第13話 踊る会議に見る懐疑 前編
リアの様子がおかしいことにドナは気付いたが、とりあえず会議を進めることにした。今はグランとの情報共有が何よりの優先事項だからだ。
それに、ゲンドゥル。
「……お、おいテス、ちと落ち着かんか」
自分がまだ『風織り』を継いだばかりで、彼の髪と髭もまだ黒々としていた頃に辛酸を舐め合った、かつての古き旅の仲間。この世で最も信頼する友の一人。むしろグランより彼にこそ、情報を伝えておきたい。愛人呼ばわりしたことは許しちゃいないけど。
「うーん、おばちゃんブチギレやな」
「今は黙っていろ……! クソッ、やっぱり来るんじゃなかった……」
そして猫耳と赤毛の邪魔者コンビに加え、会議にはもう一人。予想外にさらなる邪魔者が。
侍女長のテスだ。
――バンッ!
「こんな戯言を言われ、どう落ち着けと仰るのですか!」
明るい広間に響き渡る声が、随所に立つ全身鎧の置物をビリビリ震わせる。左右の壁に等間隔で飾られた肖像画の額も少しズレたような。心なしか、描かれている歴代騎士団長たちの顔も驚いて、というのはさすがに錯覚か。
上座に座る現団長も、叩かれた長机の振動が伝わったのに顔色ひとつ変えず――
(――いや。この親バカ、娘の様子に気が気じゃないみたいだね)
騎士団幹部専用の会議室。団長席の隣に立っていたドナは、すぐそばの副団長席に座るリアを見下ろした。青ざめた顔で俯いて、何やら放心状態。心配になるのもわかる。
だが今は、テスをなんとかしてもらわなければ。
「ちょいとグラン、テスに黙っとくよう言ってやんな」
「ああ、そうですね……」
ハッとして赤銅色の肌をした顔を向ける、金髪碧眼の偉丈夫。座ろうともその威容が欠けることはないのだが、敵を射殺す竜眼はやや伏せ気味。精悍な顔立ちも困りげに、口周りの髭を手でジョリジョリ。
ドナはそんなグランの様子が理解できた。さもありなん。なぜなら、自分も同じだからだ。
「おぬしもビビっとるくせに。お館様になすりつけるでないわ」
副団長席の反対。廊下側の最も上座が定位置らしい相談役の言うとおり。
「……いや、ビビってるわけじゃないんだけど」
「じゃあなんじゃい」
「苦手なんだよねぇ、怒ったテス」
「ぶっちゃけみんなそうじゃ。アリスでも呼ぶかのう」
「テスの娘を? 呼んだら諫めてくれんのかい?」
「怒りの矛先がそっちに向く」
「なるほど、そいつは名案だわ」
「何をコソコソしゃべっているのですか!」
そして密談をする上座側の向こう岸。
質素な白と黒のエプロンドレスで身を包む年嵩の侍女は、左右に十席あるどの椅子にも座らぬまま、入り口そばの下座から長机を挟み対峙するクルス家当主に尋ねた。
「お館様も……いえ、グラニート様もドナ様と同じお考えですか?」
言い直した本名。愛称ではないが敬意も感じないので、あるいはさらに不敬。
しかし、ドナはその呼び方に懐かしさを覚えた。おそらくグランも。そして自分と同じように、呼称の意味するところを察したから咎めないのだろう。
「……同じ考え、とは?」
「決まっております」
侍女長は今、余さず白いカバーキャップで覆われた黒髪がまだ長い頃。その刻まれた苦労のしわもきれいにない時代へと、心持ちだけ若返っているのだ。
「十年前、姫様を誘拐した犯人がトール教だと……本気で?」
テスはレニと同じ国の生まれだった。レニがグランと駆け落ちする際にお付きの侍女として無理やりついてきたのだ。つまり彼女の本来の主人は、トール教の敬虔な信徒であるヘレーネ・クルス。
そして彼女自身も、トール教信者だった。
「私も初めて聞いたところだ。しかし、そう考えるのが自然だと納得できる」
「そうですか。ならば私は、レニ様を連れて実家に帰らせていただきます」
「なぜそうなる!? それに、実家だと!?」
「ご安心を、レニ様ではなく私の実家です。田舎ですが静かに暮らす分にはなんの支障もないかと。さ、行きましょう姫様」
「待てテス、そもそもなぜリアまで!?」
「女神の加護なきかような地に置いていくわけには参りませぬ!」
サッと娘の前に立ちふさがるグランと、空席を通り過ぎツカツカ歩み寄るテス。
こんなんだったわー、と目頭を押さえるドナ。
(侍女長になって丸くなったかと思えば、根っこは変わってないねぇ……)
今は昔。テスにとってグランは、主人をたぶらかすどこぞの馬の骨だった。それもトール教に反旗を翻した一族の跡継ぎ。
正確には、トール教を国教と定めた王に反対する王子が起こした内紛で、初代剣聖ガルドは王子側に与しただけなのだが、正確な歴史は信者に関係なかった。その争いで最も名を上げたクルス家が忌むべき者として後世に伝わっているらしい。
出来上がりがこちら。
「いずれこのような日が来るとわかっておりました、だから私は最初から反対だったのです! 女神に剣を向けた者と駆け落ちするなど!」
「だから、それは四百年前の話で、私自身は何を信仰するかは自由だと……。それに先祖もトール教と事を構えたわけでなく、そちらが介入してきたから仕方なしに――」
「知りませんそんなこと! どちらでも同じでございます!」
聞く耳持たずで、天馬の耳に呪歌。攻撃されたと勘違いして余計に興奮している。
ドナは無言でゲンドゥルのそばに避難した。
「おい、なんじゃあれ。怒るのはともかく、テスがお館様にあんな態度取るの初めてじゃぞ?」
「出会った頃はいつもあんなだったよ。あのやり取りも、何度聞いたことか」
「初耳じゃわいそんなの。それになんかお館様、肩身狭そうな……」
「怖い姑だったからねぇ。駆け落ちの最中、レニに手どころか指一本触れなかったんじゃないかい?」
付きっきりの侍女の目をなんとか盗もうとする青年の姿は当時笑えたが、さすがに二十年前の再現は笑えず、ドナは頭痛を覚えた。
そして、脳裏に儚げな淑女の笑顔が浮かぶ。
(昔ならここらで、レニが止めてくれたんだけど)
というより「二人が仲良しでうれしい」などとニコニコ言って毒気を抜いてくれたが、今はここにいない。
代わりにそこには瓜二つ。母の美しさから儚さを引き、溌剌さを加えた娘がいるのだが。
「……おい、アレ止めなくていいのか?」
姑対婿の戦地――かなり一方的――となった窓際の席から長机の下を潜り、避難所の廊下側へと顔を出したライアンに「そうだねぇ」と相槌しながらリアを見遣る。
そばであれだけ騒いでいるのに、見向きもしない。俯いたまま。さすがに様子がおかしすぎる。
(呼びに行った時は普通だったのに、この短時間で何が……?)
ドナがまず当たりを付けたのは、素早い危機察知でとっくに廊下側へと移動していたセシル。ここに来るまでの会話相手だったはず。
「セシル、あんたリアになんか言った?」
「? 別になんも?」
猫耳幼女は床に届かぬ短い足を椅子の上へと乗せながら続けた。
「ま、ちょっとアドバイスはしたけどな」
「アドバイス?」
「それより姐さん邪魔せんといて。今ウチ、金目の物チェックに忙しいねん」
「ふーむ、盗人猛々しいとはまさにこのことじゃな」
「それたぶん違うぞご老体……」
調度品や絵画をギラギラした目で観察するセシルを見て、感心したように唸るゲンドゥル。机の下から座席へとしなだれかかり、呆れるライアン。まずい、三馬鹿トリオがそろった。相手にしたら長くなる。
そんな妙な危機感と同時に、軽い悲鳴。
「キャッ……え、テス?」
「さあ姫様、参りましょう」
「? あの、どこに――」
「待てテス! 娘も妻も連れて行かせんぞ!」
「お、お父様まで、ちょっ、いったい何……!?」
状況把握できていないリアを引っ張り合う二人に、ドナはブチギレた。大の大人がいつまでも。
(ちと魔法が必要かね、こいつらにゃ)
そして端を発したのは自らの発言だということを棚上げした肝っ玉魔女はしかし、すっかり忘れていた。
その場にいた、もう一人の存在を。
「……テス殿。もう少しだけ、魔女殿のお話を伺ってはみませんか?」
穏やかな声。たぶん、今この場において最も冷静。
発したのは若い男。
「お館様も、ここはひとつ穏便に。姫様も困っておりますよ」
入り口のそばでひっそりと控えていた影が動く。
浅黒い肌に、ひとつにまとめた長いドレッドヘアー。長身痩躯な風体はゆったりとしたくるぶし丈のチュニックに包まれているが、歩き方は獣のようにしなやか。底知れぬ柔和な笑み。
それに何より、あの赤い瞳。
「奥方様の幸せは、常にお館様のそばに。それがわからぬテス殿ではありますまい。本気ではなく、少し口を滑らせただけでございます。そうでしょう?」
「え、ええ……そうですね。申し訳ございませんお館様、それにナハベル卿」
「いや、私こそ……見苦しいところを見せてすまない、ボー」
「いえいえ。お二人の関係が垣間見える、大変貴重なお時間でした」
リアから二人を自然と引きはがし、優しく説き伏せるそのフォルセティ調停――ある異世界では大岡裁きとも――には、どこか賢者の面影が。まだ青年と呼べる年頃のはずなのに。
それとも、自分の先入観か。
(あの肌に、赤い瞳……間違いなく砂漠の民。『砂漠の隠者』と同じ一族)
ドナが知り得るこの家の関係者はあくまで古株のみ。そして彼は、そのカテゴリーに入らない。
ボー・ナハベル。元双炎騎士。『赤眼猟剣』という二つ名で騎士隊長も務めた、今は墓守の男。フェオが正体を晒した現場に彼もいたので、ゲンドゥルが連れてきていた。
(だけど、いやに落ち着いてるじゃないのさ。松明持ちの騎士なんて見たら普通、信者でなくても少しは動揺するもんだろうに)
砂漠の隠者の一族がなぜここに。そう尋ねても、ゲンドゥルは首を傾げるだけだった。グランも同じ。ドナはそれを責めなかった。
なぜなら、砂漠の隠者は四大魔術師の中でも唯一代替わりしていない、原初にして最古の魔術師。松明持ちの騎士と双璧を成す謎の存在だからだ。
(おとぎ話でも、出てくんのはおおよそ名前だけ。赤い眼をした砂漠の民って情報も先代の風織りから聞いただけだしね。その先代も、三百年生きて一度も会ったことないってぐらいだったし)
確実に本人ではない。しかし、同じ一族なのは間違いない。
風織りが出て行ったとたん、別の四大魔術師の関係者がこの家に入り込んだ。果たしてこれは、偶然か。
(なぜ墓守をやってるのかはともかく、どうも怪しい)
だが疑おうにも、あのボーという男はかなり信頼されていた。今も粛々と彼に従って席に着くグランやテス、そして彼を説明する際のゲンドゥルの口惜しそうな様子から察するに。騎士団にとってよほど貴重な人材だったのだろう。
(……さて、どうしたもんか)
思考を彼へ割くことにより、ドナはテスがいるにもかかわらず不用意にトール教批判を口にしてしまったわけだが、今もまた同じ轍を踏みかけていた。いったい何者なのか。
しかしジッとにらんでいると、新たな発見が。
(? この気配……)
ただそれは、目に見えるものではなかった。
(……フェオに、似てる?)
松明持ちの騎士を知る、世界最高峰の魔術師。そんな彼女だけが察し得る、ほんの小さな気付き。
ただ、突き詰めるまでには至らず。
「それでは続きを、魔女殿」
「? ドナ、どうかしましたか?」
椅子を引くボーとそこに座るリア。前者はこちらの警戒心を見透かしているようで気に入らなかったが、キョトンとする少女は先ほどまでの気分がいくぶん和らいだように見える。ひとまず安心。
(……ま、そんなわけないか)
ドナは芽生えた違和感を気のせいだと切り捨てた。
「んじゃさっきの続きだけど、十年前にリアを誘拐した犯人がトール教……って情報をもたらしたのがフェオなわけで私はこれをまだ全面的には信じてない」
「え、そうなんですか?」
再びガタッと椅子から立ち上がりかけたテスを抑えるように後半を早口でまくし立てると、その隣でリアが目をやや見開く。どうやら前提条件として刷り込まれているようだ。
ドナは高い踵を響かせながら、席に着く面々を改めて見渡した。
「ウソには聞こえなかったけどね」
会議室の奥、長机の左右。廊下側にはゲンドゥル、セシル、ライアンが詰めて座り、窓側にはリアとテス。そして最も上座、議長席であり団長席に座るグランの隣に立ち、横目でテスの背後をジロリ。
着席せずにひっそりと控えるボー。
「けど、あいつの言ってることはおかしい」
いけ好かない柔和な笑みが、静かにたたえられていた。




