第21話 七秒を超えて
そしてカラスの羽根ペンを抱えながら、リアは改めてムニンに告げたが。
「フフッ。大事にするね、このプレゼント。それにお返しもしなきゃ! ムーくんにもらったの、これ入れると二個目――――あ」
思わず呆然。右手の人差し指にすっかり馴染んでいたこれの感触が消えたからだ。
手のひらに転がるのは、赤いルビーの指輪。
「やっと外れたけど……なんか、あっさりだったね」
消失した呪いに肩透かし感。ムニンに軽く同意を求めると、湿り気を飛ばして羽がバタバタ。瞳キラキラ。
まさか、とは思うが。
「お返し、この指輪が良かったりして」
「クァッ!」
「ウソでしょ?」
是っぽい。いやこれ、あなたがくれたんですけど。しかも盗品。
そのせいで提灯騎士に追われた罪は半分ことしても。
「危ないからダーメ」
「クァッ!?」
「だって元でも呪いの品だよ? 指輪が欲しいなら別のあげるから」
というか、光り物ならなんでも良さそう。リアは着脱可能となった指輪を無意識に右の人差し指へと戻しながらそう思った。
なぜなら、先ほどムニンが顔から潜ったあの場所には――
「――そうだ、さっき思い出したんだけど」
ルビーの輝きを伴って指差すのは、丸い噴水の反対側。水底の端っこ。
「この羽根ペン、今あそこから取ってきたよね?」
昔からよく、光り物が沈んでいた場所。
全身をブルルっと震わせ、フワフワな毛並みと丸みを取り戻したムニンが短い首を傾げる。
「クァー?」
だから何、みたいな。
幼い頃、カラスの噴水なのにカラスが居ないことについて不満を言うと、父が教えてくれた。宝石から硬貨、ビンの破片まで、たくさんの光り物が集められた密かな水中博物館の存在を。きっとカラスが集めているんだ、と付け加えて。
そしてこの銀で装飾された羽根ペンは、おそらく新たな収集物。贈り主は小刻みに首を傾げるムニン。
つまり、もしかして。
「あそこのあれ、全部ムーくんが集めたの?」
「! クァッ!」
意味が理解できたのか、長年正体不明だった水中博物館の館長は何やら誇らしげ。
たまたま昔からいた、という線はないだろう。やはりドナの言うとおり、番の巫女である自分を監視していたのか。
「どうりですぐに懐いてくれたわけだね。それにムーくん、仕事サボってよく水浴びしてるみたいなこと言われてたけど、もしかしてここのこと?」
「……クァ?」
「あ、長かったか。ごめん、なんでもないよ」
謝罪して取り消すも、すぐに新たな疑問が。十年も監視して、噴水にも頻繁に来ていて、一度も見かけないなんてことあり得るのだろうか。
その答えは、あまり考えなくてもわかった。
「ムーくん、ずっと私から隠れてた?」
「……クァ」
元気はないが伝わったらしい。コクンと頷く。理由は謎だが不本意で、実はおしゃべりしたかったのかも。
都合の良い解釈だが、そうだとうれしい。
「これからはいっぱいおしゃべりしようね。なんなら私の部屋でお茶する?」
「! クァッ、クァッ!」
ピョンピョン反復横跳び。うれしそう。
だからリアもさらにうれしくなり、意図せず教えてしまった。
「でも良かった。監視は続けても、もう隠れなくていいみたいで」
「クァッ……クァ?」
「あれ、伝わんなかった? えーっと……今、ここ」
少女は知らない。
実を言うと現在、この状況は。
「ムーくん、私と会ってる」
思考の名を冠するメスのカラス激おこ案件だった。
「だからフェオが許してくれれば、私がムーくんを飼ったって……あれ? ムーくん、また水浴びした?」
濡羽色なれど脂汗。ツヤツヤならぬダラダラ。
少女はこれまた知らない。カラスの視線が羽を畳んで一休みするカラスの彫像に固定され、ブレブレの瞳がこう語っていたことを。
バレたらとんでもないことに。
「クッ……」
「く?」
なのでムニンは、飛んでずらかった。
「クァ――――ッ!」
「ええっ!? ちょ、ちょっとムーくん急にどこ……ねえってばぁ――――っ!」
略して飛んずらするカラスが取り囲む高い木々を越え、青空の彼方へと消えていく。
呼び止める間もなかったリアは慌てて、とにかく次の約束を取り付けた。
「お返しぃ――――っ! ちゃんと用意しとくからねぇ――――っ!」
贈られた美しいカラスの羽根ペンを全力で振る少女は、やはり知らない。
その大声を聞きつけ、不吉がやってきたことに。
※
眠気に勝る面白おかしな年下男は魔女様の餌食。
「――――つまりまとめると、あのいかにも高飛車なカラスが黒幕だったってわけね。黒いだけに」
リアがいなくなってからしばらく経った墓守小屋で、ドナはあくびをかみ殺しながら言った。相変わらずベッドに肘をついて寝そべったまま。
ゆったりチュニックで椅子に座るボーが、狭い部屋の端で腕組み。
「そんなことは言っておりませんし、何も上手くありませんよ」
柔和な笑みは捨て去り、浅黒い肌の横顔はポーカーフェイス。そして天井とにらめっこ対決。後ろでまとめたドレッドヘアーもずっと椅子の背に掛かり、そろそろ首を痛めそう。
なんて心配はおくびにも出さず、むしろ加虐心。
「視線は向けずも苦言忘れず、と。真面目むっつりキャラも大変さね」
「……何か仰いましたか?」
「聞こえてるくせに」
そもそもの話。背中を向けて座ればいいだけ。
「その言葉、そっくりお返し致します。御使い様をわざと悪しざまに言うのはおやめください」
「だって本当にそう聞こえたから。その御使い様がクルス家にあんたを派遣して、騎士を辞めてからも墓守として残るよう命じたんだろ?」
「半分は私の希望です。それに、万が一の保険程度にしか思われておりませんよ。神の槍に至っては私の存在にすら気付いておりません」
「え、そうなの?」
「いちおう髪型が目印にはなっております。使徒としての。なんでも一族で最初に神の槍の血肉を喰らった人物と同じらしく、見れば『事情通の下僕』ぐらいの認識はしていただけるかと」
神のおみ足に触れる殉教者――推しに認知されてる熱狂的ファン――みたいになったボーは、今だけでなく事情を説明している間中ずっと横を向いていた。背を向けて話すのはさすがに失礼だと思っているのだろう。真面目な男。
「『事情通の下僕』か……その下僕一族の仕事が、記憶消去の手伝いとはねぇ」
「記憶を消したほうが良いと思われる人物の特定と保護です。繰り返しになりますが、わざと人聞きの悪い言い方をするのはおやめください」
「わかったわかった。あたしみたいな被害者を出さないためってんでしょ?」
そして今のように、ぐっ、と言葉に詰まってもこちらへ目端すらやらない断固たる意志は、それ自体がむっつりスケベの証。
ただ原因は、自分がベッドの一人分をずっと空けているからだろう。
「そんであたしが女神に見つかっちまったのは、御使い様が記憶の消去を止めたせいだと。ほら、あたしにとっちゃ黒幕さね」
まな板の上の魔女が、据え膳食わぬは男の恥じゃろ的な挑発ポーズで言う。だって面白くて。
「言っておきますが、狂気に対する血清を私が持ち歩いていたのは御使い様のご命令あってのこと。おかげで被害は最小限に――」
「あー怖かったー、狂気に感染したらあんなふうになるんだー。どうしよーあたしもう夜一人じゃ眠れなーい」
「――軽んじたのは失言でしたが、私に添い寝でもしろと……?」
「添い寝で我慢できる?」
「がまっ……そういうことを言っているのではありません」
ひび割れるポーカーフェイス。
まさか、これほどからかい甲斐のある素顔を隠していたとは。
「だってあんた申し訳なさそうじゃん、あたしをこんなカラダにしちまったことに。だから責任取ってもらおうかなって、カラダで」
「……ほかの責任の取り方を、ご提示いただけないでしょうか」
しかしちとイジメすぎたか。何やら苦悩する様子の年下男がかわいそうになり、ドナは半笑いでため息をついた。
「冗談だよ。むしろ救われてんだからお礼しようとね」
「そんなお礼は要りません」
「どんなお礼想像した?」
「魔女殿」
「はいはい、悪かった」
のそりと身を起こし、ベッドの端に腰掛ける。
「そろそろ私も真面目に話すからこっち向きなよ、むっつり真面目ドレッド」
「その呼び方はっ――――やめていただければ……」
そして断固反対の勢いで振り返ったタイミングと、ハイヒールを履こうと屈んだタイミングが重なったゆえ、尻すぼみの再考願いに。胸の谷間から目を逸らすむっつり真面目ドレッド。
それとなく察したドナは足を組み、頬杖を突いた。
「昨夜は全然だったのに、なんで朝スケベに?」
「何を言われても仕方ないことは重々承知しておりますがもしそれが真面目な話題だとしたらさすがに怒ります」
「オッケー、やっぱナシで」
めっちゃ早口だったことも指摘しないでおこう。
「じゃあまず、確認なんだけど……」
椅子ごと向き合うボーに、渡した三角帽子を返すよう指で無言の要求。すぐに机から取り上げ、投げてよこさず大股で手渡し。
被って頭を切り替える。
「記憶を消したほうがいいってのは、つまり例の……女神に目をつけられやすいからだとして、それはやっぱりトール教に疑いを持つ人間ってことなのかい?」
「いいえ、そういうわけではありません」
ボーは椅子に座り直し、表情を引き締めた。
「信徒であっても被害の例はあります。正直に申しますと、明確な判断基準はないのです」
「だったらどう特定してんのさ」
「最終的な判断は御使い様が。我らはただ、噂などを頼りに調査を。主に有名な学者や魔術師。そして、まぁ、発明家といいますか……」
歯切れの悪さとともに揺れる視線。はて。
ドナは手を振って相手の目を引き、すぐに後悔した。
「ギルドの魔力測定器みたいなのを作ったやつらだろ? トール教が囲ってる人材の一端、で……」
「いえ。彼らはどこにも属さず、むしろ魔法とは関係ないものを作ろうとするのです」
魅惑的な赤い瞳。まるで魅了魔法。
「……関係ない?」
「はい。魔力ではない別のエネルギーを模索したり、魔術を使わずに空を飛ぼうとしたり」
まっすぐ見つめられて思い起こすは、柔和な笑み。
重ねられた手の温もり。
「御使い様はそういったものを作る方々が一番危険と考えておられるようで。実際、トール教が異端認定するのも在野の研究者が多く――」
――あなたの愛はきっと、正しいものです。
あの瞬間だわ、とドナは気付いた。話に聞き入るふりで唸り、あごに手を当てて考える人のポーズ。
情けないが今は誰に会っても女神の目がチラつく。例外はリアと、弱ったところへ優しい言葉をかけてきたこの男。未知なる狂気に対する唯一の安全地帯。
それだけのつもりだったが、かわいい年下に見えて仕方ないのはどうやら別の理由らしい。
(しかも眠いとはいえ、ベッドに寝転んで甘えてたな……)
自省すると、人を「なんで朝スケベに?」などとは笑えず。なんてチョロいんだ年甲斐もなく。
それに、あの子が苦しんでいるのに――
「――魔女殿? 聞いておられますか?」
「聞いてる聞いてる。つまりフェオが言ってた、トール教の隠された教義ってやつ的にアウトなんだろ?」
「はい。文明の発展を許さず、ナロウケイと呼ぶ世界の存続のため、女神だけでなくトール教自身もその目を光らせ――」
「そこはどうでもいいよ。問題はリアのことだ」
リアが恋に苦しんでいる時に、自分が色ボケしていいはずがない。
「あの子はあたしと同じで、女神の精神的支配下にない。それもたぶん記憶を消されてた時からだ。信心の有無さえ関係ないとすれば、いつ狂気に感染させられてもおかしくないんじゃないの?」
七秒。それ以上は見つめないと決めた赤い瞳から逃れて立ち上がり、ドナは窓のカーテンを開けた。殺風景な部屋へと差し込む光。
ボーが粛々と告げる。
「私がここに派遣されたのも、本来はその危険性を考慮されたゆえ。だからこそ保証しますが、その心配はありません」
「根拠は?」
「……姫様が、特別だからとしか」
「またそれかい。番の巫女で納得できるとでも?」
思わずあくび。ぶり返す眠気。
「呪いの件にしたって、フェオのやつもそれだけで済ませ――」
「呪いではなく補正です」
「――は?」
しかし擦ろうとした目を見開いて、赤い瞳とかち合う。
「あんた、何を知って……」
「私も詳しくは。ただ御使い様はそう仰り、そしてこう指示しました。あなたを助けよ、と。だからお伝え致します」
定めた限界。七秒。それは、とっくに過ぎて。
「姫様は、番の巫女ではありません」
だけど見つめ合って落ちた先は、少なくともまだ恋じゃなかった。




