第28話 降臨
ボーの霞がかる頭の中で、最初に浮かんだのはドナだった。
あの魔女は、泣いてくれるだろうか。
「! こいつ、まだ生きて……!」
無理かな。ポッと出の自分では。
ゴロンと足蹴に、パシャリと仰向け。傷触れる地面は血の池。木漏れ日はもうぼやけ、光だけ。
こんなふうに、いつも輝いていたあの少女に謝りたかった。「バカ」と言われたあれが最後か。心残りだ。
「頑丈だな。さすが混じりものなだけはある」
主君よ、あなたとの出会いこそ我が幸い。どうか奥方と末永く。相談役、長い間お世話になりました。最後まで「腰抜け」だった、すまない元同僚。騎士団にも一族にも申し訳ない。
だけどやっと、友に会える。
「それにしても遊びすぎたか。セシルめ、なんと逃げ足の速い……」
ゆっくり流れる走馬灯。とりとめのない記憶、いくつもの顔に、とりとめもなくあふれる想い。秘めていた望み。
それらもやがて、今は大地だけが知るボーの深い傷から血が流れるたび、次々とこぼれ落ちていった。
「しかし所詮は猫よ。どこへ行こうともすぐに――」
「か、み……」
「――ん?」
そして最後。
彼に残ったものは、信仰だった。
「つか、わ……神の……や、り……」
「あぁ、悪あがきかと思ったらお祈り――――そういえば貴様、知らぬのだったな? フッ、フフフ……! おい狗、冥土の土産にひとつ教えてやろうか!? 貴様らが漁ったエサの正体をなぁ!」
間近に影。耳元。
神が遣わし神の槍よ。
「あなたたちが口にしたのはー、シ・ニ・ク・よ……意味わかるぅ?」
甘ったるい吐息。
闇を払いし闇の霊よ。
「人間の死体、きれいに整えられただけの肉人形。そんなの食べて崇めるなんてぇ、すごぉくバカで汚らわしい一族よねぇ?」
今ここに、賜りし血肉を還さん。いざこの魂、御許に近付かん。
遠のく気配。
「まぁ、魔力のない強靭な肉体……魔法のない世界の肉体という点だけトール様と同じだから、そこは厄介極まりないのだけど」
月なき夜を明かし、安寧をもたらし、安息を与え給え。いと安らかなる眠りを与え給え。
「だとしても……あぁ忌々しい、忌々しい、忌々しいっ!」
さすれば我らは永遠に在ろう。
「どうして『魔王』に傷ひとつ付けられぬ『人形』が、どうして『魔王』より強い『勇者』トール様を殺せるのか! 真実の肉体と魂を伴う、完全なるトール様をどうし、て……っ!?」
永劫なるあなたのそばに。
「……松明と、とも、に……」
ボーは祈りを終え、最後の力を振り絞り、木漏れ日へと手を伸ばした。その行為に、フリストの足がたじろいだ。畏れを抱かせたらしい。
もちろん彼に、そんな意図などない。
「くっ……忠犬ぶるなよ!」
死を間近に控え、光の消えかけた赤い瞳に映るは、屈辱に荒ぶる女でも振り上げられた短剣の輝きでもない。
「この、屍肉喰らいがあああっ!」
手を伸ばすは舞い降りた迎えに。
――ヒラッ……。
「っ? は、羽根?」
黒い一枚羽根に。
そして血肉還り、御霊帰る場所へ。
――炬火。
あぁ、あの松明へ。
「なっ……上だと!?」
「『氷』――――『推進』」
静止する炎刃。光と熱を宿し、剣閃。飛翔。
凍てつく炎の飛光斬撃。
――ズガァ――――ッ!
消えた女の空間がまばゆく彩られ、地中深く抉る爆破が起きようと、ボーは懸命に落ちてくる黒い羽根を掴もうとした。しかし巻き上がる砂塵が羽根をさらい、ヒュルリと遠くへ。待ってくれ。どうか、連れていってくれ。
行かない、で――
――パシッ。
「すまない。遅れた」
力尽きて落ちた手を、誰かが受け止める。冷たい手。誰だ。
土煙が晴れてうっすら見えたのは、灰銀の手。
「あ、あぁ……!」
「しゃべるな――――『故郷』」
ただ、涙が出てきた。
小さく光る円の中で、失ったはずの痛覚に激しく苛まれたからではない。
「雑木林で『母樹』は使えない。『故郷』も、お前に関する土地の記憶が薄い。完全には戻らないし、修復過程で痛みもあるだろうが我慢しろ」
砂ぼこりに汚れた灰髪。それでも汚せぬ白皙の肌。
見下ろす切れ長の目、灰の瞳。
「かつてのように生まれ育った郷土なら、もう少しどうにか……いや」
それが少し、さみしげな色を浮かべて。
「……お前は、違ったな」
それでも、ほんの少し笑って。
「ありがとう」
あぁ、この方だ。
「いつも助けられているが、今回ばかりは本当に助かった」
大部分が自分のことではなくても、この髪型とともに受け継がれてきた誇りと魂が教えてくれた。
この方こそが、主であると。
「もう十分だ。休め」
だからひたすらに、涙が止まらなかったのだ。
「……はい。御心の、ままに……」
ボーは静かにそう言って、全身の力を抜いた。記憶を巻き戻して修復する傷と逆流する血液。痛みはあったが、感極まっていて気にならない。握られた手が地面へ。
瞬間、砂塵の向こう。
「――――『我は問う。紅踊る太陽の名を』」
開いた幕から現れるは、身長より長い杖を構える耳長の女。
「――――『賢者の石は記さん。人々の間では太陽』」
荒れる桃髪、形相。顔の半分ほどに見開く金銀妖瞳。
突き出す杖。
「――――『石の賢者は答えん。妖精たちの間では……』」
そして描くは、かの日輪。
「――――『輝く輪』!」
杖の跡をたどる光の線が円に。縁からユラリ、立ち上る紅炎。
それに対し、シュルリと腰帯が解かれ、バサッと開く黒ローブ。指で描く文字。
――ドゴオオオォォォッ!
円環よりあふるる紅炎に、かの槍は唱えん。
「『神の口』――――『水』」
――ドパアアアァァァッ!
踊り狂う爆炎とせめぎ合う、渦巻く大激流。赤と青の大蛇。ローブの亜空間に貯めた水を操っているのか。
相殺。
――ドパァンッ!
いや、押し勝った。木々や草の延焼を防ぐ意図もあったらしく、渦を解いて消火までする余裕。
「ぐっ……!」
フリストの足元をぬらすだけとなったが、すごい。
指で元素文字を描くのは精霊魔法に等しき森羅万象を操る術。『母樹』然り『故郷』然り、今の『水』も。
「かつて、トールはこう言った」
だから本来、上位世界の幻想を召喚するルーン魔術より弱いはずだが、物量で押し切った。
「いっぱい食べる君が好き、と……ん?」
つまり、質より量。
水剋火の摂理はあれど、上位の幻想と下位の事象。しかも『太陽の火』でさえあるのに。
(いったいどれほどの水が、あのローブの中に……)
そこでボーは、ふと思い出した。千年前の終末戦争において、神の槍は世界を飲み込む大洪水から人々を救ったという伝説があることを。
(……まさかな)
言葉の使いどころで首を捻っているらしいフェオに笑みをこぼす。言い伝えはどれも眉唾だ。神の槍は女性だった、という説まであるほど。
とにもかくにも、ボーは安堵した。
「貴様があああっ!」
ローブの開きを腰帯で留め、杖を差す彼の背後に突然、ロングスタッフを振りかぶる桃髪の女が現れようとも。
「トール様を口に、するなあああっ!」
――パシッ。
「……そうだな、すまない」
もはや焦ることなく、誘う睡魔へとその身を任せられるほどに。この方さえいれば、もう。
落ちるまぶた。
「チィッ!」
灰銀の手を杖から振り切り、一瞬で遠ざかるフリスト。
「『韋駄天』か。相変わらず厄介だが、時間切れだ。部下の聖騎士たちもすでに眠らせ――」
「黙れっ! フ、フフフ……記憶は一度消されているようだが、私は知っているぞ!」
ぼやける視界と遠のく意識。横滑りする会話。
「貴様が人間を殺せぬことはなぁ!」
しかしまどろみの中で、引っ掛かりを覚える。
「できるのはせいぜい眠らせることだけで、それも私には通じぬ!」
人間を殺せぬ。傷つけることすら禁則事項で、もちろん攻撃魔術の使用も不可。例外は自らが傷ついた時だけ。
だが、それだとおかしい。
「悪魔を退治できぬは心残りだが、私の『韋駄天』ならば記憶を消される前に、あの小娘を連れ去ることなど造作もないわ! どうせ貴様は力尽くで私を止めることなど――」
「剣聖が帰ってきたぞ」
「――っ!?」
わざと外したのかもしれないが、明らかに魔法で先制攻撃した。その後の魔法も足をぬらしただけとはいえ、一切傷など負っていない。どういうことだ。
「時間切れと言っただろう? 時間加速も、リアに触れていては発動しない」
「くっ……!」
「去れ、スルーズの娘よ。今ならまだ間に合う」
ボーはなんとか答えを得ようとしたがうまく頭が回らず、まぶたは今にも閉じようとしていた。
そして閉じる直前、フードを目深に被る悲しげな後ろ姿がぼんやりと映った。
「……お前たちを、死なせたくはない」
きっとそれが、答えだった。
※
そうしてフリストは、尻尾を巻いて逃げチャいましたノ。
ほンと、莉墓婿縺ョ縺ェ縺?ュ?
※
双子の姉の名前で呼ばれ、その少年は驚いた。
「あれ、アリスちゃん!?」
林沿いの道の前方からなぜか、少年がずっと片思いしている少女と、その母親が車椅子に二人乗りでやってきていた。まるで自動運転のように。
しかしそれは、押し手が小さくて見えなかっただけらしい。
「あ、ちゃうな、ジブン弟やろ! 騎士見習いの! ええとこおったわ!」
車椅子の後ろからヒョコッと顔を出した猫耳族――モンスター◯ンターの従者と猫耳従者が混ざっちゃいましたの――が少年の前までやってきて、車椅子を止める。
「この二人頼むわ!」
「え!? で、でも僕、門の警備を固めるよう呼ばれてて……」
「ドアホお前それこいつら助けるためやんけ! ゴチャゴチャ言うとらんとここ持てや!」
テキパキと車椅子の持ち手を握らされる少年には、まったく意味がわからなかった。
騎士見習いとはいえ、騎士隊長であるゲンドゥル――髭長族は情報がシンプルでしたからドワーフっぽいでしょう?――直属の小姓。本来なら少年は命令系統のやや上位に位置する。
しかし今は、このやんごとなき一族の少女に、事故とはいえ剣を向けた罪――お忘れかもしれませんわね小者すぎて――で謹慎中だった。ゆえに情報が下りてこなかったのだ。
ただ少なくとも、そんな謹慎中の自分さえ駆り出される事態なのだと少年は把握していた。
(だけどまさか、姫様と奥様が狙いだなんて……!)
それに、さっきから違和感が――縺昴s縺ェ繧ゅ?縺ッ縺ェ縺?――気のせいか。
「ほな頼むで男アリスちゃん!」
「いや、僕の名前はデ……っ!? ひ、姫様の頭から、血が……!」
「ああ、たぶん治っとるわそれ。あの地雷系司祭やろ。せやけど全然起きひんし、眠りの魔法もかけられとんな」
「は? 司祭様がどうしてここに? それに治してもらったのはともかく、眠りの魔法?」
「あー、とにかく敵は司祭や! 人手集めて剣聖はん帰ってくるまで肉壁になっとけ!」
「え。ど、どこ行くんですか!?」
「命の恩はゼニでは返せへんのや! 待っとれよ兄さん死ぬんやないでえええぇぇぇ――――……」
猛スピードで走り去る猫耳族を呆然と見送り、少年は改めて車椅子の上で抱き合うように眠る二人を見た。
(と、とにかく緊急事態だ! 今すぐ――)
――この少女だけ、連れ去ってしまおう。
「……え」
少年は頭を振った。違う、今すぐ騎士団の宿舎へ――縺昴l縺ァ縺?>縺ョ?溘?譛ャ蠖薙↓??――宿舎へ、行かない、と。
(だって、あれ? そうしないと……)
連れ去らないと、この少女が少年に振り向くことはないだろう。縺昴≧縺?≧縺ゅi縺吶§だから。
それに、この傷を負わせたのは誰だ。
(そうだ……いったい、誰が――)
――あいつだ。
「あい、つ……?」
あいつだ。あいつだ。
あいつだあいつだあいつだあいつだあいつのせいだ。
「あいつ……姫様をさらった、あいつ?」
そう、あいつだ。あいつさえ。
あいつさえいなければ。
「……あいつさえ、いなければ――」
――姫様は、僕のものだったのに。
「……あいつさえ、あいつさえ、あいつさえあいつさえあいつさええええあああっ!」
少年は慟哭した。癖の強い黒髪をかきむしり、その瞳は――とってもイイ感じに――狂気に満ちていた。
「姫様、姫様っ……!」
そして母親を押しのけ、愛しい少女を抱えた。あどけない寝顔に手折れやすそうな肢体。肉欲がうずく。
しかしすぐに、下賤な欲望は消えた。
「……僕ノものダ」
だって狂気は、愛なんですもノ♡
「愛は、僕ノ、僕のボクの戊苦悩卜の句保穆墨坊こb区奥b凹吼牧墓――――」
その後、車椅子で眠るレニだけが発見され、リアは消息不明となった。テスの息子であるデレクとともに。足取りは追えず、警戒網にすら引っ掛からず、懸命な捜索にもかかわらず消えた。忽然と。
それはまるで、脚本を成立させる機械仕掛けの女神でも、舞い降りたかのように。




