〜繰り糸付きの哀れな人形はそれでも君の夢を見る〜
人里離れた森の奥。古びた小屋、三人の隠れ家。
正確には、二人とひとつの人形の。
「――――じゃあ、これでいったんお別れですわね」
室内での話し合いを終え、小屋の前の木々が開けた空間へと躍り出た聖女が振り返らずに言う。
久しぶりに陽光を浴びた、縦巻く金の髪。たとえ身なりがボロボロでも色あせぬ輝き。彼女の美しさ。それにきっと、勇者も見惚れているのだと人形は悟った。
「……ああ、そうだな」
がくらんを着た少年がやっと言葉を返し、隣で黒髪頭をボリボリ。
「さみしい?」
「俺はフェオといっしょだしな。さみしいのはそっちじゃね?」
なぜ彼はこういう時にウソをつくのか、人形にはわからなかった。
もっと彼女を見習えばいいのに。
「そうね、さみしい」
「お、おう……」
うろたえる勇者に、素直な聖女がクルリ。
「離れたくありませんわ、片時も」
振り返った笑顔は少し泣きそうで、なのに――だからこそ――きれいだった。
「……俺の嫁のデレ期がハンパない件について」
「? 何か言いまして?」
「べ、別に……」
魔王を倒して半年。人間から逃げ隠れ、魔物を倒す日々の中で、彼女は変わった。勇者いわく「デレキ」に突入したらしい。
そして、彼も変わった。そんな聖女に終始タジタジだった。ことある毎にボソボソつぶやくようになったので、人形はこう返すようにしていた。
顔真っ赤で草。
「お前はすっかり毒されやがってコンチキショーッ!」
「毒した張本人がそれ言いますの? ほら、離れて離れて。見送る時ぐらい仲良くして、ワタクシを安心させてくださいまし」
こちらをグワングワン揺らす手を押し退け、乱れた黒ローブの胸ぐらをいそいそ直してくれる聖女。間近に見下ろすは赤く腫れたまぶたと、未だ乾かぬ涙の跡。ついさっきまで泣き明かしていた証拠。
ピタリと動きを止める彼女がこの別れに納得したのは、今ようやくのことだったのだ。
「……『砂漠の隠者』は、本当に信用できますの?」
それは、一筋の光明。自分たちの前に垂らされた細い糸。
この世界はかつて『希望』という名の聖なる狂気によって滅びかけたことがある。その『希望』を最果ての地にて封印し続けているのが、四大魔術師の一人『砂漠の隠者』だった。
「平和に暮らせる封印の地なんて、本当にありますの?」
その『希望』と同じ封印を、別の地にて勇者へ施してもらう。かの魔術師の元へと協力を取り付けるために飛び、そして帰ってきた思考による提案だ。聞いたのはもう一週間前。
それからはずっと、彼女の説得。
「成功する保証なんてないのでしょう? そんな遠い場所まで、もしたどり着けても無駄足になるかもしれませんわ」
そこへ彼女を連れては行けない。少なくとも、封印の成功を確認するまでは。そういう内容だった。
「だったら……やっぱりこのまま三人で、ずっとここに――」
「それは何度も話し合ったろ」
勇者が不機嫌に言い捨てる。同じことを言わせるな、という体。
「ここもそのうちバレる。それにこんな逃亡生活、もう限界だ。この小屋に留まってたのだってお前が体調崩したせいじゃねえか」
しかし本当は、聖女が自分にくっついているせいだと人形は気付いていた。
だが、それを差し引いても。
「そのうえ目的地が世界の最果てってなると、もう足手まといなんだよお前は。さっさと家に帰れ」
彼の言い草は冷たい。ここ最近ずっと。
人形ですら容易に察せられるその理由を、聖女がわからぬはずもなかった。
「別れ際までその大根芝居を続けますのね」
「納得してねえみたいだから続け……大根!?」
「『まだ間に合うかも』ですって?」
「っ!」
「あいつだけならまだ、聖女に戻れるかも? 戻れるわけないでしょう。ワタクシはとっくに大罪人ですのよ」
それはいつの日か、勇者が自分に吐露した本音。聞いていたのか。
「それに、戻る気など一切ありませんわ。フェオといっしょにあなたを引き止めたあの日から。あの時この状況を覚悟していなかったのは、未だに追手一人殺せない甘ちゃんのあなただけでしてよ」
「っ……! てめ――」
「そんなあなたが好きなの」
とたんにキョトン。抜ける毒気、晒す間抜け面。
ここ最近泣いてばかりいた聖女が、久しぶりに心からの笑顔を見せる。
「バカみたい。やっぱりお似合いね、ワタクシたち」
そして彼女は人形の胸元に添えていた手を首の後ろへと回し、バカへ含めるように抱き寄せた。
少し屈むも、あの時と同じ。
「わがままばかり言ってごめんなさい、フェオ」
柔らかさは違えど、あの魔王城の火の海で、勇者に抱き寄せられた時と同じ。
「もう困らせないから。ワタクシのできること、ちゃんとするから。だからお願い」
ここはもう、人の尊さの内に在った。
「どうか、あの人を守って」
彼女の背中に手を回し、横から「あっ!」と聞こえたが無視してささやく。
――守るよ、必ず。
「……ありがとう」
そして彼女が少し身を離すと、今度は「あーっ!」という叫び声が聞こえ、同時に頬へと口付けが。
「愛してますわ、フェオ。早く迎えに来てね? そしてまた、三人で暮らしましょう」
勇者の封印とはつまり、世界への影響を断ち切ることを意味する。
魔物の活発化は抑えられ、魔王種が誕生することもない。それを聖女が知らせれば人間に襲われることもなくなるだろう。もちろん封印が成功するかどうか、また静観してくれるかどうかは別の話だが。
――ゴシゴシッ。
そして封印の地で待つ勇者の元へ、自分が後から聖女を連れていく。そこでずっと平和に暮らそう。それが、三人で描いた未来予想図。
――ゴシゴシゴシッ。
ただ人形は、少しだけ二人にウソをついていた。
三人で暮らすことはもうない。
――ゴシゴシゴシゴシッ!
「……何してますの、あなた」
そのことが心苦しく、人形は聖女の言葉にすぐ頷けなかったわけだが、そもそも彼女が口付けた頬を勇者の袖でゴシゴシされていたので動けなかった。
「は? きれいなお顔を磨いて差し上げてるだけですが何か文句でも?」
「フェオは文句しかなさそうですけど」
「こぉんなにピカピカにしてあげてるのにぃ? そぉんなわけないよねぇ、フェオきゅん?」
「目が怖いですわよ、トール。フェオも抵抗していいんですのよ?」
そうしたくても無理だった。ただでさえ勇者への攻撃をこらえている状態なのに、自発的に手を出そうものなら歯止めが利かなくなるやも。
「そぉろそろ感触は消えたかなぁ、フェオきゅん?」
とにかく今は耐えるしかない。人形がそんな覚悟を決めたところで、頬を潰すそのゴシゴシ地獄に助け舟が。
「まったくもう……えいっ」
「イデッ! 首ゴキッて――――っ!?」
言葉が続かなかったのは首が折れたからでなく、彼の口がふさがれたから。彼女の口で。
解放されて助かったが、今日は一段と長い。しばらくご無沙汰だったからだろうか。人形がそんなことを考えながら冷静に見つめていると、不意打ちされた勇者が先に降参宣言。
「――――プハッ! い、いきなり何すんのスルーズさん!?」
「フェオにいちいち嫉妬するのやめてくださる? おかげでおやすみのキスもできやしませんわ」
「日本にそんな風習ありませんっ! 郷に入っては郷に従えとも言いますが俺はこの異世界でもいつだって我が道を行くで――――っ!?」
二回目は特に助け舟というわけでもなかった。
「――――プハッ! 今のはなんで!?」
「うるさい口だなと思いまして」
「『俺の口でふさいでやるよ』的な!? やだイケメン、じゃなくて――――っ!?」
三回目。もう彼女がしたいだけらしい。
しかし旅立つ前に、二人きりのこういう時間が必要だろう。何せ説得期間中はずっとケンカ気味だったから。
それに自分も、最後に調整しておきたい。
「――――プハッ! い、いい加減にしてくださいまし! フェオの教育に悪いですわ!」
「あなたそれいつものワタクシ……あら、フェオ?」
「お、おい、どこ行くんだよ」
聖女はともかく、実は勇者も引き止める気がないことをバッチリ察し、自称空気の読める人形は「ごゆっくり」という意味も込めて言った。
涙目で草。
「バリエーション増やしてんじゃねえぞバッキャロォ――――ッ!」
少なくとも、言葉の選択はまだまだらしい。
二人の元から離れて周囲を偵察した人形は、差し迫った危険がないことを確認してすぐに森の中心へと向かった。
そこに生える一際大きな木へ、指で文字を描き唱える。
――母樹。
満ちる気配は森の慈愛。母なる木から広がる気脈が活気づき、地面の至るところからもやがあふれ出す。葉擦れのささやきは子守り歌に。
そんな森で、人形は己を律することをやめた。
――ズクン。
頭痛を合図に始める自傷行為。頭突き。
額を何度打ちつけられようと、母なる木が静かにそれを受け止める。血を流す人形がどんな想いで、どれほどこんな愚かなことを繰り返してきたか、すべて知っているかのように。
額が割れてふらつくと、手が勝手に動いた。
――ボウッ!
明かり灯る長杖。松明。握りし火の剣。今度は足が、勝手に勇者の元へ。
躊躇なく切り落とす。
――ブシャッ!
うつ伏せに倒れ込むも、這いずり進もうとする左手を即座に斬り捨てる。鮮血とともに転がる灰銀。痛い、熱い。視界がかすみ、揺れる。
歯を食い縛って耐え、火の剣を手放しては高熱の刃に叩きつけ、再び剣を握れば残る片足へと突き刺す。何度も何度も、何度も。
――グチュッ、グチャッ……!
連なる穴に足が断裂。右手も焼き切れ、ようやく消える火の剣の明かり。終わる狂気の沙汰。
そして灰銀の四肢を自らもいだ糸繰り人形は、唯一まだ糸のつながる頭に声が響くたびカタカタ揺れるも、やがて動かなくなって眠りについた。
血の海に抱かれ、叶わぬ未来を夢見ながら。
目を覚ましたのは肉体が回復したからではない。
思考の声がしたからだった。
「付き合いきれないわね、槍の歪みっぷりには」
仰向けの胴体につながる首、優しい木漏れ日。両手両足の切断面には土から飛び出た木の根がわらわら。森の精気による治療だ。
「よくここまで自己防衛本能に逆らえたもんよ。優先度が低いとはいえ、三原則であることは間違いないでしょうに」
最初、どこにいるのかわからなかった。四肢はもげたままで、首だけをなんとか動かす。
すぐに見つけた。すぐそばの頭上で。
「もう『神の槍』も名ばかり。折れ曲がった槍なんか、ただの鉄くず」
後ろ姿。いつも胸を張って美しく立つカラスが丸みを帯び、血を吸った地面に力なくペタリ。人形が目覚めたことに気付いていない様子。
「……もう、人形なんかじゃない。人形だなんて呼ばない」
だからそれは、聞いてはいけない泣き言だったのかもしれない。
「だからもう、こんな真似やめなさいよ……」
しかし聞かなかったことにできず、人形は淡々と言葉だけ並べた。
これからは勇者と二人きりだからあまり時間が取れない。旅立つ前に一度、支配力を大きく削いでおきたかった。
「……なんだ、起きてたの?」
わかりきっていたであろう事情にはなんら反論せず、かといって盗み聞きの事実に文句も告げず。
カラスがどこか疲れた声で尋ねる。
「あの女、納得したみたいね。あんたは? 気が変わったりしてない?」
返す沈黙。変わることなどない。
「未来を望んだっていいじゃない、もうおふざけにも耐えられる。あんたが勇者に危害を加える日なんてきっと来ないわ」
曲げぬ意志は言葉に。だけど、絶対じゃない。
「……そうね。じゃあ、そんな頑固者に朗報よ。黙ってたけど」
カラスが細い足で地面に突き立ち、毛繕いで気のないふり。
「勇者の封印は五分五分だけど、あんたを『希望』と同じ地に封印するのは簡単だって。隠者いわく」
そして人間たちの関係に当てはめれば姉だろうかと最近ふと思うこともあるカラスは、振り返らぬまま飛び立った。
「良かったわね、あの二人を泣かせられて」
降り注ぐ木漏れ日と皮肉。舞い落ちる、黒い一枚羽根。くっついた右手でそれを掴む。
人形は静かに目を閉じ、ごめん、と小さくつぶやいた。




