第1話 夢見る夢見がち少女
※
厳しめハスキーボイス。
『お約束してください姫様。もう二度と、その名を口にしないと』
木に登っていじける自分を迎えに来るのは、いつも彼女だった。
『どうして? なんで言っちゃいけないの? ルナまでリアのこと、ウソつきだって思ってるの?』
『姫様……』
緑覆う樹上にて。幼い反撃に動揺し、同じ枝の根元で若葉を揺らす白き狼。
鋭利な相貌に氷雪の肌、真っ白な刈り上げベリーショート。琥珀の瞳きらめく金眼、狼の目。乗馬服をピッチリ着こなす美少年もとい麗しき少女。
後に『女狼騎士』と呼ばれることとなる天才女剣士、ルナマリア・ルーは首を振った。
『いいえ姫様。私めも、お館様も、誰もそのようには思っておりません。皆、姫様が心配なだけなのです』
誘拐された十年前の当時。今の自分と同じ年齢で双炎騎士となっていたルナは多忙だろうに、こうして慰めに来てくれた。
松明持ちの騎士が助けてくれたのだと喚き散らし、結果、誰にも信じてもらえずに逃げ出していた自分を。
『とりわけ、現場にいた奥様のご心労たるや……。ただでさえ体が弱いというのに、毎晩夜通し自らを責め、姫様の無事を祈っておられました。それは、姫様もおわかりですよね?』
『……うん。ママ、いつもより痩せてた』
幼いリアは枝からプラプラさせていた足を止め、重なる緑の隙間へと目を遣った。
そこは、秘密の場所。面会謝絶中の母の様子がうかがえる、六歳児の体重などものともしないほどに太く伸びた枝の先。今だって、自分とよく似た大人の寝顔が窓越しに見える。すごくうなされているようだ。
『リアのせい?』
『姫様は何も悪くありません。ただ……』
歯切れの悪さに振り返ると、立っていたルナが枝の根元に腰を下ろして太ももをポンポン。いつもの合図。
いじけていたことも忘れ、枝の上を器用に突進。体当たり。
『奥様が生まれたお家は、ここから少し遠いのです』
短い手足でしがみつき、押しつけた顔をグリグリ。アホ毛もブンブン。抱っこ妖怪甘えん坊おばけ。その攻勢にビクともせぬ、鍛え抜かれた肉体。
胸元に少しだけ残る柔らかさを余さず堪能していると、ルナの声音も柔らかくなった。
『だからちょっと、人より敏感で……本当はすべておわかりですよね? 姫様はご聡明であられますから』
ピタッ、と動きを止めるも、手足の縛りをギュッ。
『うん、わかるよ。リア、ごそーめいだから』
最初からわかっていた。松明持ちの騎士と聞いて、母が失神した時から。女神への祈りが娘の赦しを乞うものになった時から。
怪訝そうにするだけの皆とは違う。母にだけはその名を口にしてはいけないのだと、幼いながらに理解していた。
『そうですね、姫様。さすがです』
こぼれる笑みと頭を撫でる手。安心する彼女の匂い。
だけど、たまらなく悲しい。
『でもね、ルナ。ほんとなの。ウソなんかついてないよ』
髪に絡まる指先がピタリ。何も言ってくれない。悲しい。
ルナもやっぱり、信じてくれないんだ。
『……リア、ウソつきじゃないもん』
ズビ、と鼻をすする。涙もポロポロ。伝わる鼓動は彼女の動揺。それでもリアは譲れないとばかりに顔をまた押しつけた。
すると、服が汚れることなど気にも留めずにルナが言う。
『姫様、ではこうしましょう。私にだけお教えください』
『? 何を?』
『松明持ちの騎士についてです』
顔を上げると目元にハンカチ。続いて鼻も。
目をつむってされるがまま。
『正直に申し上げますと、それがどういう存在かよく知らないのです。私に限らず、この国の者のほとんどは。ですからまず私が姫様から教わり、皆の誤解を解いてみせましょう』
開いた目を皿のようにして見つめる。逸れない金眼、狼の目。だけど少し冷や汗。
すぐにピンときた。ソノバシノギだ、大人ってズルい。感情の機微に聡い子ども心が身の内で叫ぶも、やはりそこは六歳児。
『……だから、皆にはナイショですよ?』
『! リアとルナだけ?』
『そう、この場所のように。私と姫様、二人だけの秘密にしましょう』
『うんっ!』
秘密という言葉にワクワクしてしまった。よくよく考えると、皆の誤解を解くのに秘密とはこれ如何に。
『じゃあ、ルナにだけ教えてあげるね! 耳貸して!』
『はい、なんでしょう』
『松明持ちの騎士ってね、本当は王子様なんだよ』
『? そんな話でしたか?』
とにかくそれ以降、松明持ちの騎士という名を口にすることはなくなった。ルナもさらに忙しくなり、かまってもらう機会が減ったというのもある。
『ああ、助けてくれた白馬の、という意味ですね』
『そうだけど、そうじゃないの! 絵本から出てきた王子様なの!』
『ですが姫様は、姿を見ていないはずでは?』
だから、忘れていたのだろうか。
『うんっ! でもね、リアの王子様なの!』
それが、初恋だったことを。
※
知らない天井ならぬ、見知った天蓋。帰還の感慨も薄れた目覚め。
夢見る幼女時代の夢を見ていた十六歳の少女は、ベッドの中でつぶやいた。
「って、王子様のくだりは忘れとらんのかーい……」
二週間の冒険者生活による影響をたっぷり受けた独り言を合図に、周囲を覆うレースのカーテンがシャッと引かれる。そこに現れた人影は、暗くて誰か判別できない。まだ目がシパシパするし。
だが、声だけでわかる。
「リア、起きた? おはよー。ならさっさと顔洗って。ほらほら、用意できてるから。今日は忙しいんだからね、私」
小鳥のさえずりかける三倍。癒しというより姦しいが、これが目覚まし代わりにちょうどいい。羽毛布団をどかして「んーっ……!」と背伸び。
そして『剣聖の娘』リリアーナ・クルスはベッドの端へと移動し、水の張った桶を乗せる台車の前に腰かけた。
「おはよーアリスー……。忙しーって、今日なんかあったっけー……?」
かくも凛々しき女騎士。顔だけ。時にそう評される――主に猫耳幼女から――顔面が、寝起きで残念なことに。
涼やかな目元は青く澄んだ瞳をトロンと隠し、普段はキリッと整う眉もなんだかなだらか。薄く横に長い唇も大あくびをしてフニャフニャに。寝ぐせひとつない金糸の束からピョコンと飛び出たアホ毛も、これまたフニャリ。凛々しさは見る影もない。
だがこの少女の場合、基本的に残念なことのほうが多いのでそう大差なかったり。
「……あれ、アリスー?」
返事がなく、なんならバシャバシャと髪ごとぬらしてしまった顔をいつまでも拭いてくれないので、リアはやや不満げに声をかけた。
すると、遠くでシャッシャッ。某猫耳幼女が「ウチの家よりデカいやんけ……!」と涙を流した広い部屋の窓をテキパキと開け、スタスタと人影が戻ってくる。
夜明け前の薄明かりが照らすのは、乳姉弟の双子の姉であるアリスだ。
「ちょっとリア、髪も床もぬれてるじゃん! 帰ってきた時は少し大人になったかなーと思ったのにまーた甘えんぼお嬢様に戻ってるし! 急いでるんだから私の仕事増やさないでよね!」
双子の弟であるデレクによく似た童顔。黒髪のくるくるパーマをゆるふわボブに変え、黒目がちな目をよりパッチリに。背も縮め、メイド服を着せれば出来上がりな姉。
そんな姉にタオルでゴシゴシ顔を拭かれてから、プハッと息をついて。
「ごめーん」
「謝罪が軽いんじゃい!」
髪へのガシガシが三割増し。頭が揺れるも、おかげで目がシャッキリ。アホ毛もピンッ。
「それで、アリス。今日は来客――」
「はいバンザーイ」
条件反射で諸手上げ。すると、シュババッ。一瞬でネグリジェを脱がされ、そのまま服の着付けへ取り掛かるアリス。乳母である侍女長、彼女にとっては実の母となるテス仕込みの早業だ。
まさに、メイドの鑑。
「……で、何よ」
「? 何って?」
「今なんか言いかけたじゃん。ほんっと鳥頭なんだから」
この専属であるはずの主人に対する口の利き方以外は。
ただ、リアにとっては幼なじみであり、気の置けない友人枠でもあるので今さらだった。鳥頭にはちょっとムッとしたけど。
「別に、何をそんなに急いでるのかなーって。大事なお客様でも来るの? アリスまで駆り出されるなんて」
準備されていた衣服は軽装で、すでに身支度完了間近。
股下から左右に分かれる革製の乗馬用女袴は、走りやすさ重視で太ももを晒すほどに短く。
「何言ってんの。男よ、男」
「? 男性のお客様?」
白いブラウスは袖もフリルも付いてなく、汗をかいてもすぐに着替えられる簡素なもの。履かされる黒いロングブーツは騎士と同じ支給品。
「違うって。デートよ、で・え・と! パパッと今日の仕事を昼までに片付けなくっちゃ!」
「え、聞いてないんだけど!?」
「今言ったじゃん。はい、お着替え完了。座って座って」
お次はとばかりに腕を引かれ、鏡台の前に座らされる。そして手早く長い金髪をサッサッ。とかしてキュッ。
「私、昼から一人? 主人のことは放っとくの?」
「アリバイ作りのご協力いつもありがとうございます、姫様」
「……しかも、また無許可なんだ。いい加減テスにバレても知らないよ?」
編み込まれはせず、高く結われただけのポニーテール。身支度完了。
朝のジョギングスタイルだ。
「心配御無用。買い出しのついでに脱け出すから。すぐ入り用の物はないし、帰りが遅くなっても必要なの全部そろえてれば大丈夫よ。言い訳は考えるけど」
「あれ? それだと、仕事着のままデート行くことに……」
準備運動。腕を交差させ、肩を伸ばしながらピタッと止まったリアに対し、アリスは仕事着であるメイド服のスカートをつまみ上げた。
「男ウケいいから、これ。『じゃあ今だけご主人様って呼んじゃおっかな、フフッ』」
賛否はともかく、なんたるバイタリティ。小芝居セリフまで用意してやがる。リアは呆れを通り越して感心したが、途中であることに気付いて白い目を向けた。
こいつ、また違法改造してる。
「アリスにだまされる男の人、なんかヤダ」
「あんたの好き嫌いなんか聞いてないっつーの」
ベッ、と小さく舌を出す恋多き友人。憎たらしい。
(でも、男の人はこういうのがいいんだろうなー)
リアは屈伸しながらちょこまか動くアリスを見つめた。小さくて、かわいい女の子。髪もふわふわだし。
そして前屈から胸逸らしの最中、はた、と鏡の中の自分に目が止まる。比較的に背は高く、まったく癖のないサラサラポニーテール。
「……髪」
「? なんか言った?」
「いや、髪の毛……ちょっと巻ける?」
「は?」
ベッドメイキング中だったアリスは手を止め、信じられないものを見るような目で振り返った。
「ジョギング行くだけで?」
「そーだけどー。じゃあ、編み込みとか?」
「どしたの急に。いつもは人がかわいくしようとしても嫌がって……ハッハーン?」
ススス、と擦り寄る自称小悪魔メイド。彼女いわく、理想の身長差らしい主人へ密着。映り込んだ鏡越しに視線が合う。
リアはふと思った。彼女なら、こうやって彼ともお似合いの身長差を――
「――『うんっ! でもね、リアの王子様なの!』」
鏡の中でニヤつく小悪魔に凍りつく。羽と尻尾がニョキニョキ。
「な、ななな、なんでそれを……!?」
「さっき寝言で。朝から例の彼んとこ行くの? なら目一杯おめかししなきゃね!」
「やっぱいい! もう走ってくる!」
「あんっ、そんな恥ずかしがんなくてもいいのに。応援してるからそろそろ紹介してねー」
お見送りに背を向け、慌ててドアをバタンッ――――と閉めてからハッとする。
ガチャリと戻って顔だけひょっこり。
「? どしたの?」
リアは小首を傾げるアリスへとおそるおそる尋ねた。
「私、ほかになんか言ってた?」
「寝言? あとは『忘れとらんのかーい』って。あれも寝言だった?」
それは独り言だが、どうやら松明持ちの騎士という単語は聞かれていないようだ。助かった。
「やっぱいいや。それじゃ行ってきまーす」
後ろ手で閉めたドアに寄りかかり、リアは大きく安堵のため息をついた。




