第2話 そんな私の王子様
双炎王国、王都郊外最北部。王都守護伯を代々務めるクルス家の屋敷。都市部への門戸の役割を果たし、隣接した草原地帯に広大な土地を有する双炎十字騎士団の拠点だ。
なんでも猫耳族の里より広いようで、十年間も外の世界を知らない箱入り娘に少し同情していたらしい某猫耳幼女氏は、馬が必要な門から屋敷へ至るまでの道程で涙ながらにこうつぶやいたそうな。
『……慰謝料よこせや』
そして請求理由を詳しく聞く前に、紫煙の魔女改め風織りの魔女様からすぐに却下されたそうな。
そんな二人を伴ってこの広い我が家へとリアが帰ってきてから、かれこれ一週間が経とうとしていた。ちなみに下半身ゴブリンゲス野郎ことライアンは「一身上の都合」とやらで招待を辞している。不思議だったがそこはどうでもいい。
問題は、本命の招待相手だ。
「――――おや? これは姫様、おはようございます」
ジョギング中のリアが雑木林の入り口で息を整えていると、すぐそばにある小屋から人が出てきた。
朝日に照らされる浅黒い肌に、後ろでまとめた長いドレッドヘアー。くるぶし丈のチュニックで身を包む優しげな若い男性。クルス家の祖先、そして多くの騎士たちがともに眠る墓所の管理人、ボー・ナハベルだ。
「おはようボー、朝早くからご苦労様です」
「いえ、朝の掃除も私の仕事ですので。それより姫様、ここはジョギングコースから外れて……ああ、あの方へお会いに?」
ドキリと頬を赤らめるも、それだけでボーには悟られたらしい。ただでさえ柔和な顔が笑みで綻ぶ。
「どうぞ姫様、私は遠慮しましょう。案内は必要ありませんね?」
「う、うん。それよりボー、あの人は今もここから?」
「はい、出てきておりません。それに誰も立ち入らせてはおりませぬ」
「? そういえば、お父様が『会えない』って困ってたけど……もしかしてボーが?」
「姫様だけは通すようにと伺っております」
「え? 誰から?」
ボーは笑みを絶やさず、黙って頭を下げた。流れるように手を雑木林の入り口へ。答えてはくれないらしい。
彼は元双炎騎士だった。それも騎士隊長、弱冠二十三歳で。天才女剣士ルナマリア・ルーに匹敵する才の持ち主とも巷では噂された。そんな彼が墓守に転身してもう五年。
その理由は、今は置いておくとして。
(まさかボーが、お父様の邪魔をするなんて……)
剣を捨てても忠義に篤い彼の印象からはかけ離れていた。だから、なんとなく思った。「伺った」のは彼にとって父より上位の存在から。表立っては言えないが、騎士たちの忠誠はクルス家に捧げられているので国王ではない。
では誰なのか。あるいは、考えすぎか。リアは首を捻りながら雑木林の入り口へと進んだ。
すると、背中に穏やかな声。
「ご存知ですか、姫様」
振り返れば優しい眼差し。
「万物には魂が宿っております。地に水、火に風。木や草花にも」
だけど、妖しく光る赤い瞳。
かつて夜の戦場を駆け巡った、衰えることなき『赤眼猟剣』の眼光。
「それら肉を持たぬ意思を、我々は精霊と呼んでおります」
そうなんだ、とは軽く頷けなかった。
「えっと、ボー……?」
「失礼。私は精霊を信仰する一族の出自でして」
世間話のような気軽さで彼が続ける。
「この時代、精霊の声はほとんど聞こえませんが、彼らは確かに今もいます。まあ彼らにとっては瑣末事でしょう。人とはただ自らの領域にいる小さき者に過ぎないので、関わりの有無などはどうでも」
リアは目を白黒させるだけで、語られる内容はあまり頭に入ってこなかった。
「しかし唯一、その成り立ちからして違う精霊がおります。それは、偉大なる意思が手ずから生んだ精霊。『神の槍』と呼ばれるもの。世界の守護者たるそれはまた、こうも呼ばれております」
ただゴクリと喉を鳴らす。相手を射すくめるその赤い瞳に、意識が吸い寄せられる。
だが、次の瞬間。
「……松明持ちの騎士」
「ピェッ!?」
変な声が出た。
とっさに口を押さえるも、彼は何事もなく胸に手を当て、深く頭を下げた。
「我が忠義は今も胸に。ただ、信仰は別なのです。だからこそお館様の寛大さに心苦しくあり……せめて姫様にだけは、ご理解頂きたく。手前勝手なお耳汚し、申し訳ありません」
「み、耳!? 汚れ!? えっとね、耳の穴はかっぽじっちゃダメで……!」
キョロキョロと辺りをうかがい、気もそぞろなまま勘違い発言。遠くで「アホー」とカラスの鳴き声。しかし、リアはそれどころではなかった。完全にバレてる。どうしよう、あわわ。
長いポニーテールを慌てて揺らす少女はやがて、最敬礼のまま微動だにしないドレッドヘアーの男に対し、生唾を飲み込んでから言い放った。
「ナイショにして! 誰にも言わないで!」
「心得ております」
「絶対だよ!?」
その場から逃げるように、雑木林の開けた入り口へ。
だが、入る前に念を一押し。
「絶対だからね!?」
三歩進んで、またクルリ。
「信じてるからね! お願いね、ボー!」
気が済んだ、と思わせてからの。
「チラッとでもダメだからね!?」
見えなくなっても。
「約束だからねー!」
しつこい。しかしその間もずっと、ボーは頭を下げ続けていた。
ようやく消える少女の残響。取り戻す朝の静けさ、清々しい空気。小鳥たちの声。
羽音。
――バササッ。
スッと顔を上げた墓守の肩に止まるのは、額に傷のある美しいメスのカラス。思考の名を冠せしフギンだ。
ボーが語りかける。
「これでよろしいですか、御使い様」
「アホー」
人語を解せど人語は返せず。通訳のいない人とカラスの意思疎通はそこで終わり。
そのはずだった。
「脅かしたわけではありません。私はただ、誤解されたくなく――」
「アホー」
「――回りくどいと言われれば、まぁ、そのとおりなのですが……」
ボーが困ったように指で頬をかくと、フギンが飛び立つ。
「アホー」
「かしこまりました。引き続き、姫様以外は通しませぬ」
最後まで成り立つ会話。空へと帰るカラス。
ボーは先ほどのように最敬礼の姿勢を取り、黒い一枚羽根が落ちた地面へ向かってこうつぶやいた。
「月なき夜、松明とともに在らんことを……」
(……ん? ていうか結局どゆこと?)
パキリと小枝を踏んだところで立ち止まり、リアは腕を組みながら唸った。
(んーっと、ボーにはバレてて、フェオは精霊で……でも血は流れるし、幽霊みたいに透けないよね? それに、神の槍?)
首を「うーん……」と上へ傾け、背の高い木々が茂らせる葉の向こう、明るくなったばかりの空まで見通す。ポニーテールが腰まで届くも、そのままテクテク低速前進。緑囲む墓地参道で歩き思索の前方不注意。
とはいえ、まっすぐな散歩道だ。草の生えぬ地面は低いロープ柵に囲われ、早朝だから人もいない。
(そういえば、陽炎稲妻も『槍』って言ってたような……うーん、考えてもわかんないや。そもそもフェオって、ご先祖様の記憶どおりなら四百年も生きて……あれ、でも待って?)
木々の隙間を縫う朝日が足元を照らし、昼間の木漏れ日よりも視界良好。
(松明持ちの騎士って教典に載ってるんだから、トール教誕生以前から存在……ってことは八百年前!? ど、どうしよう!)
だがやはり、前はちゃんと見て歩くべきだった。
「お父様とお母様に、なんて紹介すれば……ヒャッ!?」
そして八百年という長い歳月を『かなり年上の彼氏をいざ実家に連れてきた娘』的なスケール感の悩みに収めたリアは、地面の凹みに足を取られて転んでしまった。
前方へバッターン。されど「はっ!」と前受け身。無傷だが、よそ見はダメだと反省。腕についた土を手で払う。
そこで、やっと気付いた。
「わっ……ムーくん?」
「クァ?」
目と鼻の先。黒くて丸い球体は、額に傷のあるカラス。記憶力の良い――というか保管の役割だろうか――オスのムニンだ。寝そべったまま地面に近い視線を合わせ、こちらが小首を傾げると短い首をいっしょに傾げる。カワイイ。
「フフッ、久しぶりだねムーくん。元気だった?」
ツン、と指でくちばしに触れる。「クァッ!」とうれしそうに羽をパタパタ広げるので、思わずこちらも足をパタパタ。
って、道の真ん中で何やってるんだか。ふと自分の姿を省みたリアは身軽に立ち上がり、白いブラウスと短い乗馬用女袴に付いた土をパパッと払った。
「ずっとフェオのそばにいたの? あれから一度も姿を見かけ……あっ、ムーくん?」
テテテーッと走り去り、ついてきているか確認するようにピタッと止まるムニン。膝と太ももに付いた土もパパッと払って追いかける。
すると、また尾羽をフリフリして進む真ん丸ボディ。その愛くるしさを見るのも一週間ぶり。
(もしかして、フェオのところに案内してくれてるのかな?)
屋敷に着いてすぐ、本命の招待相手であるカラスの主人はこの雑木林の奥へと引きこもってしまった。クルス家初代当主、初代剣聖ガルドの墓前に座り込んで動かなくなったのだ。
その後ろ姿を見て、しばらくそっとしておこうという結論を出したのが一週間前。顔を出してくれるのを待っていたのだが、まさかこれほど長くなるとは思いもよらず。
しかし、結果的には良かったかもしれない。下手に動かれてバレても困る。
彼が、松明持ちの騎士だということに。
(お父様も、正体までは知らないみたいだし……ドナは事情を理解してくれたし)
神の子を殺した悪魔、松明持ちの騎士。もしその正体を知ったら、幼い頃に名前を出しただけで卒倒してしまった母がどうなるか。考えるだけで恐ろしい。そして母を溺愛する父がどう出るか。ひいては騎士団全体も。
ゆえに、彼に長く滞在してほしいリアとしては絶対秘密厳守の事柄だった。
(セシルはそもそも半信半疑みたいだし大丈夫か)
父娘そろって招待した、やや問題ありの相手。
そんな彼へ続く道を、今度はしっかりと前を見て進む。
(ボーも大丈夫、口は固そうだし。あとは……ルナはどうしよう。うーん、出張中でホッとしたような残念なような)
低い位置から差し込む陽光。細い木の幹が映す、光と闇の縞模様。影を踏まずに歩く遊び心。
そんな調子で、カラスの後を行く道。
(どんな反応か怖いけど、ルナにだけはウソをつかず紹介したい気も……あっ)
――バサッ!
その終わりで、ムニンは飛び立った。
木々が囲む開けた空間には芝生が一面に敷かれ、多くの墓石が整然と並ぶ。そして奥には、そこに眠る者たちを見守るかのような大きい石像。
彼は、そこにいた。
――ザァ――――……。
たくさんの献花。舞い散る花びら。青が多めに――この家では見かけぬ小さな花がいっぱい――色付く墓前に灰の髪、灰銀の手足。石像をジッと見上げて座る、石像のように動かない黒ローブの背中。
伝説の松明持ちの騎士であり、石像のモデルである初代剣聖ガルドと因縁深い青年。
「フェオッ!」
リアは小走りで駆け寄った。
――やっぱり、ルナにはきちんと紹介したい。
死者の眠りを妨げぬよう速度を抑えるも、逸る気持ちが足裏を浮かせる。
彼が振り返る。
――ウソなんてなく伝えたい。
そしていつもどおりフードを目深に被り、隠れぬ口元を動かした。
「――――『神の口』」
「へっ?」
――やっと見つけた、私の王子様は。
パッ、と黒ローブに吸い込まれ、忽然と消えるフェオ。
その場に立ちすくむリア。
――すごく、逃げ足が早いんです。
「……また、逃げられた」
四つん這いでガックリ項垂れる子孫の少女を、先祖の石像がどこか気まずそうに見下ろしていた。




