第25話 獣の忠義、女の仁義
テスに凶行のあらましを聞き、ボーは疲労困憊な様子の彼女を置いて現場へと急行した。
「――――ハァッ、ハァッ……!」
しかし噴水広場にもう人影はなく、赤い血が鬱蒼とした木々の奥へと続いている。誰の血だ。まさか。
(奥方様、姫様っ……!)
実際、血痕の大半はリアが聖騎士に負わせた手傷によるもの。ボーはその事実を聞き及んでおり、むしろ少女に加えられた危害こそ知る由もなく、主筋にあたる二名の血だと青ざめるのは賢明な彼らしくなかった。
だが、もはや獣に理などなく。
――ザッザッザ――――ッ!
血の跡をたどり、木漏れ日の中を駆け抜ける獣にはかつて、友がいた。騎士団で隊長を務めていた当時の部下だ。
(! 血痕が消え……司祭の治癒、女神の力か!)
使徒であることと騎士であることの板挟みに悩んでいた頃、とある任務で失敗。油断もあったし気もそぞろだったのだろう、隊長としてあってはならない判断ミスを犯した。
(だが、足跡はたどれる! 逃がさんっ!)
その代償を命で払ったのが隊長である自身でなく、右腕である副隊長。騎士の鑑とまで称された友。
彼を失い、捨てた剣に誓った。
(――――っ! 近い!)
たとえ使徒として生きようと、この忠義だけは貫く。友の代わりに。友の分まで。盲目に、従順に。
この命、あるいは主君の剣に貫かれる日が来ようとも、喜んで捧げん。
(……見つけた!)
これぞまさに、獣の忠義。
「奥方様っ! 姫さ、ま……」
そして、獣は見た。
桃髪の女に付き従う、外套をまとった五人の男。そのうちの二人にそれぞれ担がれる母娘を。
「チッ、もう追手がついたか。やはりあの下女、逃がすべきではなかったな」
「しかしフリスト様、あの者まったく武装しておりません」
両者とも意識がないのか。くの字で担がれる亜麻色の長い髪は地面へ向かって垂れ下がり、それこそ金色の毛先は背が高い分、より地面に近くなっている。
「というか、ただの使用人では?」
「……いや、あの肌の色に赤い瞳」
だが問題は、その根元。
すでに乾いているようにも見えるが。
「貴様まさか、砂漠の――」
赤黒い血で、汚れ――
――スッ。
「――は?」
威嚇は要らない。音もなく、身近な敵の懐へ。怒りを拳固に。
剣を捨てた『赤眼猟剣』はただの赤眼黒犬。だが決して、野犬ではない。
――ゴッ!
その獣は、松明とともに在る夜の猟犬。
「ガッ――――!?」
足裏を浮かせるほどのあご下打ち。背後に倒れ込む敵の顔面へ、流れるような足さばきからの打ち下ろす右。フェオによく似た拳闘術。
無論、拳のみにあらず。
「きさ――」
――パンッ。
「――まっ?」
肩にレニを担ぐ敵の膝裏へ、鞭の如くしなる下段蹴り。鎧で防げぬ関節部位。ただしダメージはなく、膝を折るだけ。
自然と下がる頭部。
――バキャッ!
意識ごと、首から上を刈る上段蹴り。被っていたフードを吹き飛ばすも、足は振り抜かずに引き戻す。
宙へ放り出されたレニを受け止めるも、軽い。
「た、体術!?」
「なんだ今のキレは、見たことないぞ……!」
あまりにも軽く、悪夢に苦しむ顔。
「やはり砂漠の民か。主人の真似事をするという話は本当のようだな、悪魔の狗め」
よくも、よくも。
「……私を、狗と呼ぶか」
沸き起こる激情。義憤と憎悪、獣性。
「ならば、狗らしく」
目につくは、仰向けに倒れる敵。潰れた顔面。
動く喉の隆起。
「貴様らの喉笛、噛みちぎってくれよう……!」
右足を上げる。喉を踏み潰し、首の骨を折り、殺す。そのつもりだった。
しかし刹那、取り戻し始めた戦場の勘が危険を告げ、ボーはそれに従い足を踏み外した。
――ポテンッ。
(? これは……)
ドングリだ。殺気が込められた、殺傷力皆無の投石ならぬ投ドングリ。あのまま足を下ろしたら当たっていたであろうドングリが、地面で跳ねてころころ。
敵の意図ではないらしい。
「ええい二人から離れろ!」
「フリスト様、どうか再び女神の奇跡を!」
「あまり時間は食いたくないが……まあ良い、油断するなよ。巫女持ちのお前は下がっていろ」
『はっ!』
二つの剣が木漏れ日を反射。しかし同時にもうひとつ、別角度から不自然にチカチカ。おそらくドングリが投げられたのと同じ方角。
(合図? 味方か?)
ならばなぜ邪魔を。
しかし今は、確かめている暇などない。
「チェイッ!」
振り下ろされた一閃を後ろに跳んで。縦の剣閃を横へ、横振りの剣をしゃがんで。激しい回避行動に両手で抱えたレニの髪が振り乱される。
左からの突撃をかわして背後を取るも、もう一方の味方が牽制。蹴りを強制キャンセル。拳ならば届いたか、と悔やみながら間合いを取ってひと呼吸。
しかし、相手の呼吸は二つ。
「せやぁ!」
突撃した騎士が転じて、味方の脇から横払い。なんとかよけるも、流れた亜麻色の毛先が切れ味の犠牲に。厳しい。
いくら軽いとはいえ、さすがにレニを抱えた状態で聖騎士二人の相手は無茶だ。
(だが、ここで退くわけには……!)
血で汚された金色を目端で追い、切り散らされた亜麻色を押さえつけて強く抱え直すと。
「――――ゴホッ!」
「! 奥方さ、くっ……!」
覚醒の確認も取れず、間断なき連携。さらなる回避行動に移れば、激しい揺れに再びせき込み。吐血。よく見れば口の端にも血の跡。
そのうえ、意識も混迷。
「どう、して……? スルーズ、さ、ま……」
佳人薄命。これ以上の継戦はまずい。
「許し、て……リア……グランさ、ま……」
この方を、ここで死なせるわけにはいかない。
(撤退すべきか……!)
ならば、あの少女を見捨てるのか。使徒としての使命は。
獣の迷いが、足を鈍らせた。
「もらった!」
襲いかかる白刃。遅れる反応。緊急回避はレニに負担が。さらに遅れて減った選択肢から選んだのは、背中で受ける覚悟。
せめて、この方だけは。
(申し訳ありません、姫様……!)
身じろぎもせぬ決意を固め、身を顧みぬ失意に満たされ、すぐ。
――ポコポコポコポコポコーッ!
「グアッ!? な、なんだ、ドングリ?」
背中に熱。傷は、浅い。剣を逸らしてくれたのか。
おかげで、動ける。
「! おのれ、逃がすか!」
「待て、もう一匹いるぞ! 深追いするな! 今は二人の治癒を優先――――」
敵の声から遠ざかり、木々の間を手負いで駆ける。手元に揺れが伝わらぬよう細心の注意を払いながらたどり着いた場所は、つかず離れずの地点。敵が視認可能な木の幹に隠れる。
その根元へレニを慎重に置くと、騒がしくなる葉擦れの音。
――ザワッ、ザザザッ。
おそらく樹上を移動しているのだろう。
やがて舞い落ちる若葉とともに、真上からガサッと逆さでドングリの射手が現れた。
栗色ボブが真下へ。きれいな三角耳が逆三角形に。
「おいコラどないしてくれんねんウチの非常食、三日分も投げてもうたやんけ。むやみやたら突っ込んでんちゃうぞボケ」
枝へと身軽に足を掛け、生い茂る緑から器用に顔だけ出した逆さ吊りのセシルへ、言うべきことはほかにあったのだが。
「……食べるのですか? ドングリを?」
「ウチは生でもイケるけど下ごしらえすれば普通にって今気になるのそこなん!?」
「いや、すみません、少し目まいが……」
ふらつく頭を抱えて幹に張りつき、思ったより赤い自らが描いた血路を視線でたどる。その先で、剣を抜いたまま警戒する二人。一番奥にはリアを担ぐ男。
「セシル殿、なぜここに?」
その中間、倒れた聖騎士二名に近寄る桃髪の司祭。
「猫耳族の聴覚とウチのトラウマ舐めんな。あいつ声デカすぎんねん、ほんま」
「駆けつけてくださったのですね。良い友をお持ちになられました、姫様は」
「別に友達とちゃうわ」
ここからでもわかるほど大きな金銀妖瞳をどこか気だるげに、そして無造作に戦闘不能の二人へと手をかざすフリスト。
「とにかく助かりました。セシル殿がいなければ今頃……しかし、なぜ邪魔を?」
「? 邪魔?」
「一人、殺し損ねた」
「それこそ謝礼金もんや、聖騎士殺しは一番ヤバいんやぞ? 普通の異端認定より目の色変えんねからあいつら。今は頭数減らせただけ良しと――」
「減りませんよ、あれでは」
「――あん?」
怪訝な声で会話は止まり、遠くからたった一言。
――ひーる。
ただそれだけで、周囲を満たす光。塗り潰される木漏れ日。
たちどころ、癒される騎士。
「……えっぐぅ」
クルッと樹上から飛び降りたセシルが、何事もなく立ち上がった元負傷者二名に遠目で唸る。
「ギルドにおる神官のひーるも知っとるけど、あんなんちゃうぞ。ちょこっと擦り傷治してくれるか、腕利きでも折れた骨つなげられるかどうかで……なんやあれ、潰れた顔面もピッカピカやんけ」
「一般の助祭クラスと耳長族の司祭クラスでは祈りの届き具合が違うのでしょう」
ボーはややセシルが聞き入れやすいようにごまかした。
正確には祈りでなく、単なる声量。「ひーると言ったら対象が回復する」というこの世界に必要らしい概念を女神が無意識的に成立させ、その声を一番聞き取りやすいのが自らの創作物というだけ。
「マジかー……目ん玉とか潰れたら?」
「欠損部位も修復可能です」
「死んでもうたら?」
「いくつか条件付きで蘇生可能だそうです。だからまぁ、セシル殿に邪魔をされずとも結果は変わらなかったかもしれませんね」
「おやつ代わりとただの水分補給な姐さんの回復魔術がゴミみたいに思える奇跡やな」
毒づいて感心するセシルの言葉に、ボーは一瞬だけ眉をひそめた。ゴミは――『種』と『麦酒』のルーン魔術のことだろうが――ともかく、あれを奇跡と呼ぶのには抵抗がある。
(だが実際、そうだから仕方ないか)
苦笑しながらも頭を切り替え、血だらけとなった己のチュニックを脱ぐ。
「しっかしなんやあの爆乳、姐さんすら目やないで。髪ドピンクやし、何を食うたらああなんねん。しかもまだ緑だの青だの目ぇチカチカするようなやつらが控え……っておい、応急処置ぐらいウチがしたるぞ」
「ほかに頼みがあります、セシル殿」
裸となった上半身へ、破ったチュニックを斜めに巻きつける。背中の傷に沿って圧迫するも布地がにじむ感触。
止まらぬ痛み、出血。
「どうか、奥方様を安全な場所へ」
「意識ない病人運べてか? 猫耳族のプリチーサイズが目に入らへんのかい、と言いたいとこやけど……たぶん、そのお袋さんの車椅子見かけたわ。乗せて押すぐらいやったらまぁ」
「それは良かった。ならば、お願いします」
幹から顔だけ出すと、敵が体勢を整えて逃げ出すところだった。
逃がさない。
「別にええけど、ジブンどないすんねん」
これ以上、血を失う前に。
「姫様をお助けします」
この命尽きるまでに。
「アホか。背中のそれ、致命傷やない言うても動いたらあかんやつやで? お袋さん助けられただけマシと思わな。扱い雑やけど、あいつは巫女なんやからすぐ殺されることも……おい、聞けて!」
セシルの制止を無視したボーだったが、木の影から出たところですぐに膝をついた。
ギリ、と歯ぎしり。
「ほれ見てみ、血ぃ失いすぎや。黙っておとなしゅう……お、おい」
拳を地面に。反動で立ち上がった体を木で支え、拳の底を打ちつける。また反動。フラフラと次の木へ。クソ、しっかりしろ。動け。
今動かねば、なんのために生きながらえてきた。
「せめて、お館様か……神の槍がいらっしゃるまで、時間を……!」
「――――……ハァ、神の槍? なんや知らんけど、蟹のミソのがうまそやな。ってなんでやねん」
――スコンッ。
「えっ」
雑な一人漫才からの膝裏。下段蹴りではないが小気味良く、膝がカクン。ボーは四つん這いとなって地面に伏せた。
そして近くなった土の上、ポイッと投げ捨てられた二つのドングリがころころ。
「『種』と『麦酒』のルーン、姐さん印のスペシャルドングリや。お袋さんぐらいは運べるようなるやろ。生ではちょっと、なんて文句は聞かへんぞコラ」
「? ありがたいですが、奥方様はセシル殿に――」
「せやからウチがあっち行く言うとんねん」
あっち。つまり、リアの救出。
驚いて振り返ると、セシルがさわめく枝葉を見上げながらため息をついた。
「これだけは、使いたなかった……そもそもほんま効くんか? ジジババどもは『演技力次第や』言うとったけど……」
もう一度大きく、深い深いため息。
次いで、ポツリ。
「『女の仁義』か……」
友ではないと言い張る少女の声に駆けつけた、意外と情に厚いらしい猫耳族の女性が「やれやれ」と首を振る。優雅に動く猫耳。
そして、呆れるように。
「滅多なこと言うもんやないなぁ」
しかしどこか楽しげに、彼女はそう言った。




