第18話 墓守はつらいよ①
その講義は朝一番に始まった。
「――――じゃあまず、この世界は何で出来てると思う?」
「世界ですか? えっと、陸地と海?」
しかし問題は、時間でなく場所だろう。ボー・ナハベルは密かに頭を悩ませながら部屋の隅に立ち、自身が暮らす墓守小屋の室内を眺めた。
「そう、陸地と海。つまり土と水。そこに火と風を加えた四つの元素で世界は構成されている」
「あ、元素……」
たいした家具も装飾もない、木目ばかりな殺風景を華美に彩る花二つ。気高き紫のバラと純粋無垢な白百合。
講師役のドナと、生徒役のリアだ。
「ただしこれは精霊の力を借りる魔法使いの考えであって、ルーンを扱う魔術師の考えはちょいと違う。あたしらにとって世界は言葉で出来ている」
「? 言葉で?」
肌に張り付く深紫のドレスを着たドナが足を組み替えると、深いスリットから太ももがこぼれる。目にしてよぎるは一場面。
二人きりの密室で、ソファーの背から艶めかしく現れた生足。
「そもそも『世界』って単語がなければ、あたしらの住む世界はないも同然ってこと。自然という概念ではなく人間の集合的無意識に着目した、より観念的な世界というものの捉え方かな」
ボーは内心でため息をついた。昨夜の記憶も刺激が強いが、今は腰掛けているのが自分のベッドという点でより目に毒。決して煩悩を捨てた覚者などではないのでもう少し手加減してほしい。胸元なども。
「……ごめんなさい、私にはちょっと難しいです」
そして、帽子の下で波打つ豊かな黒髪まで魅力的な魔女と対面し、これまた美しい金糸の束を背中へ流して椅子に座る少女。
「こないだの話の続きさね。フェオも言ってた、トランプの裏表ってやつ」
「この世界は全部ウソって話?」
「そこまで極端じゃないけど、まあ似たようなもんか。でも、あたしらにとって世界は現実だろ? それを定義付けるために言葉が必要なのさ。あれは『雲』で、あれは『空』という人間の無意識下での共通理解が……いや、やめとこう。あんたが知りたいのはそこじゃないもんね」
無理解を恥じたリアがうなだれるも、背筋はピンッ。フリル付きの白いブラウスをしわなく伸ばし、両手はロングスカートの上でピシッ。うかがえる育ちの良さ。さらに今朝はジョギングを中止して髪を下ろし、また普段よりしおらしい分、名実ともに深窓の令嬢風。
だからなおさら、気が気ではなかった。このような場所でその高貴な身が汚れやしないかと。
「とにかく、魔術師にとって世界は言葉で構成されていて、それはルーンひとつとってもそうなんだ。例えば火のルーンはバラすと『エルド』って単語だったり」
「バラす?」
「ほら、ここ。これが火のルーンなんだけど、一文字に見えて実は『エルド』って四文字が重なってんの」
「うーん、そうは見えませんけど」
「あたしらの文字に似てるから、順番に見れば意外と読めるもんだよ。これが最初で、次にここからこうで、これ」
「あ、本当だ。読めました」
そのうえ、煙管に刻まれたルーンの観察に膝を突き合わせるほど熱が入る二人へ、茶のひとつも出せない。来客を想定していないからだ。先日のレニとテスの来訪の折にも似た状況に陥ったのだが、その反省を早急に生かすべきだったかもしれない。
「ほかにも、森のルーンなら『ヴィズ』で、夜のルーンなら『ノート』って単語が刻まれてる。そんでこの単語を作る文字ひとつひとつが、元素文字」
「え? それって……」
「そう。ルーン文字そのものを言い換えただけ」
しかも狭い。肩をすくめる講師と口を開ける生徒の学習空間だけで、部屋の三分の一を占領中。両手に花とは喜べず。
つまり、ボーが何を言いたいのかというと。
「つまり、ただのあたしらの文字と同じってこと」
授業ならよそでやってくれないだろうか、ということだった。
「ただの……。で、でもそれなら、ドナも元素文字を使えるんじゃ……」
「使えるっていうか使ってるね、魔術師みんな。基礎っつーか音だし。でも使えない。そういう発想自体ないし、目の当たりにしても再現できない。理解できない」
「どういう意味ですか?」
だが、ボーは理解していた。彼女たちが訪ねてきた理由を。
松明持ちの騎士に関すること。
「逆に聞くけどあんた、文字単体で意味わかる? ルーン文字でもそうじゃなくても」
「意味と言われても、由来ならあるんでしょうけど。私にはそういう文字というか、発音としか……」
「なら『リリアーナ・クルス』って並べたら?」
「? 私の名前、です?」
「はい、そーゆーこと」
だからこそ、深くうなずくこの魔女を、小首を傾げるこの少女を、追い返すことはできなかった。
「この世界が言葉で出来てるとして、その最小単位は単語なの。文字じゃない。由来を知ってたって同じさ」
なぜなら『神の槍』と『フェオが精霊』という情報は、自分が与えたからだ。意図的に。
「目に見えるものを単語で。この一瞬を一文で、犯した過ちを文章で。そして幸せな結末を物語で、人は理解する。元素文字だけで魔術を行使するとはつまり、それらをたった一文字で理解するに等しい。人間の理解の範疇を超えてる」
「! 人間の……」
「正直、最初に気付くべきだった」
答える義務があるだろう。
それこそが、御使いの意志に沿うこととなる。
「魔法使いは四つの元素より、もっと小さな粒のようなもので世界は構成されているとも考えた。精霊はそれに干渉できると。その推測を魔術師の視点に当てはめたら、まさにフェオがやってることだ。世界を構成する言葉の、単語よりもさらに極小単位である文字そのものを理解し、操ってる」
「……じゃあ本当に、フェオは精霊ってこと?」
「よく考えればね。そこまで頭回んなかったわ、松明持ちの騎士って正体の衝撃さで。魔術自体はいまいちだから興味も薄れちゃってたし」
しかしボーは、自身の気持ちが揺らいでいることを自覚し、目をつむった。
「いまいち? すごい魔術じゃないんですか?」
「汎用性は圧倒的。一文字だから術式がシンプルで、ほぼ無詠唱。使える触媒は自由なうえに燃費も最高、魔術としてほぼ完璧」
「? だったら――」
「だけど決め手に欠けるから、体術で補完してる印象。そもそも元素文字を極めたって、上位世界の扉どころか穴掘って地の底目指すようなもん……いや、結局そこは方向が逆なのか。この世界の根源から、地上へと顕現した精霊だったってわけだね」
およそ千年前、世界を破滅に導いた『希望』。それを現在も封印し続けている『砂漠の隠者』は、先祖にして同胞。
ボーの一族の使命は本来、見張り番だった。
「でも、そんな簡単に結論付けていいんでしょうか……だって精霊って、幽霊みたいなものですよね? フェオの身体ちゃんと触れますよ」
「そこだよ問題は。あたしらは見誤ってたんだ、フェオに魔力がない理由を」
「? 確か、ギルドの受付さんは体質的な問題だって」
封印を施す座を禁足地として、砂漠のオアシスの町で見張る。それが同胞の英雄たる隠者より託された使命。
「あるいは後天的なもんかと思ってた。魔力の上限を下げて肉体の限界値を伸ばすという、魔法生物学的資質における負の相関を利用した修行法。グランたちもやってるやつだ」
「あ。ライアンも言ってましたね、それ」
「けど違った、たぶん。あれは最初から魔力が一切ない肉体……人形なんだ」
「え……人形?」
「それか、兵器か」
その使命を果たせずに、全滅するところだった。『信仰』の狂気によって。
もしも神の槍が自らの血肉を、先祖たちに分け与えてくださらなければ。
「そんな、精霊だとか人形だとか……ましてや兵器だなんて……」
「魔力の起因たる魂。それが空っぽで死体じゃないとするなら、人形としか言いようがない。あとはクルス家の家宝といっしょ」
「家宝って、ご先祖様が鍛えた剣? 陽炎稲妻とか」
「あんたそういや、こないだもグランの白い愛剣をそんなふうに……まあ今はいいか。とにかくそう、七双宝剣。精霊を宿す究極の触媒武装励器。存在の定義としてはそれと同じなんだ。ただし剣ではなく人形……いや、槍?」
以来、八百年。使命を全うするかたわら神の槍の使徒としても身を捧げることに、一族の誰も疑問は抱かなかった。自身も同じく。
しかし今、ボーは初めて不信を抱いていた。
「いわば、様々な武装と機能を鋼の肉体に備えた自動人形へ、ゼンマイ仕掛け代わりに精霊の知能を動力として吹き込んだ存在。人型の触媒武装励器。超常的な存在が創り出した兵器……神の槍。フェオの正体はつまりそんなとこかい? ねぇ、ボー」
久しぶりに話を振られて目を開ける。
赤い瞳に映るは、たった二つの言葉から正解を導き出した聡明な魔女。恐ろしい狂気に触れながらも一人で立ち直った強い女性。
思考を司る精霊が、こちら側へ巻き込むと決めた被害者。
「……? ちょいと、なんとか言ったらどうだい。あんたがリアに入れ知恵したんだろ、精霊だの神の槍だのって。せめて正解かどうかぐらいだね――」
おそらく、狙いのひとつは彼女だった。こちらを責め立てるドナを見つめながら、ボーは深慮遠謀たるメスのカラスの姿を脳裏に描いた。
(御使い様の思惑など、私ごときに計り知れるものではないが……)
神の槍に記憶を消させなかったのも、彼の口から中途半端な情報を与えさせたのも、すべては風織りの魔女を真実へとたどり着かせるため。
その結果、彼女は自身の心の内と周囲の世界に、生涯怯え続けることとなった。
(……魔女殿なら乗り越えられると、よくご存知だったのだろう)
だとしても、あまりにもむごい。ボーは思わず目を逸らした。
その仕草にカチンときたらしいドナがいきり立つも。
「なんだいあんた、的外れだっての? こっちは寝る間も惜しんで推察したんだ。なんならフェオが悪魔と呼ばれる由縁だって一から調べて――」
「いい加減にしてくださいっ!」
二人の間に座っていたリアが、両者の視線を奪うように叫んだ。
倒れる椅子に舞うほこり。立ち上がる少女。
「悪魔でも、精霊でも兵器でも、人形でもありません! フェオはフェオです!」
震える、小さな背中。
「だってフェオは、フェオはっ……!」
そしてボーはいよいよ思った。
「……人でなければ愛せませぬか?」
「っ!」
思考が最も気にかける少女。
守られるだけの、英雄にはなれぬ姫君。
「彼のことを知りたい。そう望んだのは姫様自身のはず」
この無力な役柄の少女に、いったい何が背負えるというのか。
「同じ形でも、同じ人間でなければ、その恋心は保てませぬか? その程度ですか?」
「コ、コラあんた……!」
黙り込んでいたドナが気まずそうに口を挟むも、絶句して見開いた青い瞳をまっすぐ見据える。
「何も恥じることはありません姫様。猫耳族の……セシル殿の言うとおり、生半可な気持ちならばここでやめておきなさい。あの方はそんなもの望んでおりません」
「……な、なんでそんなこと、ボーに言われ――」
「ここでお悩みをご相談されたのは私の意見も交えたかったからだと存じますが?」
ぐっ、と言葉に詰まり、潤む瞳。芽生える罪悪感。
それでも、厳しいムチは緩めず。
「ましてや己の芯の無さを、そんな他者への依存で埋めようなどと。相手にも迷惑です。たとえ跡目を継げぬ身とはいえ、クルス家の名に泥を塗りますぞ」
「わっ……私、は……」
「あんた言い過ぎ! 落ち着きなリア、ね? ほら、ここ座って」
リアをかばって立ち上がったドナが、先ほどまで自ら腰掛けていたベッドへと誘導する。ちょこんと座り、肩を震わせ俯く少女。
膝をついて視線を下げ、その両手を取るアメ役の魔女。
「リア、あんたは何も悪くないよ。恋なんて勝手に落ちちまうもんで、誰に否定されるもんでもないさ。ただ相手がちょっと特殊だっただけで……」
しかしアメをうまく与えられぬまま、苦々しげに言う。
「……あたしも無責任に、煽っちまったとこあるよね」
頭を垂れる花々。差し込む朝日が空々しく、ボーは黙って窓のカーテンを閉めた。薄暗い空間。のしかかる静寂。
「……フェオのことは置いといても、さ」
しかしその密やかさが、小さな真実をこぼした。
「あんたは絶対、騎士にはなれないよ」
「え?」
「セシルの言葉を全部が全部、肯定するわけじゃないけど……」
リアが顔を上げて驚き、ドナが痛々しく首を振る。
「努力の問題じゃない。生まれつき、決まってたんだ」




