第17話 空っぽなお姫様
誰かを好きになるとは。人を愛するとは。
「一度ぐらい抱いてくれても、バチは当たらなかったんじゃない?」
リアはその答えのひとつを、祖父らしき肖像画の前でたたずむドナの背中に見た気がした。
「……フフッ。奥さんにはぶった斬られただろうけどね、あんただけ」
立ち聞きに罪悪感。
ドナの拒絶に、寝起きで騒がしかったのだと自責の念に駆られ、寝付けなくなったリアはネグリジェのまま彼女の部屋へと改めて謝罪に向かった。しかしそこはもぬけの殻で、残るは三角帽子だけ。それを手に屋敷内を捜索。
そして現在地の、扉が吹き飛んだ会議室入口へ。
(お祖父様のこと、本当に好きだったんだ)
月とスライムがどうの辺りからいるのだがこちらに気付かず、声もかけられない雰囲気。聞かれたくない内容だったとも思う。
それに、耳が痛い。
(ドナに比べて、私は……)
無意識に頭が下がり、足も一歩後ろへ。
しかし入口は、広間と同じく未だ荒れ放題だった。
――カッ、カコンッ……。
蹴とばす鎧人形の手。残響。
「誰だい?」
しまった、と慌てて壁に身を隠すも、高い踵の反響。近付いてくる。見つかったら、盗み聞きしたことがバレるかも。逃げなきゃ。
その判断に至るまでが遅かった。
(あ、逃げてるとこ見られる!?)
曲がり角まではもはや遠く、廊下の燭台は等間隔にずらり。そして、足音はもう隣。万事休す。
そんなリアが最後に取った手段は。
「……何してんの、リア」
壁に張り付き、持っていた帽子で顔を隠すという苦し紛れだった。しかもキョドるアホ毛を隠せず、秒で身バレ。呆れる魔女。
取り上げられる三角帽子。
「あっ!」
「持ってきてくれたんだろ? わざわざどーも」
いつもの定位置へ。
先の折れたとんがり部分が満足げに揺れるも、被った主人はいぶかしげ。
「で、どっから聞いてた?」
リアはブンブン首を振った。
「聞いてません! ドナとゲンさん、お祖父様とお祖母様が四人で旅してたとか、ゲンさんがお祖母様を好きだったりお祖父様を嫌いだったりとか、ドナがずっと横恋慕でお祖父様は恐妻家だったのかなとか、何も聞いてませんっ!」
「……まとめてくれてどーも」
「え。あれ?」
小首を傾げるポンコツ娘。その両肩がガシリと捕まるも、オシオキはされずにグルリと回れ右。
「わわっ、ドナ?」
「薄着で夜うろつくんじゃないよ若い娘が。ほら、とっとと部屋帰んな」
「それはいいんですけど、なんでっ、そんなっ、隠れっ……!」
背中を押されながら振り返るも、右からのぞけば左を、左からのぞば右を、右と見せかけ左からのぞくもフェイントを読んで下を向くドナ。ちっとも目を合わせてくれない。
「勘弁しとくれよ、フラれたババアの強がりを見られちまったんだ。どんな顔しろってんだい」
「強がりなんかじゃないです! むしろお祖父様がひどいと思います、ドナ以外の女性と結婚するなんて!」
「いやあんたのばあちゃんだから、それ。あんたそのおかげで生まれてっから」
それはそうだが納得できず。その理由は、亡き祖父の生まれ故郷に現在は居を構える祖母にあった。
ポツリとこぼす。
「私、お祖母様苦手です……」
「あん? あっ、コラ、何止まって……!」
赤い絨毯へと足を突っ張り、後続者へとのしかかる。抱きかかえられる格好に。
「たまに帰ってきても、お母様に冷たいし、私にだって……。お父様にもすごく厳しいし。いくら二人の結婚に納得してないからって……」
預けた背中に、柔らかい胸の感触。支えてくれる温もり。
安心できる、甘い匂い。
「あの人より、ドナがお祖母様だったら――」
「誰がおばあちゃんじゃい」
「あうっ……!?」
しゃんと立たされ、後頭部に軽くチョップ。
「あと、そういうこと口にするもんじゃないさね。確かにあの子は、二人の結婚に最後まで反対してたよ」
あの子。祖母を指す、珍しい三人称。
隠しきれぬ親愛の情。
「けど納得してないわけじゃなくて、今さら引っ込みつかないのさ」
あるいは、自分に向けてくれるものよりも大きな。
「……不器用なだけで、レニとあんたを本気で嫌ってるわけじゃないんだよ?」
理解に満ちた優しい声に、嫉妬交じりで振り返る。
しかし、語調が落ちる。
「それにあの子は、クルス家の歴史を一身に背負わされて……それでもこの家のことを、誰より……」
話が中断。離れた手が三角帽子へ。
「? ドナ?」
「……あの子の苦しみを、一番理解してやれたのはあたしだった」
目を逸らし、広いつばを目深に。
「なのにあたしは、あの子を、本当は……」
「ド、ドナ、大丈夫ですか?」
一時的な病のようなもの。会議室を荒らしたドナについて、ボーはひとまずそう説明してくれた。そして回復はしたが、精神的な後遺症に苦しむ可能性があるとも。
リアはそのことを思い出し、ドナへと手を差し伸べたのだが。
「……いや、大丈夫。大丈夫だよ」
彼女はその手を握り、そっと突き返した。
ひさしを上へ。
「たとえ、まやかしじゃなくても――」
眼差しは遠くへ。
「――あたしの真実は、あたしが守るさ」
弱ろうとも、独り立つ気高き魔女。
少女は強く思った。
「……それ、フェオも」
「ん?」
こんな女性になりたい、と。
「フェオも言ってました。『お前の真実は、お前が守れ』って」
「へぇ、気が合うね。案外あいつも、あんたよりあたしに惚れて――」
「どうすればいいですか?」
「え? どうすればって……」
だけど、耳が痛い。
わからなくなったからだ。
「いや、ごめんごめん。今日あんたには情けないとこばっか見られてるから、つい茶化したくて。さっき起きた時も、看病してくれてただろうにあんな態度――」
「私は守れないんです、真実を」
「……あんた話聞いてる?」
「だって私に、真実はないから」
本当に、フェオが好きなのかどうか。
「セシルにも言われました。ままごとって」
「セシル? ままごと?」
そして怖い。
「そういえば会議の時、あんた最初おかしかったね。セシルもアドバイスしたとかなんとか。もしかして、何かひどいこと――」
「ドナはどうしてお祖父様を好きになったんですか?」
「――は?」
もし初恋がウソなら。これさえままごとなら。
「どうやったらそんなふうに、人を好きになれますか? 相手のことをよく知ってるからですか? じゃあ教えてください、フェオのこと」
「ちょ、ちょっと落ち着きなリア」
もう、何もない。
何も。
「元素文字ってなんですか? 神の槍って? なんで、あの人が精霊?」
「? 元素文字はともかく、後の二つは……」
「私は、ただのお姫様?」
「……リア、こっち見て」
――私は、空っぽだ。
「私は、だって……私は――」
「リアッ!」
長い廊下の端から端まで響く鋭い声に、虚ろだった少女の目がハッと光を取り戻す。視界いっぱいに魔女の顔。
こちらの両腕を掴み、目線を合わせてのぞき込む不安に満ちた表情。
「例の感染じゃあない、みたいだね」
そこに安堵の色が差したところで、リアは顔が赤くなるのを感じた。
「ご、ごめんなさい変なこと言って! 忘れてください! 私もさっきまで忘れてたし、たいしたことじゃないんですよ! アハハ!」
視線を逸らして空笑い。身をよじる。
しかし、逃れられず。
「そんなことないよ、リア。あんたが苦しんでるならなんだって、あたしにはたいしたことさね」
「でもホント、なんでもないんで! ドナには関係ないことですから!」
「……そんなさみしいこと言わないでおくれよ」
「あっ。す、すみません、そんなつもり――――わっ」
そしてリアは真正面から、ドナの腕と大きな胸に捕まってしまった。
「あたしも反省してんだよ、忘れ形見だとか」
背中で感じるよりも柔らかくて。
「勝手にあんたとあいつを重ねて。誰の代わりでもない、あんたはあんたなのにね」
背中を小気味良く叩いてくれる手が、どうしようもなく優しくて。気持ちが落ち着いていくのがわかった。
それに、言っていることはよくわからなくても。
「だから、これからはあんたと……なんつーか、新しい関係を築きたい所存さね」
やっぱり甘い匂いがして、リアは安心しながら目をつむった。
「……少しは落ち着いたかい? それじゃあどうしよう、まずはセシルをとっちめてやろうか」
首を振る。グリグリと、彼女の首筋へ甘えるように。
「セシルは何も。私が、全部……」
「そうかいそうかい。んで、無理にとは言わないけど、何があったか聞いても?」
そしてギュッとしがみつき、開かれた胸元へ顔をうずめながらとつとつと語った。
「セシルに、左利きかって、聞かれて――――」
※
会議室に向かうドナの後を遅れて追い始めると、先を行くセシルが尋ねた。
『そういやジブン、左利きなん?』
振り返って指差す先は、自分が左手で握る木剣。先ほど鍛錬で使っていたものだ。
リアは首を振った。
『いいえ、右利きです』
『ほな、なんで左で持っとるん?』
短い歩幅を緩めてすぐ隣に並んだ猫耳幼女が、今度は親指で後方を示す。
『さっきの、木に吊るした丸太をカンカン打ち返す遊びも、ずっと左手やったやん』
『遊びじゃなくて鍛錬です!』
『え、意味な……いや、頑張ってんやな。おばちゃん感心するでほんま』
猫耳と栗色ボブを揺らしてウンウン頷く、二十三歳の幼女なおばちゃん。もういろいろウソだった。
『自己流なんだから放っといてください! そのおかげで左手もうまく使えるようになったんですから!』
『? 右手でええやん最初から』
『右手でもやりますよ、ちゃんと細剣に持ち替えて。同時でも少しはできるようになりました』
『あー、双炎隻流の……ん?』
屋敷の裏手側から建物沿いに角を曲がったところで、セシルがふと立ち止まる。
『それ、左手に細剣で、右手に両手剣やろ?』
うっ、と言葉に詰まり、進む歩もピタリ。振り返れば相手は腕を組み、日陰で小首を傾げていた。
バカにされそうだから言いたくないけど。
『……すっぽ抜けちゃうんです、まだ』
『? なんて?』
『だから、木剣じゃないと扱えないんです、重くて。右手も細剣が精一杯で、普通の剣でも、身体が振り回されちゃって……』
筋肉がつきにくい体質らしく、まさに苦肉の策。承知の上だが口にするのは恥ずかしい。腹筋も割れないし。
それでもつい吐いてしまった弱音にすぐ後悔するも、意外とバカにはされなかった。
『ほな右の細剣だけ鍛えたらええやん』
その代わり、会話がグルッと一周したような。思わず呆れて肩を落とす。
しかし、違った。根本的に。
『だから、それじゃ意味がないんですよ』
『双炎騎士になれへんて? やけど、なれへんのやろ?』
『……え?』
『才能ない才能ない、自分で言うてたやん』
セシルは最初からこう言っていたのだ。
『諦めとんのになんでモノマネするん?』
お前の鍛錬に、意味はあるのかと。
『ち、違います、私は……諦めなければ、いつかはって――』
『フリやろ、それ』
『――フリ?』
『ほんまに諦めてへんなら自己流なんてせんと、地面に頭こすりつけてでもとっくに教え請うてるやろ。パパやらじいさんに』
リアは言い返そうとした。何度も頼んだのだ、と。そのたびに、お前には無理だ、向いていない。そう言われたのだ、と。
だから諦めた。
諦めて、そして――
『――諦めてない、フリ……?』
『ままごととも言うな』
ままごと。その言葉だけが、頭にこびりついて離れなかった。
『おい何してる、行かないのか?』
『お、すまんすまん。今行くわ』
ライアンに呼ばれて横を通り過ぎるセシル。動けなかった。一歩も。呆然と見送る。
そんな自分を振り返り、密かなため息。
『……ガッカリやな、ちょっと』
声は聞こえず、強引に手を取られる。
『ほれ、さっさと行くで』
『あ……』
『それとこれは、ついでっちゅーか老婆心からなんやけど』
足を引きずりついていくと、セシルが言った。
『フェオのことはもう諦めとき』
リアはうろたえた。
『なん、で……?』
『ままごと通じる相手ちゃうわ、向こう悪魔やぞ。見ただけでお袋さんブッ倒れとるやんけ』
角を曲がる。日陰から出る。
太陽が、照りつける。
『それとも、世界を敵に回す覚悟あるんか?』
不安で不安で、たまらなくなるほど。
『で、でも、私は……』
『やからでももクソも――――いや、何を熱なってんやろ。アホらし』
離れる手。つい、もつれる足。
『まぁ好きにしいや、お姫様』
ヒラヒラと手を振る小さな背中を見てリアは気付いた。彼女に名前で呼ばれたことがない、と。せいぜいお嬢様ぐらい。
初めて呼ばれたそのお姫様の響きが、がらんどうとなった少女の中でしばらくこだましていた。
※




