第24話 シンギュラリティ・ジェネレイト
木陰から現れた人物を見て、リアは驚いた。
「――――テス?」
黒髪を白いカバーキャップで覆う年嵩の侍女。先日、会議室で失神してしまった侍女長の乳母だ。
「姫様……なぜ、ここに?」
「テスこそ。カラスを敬うのは理解できないって、噴水には近寄りたがらなかったのに。あ、もしかしてさっきの大声、聞こえちゃった?」
照れながらも委縮。また淑女らしからぬうんぬんと怒られるかも。でもあれぐらいじゃないと聞こえなかっただろうし、聞こえたかもわかんないし。そもそもムーくんがいきなり飛んで逃げちゃったせいだし。
などと益体もない言い訳を頭の中で並べていると、気付く。
「テス、どうしたの?」
顔が真っ青。気絶してから起きるのはドナより早く、身体も大丈夫そうだったが、翌日になって調子が悪くなったのだろうか。
リアは噴水の真ん中で羽を畳むカラスの彫像に背を向け、声をかけながら近寄った。
「無理しないほうがいいよ、今日ぐらい休ムグッ!?」
「お静かに」
するといきなり、手で口をふさがれる。
もちろん困惑した。
「あっ……」
しかしそれ以上に当の本人が困惑した様子だったので、首を傾げるしかない。
「テス、何かあったの?」
手をはがして声を潜めるも、どこか苦しげに。
「違うのです、私はただ……お館様は、今、登城されていて……」
「朝のお勤めでしょ? 知ってるけど」
「今朝はそれに、ゲンドゥル様も付き添われ……ドナ様は、姫様のいる屋敷だと思い、ナハベル卿にしか頼れず……」
「? えっと、ボーのところに行こうとしてたの? それならたぶんドナもいると思うよ、まだ何か話してればだけど。私もさっきまでいっしょにいたから」
そこまで言うといきなり、両腕を掴まれた。
「すぐにお戻りください!」
「ええ!? な、なんで?」
顔の歪みは気まずさゆえ。どんな顔して戻れと。
テスが首を振る。
「私は、まだ信じておりません。おりませんが、もう……私では、判断できません……」
「判断? それに、信じるって――」
「リアッ!」
突然の第三者にビクリ。しかし声に聞き覚えありと視線をやれば、取り囲む木々からひょっこり。テスがやって来たのと同じ方角。
「え、お母様?」
ヘレーネ・クルス。通称レニ。亜麻色の長い髪をした自分そっくりな淑女が、病弱な身で息を切らしながら駆けてきた。
「な、なんで外にってわわっ!?」
胸に飛び込んできたのでとっさに受け止めるが、軽い。たぶんいつもより。松明持ちの騎士を目にして以来ずっと寝込み、食事も喉を通らなかったせいだろう。
そんなレニが、唐突に泣き出す。
「大丈夫よ、リア。大丈夫。たとえあなたに悪魔が憑こうと、お母さんが絶対守ってあげるからね」
自分より小さな母の背中に手を回しながら、リアは猛烈な罪悪感に襲われた。
父と同じ。母もきっと、長く生きられぬかもしれない娘の身をただひたすらに案じていただろう。跡継ぎの道具として扱われたことなど一度もない。
なのに、自分は。
――跡継ぎのための道具になんて、生まれたくなかった!
どうしてあんなことを。
それに、フェオのこと。
「お母様、私……」
悪魔憑き。こうなるとわかっていた。だけど自分は、黙っていた。それが母に対するひどい裏切りだったのだとようやく悟った。
ましてや、その悪魔を好きになったなんて。
「……ごめんなさい。私のせいで、余計な気苦労を」
「いいのよ、リア。私のかわいい娘。あなたは何も悪くないわ」
涙ながらにこちらの頬へ両手を添えるレニを見下ろし、リアはふとセシルの言葉を思い出した。
――世界を敵に回す覚悟あるんか?
ない。というより、ピンとこない。
だけど、少なくとも。
「聞いてくださいお母様、私……」
この母をこんなに泣かせてまで貫く恋じゃない。
それに、どうせ。
「……私、もう、フェオのことは――」
あの人は、王子様になってはくれないのだから。
そんな自嘲交じりの笑みで告げようとした、その瞬間。
「ヘレーネ様?」
――ドクンッ。
再三の乱入者。しかし今度の声は、聞き覚えなし。
なのにどうしたことだろう。
「ヘレーネ様、どちらに?」
「ああ、こちらです! こちらです司祭様!」
「まあ、お加減もすっかり良くなられたようね」
その上品そうな女性の声を聞くたび、喉が渇いて張り付く。
息を吞むも動悸は激しく。手が震え、目を離せなくなる。
「お、お待ちくださいレニ様……!」
「テスも案内ご苦労様。こんなところまでご足労いただきながらリアがいなかったらって、私もヒヤヒヤしちゃったわ」
深い木々の奥から近付いてくる、その恐怖に。
そしてリアはついに対峙することとなった。
「まあ。こんなところ、に……」
姿を現した、自らの過去と。
「……あら? 司祭様?」
こちらを凝視する、横に尖った長い耳の女性。
完璧に整う顔立ちの中で異常に大きく、異彩を放つ金銀妖瞳。清らかな白い祭服で包むその身はスラリと細く、なのに不自然なほど形崩れせぬ乳房はあまりに大きく。神聖なのに煽情的で、背徳的。そのあり得ない桃色の長い地毛と同じく生物として受け入れ難い、完全にして破滅的な存在。
「? 司祭様、娘が何か――」
「レニ様、こちらへ……!」
「え、え? テス?」
言うなればそれは、人間性なき神による理想の無作為抽出生成。
「もう、あなたどうしちゃったの? さっきから司祭様に失礼……あら? リアまでそんな顔して。ほら、ご挨拶なさい」
肩を揺すられ振り向けば、疑うことを知らぬ無垢な笑顔。
「先ほど、突然いらっしゃってくださったのよ。きっとスルーズ様が遣わしてくださったんだわ、私の祈りを聞き届けて」
腕を絡ませるレニになんと言えば良いかわからず、リアは生唾を呑み込みながら視線を戻した。桃髪の女性はこちらを見て固まったまま。
しかし、フード付きの外套をまとった護衛らしき五人がぞろぞろと背後に現れたところで、女性の口元が一瞬だけ笑みの形に裂けた。
――見つけた……。
聞こえたわけじゃない。
「ほら、リアったら! ご挨拶!」
「かまいませんよヘレーネ様。初めて耳長族を目にした方は時折、似たような反応をされますから」
「まあ。それはきっと、司祭様があまりにもお美しいからですわ」
――見つけた、見つけた、見つけたっ……!
「あっ。ですが先ほども申し上げましたとおり、司祭様と会われるのは娘も二度目で……」
「ああ、そうでしたね。十年前でしたか? いやまさか、これほどあなたにそっくりな美しい娘さんを忘れてしまうとは。私も長く生きすぎたようです」
――ミィツケタァァァ……!
でも、間違いない。
自分をさらった人。
「では、改めて。私の名前はフリスト。トール教の司祭を務めております。娘さんの名前は、確か――」
誘拐犯だ。フリストがこちらへ一歩踏み出したので、リアは思わず後ずさってしまった。
それがいけなかった。
「? リア、何して……どうしたの、顔が真っ青よ!?」
「姫様、お気を確かに……!」
自分の左右で慌てふためく二人より、注意を払うべきは前方。
フリストがまたもや固まる。
「まさか、知って……?」
こぼれる驚愕を手で留め、隠す口元。
けれど、押さえられぬ声量。
「悪魔憑き……またぞろ勘違いかと思ったが、本物? だとすれば十年前も……そうだ、この目にしておいて忘れるはずがない……」
現状を忘れて過去を巡り終えると、フリストはその身を震わせ、口元の手を握り拳に変えた。
「――――やってくれたな、松明持ちの騎士……!」
その豹変するさまに、絶句するレニとテス。
リアはとっさに二人の手を取って逃げ出した。
「聖騎士隊!」
だが、あっという間に先回り。フードを被った五人組に囲まれる。外套の下は確かに聖騎士の鎧で、腰の片手剣は柄頭に馬首、鍔に羽が生えたもの。天馬の剣だ。
リアはギョッとした。
「な、なんで帯剣……!?」
敷地内なのに。守衛はいったい何を。
しかし、責任の所在は傍らに。
「申し訳ありません姫様、申し訳ありません……!」
耳元で謝罪を繰り返すテスに、リアは察した。たぶん許したのは母だ。
フリストが笑いを堪えながら言う。
「愚かな母親を持つと苦労しますね」
寄せ合った身から激しい動揺が伝わるも、目の前で起こっている現実に理解が追いつかないのだろう。レニは軽くうめいただけ。
そんな母を引き寄せる。
「取り消しなさい、今の言葉!」
「おや、意外と気の強い」
聖騎士たちの間を割って入る、目に毒々しい桃色。
「厄介なクルス家の血もしっかりと引き継がれているようだ」
今となっては皮肉なセリフ。
何も言えずにいると、フリストが手を差し出す。
「さて、事情はおわかりのようで。いっしょに来ていただけますか、新たなる巫女殿?」
「……こ、こんなことをして、タダで済むと――――っ!?」
「性急すぎるのは認めましょう」
「! 姫さ、あっ!?」
腕を掴まれ、二人の母から強引に引きはがされる。抗おうとしたテスは聖騎士に取り押さえられた。
「イ、タッ……!」
「あなたのことは予定外でしたが、もはや最優先事項。いずれにせよ剣聖が帰ってくる前に事を済ませたいのです」
(! この人、お父様が不在の隙を狙って!)
そして、もう一方の母は。
「ましてや、悪魔が現れる可能性まであるなら――」
――ガブッ。
「――っ!?」
「お、お母様!?」
レニが噛みつくも、あごの力が弱かったのか然したる効果はなく。腕は掴まれたまま。
それでも、信仰に勝りし母性は負けず。
「離して、離して、離してっ!」
「ぐっ、この……!」
「私の子よ、私の子なのっ!」
半狂乱状態のレニが爪でひっかき、相手の胸を叩いては再びひっかく。これほど取り乱す母を目にするのは初めて。
もちろん指をくわえてただ見ているはずもなく、弱まった力からなんとか脱け出せたものの。
「この子は私と、あの人の――」
「うるさいっ!」
「! お母様!」
「レニ様っ!」
同時に、小さくて軽い母は大きく突き飛ばされてしまった。
駆け寄ろうとするテスに、取り囲む聖騎士が抜剣。
「やめてっ!」
そして地に伏せ、激しくせき込む病弱な母にまで。
「お願い、言うとおりにするから! 二人を傷つけないで!」
「……ふむ」
悲鳴に近い懇願を、冷淡に品定め。
冷徹な判断。
「いいでしょう、いっしょに連れて行ってあげます」
「え?」
「一人ではさみしいでしょう? それに、そのほうがおとなしくしてくれそうですし」
「っ……! あ、お母様に触らないで!」
さらには、冷酷無慈悲。
レニを運ぼうとする聖騎士から強引に彼女を奪ったリアは、フリストがテスのほうへ向けて言い放ったセリフに耳を疑った。
「そっちは要らない」
助け起こした母のせき込む音が、急に遠く。振り返る。テスは観念するように目をつむっていた。
やや戸惑いを見せる聖騎士二人へ、冷血女が肩をすくめる。
「人質なら一人で良い、殺せ。どうせこの家はもう異端認定だ」
まさか、そんな。我が意を得たりと胸に手を当て、一人がテスを座らせる。もう一人が剣を掲げ、彼女はうなだれ無抵抗。こんなあっさり。
「お許しください、姫様……」
テスが、死んじゃう――
――ザッ!
身体が動いた。武器は、探す暇などなかった。無我夢中。剣を掲げる騎士の背後を右手で握っていたもので突く。
カラスの羽根ペンだった。
「グゥッ……!?」
外套を突き破り、首の根元へと突き立つ黒い一枚羽根。ムニンからの贈り物。
刺された箇所を抑えて騎士が膝をつくと、テスのそばにいたもう一人の騎士が剣をこちらへ。
「おのれ小娘! よくも――」
「殺すなっ!」
フリストの一喝に止まる動き。好機。羽根ペンを背後から無理やり引き抜き、吹き出す血も悲鳴も無視してすぐさま投げつける。
狙ったわけでも、狙いがあったわけでもない。
「がああああっ!?」
しかしその不思議なカラスからの贈り物は、不可思議な軌道を描いて騎士の片目へと突き刺さった。すごいムーくんありがとう。
興奮冷めやらぬまま、テスを立たせて突き飛ばす。
「今よテス、逃げて!」
「お、お二人を置いては……!」
「いいからさっさと――」
時間が惜しい。リアはあらん限りの大声で叫んだ。
――逃げなさいっ!
ビリビリと震える大気。木々の慄き。父譲りの覇気を伴い下したその命に、テスが一目散で従って背中を見せる。誰もそれを追いかける素振りはなく。
見届けられたのは、そこまでだった。
――ガスッ!
剣の柄頭で後頭部を打ちつけられた少女は、助けに来ない青年の必殺技「リアル首トン」のすごさを改めて実感する間もなく、激しい痛みとともに気を失った。




