第37話 愛の幻
神からの寵愛をパパ活扱い。そんなひどい夢オチから覚めたリアの目にまず飛び込んできたのは、大きな広間を明るく照らす豪華なシャンデリアだった。
(? あれ?)
なぜか、見覚えがある。その室内ごと。
崩れぬ列柱に垂れ下がる緞帳、兵士が行き交う真紅の絨毯。自らが座る偽りの玉座。そして弱々しい光すら失せ、ただの落書きと化した虚しい魔法陣。勇者の帰還に使われず、召喚にも失敗したものだ。
(って、何? なんのこと?)
見覚えでは済まぬ自らの知見に混乱して頭を振ると、長い金髪が乱れた。羽根かんざしでまとめたはずの後ろ髪が。
いや、あれは夢。
(そうだ、それにあそこは……)
過去も未来もある場所。
玉座から立ち上がっても、兵士たちには気付かれず。
「おい、いったい何――――!?」
「わから――――化け物――――!」
「――――侵入者が――――!」
何かあったらしいが、リアは関心を持てなかった。
――やっと帰れますわね、元の世界へ。
重厚な両開き扉から出ていく聖騎士たちを一瞥すらせず、赤い絨毯を裸足で踏みしめ、なだらかな階段を一歩ずつ降りる。
――お前らがいるじゃん!
火の海で語らう、かつての恋人たちの幻に引かれて。
しかし、現実には独り。
「……どうして?」
四つん這いとなって項垂れる桃髪の司祭。フリストだけがいた。
「どうして、失敗したの……?」
やっぱり、失敗したんだ。リアは妙に納得した。理解はまったくできないのに、腑に落ちた。不思議な感覚。自分が巫女ではないという未来を知っている。
清められた身を薄い湯浴み着で包む神聖な少女は、最後の段差から軽く降りて言い放った。
「残念でしたね、トールに会えなくて」
「っ!? 貴様……!」
地に伏せる女へ、まるで遥か高みから告げるように。
顔を上げて悔しげにうめくフリスト。それを冷めた目で見下ろす少女が、そばに落ちている何かに気付く。短いスカートを後ろで整え、ゆっくりと腰を下ろしてから拾ったものは、燃やされたはずのカラスの羽根ペン。
「かわいそうな人」
青く澄んだ瞳に驚きはなく。そこに在りしが当然の如く。
少女は優雅に立ち上がり、黒い一枚羽根をただ悲しげに見つめた。
「あなたの中には誰もいない。誰の中にもあなたはいない。孤独で、強欲で、自分だけ。あなたはきっと、フェオよりかわいそうな人」
脈絡なき宣告。おそらく理解は及ばずも、触れたのは心の琴線。
見開く金銀妖瞳。
「こ、の……小娘があああ!」
「っ!?」
鬼の形相で迫り、階段へと押し倒される。背中の痛みに止まる呼吸。さらには絞首。
「どうして、どうしてどうしてどうして!? どうしてトール様は現れないの!?」
「んっ……!」
「召喚しろ、トール様を! 今すぐ喚べっ!」
喉の圧迫感に抵抗していると、記憶の羽根が目端でそよいだ。
鮮明となる幻。勢い増す火の海の中、落下したシャンデリアのそば。
――ありがとう、俺を喚んでくれて。
かつての彼と、彼女と、フェオ。
――お前らがいたから、俺はこんな世界でも愛せたよ。
ブレる視界にはっきりと映る。
二人を抱きしめる彼の後ろ姿。すすり泣く彼女と、泣きそうなフェオ。
「――――喚ば、な、い……!」
「何――――っ!? ぐっ……!」
首に掛かる手へと羽根ペンを突き刺し、怯んだところを突き飛ばす。ペン先が潰れていたため、白き祭服は血で汚れず。激しくせき込みながらもそれだけ確認してちょっぴり安堵。殺されかけといてなんだけど。
鎮まるせき。昂る気持ち。
「あなたは、彼に、相応しくない……」
手の甲を押さえて寝転がるフリストを愕然とさせながら、なおも告げる。
「あなたなんか、お呼びじゃない。あの三人の、あの懸命な愛を、汚させはしない」
「……なんなんだ」
「まぁ、どうせ喚べないけど。巫女じゃないんで」
「いったい……何者なんだ貴様は!?」
そして少女は、最後に小さくケホッとせき込んでから立ち上がり、厳かな名乗りを上げた。
「私の名はリリアーナ・クルス。非力で愚かな『剣聖の娘』にして、神より加護を賜りし『剣帝の娘』なり」
「……剣帝の、娘?」
「そうっ!」
イイ感じな荘厳さをポイッと脱ぎ捨て、羽根ペンをズビシィッ。
「最近、パパが増えました!」
だからおぬしは言葉選びをもう少しだな、とどこか遠くから聞こえてくるよりも早く。
リアの耳に届いたのは、悲鳴だった。
「無理だ――――!」
「――――逃げ――!」
扉の向こう。出ていったはずの聖騎士たちが。
――ドゴォンッ!
扉を破壊するほどの黒い激流に押し流され、悲鳴ごと飲み込まれていった。
「なっ……!」
「何あれ!?」
こっちに来る。突然の事態に、リアは慌てて降りてきた階段へと戻った。
壊れた扉の隙間から勢いよく流れ込み、広間を浸水させる黒い液体。津波ほどの勢いはないが高いところへ緊急避難。床を這いよる《《アレ》》に触れてはならないと本能で悟った。
「あっ――」
しかし玉座まではたどり着けず、つまずいた中腹地点。
「――い、たた……あ」
打ちつけた腰を手でさすりつつ振り返ると、フリストがなだらかな段差に片足を掛けたところ。もう片方の足が上がる――――その寸前。
たぶん、触れてしまったのだと思う。
――ドプンッ。
意志を持ったように高く波打ち、あっという間に一呑み。真っ黒な口に捕らえられてフリストは消えた。手を伸ばす暇もなく、まるで暗い海の底へと引きずり込まれたかのように。
無言で背筋を震わせていると、扉から流れ込む水音はやんだが。
(っ! 今度は何!?)
一面に広がる黒い水が急速に凝縮。階段の下で膨れ上がり、かつて坑道で見たような巨大な粘液生物に。違いは色と歪な手足――四足歩行だから手かは微妙――が生えていることぐらいで、そのうちの一本がこちらへ。
恐怖ですくむ足。
「あ、あ……」
立ち上がれぬまま後ろへ下がるも、段差が邪魔をする。焼けただれた肌のように分離する液体で絨毯へと黒い染みを作り、熱を感じないのにボコボコと沸騰している手のほうが早い。追いつかれる。
(も、もうダメだ……!)
息を呑み、観念してギュッと目をつむると。
「うちの子にぃ……!」
「え。ちょ――」
父でも母でも神でもない。
魔女の声。
「手ぇ出すんじゃないよっ!」
とっさに開くまぶた。よぎる赤毛に「――っておいいいぃぃぃ!」と聞き覚えのある怒鳴り声。
――ドパァンッ!
衝突した飛来物を吸収するも、グラリと揺れて波打つ真っ黒液状生物。こちらへ伸びていた腕も形を保てずに崩れてしまった。危機を逃れて喜ぶべきだが、嫌な予感に耳を澄ませば。
「ね、姐さん? 今のまさか……」
「……投げちゃった、ライアン」
「テヘッで済むやつちゃうやろあれ絶対死んで……んー、まあええか! 存在も蛇足気味で本筋に絡ませづらかったしな!」
「それ作者の都合ですよね!?」
むしろ都合がライアンの死因などとは知る由もなく、ひな壇芸人の客席いじりと同じ距離感からツッコミを入れたリアは、壊れた扉の前に陣取る三人と再会を果たした。のっけから魔女と猫耳幼女の漫才に巻き込まれたので感動成分はだいぶ薄れていたが。
それに、トキメキ成分もだいぶキュン。
「リアッ!」
聞いたこともない大声で、必死に自分の名を叫ぶ灰髪の美青年。ナニアレ。
え、ヤダ、そんなに心配してくれたんだっていうかすごい久しぶりなせいかフェオがキラキラ見えてっていやこれ絶対前より好きになってるやつじゃんキャ~ッとドギマギしていたら、怒られた。
「アホお前いくら読者ゼロで心ごと筆折れた期間中に少女マンガ読み漁ってたからてさぶいラブコメぶっこんでんちゃうぞ! 今の状況考えろや!」
作者のメンタルとプライバシーは一切考えていないセリフの途中、ブヨブヨと膨れ上がる黒い壁。崩れた手足も再生し、三人の姿が巨体に阻まれて見えなくなる。確かにボケてる場合じゃない。
向こう側からドナの声だけが届いた。
「リア、とりあえず上に逃げな!」
言わずもがな、リアは階段を駆け上がった。身を縛る恐怖はすでに薄れ、身に着けるは最低限ゆえの軽やかさで。
だが、すぐに行き止まり。空の玉座を静かに見下ろすは、後光が差し込む造りの窓に浮かんだ片割れ月。シャンデリアが明るくて気付かなかったけど、夜なんだ。起きたばかりだから朝の気分。
(って、今はそれどころじゃ……あれ?)
せめてもの抵抗で玉座の裏に隠れるも、影から顔をひょっこり出して首を傾げる。追ってこない。いや、階段を上らずともすでに見上げる巨体となっており、追う必要はないかもだけど。
「……あれま。よっぽどだねこりゃ」
焦燥混じりの声を耳で拾いながら、リアは違和感の正体に気付いた。
手足の向きが逆。顔がないからわかりづらいが、たぶんシャンデリアに届かんばかりのこの大きな壁は背中。
標的が、自分じゃなくなっている。
「あくまで狙いはフェオってわけね」
「ほんまジブン何したん?」
「……気を引く手間が省けていい」
戦闘態勢を整えているらしき三人の元へ、ズズズ、と移動。あまり意味のない四足歩行で床をベチャベチャに。どうしよう。
(な、何か私も気を引いたほうがいいかな!?)
辺りをキョロキョロするも、投げられそうな物は特にない。リアは手に握ったカラスの羽根ペンに視線を落とし、武器になりそうな物といえばこれだけかと絶望した。絶対どうにもなんない。
すると、勝手な失望に対して反論するように記憶の羽根がそよいだ。
――行かないで。
解決策ではなく、幻の続きを見せられただけ。
――行かないで。
しかしかつての彼女の声が、現在の誰かと重なった。
――行かないで、行かないで、行かないで。
リアは呆けて、どす黒く蠢く巨大な彼を見つめた。
――ワタサナイ、リアは……ワタサナイッ……!
「……デレク?」
玉座の裏からふらりと出て、面影などありもしない弟のように思っていた幼馴染みと向き合いながら、少女は頭の片隅で思った。
人は、どうして間違えるのだろう。
「? なんや様子が――――っ!」
「あの子、何ボーッと……!」
「リアッ!」
動きが止まり、長い首を伸ばすように近付いてきた顔のない液状生物の先端に、ガパッと開く人間の口だけが不気味に生えてきても考えていた。
どれだけそこに愛があっても。
「ヒ、目、さ魔……リア、愛愛愛愛愛」
その愛が、間違いだとしても。
――俺が、二人の『槍』になるよ。
どうしてそれが、罪となってしまうのだろう。少女は涙をこぼした。
頬を伝い、ポツリと流れ落ちた雫が、人差し指にはめたままの赤いルビーの指輪に当たって散り散りとなった。




