第33話 剣帝聖君
そこは、不思議な場所だった。
「……ハール、ガルズ?」
空も海も地面も。建物や、木や草花も。石ころひとつない。全部真っ白。
なのに光はあって。だから、人影が出来て。
「ま、ガルドで良い。今はな」
過去も未来も、全部ある。そんな気がする場所。
「? 今は?」
「言わずとも、すでに理解しておるようだが?」
不思議な場所の、不思議な人。ガルドが言う。長く美しい銀色の髭を撫で、茶目っ気たっぷりなおじさん――ジジィと自称していたがとてもそうは見えない――のように。縦に傷が走る左目のせいでウインクしてるみたい。
「カカッ! 若く見られるのはうれしいが、この厳つい隻眼がウインクかよ。おぬしの魂はまこと純真無垢だな」
やや癖のある笑い方で心を読まれたことに、もう驚きはない。リアは理解していた。
ここが、そういう場所であると。
「……今じゃない」
「お?」
「必要なのは、未来?」
そんな自分が、何より不思議だった。
「ふむ、やはり適応が早いのう。生まれた時代が時代なら、勇者の番にはなれずとも偉大な巫女になれただろうて」
リアはムッとした。それが隠せないことも知っていたし、隠す気もなかった。ここではすべてがありのまま。
しゃーまんじゃないもん。
「おっと、失言だったか。まぁ許せよ。とりあえず、座ってこのジジィと話でもしよう」
肩をすくめたガルドが「ほいっ」とカラスの羽根ペンを振ったとたん、現れる二人掛けのソファー。見るからにふかふか。
ダッシュでダイブする三秒前だったが、リアは興奮を怒りに変えて幼い手を突き出した。
「返して! それ、リアのなの!」
「お? この羽根ペンか?」
「リアがムーくんにもらったの! 返して返して返してっ!」
「ふむ、どうしようかのう。これは元々こちら側に属するものであるし」
金髪碧眼激おこプンプン幼女になんら違和感を示さず、ガルドが自然と開いているほうの右で流し目。立派な口髭をチョイチョイと触り、意地悪くニヤリ。
涙腺決壊警報。
「か~え~し~て~!」
「おーすまぬすまぬ、ちとからかいすぎたわ。神とて泣く子にゃ敵わぬて」
泣く子も黙る偉丈夫が白々しく膝を折り、カラスの羽根ペンを一輪の花のように差し出す。後ろに撫でつけた長い銀髪が肩口からサラリ。
その姿を見て、うりゅ、まで警報レベルを下げつつリアが受け取ると。
「? あれれ?」
銀製のペン軸部分を握る自身の手はあまりに小さく、加えて短い腕。短い足。あっちで着せられた――あっちってどっち?――湯浴み着のように薄い布地のワンピースも、幼い身体ではやや丈長に。
なんてことはどうでも良くて。
「壊れてる!」
「うん?」
「リアの羽根ペン、壊れてるっ!」
丸く潰れたペン先。非難の涙目の矛先は、銀髪に隠れた双炎十字。
ソファーに向かっていたガルドが白コートを翻し、振り返って尋ねる。
「……まさか、わしのせいだと?」
コックン。
「壊した! ガルド様がリアの羽根ペン壊した!」
「いやそれ、たぶんおぬしが聖騎士を思いっきり刺した時に潰れ――」
「こ~わ~し~た~!」
「――やれやれ、参ったのう……」
赤銅色の肌に冷や汗。
余裕を失ったガルドのことなどつゆ知らず、リアは感情のままに泣きじゃくった。思い当たる節もあったが全力他責思考。
すると、何か思いつく美髯独眼の主。
「おお、そうだそうだ」
そそくさ逃走、かと思いきやソファーにボスン。空いている横を手でポンポン。
「ほれ、こっちに来い。いちおう神であるわしが羽根ペンを生まれ変わらせてやろうぞ」
グスンと涙を止めつつも、リアは警戒していた。絶対またイジワルしてくるに違いない。
されど、幼心はかくも柔く。
「さぁ、おいでリア」
その優しい声と表情が、パパにそっくりだったから。
――テテテテー、ピョンッ!
「おお、元気が良いのはけっこうだが、膝の上ではちとやりづらいのう」
「? 何するの、ガルド様」
すっかり警戒心も解け、持ち上げられるがまま。膝の上から後ろ向きで隣へと移されるも、足は降ろさずシートに割座。
そして、背中にかかる髪を触られる感触。
「イヒヒッ! ガルド様、くすぐったい!」
「これこれ、暴れるでない。かわいくしてやるからほれ、羽根ペンを貸せい」
ジタバタする足を止め、リアは口を尖らせた。そっぽを向きながらも羽根ペンを渡す。
「……どうした? またご機嫌斜めだのう」
触り方が丁寧に。髪をまとめようとしているらしい。
「リア、かわいくなんてなりたくないもん。強くなりたいんだもん」
「だから『しゃーまんじゃないもん』か」
だけど何やら悪戦苦闘。実は慣れていないのかも。
「そうだよ。リアねー、騎士になるの! パパやー、ガルド様みたいにみんなを守るの! 守護神様だってみんな言ってるよ!」
「神様歴は、まだ、浅いがのう……うーん、どうやるんだったか」
気もそぞろな返事で、まとめては解き、引っ張ってはビクビク。別に痛くないのに。
だけど邪魔しちゃ悪いなーと黙り込み、視線はまっすぐ。両手を真下に突っ張って、左右に開いた膝下と膝小僧だけがスカートからピョコン。これぞ、おりこうさん流ぺたん待機の構え。ついでにそのまま目を閉じる。
すると、ややあって。
「――――お? 痛かったか?」
リアは俯いた。髪をとかしては束ね、クルクル巻いたりと、迷いが少なくなった手の邪魔をしたのに叱られなかった。また一からなのに優しい声。
「ごめんなさいガルド様」
「気にせんで良い。手順は思い出したから、もう簡単に――」
「ううん、違うの。あのね、リアねー……」
俯いたまま、ゆっくりと目を開く。押さえつけるスカートの丈が短くなり、ぺたんとつける膝より上に。
足が長くなったから。
「私、騎士になれないそうです。全然ガルド様の子孫じゃない。面汚しです。自分で自分が恥ずかしい」
「わしに謝ることでも、そこまで卑下することでもあるまい」
「けど、誰も守れない。いつも守られるだけ。なのに、人を……」
リアは言葉に詰まった。
大きくなった手をスカートから離し、長く伸びた腕を曲げ、真下にポタポタこぼれる涙をすくうように顔を覆った。
「人を、殺しちゃった……!」
その涙を落とすことは、許されぬ気がして。
「……首を落とされた見張り番か。あれが、おぬしのせいなものかよ」
ぶっきらぼうな物言いにブンブン首を振る。
今、この場所でなら。あのフリストという司祭よりも理解できる。
「私のせいなの。私が……私が、いたから……」
なんの罪もなく、首を落とされた人。命をゴミのように扱われた人。
視点がそこにいたから。
「私のせいで、死んじゃったの……!」
観測地点が世界に在ったから。
これからも、いっぱい、誰かが死ぬ。
「そんなの嫌っ! もう、嫌だよ、こんなの……」
俯き加減をさらに深め、背中も丸めて縮こまる。この世界から隠れるように。このまま、消えたいと願って。
そこへ後ろから、頭をガシガシ。
「ちと失敗だったな、おぬしをここへ呼んだのは」
背中をさするなどではなく、あんまり優しくない。けど、優しい。知っている。
フェオにもしてたから。
「顔を上げよ、リア」
リアは顔から両手を離し、泣きぬれたまま振り返ろうとした。罪を告白するよりも、重く、鈍く。
しかし頭を両手で挟まれ、グリンッ。
「ガ、ガルド様?」
「こちらを向けとは言うとらん、前を見てジッとしておれ。髪がまだ途中だ」
「いやあの、髪はもう――」
「リア、人は死ぬ」
短く、厳かな宣告。
「おぬしがいようといまいと変わらん。今日も明日も、今この瞬間も、人は死んでおる」
その声をどこか預言のように聞き入っていると、長い髪が優しくとかされる。
神なれど、人としての手の温もり。
「その死がたまたま身近に降りかかっただけのこと。あるいはおぬしのせいだとしても、それこそ些事よ。むしろ良い死に方だったかもしれん。苦しまずに済んだのだからな」
だけど、人でなしのような語り口。
たとえ神様だとしても。
「ふむ、納得できぬか?」
髪がひとつにまとめられ、棒に巻きつきグルリと回転。
「……はい」
「ならば救えよ」
「え――――イタタタッ!?」
「おお、すまぬすまぬ。ちときつすぎたか」
うなじが強めに引っ張られる。自信を取り戻して遠慮がなくなったらしく、謝りながらも次の工程へ。
リアは涙目を上書きしつつ身構えた。
「救えって、人を? そんなこと私には……」
「できぬであろうなぁ」
「……じゃあなんで言ったんですか」
「カカッ! そう怒るな、これはおぬしに限らぬ話よ」
巻きつく棒を抜きつつ、毛束を持ち上げられる。
「人は人を死からは救えぬ。たとえ命を助けたとてほんの一時、生の苦しみを伸ばしただけに過ぎん。いずれは死するが人の運命よ」
「いや、私が言ってるのはそういうことじゃ……」
「大局に立てば同じこと。そして結局は、どう立ち向かうかに尽きる。嘆き悲しみ、悼むも良し。受け入れることも、見て見ぬふりもままあろう」
持ち上げられた毛束に、抜かれた棒がまた刺されていく。
「そして納得できぬのなら、ただ救えよ。善の如何を問わず唱えず」
地肌に当たらぬよう、ゆっくりと、慎重に。
「でもさっき、死からは救えないって」
「ああ、救えぬとも」
「そんなの、じゃあ……じゃあどうすればいいんですか?」
そして深々と、突き刺さる。
「己を呪うのよ」
「……呪う?」
「救えずを救うと。『諦めぬ』と呪え、愚者になれ」
振り返ることができた。手は離れていたから。
するとそこには、とんでもないことを言う神様と。
「遍く救わんとして何も救えず、報われぬまま死んでゆけ、リア」
そんな神様が両手に持つ、鏡があった。目に飛び込むは見慣れぬ自分。
長い金髪はうなじがスースーするほど後ろでまとめられ、そこに突き立つはカラスの羽根ペン。前から見ても斜めに飛び出す黒き一枚羽根。
「どうだ、羽根ペンならぬ羽根かんざしよ。江戸の遊女に習ったのが役に立ったわい」
どこか自慢げなガルドへ、感想より先に。
「エドノユージョ?」
「うむ、忘れて良いぞ」
ふいと逸らされた隻眼に小首を傾げつつも、リアは鏡の中の自分に改めて視線を送った。まだ幼い、六歳の自分に。
ペタペタと足を動かし、体ごと振り返っては右見て、左見て。限界まで腰を捻っては束ねられた後ろ髪を映し、羽根をさわさわ。ニヒッ。
「お、満足か?」
「うんっ! これ、あんまりかわいくない!」
「そうだろうそうだろ、お?」
「なんかカッコいい! リア、強そうに見える?」
「あぁ、そういう……」
リアが頭を左右に振って鏡越しに見せつけると、ガルドが苦笑して鏡を消す。その妙技に一瞬だけ目を丸くするも、すぐに頭をポン。ガシガシされなかった。髪が崩れぬようにだろう。
「おぬしは強いさ、すでに」
だけど、ガシガシされたい気分だった。
「ガルド様のウソつき」
「わしは神ぞ? ウソなどつかぬわ」
「だって、私が弱いからでしょう?」
いじけて組んだ両手を見下ろすと、幼くなかった。
「誰も救えず、そのまま死んじゃえなんて。私が騎士になれるぐらい強かったら、そんなこと――」
「リアよ、おぬしは勘違いしとる」
立ち上がり、大きな歩幅で離れるガルド。一歩二歩。
「強さとは、己を何者かとする力ではない。己を超えた先にあるものよ」
立ち止まる、大きな背中。長い銀髪。
リアは追いかけるようにソファーから足を降ろした。
「たとえばそれは利他の心。やがては利己も利他となり、その境界すら消えること。すべてがひとつと悟ること」
しかし、立ち上がることはできなかった。
「時に人は、それを『愛』とも呼ぶ」
だって、だって。
怖かったの。
「……わかんないっ!」
足が白い床に届かなくなり、小さな手といっしょにバタバタ。
示された茨の道はあまりに厳しく、あまりに果てしなく。
「リア、弱いもん! まだ子どもだもん!」
きっと、到達点などないのだから。
「リアは、リアは……悪くないもん……」
癇癪を収め、意気消沈する頭上から冷たく問いただされる。
「お姫様役は嫌なのではなかったか?」
突かれた図星。
両手を両耳に、目もふさいで頭を振り振り。聞く耳持ちませんのポーズ。
「ガルド様のイジワルッ! イジワルイジワルイジワルッ!」
「……こうなるとわかっておったし、否定はできんな」
小さなため息に怯える子ども心。ガッカリされたかも。だがすぐに「良し」と聞こえ、続けて何かがガチャリ。おそるおそるまぶたをソロリ。
ガルドが見たことのない剣を横に持ち、片手で差し出していた。
「リアよ。ならば神でなく、人としてのワガママを聞いてはくれぬか」




