第20話 カラスの羽根ペン
大人たちが若干イチャつき始めた頃、悩める少女の全力疾走は終わりを迎えた。
「あっ――」
明るい朝の散歩道。雑木林の中、低いロープ柵で整備された墓地参道。
そこで、リアは派手に転んだ。豪快に顔面から滑り込む。
「――ブフゥッ!?」
ロングスカートなのがいけなかったのかもしれない。あるいは長袖のブラウスでなく、運動着代わりの袖なしならば受け身を取れた可能性も。
そんな誤差のタラレバをいくら思い浮かべようと、土の味が変わることはなかった。
「……うぐっ」
ジャリジャリな口の中。頭はグチャグチャ。
ドナ、怒ってた。ひどいこと言っちゃった。ボーなんて大嫌い。騎士にはなれない。知ってた、でも知らなかった。昔、説明された気も。腹筋が割れない程度にしか思ってなかった。
「ふっ、うっ……!」
女中の陰口。器量の良さがせめてもの救い、いずれは勇者に好まれる。跡継ぎが姫様に似なきゃいい。でもその前に亡くなったりして。あの女中たちは正しかった。見かけなくなったけど、どこへ。みんな、同じように思ってたのかな。
フェオは。
「……バカみたい、私」
――リアの、王子様になってくれる?
王子様には、なってくれないんだ。
「ほんと、バッカみたい……!」
土といっしょに愚痴を吐き、近い地面に涙をこぼす。顔は上げられなかった。体も、起こす気力が湧かない。道の真ん中でバタリ。
すると、前方から小さな気配。
――テッテッテッ。
既視感。同じ場所、同じ時間帯。
先日もこんな状況で、顔を上げるとそこには。
「……ムー、くん?」
「クァー?」
黒くて丸い球体。どうしたの、と傾げる短い首。額に傷のあるオスのカラス、ムニンだ。
いろんな疑問がわき起こった。なんでまたここに。縄張りなのか。フェオといっしょに消えたんじゃ。
フェオはどこ、なんて。
「――――てない……」
「? クァ?」
そんなことよりバレたくない。お前の涙は要らないと告げてきたフェオに、また泣いてるって。それが何よりも悔しい。
だからリアは這いつくばったまま、涙ながらに否定した。
「わだぢ、泣いでないがら……!」
濁点多めで。説得力はもちろん皆無。ムニンもドン引き。
というよりどこか、焦っているような。こっちを見てはキョロキョロし、またこっちを見ては「クァッ!?」とひと鳴き。そしてまたキョロキョロ。
(……心配、してくれてるのかな)
潤む視界の中でバタつくその黒い光に少し癒されるも。
「クァッ!」
「あっ、ムーくん……」
テテテーッ、と慌てて逃げられてしまい、心がより荒む。見放された、ムニンにも。ドナとボーも今頃きっと呆れているはず。
はかどる被害妄想に込み上げる涙が、驚きで引っ込む。
「クァ――――ッ!」
「わっ!? な、何?」
大きな鳴き声に再び顔を上げると、急いで戻ってきたカラスがその場で羽をバサバサバサッ。なのに飛び立ちはしない。
「……もしかして、ついてこいって言ってる?」
「クァッ、クァッ!」
急かすようにピョンピョン。
リアは戸惑いながらも立ち上がり、言われていないが言うとおりにした。土を払って歩き出す。そんな自分を見て、カラスも歩き出す。満足げに尾羽をフリフリする後ろ姿は翻訳が正しかった証か。
それにしても、いったいどこへ行くのだろう。
(この前ついてった時は、フェオのいるお墓だったけど……)
まさかまた、フェオの元へ。心臓が跳ねる。どれほど彼に会いたかったことか。でも今は、ちょっと、会いたくないかも。
複雑な気持ちに顔をしかめていると、前を行く丸いカラスが羽をバササッ。
「え。ちょっ、ムーくん?」
短距離飛行。まっすぐ続くロープの境界線を飛び越えたムニンが着地し、すぐさま振り返って。
「クァックァッ!」
こっちこっち、だろうか。
(でも、いいのかな? いや、自分ちの敷地内だからいいんだろうけど……)
スカートを持ち上げてロープをまたぎ、鬱蒼とした林の中を不思議なカラスに連れられ、少女はおっかなびっくり歩いていった。
いざたどり着くと拍子抜け。フェオは居ないし、不思議の国でもない。しかし童心に帰る場所。
「ここって……」
高い木々に取り囲まれた小さな広場の中央で、場違いな大理石の噴水がデンッ。ほかには何もなく、往来のための整備もされていない。人目につかぬ隠れ家的な水場。
カラスの噴水広場だ。
「懐かしー! 昔よく、お父様といっしょに来てたの!」
小走りで駆け出し、丸い水盤の縁をベンチ代わりに腰掛ける。真ん中には羽を畳んでひと休みするカラスの彫像。その下の台座から流れ落ちる水音。すべてあの頃のままだ。
指先だけを、底の浅い澄んだ泉へチャプン。
「何年ぶりだろう、ボーがまだ墓守じゃなかったから五年以上前かなー。お母様に怒られたのが最後だ」
「クァ?」
隣にピョンと飛び乗り、ムニンが短い首を傾げる。
リアは戯れるように水面を揺らした。
「えっとね、一回だけ一人で来たの。そしたら帰り道わかんなくなっちゃって、自分ちで迷子に……エヘヘ。で、でもほらここ、暗くなると絵本にある迷いの森みたいでしょ? なんか無駄に広いし、道らしい道どこにもないしさっ」
自らの失敗談に恥ずかしくなり、言い訳しながら手でパシャパシャ。その荒ぶる水面にクワッと反応し、つぶらな瞳でなぜか夢中になるムニン。どうやら独り言になってしまったようだ。
(って、最初から独り言かこれ)
短い言葉なら理解していそうだが、いずれにせよ相手は鳥類。小さく自嘲気味のため息。
だがリアは、それでも独り言を続けた。
「その時は、お父様が迎えに来てくれたけど、お母様には泣かれちゃって。それ以来ここに来るの禁止されたの。好きだったんだけどなー、お父様の手伝いとカラスのお話」
動物による癒しの一環というわけではない。
ただ、何も考えたくなかっただけ。
「あ。ていうのもね、この噴水はお祖父様が作って、管理はお父様が引き継いでるの。風習、みたいなもの? お祖父様の家系は昔から不思議とカラスに助けられてきて、どこに住んでもその恩を忘れないようカラスの水浴び場を作り、そこで先祖が救われた逸話を子や孫に伝えるんだって。ウソっぽい話が多いんだけどね」
口を動かしている間は、余計なことを考えずに済む気がしたから。
「でも、お祖父様は実際に助けられたらしいの。だからこんな噴水を作るほど信じ込んじゃったんだけど、おかげでお父様は管理が大変みたい。本当は機械技師に任せたいってぼやいてた、フフッ。そうすればいいのにね。きっとお父様もカラスのお話が好きなんだよ、私と同じくらい」
それが今と関係ない事柄であれば、なおさら口は滑らかに。
「中でも私が好きなのは、やっぱり空を旅する話かな。崖から落ちたところを大きなカラスに救われて、そのまま背中に乗ってどこまでも、遠く……」
しかし、回る舌が停止。心当たりに目はガン開き。それも、つい先日。
ゆっくりと水面から指先を上げ、崖から落ちた自分を大きな背中に乗せて助けてくれた、巨大化できるらしいカラスへと目を向ける。
「? クァ?」
つぶらな瞳で首傾げ。え、まさか。
「……いやいやいや、ないないない」
「クァー?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
その可能性の否定にたいした根拠はなかったが、話に出てくるカラスはどれも賢くてカッコいい。水面の波紋が消えゆくことに「クァッ!?」と驚き、なぜかしょんぼりするアホかわいいカラスとはイメージがかけ離れている。それに、カワイイは正義。
「ムーくんはカワイイ系だもんねー。いっしょに水遊びする?」
「クァッ!」
ニッコニコで残念な結論に達したリアは――思考の名を冠するメスのカラスの存在にまで思い至らぬまま――水たまりを見下ろした。
静かに揺らぐ境界面で、違える水底までの距離感。ふと、移ろう焦点。様変わりする表情。
映し出される、まことしやかな顔。
「クァ?」
遊ばないの、とくちばしがツンツン。
しかし少女の意識はすでに、水鏡の向こう。
「……大きくなったらまた、連れてきてくれるって」
成長して、母にますます似てきた己自身に目を奪われていた。
「その時は点検の仕方も教えるから、いつか私に継いでほしいって、お父様が。私は……ただ、うれしくて。いつか騎士団長も継ぐよって……」
それは、独り言であり対話。
告解室のようなしめやかさ。
「そしたら、いいんだって……『元気でいてくれたらそれでいい』って、抱きしめられて」
腰掛ける大理石の縁から無意識に身を乗り出し、ハラリと左右から落ちた髪の毛先があわや水面へ。
片側にまとめて流し、そっと押さえつける。
「……お父様の声、震えてたな」
無理だと決めつけられて悔しかった思い出。だけどあれは、父の切なる願いだったのだ。
リアはやや身を起こし、風に揺れてぼやける水面の虚像に告げた。
「良かったんだよ、全部」
奇跡なんて言われても、ピンとこないけど。
「頑張ったから身体は丈夫になったんだし。それにきっと、バカにしてたんじゃなくて言えなかっただけだよ。目標を失ってたら私、こんなに鍛えて健康になってなかったもん。実はみんなハラハラしてたんじゃない?」
思い当たる節はあった。そういえば自分が疲労で倒れると、すぐに誰かしらが飛んできてくれた。見守ってくれていたのだろう。
「ドナもたぶん、今それを教えてくれたってことは、ここが限界なんだよ。うすうす感じてたでしょ? 体力はついたけど、いつまで経っても重いもの持てないし、いくら頑張ってもルナみたいに腹筋割れないしさ」
水の上でユラユラ揺れる自分と笑い合う。
しかし風がやみ、きれいに映った笑顔に陰り。
「……ままごとはもう、終わりだね」
何か言いたげなその表情から少女は目を逸らした。
「でも、それでも――」
だから最後のは、本当に、独り言。
「――私なりに、真剣だったんだけどなぁ……」
泣くのを堪えて俯いたので、リアは気がつかなかった。「遊ぶ? 遊ばない?」とうかがうように反復横跳びしていたカラスがその瞬間、ハッと立ち止まったことに。何かを思い出した様子。
そして間を置かず、水場へバッシャーン。
「ヒャッ!? も、もうムーくん!」
水しぶきが顔にかかって思わず叱りつけるも、ムニンは我関せず。
バシャバシャと泉を横断し、顔からザブンッ。さらに全身をバシャシャシャッ。激しく水を飛ばす貴重な一場面にちょっぴり感動。カラスの噴水と銘打っているものの、カラスの水浴びを目撃したのは初めてだったからだ。
(カラスの行水ってほんとなんだー)
ピョンと丸い水盤の縁へ上がり、テッテッテーと回り込んで戻ってくるムニンに妙な感銘を受けながらまじまじと観察。水にぬれていつもよりスリム。それにいつの間にか、黒い一枚羽根をくわえている。
そうだ、水に顔を突っ込んだあの場所は――
――ズイッ!
「わわっ!? え、何?」
思考をさえぎるように突き出されたくちばしから羽根が落ち、サッと手のひらで受け止める。意外と重い。よく見ればそれは、カラスの羽根ペンだった。
もらす感嘆のため息。
「きれい……」
ぬれそぼった羽弁は不思議とひと振りで乾き、滴伝う長いペン軸は美しい銀の輝き。プレゼントならすっごく素敵。
「これ、私に?」
ドキドキしながら尋ねると、ムニンが「クァッ」と頷く。
「うれしいっ! ムーくん大好き!」
凝った銀の意匠と角度で色が変わる濡羽の光沢をためつすがめつ眺める。思わず夢中に。ムニンは隣で毛繕い。
その姿を見て、ふと冷静に。
「このためにここへ?」
ピタ、と毛繕いが中断。
見上げるつぶらな瞳。
「私が泣いてたから、慰めようとして?」
そして優しいカラスは、翼を広げて答えた。
「クァッ!」
正確にはわからない。だけど、そうであってほしい。
贈り物なんてなくても。
「……ありがとう、ムーくん」
その気持ちだけで、胸がいっぱいだから。




