第34話 ブザービート・タッチダウン
カミカミゲシゲシ。
剣聖の愛馬のオモチャとなった肉塊を無言で見下ろす片割れ月のように、ドナは何も言えなかった。
「お館様、どうか私めを殺してください……!」
跪いて項垂れるテスの後ろ姿に、唖然とするばかり。物騒な頼みをされたグランも同じ様子。篝火のそばでたたずむフェオも、フードの奥で驚いているらしい。侍女長の突拍子もない嘆願に。
そして周囲が訳を聞こうと冷静になる暇すら与えず、さらなる混乱を呼ぶ半狂乱の声がドナの背後から上がった。
「だから私もよくわかんないって言ってるじゃんお母さんのバカッ!」
テスに突き飛ばされて足でも挫いたのか。メイド服のスカートを地面につけたままアリスが叫ぶと、そばに駆け寄っていたセシルがなだめる。
「アリスちゃん少し落ち着こや、な? 今なんのこっちゃわからへんの絶対ウチらやから」
それはそう。いったいなんのこっちゃ。
(とにかく、テスに話を……)
振り返っていたドナが視線を再び前へ向けると、テスが地面にうずくまっていた。
「申し訳ございませんお館様……私は、お二人を見捨てて逃げ出したばかりか、こんな、こんな……! 申し訳ございませんっ……!」
「い、いったいどうしたのだテス、話がまったく見えんぞ」
足元で繰り返される涙まじりの謝罪に、グランがうろたえながらも膝をつくと。
「やはり、子どもなど産まなければ良かった……!」
同じ親として信じられなかったのか、竜眼がギョッと見開く。子を持てぬとて気持ちは同様。
ドナが思わず振り返ると、母親に否定された娘がひどく傷ついた顔をして、抱き枕のようにそばのセシルへと顔を埋めた。「グェッ!?」と首が締まったのはご愛嬌。
「テス、アリスの前だぞ!」
グランがきつく叱り飛ばすも、震える質素なエプロンドレスと一向に上がらぬ白いカバーキャップ。秀眉もすっかり困り眉。
「なぜ突然、そんなことを……私とてお前とはもう二十年近い付き合いだ。いくら気丈に振る舞おうともデレクが心配で仕方ないこと、見抜けぬと思ったか?」
優しく諭す声音にビクリ。後ろのすすり泣きもピタリ。
母娘そろって落ち着きを見せたところで、今度は力強く。
「テス、何も心配することはない。デレクも必ずやリアといっしょに救い出してみせる。どうか私を信じてくれ」
たまに一族由来のポンコツ遺伝子は発動するが、この最強とも呼べる男の言葉ほど安堵できぬものはないだろう。
だからそれは、数少ない例外。
「……デレクなのです」
「? デレクがどうした?」
テスは地面から顔を上げ、膝をつくグランへと震える声で告げた。
「姫様をさらったのは、私の息子なのです……」
一瞬だけ、時が止まる。
しかしすぐに。
「だから違うって言ってるじゃんどうして信じてくれないの!?」
アリスが窒息死寸前のセシルをきつく抱きしめる。
キッ、とにらみ返したテスは、娘の粗相も目に入らぬ様子。
「違う!? 何が違うというの! だったら言ってごらんなさいもう一度、お館様の前で!」
「そ、それは……」
とたんに鼻白むも、抱きしめる力はマシマシミゲシゲシ。
剣聖の愛馬のオモチャとなった肉塊を無言で見下ろす片割れ月のように、ドナは何も言えなかった。
「お館様、どうか私めを殺してください……!」
跪いて項垂れるテスの後ろ姿に、唖然とするばかり。物騒な頼みをされたグランも同じ様子。篝火のそばでたたずむフェオも、フードの奥で驚いているらしい。侍女長の突拍子もない嘆願に。
そして周囲が訳を聞こうと冷静になる暇すら与えず、さらなる混乱を呼ぶ半狂乱の声がドナの背後から上がった。
「だから私もよくわかんないって言ってるじゃんお母さんのバカッ!」
テスに突き飛ばされて足でも挫いたのか。メイド服のスカートを地面につけたままアリスが叫ぶと、そばに駆け寄っていたセシルがなだめる。
「アリスちゃん少し落ち着こや、な? 今なんのこっちゃわからへんの絶対ウチらやから」
それはそう。いったいなんのこっちゃ。
(とにかく、テスに話を……)
振り返っていたドナが視線を再び前へ向けると、テスが地面にうずくまっていた。
「申し訳ございませんお館様……私は、お二人を見捨てて逃げ出したばかりか、こんな、こんな……! 申し訳ございませんっ……!」
「い、いったいどうしたのだテス、話がまったく見えんぞ」
足元で繰り返される涙まじりの謝罪に、グランがうろたえながらも膝をつくと。
「やはり、子どもなど産まなければ良かった……!」
同じ親として信じられなかったのか、竜眼がギョッと見開く。子を持てぬとて気持ちは同様。
ドナが思わず振り返ると、母親に否定された娘がひどく傷ついた顔をして、抱き枕のようにそばのセシルへと顔を埋めた。「グェッ!?」と首が締まったのはご愛嬌。
「テス、アリスの前だぞ!」
グランがきつく叱り飛ばすも、震える質素なエプロンドレスと一向に上がらぬ白いカバーキャップ。秀眉もすっかり困り眉。
「なぜ突然、そんなことを……私とてお前とはもう二十年近い付き合いだ。いくら気丈に振る舞おうともデレクが心配で仕方ないこと、見抜けぬと思ったか?」
優しく諭す声音にビクリ。後ろのすすり泣きもピタリ。
母娘そろって落ち着きを見せたところで、今度は力強く。
「テス、何も心配することはない。デレクも必ずやリアといっしょに救い出してみせる。どうか私を信じてくれ」
たまに一族由来のポンコツ遺伝子は発動するが、この最強とも呼べる男の言葉ほど安心できるものはないだろう。
だからそれは、数少ない例外。
「……デレクなのです」
「? デレクがどうした?」
テスは地面から顔を上げ、膝をつくグランへと震える声で告げた。
「姫様をさらったのは、私の息子なのです……」
一瞬だけ、時が止まる。
しかしすぐに。
「だから違うって言ってるじゃんどうして信じてくれないの!?」
アリスが窒息死寸前のセシルをきつく抱きしめる。
キッ、とにらみ返したテスは、娘の粗相も目に入らぬ様子。
「違う!? 何が違うというの! だったら言ってごらんなさいもう一度、お館様の前で!」
「そ、それは……」
とたんに鼻白むも、抱きしめる力は増し増しでミシミシ。そして泡吹く猫耳幼女がついに完全沈黙。合掌。
手遅れだがセシルを離してもらおうと頼みに近付き、ドナはか細い声を拾った。
「……デレクじゃない」
「ん?」
「デレクじゃ、ないんです」
「あぁ、うん。だよね?」
首を傾げながら同意。むしろなぜテスはそう思ったのか。
「先生?」
低い声の呼びかけに振り返り、軽く肩をすくめる。
「デレクじゃないってさ」
「ハァ……それは、まぁ――」
「ちゃんと言いなさいっ!」
おっかねぇ、と世界最強クラスの二人をたじろがせる相手に、さすがは同じ血を引く娘が負けじと声を張り上げる。
「デレクだけどデレクじゃないって何回言ったらわかるの!?」
「あなたこそ何度それを言ったら気が済むの! つまりデレクが姫様をさらったのでしょう!?」
「だから、そうだけどそうじゃないの!」
「だからどういうことなの!?」
「私にもわかんないんだってば!」
アリスが勢いよく立ち上がる。セシルはポイッと、同じく巨馬に飽きられ捨てられた肉塊のそばへ。
テスも立ち上がり、ゆるふわボブの黒髪をグシャグシャに乱す娘へと迫った。窒息死体を生存確認していたドナが焦るも時すでに遅し。
「もう黙りなさいあなたは!」
振り上がる右手。平手打ち。挫いていた足では逃げられず、観念して縮こませる身。
揺らぐ篝火。
――トンッ。
「……? え、あ、お母さん!?」
「ちょ、ちょっと何したのあんた!」
「眠らせただけだ」
ぐったりするテスを後ろから抱え、寝そべるバランに視線で確認――ブルルッ――を取った黒ローブの男は、彼女を巨馬のソファーへと横たえた。
「事情なら、娘だけに聞いたほうが早そうだった」
「そりゃそうだけど、あんたこれ……ん?」
安らかすぎるテスの寝顔に不安を覚えつつ、駆け寄るグランを横目にしながらドナは気付いた。黒目がちなアリスの瞳に影が差すのを。
「おい、今の手刀はなんだ! テスは無事なのか!?」
「肩こりがひどい」
「……肩こり?」
それに、どこか恨み節。そんな眼差しがフェオを捉えて離さない。
「起きたらスッキリしているだろう」
「スッ……ふざけているのか?」
「? 腰痛は軽微だ」
「診断内容ではない」
間の抜けた相手へ向けるにしては、やや不自然な目つきだった。
(テスをやられたからってわけでも……あ、そういやこの子もたぶんトール教信者か)
母親が熱心なのだからそう考えるのが自然。
かといって、松明持ちの騎士を忌避していると考えるのもまた不自然。フェオの正体は知らないはず。
(どっちかってーと、リアの王子様だーとかで騒ぎそうなもんなのに……)
状況が状況だから、という可能性もあるが、とりあえず今は放っておこう。ドナはデレクの件を優先しようとした。
だがそれは、共通解だった。
「――――この人ですっ!」
「は?」
「ん?」
怒りを露わとするアリスに、虚をつかれるドナとグラン。
指を差されるフェオ。
「……何?」
照らす火の明かりがフードの奥に届き、灰の瞳がキラリ。
メイドの少女は臆さなかった。
「この人が! この人のせいで、デレクが、デレクが……あ、あああああっ!」
しかし、とたんに様子がおかしく。
「え、ちょ、どうしたの!?」
「ヤダヤダヤダヤダ、出てって! 出てってェ――――ッ!」
「アリス落ち着けっ!」
頭を抱えてしゃがみ込み、髪を振り乱しては暴れ狂い、果ては地面に転がりながら額を打ちつけるアリス。グランに取り押さえられて事なきを得るが、絶叫は止めずに苦しみ続けた。
「ヤダヤダやめて、来ないでっ! 行っちゃダメ、デレク……あぁ、アアアアアアッ!」
「これは、精神攻撃の魔法か……!?」
違う。ドナはすぐに悟った。魔術の知識によってでなく、本能で。
「いや……入冶井や厭医夜イ厭医や厭医y嫌や厭医、イやァ――――っ!」
「せ、先生! どうすれば!」
覚えがある。この気配、感覚。
フェオが叫ぶ。
「離れろ二代目っ!」
驚きよりも恐怖が勝った。
グランも同じだったのか、戸惑うことなくその場から跳躍。入れ替わりで黒ローブの影がアリスの背後へ回ると、首の後ろに手刀の早業。小柄な全身が脱力。
同時に、圧迫感も消えた。
「な、なんだ今のは、アリスはどうなって――」
「狂気……」
「――狂気? それは、以前に聞いた『聖なる狂気』と何か関係が?」
「ん、まぁ、そんなとこ」
尋ねるグランを一瞥すらせず、フェオの手で母親の隣に寝かされる娘をじっと見据えながらドナは返した。
先日の自分と同じく狂気に感染した、だけでは不十分。何かが足りない。だがそれも、すぐに思い当たる。
口にしたのはフェオだった。
「……双子か」
「? アリスとデレクがどうした?」
互いの場所や感情、ごくごく稀に外傷すら共有する双子の神秘的事例。おそらく今回もそのひとつ。
何もわかっていないグランはともかく、なぜか黙り込んでしまったフェオの背中に、ドナは結論をぶつけた。
「姉は影響を受けただけ、狂気に感染したのは弟だ。それならデレクじゃないデレクがリアをさらったってのも納得さね」
「違う」
短い否定は想定内。
「そりゃ騎士団が張る網をどうやって抜けたかの疑問は残るよ。感染したとして、まともな思考能力はないはずなんだから。だけどアリスの言い方だとそれしか――」
「俺のせいだ」
「――あん?」
「そこの若い侍女もそう言った」
想定外だが得心。確かに、そんなことを言っていた。
「フェオへの怒りで同期してしまった、女神と。感染じゃなく『聖狂化』だ」
「? ちょっとあんた……」
恐怖に負けた驚きが、疑問に勝って戻ってくる。
「尊き人の間に在ってはならない。なのに、俺は……また間違えてしまった」
小さな背中。
誰に隠すでもなく、フードを引っ張る所作。
「ごめん……」
消え入る声。余裕がないのか、今日は本当に様子がおかしい。
「……謝るぐらいなら説明しろ。デレクがどうした、アリスは大丈夫なのか?」
そんなフェオにどこか気後れしつつグランが迫る。肩に手を伸ばして振り向かせようとしたが、それには至らなかった。
ビクッと起きる巨馬の首。飛び立つ夜鳥の群れ。
「そもそも本当にリアは無事――――っ!?」
その直後、わずかに振動。地震だ。立っていられないほどではなく、また一瞬のことで、地面に伏せるまでもなかった。
だが、生じたのは別の問題。
「い、今のは……」
「かなり遠いが……あちらから、ですね」
双炎隻流の魔法剣は体内でなく、外側の魔力を利用するので自分より敏感だったのかもしれない。同じ方角を向いてグランは息を呑んだ。
地震を引き起こすほどの、大きな魔力の流れに。
(あり得ない。どれほど大掛かりな儀式でも、ここまでは……)
もちろん、心当たりはあった。
「……魔王城?」
何かをつぶやいたフェオへと詰め寄り、ローブのあまりを掴んでグイッ。
「あんた言ったよね、今夜は無理だって。一か月はかかるって」
「……言った」
「じゃあ今のはなんだってんだい!?」
異世界召喚の儀。それしかない。成功したのか、失敗して魔力が霧散したのかは判断できないが、儀式が行われたのならいずれにせよ時間の余裕はもうない。
「おそらく、魔王城にあった帰還の魔法陣だ」
「あぁ!? なんだいそりゃ!」
力任せにローブをねじり上げると、目深に被るフードが後ろへ。
露わとなる灰髪。
「トールが異世界へ帰るためのものだった。結局は使用されず、魔力がそのまま残っていたんだろう」
「なっ……なんでさっさと言わないんだい、そんな便利な場所があるって!」
「俺だって再利用できるなんて知らなかった! 耳長族も知らなかったはずだ!」
そして美貌は苦渋に満ち、無機質さは過去のものに。ドナは今度こそ呆気にとられた。
フェオがよじる身体で手を振り払い、篝火に八つ当たり。
――ガシャンッ!
籠手の裏拳で派手に火の粉を舞わせてから、女神の名を口にする。
怒りはあるようで。
「スルーズ……!」
ただどこか、憎みきれぬ様子で。
グランが地に落ちた残り火を踏みにじる。
「とにかく、場所がわかるのならば案内しろ。今すぐ向かって――」
「無理だ、遠すぎる。間に合わない」
「――貴殿はリアを助けたくないのか!?」
「俺だって助けたい! 俺は、リアを、約束を……」
フェオは目に見えて混乱していた。フードを目深に被り直し、闇と調和せず、その輪郭をはっきりと形作って。
しかし彼は、間に合わぬという受け入れ難い現実に苦しむドナとグランをよそに、ハッと夜空を見上げた。
「リア……?」
まるでそこに浮かぶ片割れ月に、名でも呼ばれたかのように。
指で描くは文字。
(あ――)
宙で輝く軌跡の神秘に、ドナは見覚えがあった。
崖から落ちるリアの元へと瞬間移動した魔術だ。
「――んにゃろう!」
早口でグランに告げる。
「あんた留守番ね!」
「は?」
「テスがこうなんだからあんたがレニの看病してついでにそこの四人もよろしくっ!」
「あ、あの、先生!?」
「ええいわかったわかったバカ二人はこっちで引き取るから!」
いやそうじゃない感ありありな顔を尻目に、肉塊と窒息死体を言葉どおり煙で回収したドナは必死に手を伸ばした。
そして、短い終了の笛のように詠唱するフェオへと。
「――――『馬』」
発動間際で肩をポン。
――シュンッ……!
一瞬だけ像を乱して消える四人――内二名は物体――に呆然とする主人の隣で、侍女の母娘を寝かせる巨馬が「いいからこいつらはよどかせ」と言いたげにいなないた。




