〜繰り糸付きの哀れな人形はそれでも君の夢を見る〜
人形は森へと向かう道中、子どもを見かけた。男の子だった。街道をゆく人間のための茶屋だろうか、その裏手の庭で座り込みながらジッと地面を見下ろしている。
表が騒がしく、忙しそうな昼時も。人の気配が去った昼下がりになっても。まるでその子どもは石になったように幼い体を丸めて、そこから動こうとはしなかった。地面に何かあるのだろうか。
人形が近寄って尋ねると、子どもは答えた。
「ここに種を植えたんだ」
それの芽吹く瞬間が見たい、とのこと。しかしどうにも難しそう。聞くところによると、植えたのは先日らしい。人形は迷った。
教えるべきだろうか。けど、ガッカリするかも。やはり放っておくべきか。勇者なら、どう。
そこまで考えて、人形は自らの灰銀の手を見下ろした。
「? 兄ちゃん、どうしたの?」
トモダチを殺した感触がまだ残る、その両手を。
「……なんか、泣きそうだけど」
心配そうにこちらを見上げる子どもに気付き、人形は首を振った。泣かない、人形だから。
人間じゃないから。
「人形? 変なの、どう見ても人間じゃん。それに兄ちゃん見たらきっとうちの母ちゃん、喜んでサービスしそう」
場所と内容から察するに、どうやら茶屋の息子らしい。サービスを受けられる理由はわからなかったが、とりあえず食事を摂取する必要がないことだけは伝えた。なのでサービスも要らない。
「……やっぱ変な兄ちゃん」
それきり子どもは押し黙り、再び石となって丸くなった。あっち行け、と言われているような。少し悲しくなった。
悲しい。悲しいとは、なんだろう。人形は指で文字を描き、唱えた。
――促進。
「えっ」
勇者を殺した時は、悲しいじゃなかった。殺した後もそうだった。
あれはなんだったのだろう。これは、なんなのだろう。
「う、うおおおっ! スッゲー!」
あのバラバラに身を引き裂きたくなる衝動は。この、カラッポな感じは。時々思い出しては、この身を打たずに伏した先の土や草だけぬらす不思議な雨は。
どれも悲しい、なのだろうか。
「何これ、兄ちゃんがやったの!? もしかして魔法使い!?」
芽吹くどころかみるみる成長し、青く小さな花を咲かせた植物とこちらをキョロキョロ見比べる子どもへ、一度コクンとうなずく。二度目はちょっと首傾げ。
精霊の力を借りる魔法使いとも、文字を操る魔術師とも己を定義できない。記憶はないが、少なくとも後者の存在が誕生する以前から『魔術師』なはずで、話を聞くにどうやら自分が魔術師の元型だそうだ。
という説明は、どうでも良かったらしい。
「何言ってんのか全然わかんねーけどスゲーよ! 俺、生で魔法見たの初めてだし、芽が出るどころか花まで咲いちゃった!」
そして子どもは、ニッ、と口角を上げて笑った。
「ありがとな、兄ちゃん!」
誰かによく似た――わかっているのに、認められない、胸が苦しい――笑顔だった。
「? どうしたんだよ急に、具合でも……ん? この花?」
目深に被ったフードを強く引っ張り、ごまかすように青い花を指差す。ひとつの茎に小さな花がいくつか寄り添ったもの。
「兄ちゃん知らねーの? 勿忘草だよ」
ワスレナグサ。
「そうそう。絶対に『忘れるな』って……あれ? 何を忘れないんだっけ? 前の父ちゃんが言ってたんだけど――」
腕組みをして悩む子どもから目を切り、人形はその花を見つめた。
勿忘草。
――俺と約束してくれ、フェオ。
ワスレナグサ。
――もう二度と、魔王を生むな。
約束を、ワスレルナ。
――もう二度と、勇者は……召喚しないであげてくれ。
忘れてない。忘れてないよ、トール。君との約束。人形はギュッと固く拳を握った。絶対に、守るから。
その時、どこかから誰かを呼ぶ声がした。
「あっ、母ちゃんだ! ねえねえ今の教えていい!? いいよな! サンキュー兄ちゃん!」
承認の要求と同時に、合意を取って走り去る子ども。思わず目をパチパチ。これがアコギな商売、というやつだろうか。こういうのには気をつけなきゃダメと、いつも、聖女に。
――あぁ、行かなきゃ。
人形は再び森へ向かおうとした。あの森の奥へ。三人の、いや、二人とこの愚かでゴミのように唾棄すべき鉄くず人形の隠れ家へ。
二度と帰らぬ彼を未だ待つ、彼女の元へ。
「母ちゃん母ちゃん! 聞いて聞いて、今さぁ――――」
それでも足を動かせずにいると、うれしそうな子どもの声が聞こえてきた。
弾けるような笑顔あふれる、尊い人間たちの世界。二人が自分を抱き寄せて入れてくれた、大切な在処。人形は自らが咲かせた花に目をやりつつ胸を撫で下ろした。良かった、間違いじゃなかった。
今度は、間違えずに――
「――いってえええっ!」
悲鳴だった、子どもの。人形は固まった。続く怒鳴り声。母親の。
それは仕事をサボっていた息子を叱りつけるもので、罰として昼飯抜きを言い渡す内容だった。よくあるといえばよくある風景。人形の魔法は関係ない。
だが人形は、重い足を動かして物陰から見たその光景に、芯から凍りついた。
――間違えた。
家に入れてもらえず、閉ざされたドアの前で泣く子ども。
赦し乞う声。
――また、間違えたんだ。
人形は逃げ出した。街道を外れ、人のいない獣道を駆け、鳥が止まり往く樹上を跳び渡って逃げた。遠く、遠く。
その途中、仲良く番で飛ぶ鳥と出くわし、避けようとしてバランスを崩す。枝から滑って真っ逆さま。葉を散らす緑のクッションで落下の勢いを和らげるも、硬い地面の衝撃が背中に。受け身すら取れず。
堕ちた人形は激しくせき込み、翼をもがれた鳥のようにそのまま横たわった。
――やっぱり、間違えた。
冷たい両手で顔を覆う。
すると、頬がぬれていた。
――でも、どうすれば良かったんだ。
空は晴れている。雨も、降った記憶はない。
汗だろうか。
――教えてよ、トール。
答える声はなかった。代わりにすぐそばで、先ほど見た花が揺れていた。人形は理解した。
勿忘草。あの悲しみは罪悪感だ。
ワスレナグサ。この悲しみは、後悔だ。
約束を、ワスレルナ。あの不思議な雨を。
――あとさ、お前それ……え、雨? ハハ……バカだなぁ、お前。
君との、長くなっちまった約束を。
――俺はもう、教えて、やんねえよ……。
だけどトール。
――ほかのやつに、教えてもらえ……そんで、さ。
そっちはもう、果たせそうにないよ。
――もしその雨が、誰かの前で、また降ったなら……。
罪をワスレルナ。犯した罪を。
君が教えてくれた言葉。いえすろりーた、のーたっちだ。
――そいつのこと……大切にしろよ。
尊き人の間に在ってはならない。人形なのだから。
そのせいで君を、殺したのだから。
――できれば、スルーズ以外でってのは……俺のわがままだ、ハハッ……。
だからきっと、そんな心配は要らないよ、トール。
※
遠雷、暗雲。雨の匂い。森の奥、打ち捨てられた木こり小屋。
そこから飛び出してきた女性は木こりでも、金髪縦ロールでもなかった。
「フェオッ!」
かつてこの場所で別れた聖女。
あの縦巻く金の美しい聖痕は消え、普通の落ち着いた女性らしい、外向きの巻いた髪に。世界から勇者が消えて『座標』の役目を終えたのだろう。
――ボフッ!
それに受け止めた身体は、どこかふっくらとしたような。
広い袖口とスカートのひだが美しい、床丈チュニックの白いワンピース。腰に長いベルトを巻くだけで、どこも細く締めつけていないからそう見えるのかも。もしくは一年ぶりだから体型に変化が。人間とはそういうものらしい。
いずれにせよ、そんなことを口にする必要はない。彼女は何も変わってなどいないのだから。
「遅いですわよフェオったら! どこで油を売ってましたの? ワタクシもう待ちくたびれちゃって待ちくたびれちゃっ、て……っ!?」
すぐに怒るところも。
「フェオ、怪我を!? 顔に擦り傷が……ああでも、自分で治せるのでしたわね。でもでも、あなたが傷を負うなんていったい……痛くはない? ほかに怪我は?」
本当は、優しいところも。
「……あなたも疲れましたわよね。少し、休んでいきましょう? 積もる話もいっぱいありますし、あの人抜きの水入らずで。フフッ、あんまり遅れたらあの人また『二人で何してたんだー!』って嫉妬しちゃいそうですけど」
彼への愛も。
「……フェオ? あなたどうしましたの、さっきから。口数が少ないのは相変わらずですけど。あ、もしかしてワタクシ、しゃべりすぎかしら? ごめんなさいだって久しぶりだし、やっとこの日が来たんだと思ったら興奮しちゃって……え、違う? じゃあ何……フェオ?」
そして、勘の良さも。
「……ワタクシに、言いづらいことでも?」
そんな彼女でも、さすがに察せないだろう。
「! ま、まさか、トールが――」
勇者との契約が切れたのは彼が封印されたからで。
「――浮気したのね!? そうなのでしょう!?」
その後の出来事は、世界と隔絶された封印の地で起きたのだから。
「許せませんわあの男! あれほど浮気したら爆発オチで木っ端微塵にしてやると脅しましたのにっ! こうなったら、相手の女もろともぉ……!」
こちらの胸に手を当てたまま、もう片方の手で拳を握る聖女を見つめ、人形は喉の渇きを感じた。なぜだろう。
「……でも、どうせ相手にされていないのでしょう? まったく、浮気しやすい時期なんて話は耳にしていましたけど、まさか遠く離れていても有効だったなんて……フェオ、やっぱり三人で暮らしませんこと? あの人は放っといて」
この人形に、水を必要とする機能なんかないのに。
「……フッフッフ。今あなた、数が合わないと思いましたわね? 実はー……ちょっと変な言い方かもしれませんけど、なんと! あなたにいも――」
――トールは死んだ。
「――う……え?」
聖女が何かを盛大に言いかけて止まる。手が、痛いぐらいにローブを掴んだ。
だから違う。胸の痛みなどではない。
「な、に……っ! トールね!? またあの人、あなたを使って悪だくみを!」
人形に、心などないのだから。
「いつも『どっきり』だとか言って人を驚かせて! それに今回のは、さすがに質がわる――」
――トールは死んだよ。
「――悪い……冗談、ですわよね?」
人形は首を振った。
――死んだんだ、トールは。スルーズ。
顔は、上げられなかった。彼女の足がよろめき離れる。
「……だ、だって、封印は?」
成功した。そう答えるとすぐ、ふらつく足が地面を蹴りつけた。
「じゃあなんで!? いえ、いいえウソよ、ウソウソウソウソウソ……!」
祈りのようなつぶやきに、ひっそりと雨音が混ざる。降り出してきたようだ。
気がつくと、すぐに強まる雨足。跳ねる水しぶき。
「……そう、そうよ『砂漠の隠者』だわ! 彼に言わされているのでしょう!? ワタクシの師匠も……最初の『小人の女王』も言ってましたもの、やつは信用するなって!」
埋まらない、二人の間隙。
「フェオ、何か脅されているなら言ってくださいまし! まだ未熟ですけど、同じ四大魔術師としてワタクシも、少しは力、に……」
そこを埋めようとして――もしくは埋めさせぬため――人形は近付く聖女を押し留めるように右手を突き出した。手のひらを上に。
乗っていたのは金のボタン。
「……それ、は……」
彼が彼女に渡すはずだった、がくらんの第二ボタン。
――俺が殺した。
横殴りとなる豪雨が目深に被るフードを打ち、耳元で激しくノックする。
それでも聞こえた彼女の声。
「え? い、今、なんて?」
俯く顔が雨にぬれ、あの不思議な雨がもし降っていてもごまかせることに安堵した人形は、後ろで落ちた雷にすら振り向かないびしょぬれの聖女を見て告げた。
――俺が、トールを殺した。
人形は知った。
「……へっ?」
人間は心が壊れる瞬間、最期の息をもらすように、泣くように笑うのだと。そしてふと、あの花の名を教えてくれた子どもを思い出した。
閉ざされたドアの前。母親に叱られて、泣くあの子を。




