へと変えた。
というのは良いとして、いきなりパッ。
「! ゲッ――」
景色が切り替わると同時に空中へと放り出される。
――ズデンッ!
「ニャブハァ!?」
「グフォッ!?」
これは精霊が干渉する万物の「小さな粒」の応用。術式対象の呼び声を引力に、自身を小さな粒へと変換して飛ぶものに違いない。磁石の砂鉄集めや召喚魔法の原理に近いのだろう。
つまりこの身と、短い墜落の下敷きとなってくれた猫耳幼女と赤毛の剣士は、いずれも分解されてから再構築されたわけだ。
「……って、マジか」
折り重なって倒れるセシルとライアンの上に腰を落ち着け、ズレた三角帽子の広いつばに手をやりながらドナは唖然とした。帰結した推論でも現状でもなく、自らの行いを省みて。
「後先考えなさすぎだろあたし。再構築の適用範囲がフェオだけだったら最悪、今頃は……」
「最悪はまだ回避されていないぞ」
差し出される灰銀の手。目深に被るフード。さすがにきれいに着地していたらしい黒ローブの術者本人、フェオ。
その手に甘んじて掴まり、高い踵に気をつけながら引っ張り上げてもらう。語尾を下げつつ「どーも」と感謝。
「それより回避されてないって、空気中の塵芥になるより最悪なことがあるとでも?」
「後ろを見ろ」
「あん?」
服についたほこりを払いながら振り返る。
窓がなく、空気の澱む室内。加えて狭いし汚いしだが、暗さだけはマシ。光源があったから。
「な、なっ……!」
鉄格子の向こうで松明を掲げる、開いた口がふさがらない様子の聖騎士と目が合い、思考停止したドナはとっさに語尾を上げて。
「……あ、どうもー」
気まずいご近所さんをやり過ごす奥様みたいになったが、やり過ごせなかった。
「貴様らどこから湧いた!? おい侵入者だ、牢屋に賊が出たぞー!」
「いやちょっと待っ――」
「あれ、なんでウチら捕まっとるん!?」
「おいなんだこれ、いったいどういう状況だ!?」
冷たい鉄格子にすがりつくも足音と明かりが遠ざかり、後ろの二人は錯乱状態。状況はこっちだって聞きたい。
「――――炬火」
牢獄を照らす新たな松明に、ドナは阿吽の呼吸で鉄格子から離れた。目だけは胡乱げ。
突き刺す視線を肌で感じたらしいフェオが火の剣を構えつつ応える。
「ここはおそらく地下牢だ」
「見りゃわかるよ。じゃなくてリアは? あの子の元に飛ぶ術じゃないの?」
「定員オーバーだ」
――スパパッ……カランカランッ。
「『馬』に四人は乗れない」
なるほど。途中下車、いや落馬か。二人乗りがせいぜいと。
見事な手前で切り落とされた鉄格子の残響が消え、ドナは疑問符を浮かべる余分な二名を横目に見ながら言った。
「つまり、こいつらのせいね」
「ボコボコにされた記憶しかない僕になんの責任が!?」
「姐さん? ウチもアリスちゃんに首絞められたことしか覚えてへんのやけど?」
そんな元肉塊と元窒息死体の訴えを無言で棄却すると、弁護人が異議申し立て。
「こいつらじゃない、全部お前のせいだドナ。なぜ術に割り込んだ」
フェオが上下に焼き切れた鉄格子の間をくぐる。
その後に続き、腰を屈めてよっこらしょ。
「なぜって、あんたが黙って勝手に行こうとするからでしょうが。ちゃんと相談しとけばこんなことには……」
「それより僕らへの説明は?」
「諦めろやライアン、たぶんウチら賑やかし要員やで。ほんまどんだけシリアス苦手やねん作者」
余計なことまで悟りやがった賑やかし要員二名もしぶしぶ牢屋から出ると、同じ構造の牢が並ぶ廊下を四人並んで歩き出す。先頭は火の剣をかざす光源役のフェオ。
「しかし、最悪とまではいかないか」
「みたいだね」
ドナは肩越しに振り返った。背の低いセシルは視界に入らず、最後尾で首を傾げるライアンも眼中になく、にらむは非常事態を触れ回った聖騎士の行き先。少なくとも聖騎士が常駐するトール教の関係施設に間違いはなさそう。
「じゃあ、ここにリアが?」
「まだわからないが、可能性は高い」
「なんでわかんないのさ。あんたの魔法だろ?」
「だから、お前のせいだと言っている。俺一人で十分だった」
前に向き直ると、フードの奥から肩越しにこちらをギロリ。見るからにイライラしちゃってまぁ。
ドナはため息をつき、軽く肩をすくめた。
「悪いけど、今のあんたにゃリアを任せらんないね」
「……どういう意味だ?」
「今のあんたはグランより冷静じゃない。女神とどんな因縁があるか知らないけど、ほかの女で頭いっぱいな男にリアは任せられない」
すると、フェオの歩みがピタリ。
「俺は冷静だ。スルーズは関係ない」
合わせて止まれば、セシルが「ニャブッ!?」と腰にぶつかり。
「関係大有りだろ。間男だってもう少しまともな言い訳するってもんさね」
「んなことより急に止まらんといてや姐さん、ただでさえデカいケツがドアップブフゥッ……!?」
「だーれのケツがデカいってあーん?」
「お、おい、悠長にケンカしている場合か?」
そして賑やかし要員の口を鷲掴んでいると、切迫したもう一人が賑やかしもせず真っ当に。
「さっきのやつ、仲間を連れてくるんじゃ――」
――……チャンッ……ガチャンッ……。
噂をすれば影。遠く群がる具足の足音。
ライアンの肩がビクつき、辺りを照らす火の剣がフッと消える。ドナは暗闇に紛れて息を潜め、鷲掴んでいた口をそっと離した。そのせいで「プハァッ……!」と大きめの解放音はしたが。
「おい、いないぞ!」
「なんだこれ、鉄格子を切ったのか?」
「クソッ、どこへ行った!」
どうやら聞こえなかったらしい。ホッとしながら声を落とすも、危機は続いた。
夜に光る猫の目。
(ほら僕の言ったとおりじゃないか! どうするんだ!?)
つまりセシルは、非常に夜目が利いたのだ。
(と、とにかく今はアサシンだよ! あわてずさわがずしゃべらず……ん?)
(おはしみたいに言おうとして失敗するな!)
(? おかしでは?)
どっち派かはええねん、というツッコミを放棄した猫耳幼女のクリッとした猫目が光り、向かいの牢屋をジー。
(いいから見つかる前に早く行こう! 僕は聖騎士なんて相手にしたくないぞ!)
(つったってここ一本道じゃなかった?)
(いや、さっき見た限り曲がるところがあった。多少は入り組んでいるらしい)
そして鉄格子のさらに向こう。暗闇の奥。
(なんでもいいからさっさと逃げ――)
セシルは何か獲物でも見つけたように、焦るライアンへと後ろ足で砂をかけて飛びかかった。
――ガシャンッ!
「男アリスちゃん!?」
妙な呼称。だがよく考えればすぐにわかる。
ただし、余裕があればの話。
「おい、今の……」
「向こうだ! 逃すな!」
そんな余裕もちろんなかった。
「このおバカ! あーもーやっぱ連れてくんじゃ……って、セシル?」
「冗談じゃない、異端認定などくらってたまるか! さっさと逃グエッ!?」
一人逃走を図るライアンの赤マントを無意識に掴みながら、ドナは暗闇の中でしゃがみ込むセシルの手元へと目を凝らした。牢屋の鍵を開けようとしているらしい。
「何してんのあんた! そんな暇あるとでも!?」
こちらを見向きもせず、ガチャガチャ迫る足音へとセシルがあごだけしゃくる。
「ええから時間稼いでや姐さん! ウチの鍵開けスキルでこんなんすぐに……クソッ! さすがに明かりが――」
――ボッ。
「! 気ぃ利くやんけ色男!」
何も言わず長杖に火を灯した色男はしかし、南京錠の小さな鍵穴を照らす意図はなかったらしい。牢の中へと目を向け、とたんに顔色を失う。
ドナが眉間にしわを寄せつつ同じほうを見ると。
「あっ……」
そこには、デレクがいた。
「だーもーあとちょいやねんけど……!」
広げた両手を鎖でつながれ、奥の壁に磔とされたまま項垂れる黒髪。姉のゆるふわボブを短くした天然くるくるパーマ。間違いない。
外の騒がしさと明るさに今ようやく気付いたように、デレクがふと顔を上げる。ハッと見開く瞳。震える唇。
「というか、また鉄格子を切ってもらえば早いのでは?」
「……先言わんかいボケカスゥ!」
「僕のせい!?」
しかし、口の動きがピタリ。
瞳の怒りはたたえたままに上がる口角。
「よっしゃフェオ、ほならさっきみたいにパパッと――」
「貴様ら、そこを動くな!」
「叩っ斬ってくれよう!」
「僕らがパパッと斬られそうだが!?」
そして、ドナは見た。ゆっくりと開く唇を。
聞こえた気がした。
――久しぶり、フェオ。
あり得ない、女の声で。
粟立つ肌に働く勘。
「伏せっ!」
行き届いた日頃の躾にセシルが反応し、猫耳を押さえて伏せる隣へと反応できなかったライアンを引き倒す。ドナ自身も尻もちをつき、フェオは棒立ち。
そこに問答無用で襲いかかる聖騎士と。
――ボコッ……。
「侵入者め! 覚悟――」
――ゴボゴボゴボォ――――ッ!
牢からあふれ出す、黒い液状の何か。
濁流が聖騎士とともにフェオを飲み込む――――寸前に、棒立ちの足を蹴飛ばして無理やり引っ張る。
――ドパァンッ!
謎の液体が壁に激突。周囲に飛び散り、床を侵食。それだけでなく通路を所狭しとブヨブヨ膨れ上がる。
「――――『我は問う。神すら欺く夜の名を』」
覆い被さるフェオ越しにその怪奇現象を目の当たりにしながら、ドナは真っ先に唱えた。
「――――『隠すもの』」
この黒い粘液生物のようなものはフェオに反応している。それは予測でなく、希望的観測だった。突然の怪異に祈る神など持ち合わせぬ魔女のとっさの知恵。
正しいかは神のみぞ知るも、結果だけ見れば大正解。
「な、なんだこいつは!?」
「ぐっ!? 剣が効かな――――た、助けてくれぇ!」
「おい、また飲み込まれてるぞ!」
「しっかりしろ! 手を放す――」
「あっ。お、おお、女神よ……!」
「退却しろ! 全員退却だ――――っ!」
透明となって気配ごと断つ四人。それに比べ、黒い粘液生物を隔てた通路の向こう側は阿鼻叫喚。標的を見失った末に、自身を刺激するものへと無差別に反応しているらしい。手足のようなものまでウニョウニョ生えていた。
ガチャガチャと遠ざかる少なくなった足音を追い、謎の物体が狭い通路の床や壁、天井をも這ってズズズ――
「――スルーズ」
ポツリともらすフェオの口を三人同時に慌てて押さえる。その光景は暗闇に紛れてはいたが、もはや透明ではなかった。声を出せば解除される魔術なのだ。だから押さえたところで手遅れだったが、幸いにも危機は遠い曲がり角へと消えていた。
長く深いため息をついたセシルが、しおれた猫耳を勢いよく真後ろへ。
「なんやねん今の、カオ〇シか!? 千と〇尋の神隠しか!? 久しぶりにジ〇リでも見たんかコラァ!」
「誰に言ってるんだ君は。とはいえ、本当になんだったんだ? あの聖騎士たちがなす術もなく……」
「全滅はしなかったみたいだけど、あの調子じゃ望み薄だね――――『光』」
ドナは起き上がりながら小さな月を煙管の上に浮かせた。明かりの元で周囲を確認。
壁や床にはボコボコと泡立つ黒い水跡。熱は感じないでの沸騰しているわけではなさそうだが、異臭がすごい。腐っているのだろうか。鼻を押さえ、天井から垂れてくる水滴に一歩引く。
そして最も確認すべき場所は、もぬけの殻。
「……デレクなのかい? さっきのは」
「は? いや姐さん、男アリスちゃんならそこに――――っておらへん!?」
ほぼ溶けかけた鉄格子の向こうを見て驚くセシル。
それを背に、腐った通路へと無言で足を踏み出すフェオ。
「ちょいとあんた、また勝手に――」
「最悪だ……」
「――あ? あっコラ、待ちなっての!」
駆け出すフェオを追いかけるため、一瞬で作った雨雲のソファーに乗ってビュンッ。黒い水溜まりを避けながら後に続くセシルの気配を背中で感じつつ尋ねる。
「質問に答えな。あれはデレクなのかい? どうして、あんなことに……」
「聖狂戦士の成りそこないだ」
「? パラ……成りそこない?」
「強まったスルーズの意識に、器が耐えられなくて崩壊した。しかし俺を見失ったせいで、今はあの騎士見習いの意識が優先されている」
「……えーっと?」
首を傾げた雲の上のドナにセシルが追いつく。
「つまりどう最悪なんや端的に言え! 文字数もったいないねん!」
そしてフェオは走り続けながら、脱げたフードもそのままに言った。
「あの化け物はリアの元へ向かった」
のどをゴクリ。猫耳ピンッ。
「そいつは……最悪だね」
しかし、道案内にもなるか。雨雲を減速させずに角を曲がったドナは、腐り落ちる通路をフェオとセシル同様にためらわず進みながらそう思った。
たとえそこが、地獄につながる黄泉路でも。
「まあ、せやったら話早いわな!」
三人は迷うことなく、一人の少女を助けに向かったのだった。
「……そ、それじゃあ僕はこの辺でグェ――――ッ!?」
大きな煙の手にマントを引っ張られ、地獄への道連れにもう一名加わった。




