第35話 ガルディン・クルス
真っ白な空間。
ソファーに座る羽根かんざしで後ろ髪をまとめた少女へと、横に持つ剣を片手で差し出す美髯独眼の神は言った。
「リアよ。ならば神でなく、人としてのワガママを聞いてはくれぬか」
それを耳にしつつも、リアはその見たことのない剣に目を奪われていた。
細剣よりやや太く、湾曲気味の鞘。細くて長い片刃剣だろうか。だけど、変な鍔と握り。模様みたい。
「これは刀。侍の魂であり、今のわし自身でもある。受け取れ、我が後継者よ」
出しかけた両手を慌てて引っ込める。
「後継者? 私が?」
「最初に言ったはずだぞ」
リアは改めてガルドを見上げた。
後ろに撫でつけた髪は長く、金色は老いて白銀に。髭も長くて左目に傷。しかし双炎十字の白コートに包まれた立派な体格は父そのままで、顔もしわを減らせば生き写し。独眼なれど竜たるは変わらず。
姿形、名実ともに、後継者は剣聖グランでしかあり得ない。
「そうではない。わしが望んだのは、想いを継いでくれる者よ」
「? 想いって?」
「そもそも、どうしてわしが双炎王国に留まったと?」
質問返しの質問を素直に咀嚼。なんでだろう。
「確か、王様にさせられそうで逃げ出して――」
「少しは言葉を選べよおぬし」
「――旅に出ようとしたところで、フェオに記憶を消されて……あれ?」
訂正して仕切り直すも、すぐに小首を傾げる。おかしい。王様うんぬんはフェオと関係ないから消えないはず。なのにどうして留まり、クルス家の始祖となったのか。
「実は冗談だった? 王様になってくれ、だなんて」
「冗談にさせた。『二度とこの地に足を踏み入れぬ』と脅してな」
建国神話の大英雄から絶縁宣言。即位の要請を撤回するには十分だったのだろうが、理由にはならない。その脅迫は国に留まると決断したからこそだ。
答えがわからずに悩んでいると、ガルドは背を向けた。渡されなかった刀の鞘で真っ白な床をカツン。
「わしは『あやつ』を待っていたのだ」
あやつ。誰のことかはすぐにわかった。
「この国を守り、家にしようとした。『あやつ』の帰る場所に」
だけど、大きな背中に長い銀の髪を掛けるこの人が今、どんな表情をしているのかはわからなかった。
だけどわかった。切ない声だったから。
「……結局、帰ってこなかったがな」
この人はきっと今、さみしそうに笑っている。リアはその後ろ姿にどうしようもなく哀愁を感じた。
そんな心中を察したらしいガルドが気まずげに振り返り、持ち上げた刀をポンと肩へ。
「言うておくが、さみしがっていたのはあっちだからな? ここに来てわかったことだがその後もわしを遠くからちょくちょくのぞいて……いや、どうでもよいか」
コホンとせき払いしてから、刀を支えに片膝立ち。ソファーに座る少女とかち合う隻眼。
「それでリアよ、わしの想いは理解したか?」
上からとなる神の目線が下り、人と同じ高さに。
「つまり、フェオのこと?」
「手前勝手な話よ」
是非には触れず、手のひらを差し出すガルド。大きなゴツゴツとした手。条件反射でそっと上から重ねるも口づけは落とされず、代わりに願いがポツリ。
「――――フェオを、諦めんでやってくれ」
辺り同様、頭が真っ白になった。
「孤独に寄り添ってやってくれ。そばに、いてやってくれ」
何も言えなかった。
ガルドが無傷な右目を閉じる。
「どれほどの罪だとしても……八百年は、長すぎよう……」
俯き加減で軽く握られた手から、痛いほどに伝わった。フェオへの想いが。それを他者に強いることを、どれだけ恥じているかが。
喉から声を絞り出す。
「それが、ガルド様の……人してのワガママ?」
「驚いたか? クルス家の始まりとはつまりそれよ」
開かれた片目に、離れゆく手のひら。自嘲気味にすくめる肩。
「わしでなくても良い。誰か、あやつの孤独に届いてくれと。そんな身勝手な男の妄執から始まったのよ、四百年続くおぬしの家柄は」
「でも、ガルド様は記憶が……」
「おぬしも男だったならわかろう。本来ならば根無し草。流浪の双剣使いが根を張ったのは、それ相応の理由があると」
ガルドは胸に手を当てた。
「胸に、消えぬ想いがあったからだと」
そしてまっすぐに、こちらを見つめる。穏やかな竜の独眼で。
リアは顔を背けた。
「なればこそ、おぬしが後継なのだ」
怖かった。誰も救えず死にゆくことより。
また、拒絶されたら。
「……無理です」
いえすろりーた、のーたっちだと――尊き人の間に在ってはならないと――拒絶されたら。
「無理です、剣の腕とかよりもっと無理です! いや、そっちも絶対無理なんだけど、でもあの、その……」
うまく言葉にできない。リアは深く首を曲げ、座面の縁をギュッと掴んだ。
少女は忘れていた。ここでは、すべてがありのままだと。
――ボスン。
控えめながらも重みが伝わり、二人掛けのソファーが埋まったのを理解すると同時に、隣から重低音。
「愛されなければ愛せぬか?」
心の内が暴かれるだけなら。
「恥じらわずともよい。初めからそこに、愛などない」
それだけなら、まだ良かったのに。
リアは弾かれるようにソファーから立ち上がった。
「バカにしないでください!」
「バカにはしとらんさ」
「してるもん! 神様だからって、偉いからって、バカにしてっ!」
頭に血が上り、ソファーに座るガルドと向き合って拳を握るも、振るえなどしない。やや見下ろす形になろうと相手のほうが大きいと感じたからだ。
だけど、悔しいものは悔しい。
「私だって、できるものならそうしたいですよ!」
「なぜできぬと決めつける」
「それは、だって……!」
一度、拒絶されたから。その考えを呑み込むと新しいものが湧いた。
自分では見られない、男だったからこそ見られたもの。
「だって、私は……私じゃ――」
フェオの、あの破顔。
「――ガルド様の代わりになんか、なれないもん……」
二人の絆を知ってしまった。見て、感じてしまった。だから無理だとわかる。
自分では、フェオの孤独に届かない。
「……誰も、誰かの代わりになどなれぬぞ」
ありきたりなセリフだった。俯く顔の眉根が寄り、やり場のない拳がスカートを握る。神様のくせに捻りがない。それとも神様だから捻らないのか。
しかし、神は問う。
「なぜだかわかるか?」
明確な答えがあるように。
思わず顔を上げると、ソファーが消えていた。
「愛の先にあるは、すべからく業ゆえよ」
石造りの玉座に威風堂々。
肘掛けを使わず、広げた足の間に立てた刀へと両手を置き、見上げる段の高きにて座す神は説いた。
「愛とは己の内にあり、外にはない。受け取ることも、与えることもない。すでに与えられておるのだから」
「……? よく、わかりません。確かに私はいろんな人に与えられて……だから、受け取ってます。それを今度は、誰かに返したり……」
「人の業よ、それらすべて。ただの行為だ」
遠き神は言い捨て、怯んだ少女が羽根かんざしを揺らす。
「その手足で、心で為す行いには必ず因果が生まれ、報いが応じる。ならばそれは無償にあらず。愛する者がいようと、愛するという行為は存在せぬ」
「で、でも、お父様やお母様は? 二人は愛し合ってるし、私のことを愛してくれてます。ドナもずっとお祖父様のことを……」
それに、あなただって。少女はその言葉を飲み込んだ。
神が立ち上がる。
「否定はしておらぬ。ただ、愛とは住まわせるものなのだ」
「? 住まわせる?」
そして、階段を下る。
「おぬしの内には誰がおる」
「だ、誰って……」
「父や母、友がいよう。血のつながらぬ家族も、今しがた口にした魔女も」
一段下りて、また一段。
「愛とは孤独なものよ。己の中にだけ抱え、手にはできぬし目にも見えぬ。だが決して、独りではない」
ゆっくりと、また一段。
「一人一人を愛するのでなく、愛の中に人はいるのだ」
一段、一段。
「だからこそ、代わりは要らぬ。我らは同じ愛の中よ」
そして天の階ゆく神は最後の一段を下り、人たる少女と同じ地平に降り立った。
「さて、それで?」
「……へ?」
「まだその開きっぱなしの口から直接は聞いておらんぞ? おぬしの内には、ほかに誰がおる」
急にイジワル。まるで隻眼をウインクのように見せて、ガルドが尋ねる。神気は去りて茶目っ気たっぷり。
その落差にも、階段も玉座も消えて真っ白に戻った空間にも驚かず、リアは胸に手を当てた。
「――――フェオが……」
薄い布地越しに高鳴る心音。ドクン、ドクン。
ドクン。
「お? どうした、髪が崩れるではないか」
ブンブンブン、と勢いよく首を振るリアに苦言。せっかくわしが整えたのに、と言いたげだった。
しかし、羽根かんざしでまとめた後ろ髪を崩さずに言う。
「フェオがいた」
「うむ、そうか」
答えがわかっていたように頷くガルドへ、すかさず返す刀。
「けど、フェオじゃなかった」
「わかったわかっ……何ぃ!? 正気かおぬし、あれだけ派手な演出もつけてやったというのに!」
突然の神っぷりに違和感バリバリだったのはともかく。
リアは分厚い胸板へ飛び込む寸前にまで迫り、ちょっと残念な神様を見上げて言い募った。
「フェオがいたの、ガルド様」
初めて喜びを覚えたように。
「でも、王子様じゃなかった」
初めて、愛を知ったように。
「私の胸にね、王子様じゃないフェオがいたの」
小さな胸に両手を重ね、少女は優しく微笑んだ。
ホッとしたようにガルドが肩を落とす。
「それがおぬしの答えか。まったく、驚かせるでないわい」
そしてリアの頭に手を乗せ、何やら挑発的に。
「あやつは一筋縄ではいかんぞ。勝算は?」
「勝ち負けとかじゃないです」
「ほう、愛されなくとも愛せると」
「……やっぱり、バカにしてる」
ペイッと頭から手を剥がせば、癖の強い笑い声。
「カカッ! 今のはちとな。まぁ許せ」
「別にー、いいですけどー」
まったく良くない声をジト目で送り、クルリ。イジワルな神様に背を向ける。
大股で一歩。
「どうせ、同じような意味だもーん」
「ん?」
ピョンと跳ねて、大きく二歩。短いスカートにかまわず三歩四歩。
「ガルド様が言ったんじゃないですか」
ピタリと止まって、またクルリ。隻眼でキョトンとする神様。彼の教え。
遍く救わんとして何も救えず――
「――報われぬまま、死んでやりますよ!」
後ろ手を組み、少女はニヒッと笑った。
当たって砕けろ的な意訳だったとしても。「片思いぃ? できらあっ!」みたいなノリだとしても。
リアの心にはもう、迷いも恐れもなかった。
「……そういうことではないのだが、それで良いのかもしれぬな」
「え――――わわっ!?」
ポーン、と投げられた細長い物をなんとかキャッチ。剣。いや、刀。けっこう重い。
ガルドがその場から動かずに言う。
「リアよ、後継者だのなんだのは忘れろ」
「? でもこれ、その証みたいなものなんじゃ……」
「おぬしは間違えるな」
疑問に答えず続けたのは、聞き取りづらい不思議な言葉。
「愛は『何か』ではない、愛は『何れも』なのだ。間違えるなよ、わしのように……」
それは己の教訓と。
「……あの女神のように」
まだ知らぬ、誰かの物語。
「えっと、それって――」
「さぁ、もう行け。止まり木にはなるな」
かつて、小鳥の羽を休める場所になろうとした男は遠く、リアの後方を指差して言った。
「おぬしはあやつへ、飛んでゆけ」
胸に迫るものがあった。
重たい刀をギュッと抱き、小鳥のさえずりよりも大きな返事を残し。
「ハイッ!」
少女は駆け出した。
真っ白な空間。神が映す影を背に、自らの影も段々と小さくなっていく。まるで地上から離れる鳥のよう。飛んじゃってるみたい。
――フェオ。
名を呼べば飛んでくる、あの人の元へ。
――フェオ。
今度は自分が、飛んでいこう。
(どんな顔するかな? 困らせるかな?)
それも面白そうだとワクワクする胸にふと、感じる重み。託された刀。想い。
四百年の長きを継いだ証。
――そう難しく考えんでよい。娘の証、程度に思っておけ。
走っている感覚がなくなり、空間という概念が消える。
白は無に。影は全に。
――忘れるな。戴く天が異なろうと、其は双つにあらず。
やがて、声だけが響く。
――わしはいつでもそばにおる。おぬしの力となろう。
その声に。
娘と認められし、神からの寵愛に。
――だから征け、『剣帝の娘』よ。おぬしらしく、がむしゃらにな。
目が覚める直前の元『剣聖の娘』はムニャムニャと思った。
お父様以外のパパは、ちょっと、アレかなぁ。
――パパ活扱いやめろ。
※
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ――――あれ? ここどこ?」
ひどい夢オチだった。




