第12話 左利き
左手で剣を握る。鉄製の細剣でなく、自作した軽い木剣だ。手に馴染む握り革。
息を整え突き、払い。
「エイッ!」
カンコンッ、と木に吊るされた丸太が小気味良い音を鳴らし、振り子の要領ですぐに戻る。
リアは黒いロングブーツで地面を踏みしめ、改めて丸太を迎え撃った。
「ヤァ!」
高く結った長い金色ポニーテールをなびかせ、一撃二撃三撃。袖のない白ブラウスと短い乗馬用女袴から伸びる健康的な手足が激しく動き、打突のたびに飛び散る汗が木漏れ日に照らされ、爽やかにきらめく練習風景。
しかし少女の表情は、どこか苦しげだった。
「ハッ!」
午前をこの自主稽古に費やしていたせいもあるだろうが、それだけではない必死な形相。忘れ難きを忘るるため、頭にかかるもやを振り払っているかのよう。一心不乱には程遠い修練だ。
身にならぬ、とまでは言わねども、注意散漫事故の元。
――ズルッ。
「ヘァッ!?」
とはいえ人は言うだろう。バナナの皮は超古典的かと。滑って丸太に顔面直撃。
倒れ込む頭上でピヨピヨ舞う幻の向こう側から声がする。
「……全然こっち気付かへんから出来心で投げてんけど、まさかほんまに滑るとは。つい『そんなバナナ』言うてしもたで」
脈絡なき不幸の元凶。人を滑らせといて自らもスベるその訛りに、聞き覚えありとアホ毛がピンッ。クリッとした猫目と視線がバチッ。
若草色の外套にすっぽり包まれる栗色ボブの猫耳幼女、猫耳族のセシルだ。
「よっ。おはよーさん」
まったく悪びれず――しかも二本目らしきバナナの皮を剥きながら――挨拶するセシルへ、飛び起きたリアは文句も言わずに詰め寄った。
「フェオは!? 見つかりましたか!?」
松明持ちの騎士であることが露見し、彼が姿を消してから三日が経っていた。
母はショックで床に臥せ、父の号令により騎士団が出動。もちろん退治ではなく捜索のため。それに並行し、冒険者ギルドでも捜索隊が組まれていた。剣聖グラン直々の依頼でそちらにセシルも加わったはず。
ついに足取りが掴めたかと目を輝かせるも、彼女はバナナを無我夢中。
「ふぃふぁいふぁせてふまんふぇどふぇんぶふぁらぶり――」
「食べながらしゃべらないでくださいというか食うなっ!」
リアは逸る気持ちを抑えきれずに声を荒げた。
するとどこからともなく、食事中の猫耳幼女を代弁する声が。
「あまり怒らないでやっとくれ。その胃袋オバケも日が昇ってすぐ、朝飯抜きでずっと駆けずり回ってたんだよ」
「僕なんか夜通しだぞ、まったく。たかがリリアーナ嬢がフラれたぐらいで大げさなああああっ!?」
木陰の外でポツンと影が落ちると同時に、実物も急転直下。派手に地面へ轟沈。一瞬だけうかがえた赤毛ごと上半身が埋まり、地上に出る下半身だけがピクピク。とりあえず生きてはいるらしい。
それだけ確認したリアはグッと涙をこらえ、下半身ゴブリン野郎の下半身に向けて言い放った。
「別に私、フラれたとかそういうんじゃないもんっ!」
「久しぶりに会った人間が目の前で死にかけてて言うセリフかね、それ」
「死にかけなんは姐さんのせいやけどな」
空から粗大ゴミを叩き落した雨雲に乗る魔女へ、食べ終えたバナナの皮を粗大ごみのそばへ投げ捨てながら猫耳幼女がツッコむ。
助けを求める地中からの声は、誰にも届かなかった。
「それで、ライアンがどうしてクルス家に? 何かフェオの情報が?」
「首の骨が折れかけたのにそれでで済ますのか君は……」
「しつこいやっちゃのー。治療のための行間も多めに空けてやってんねから話進めたれよ」
「あんたのそういう謎発言もテンポの悪さに一役買って……おっと」
木の根元に腰かけたリアが据わった目でにらみつけると、木陰に集った面々が一斉に肩をすくめる。そして無言のアイコンタクト。
口火を切ったのは三角帽子を被る魔女、ドナだ。
「いちおう捜索隊のリーダーだからね、こいつ。あたしが無理やり連れてきてグランに経過報告させたのさ」
波打つ豊かな黒髪を気だるげに払い、深紫のピッタリドレスで強調する見事な曲線美を雨雲のソファーへ投げ出しながら続ける。
「ヴァリーは留守だって何遍言っても信じやしないんだから。苦労したよ、てこでも動かないって調子で」
「あのゴリラが突然帰ってきたらどうするんだ!? じゃなくて……べ、別に報告ぐらい僕じゃなくてもいいと言ってるんだ!」
赤いマントを下敷きに座る、軽装の鎧を着込んだ剣士ライアン。赤毛を振ってキョロキョロうかがうは城壁に囲まれた広い草原と、大きな屋敷の裏手側。まるで敵地のように周囲を警戒している。
(そういえば、追い回されてるんだっけ。双炎隻流の元門下生、か)
しかも剣聖グランが実弟『吠え猛るヴァルトリウス』の直弟子。強いはずだ。逃げ出したとて結局その後も、四大魔術師の一人『風織りの魔女』に鍛えられているのだから。
しかし、身内をゴリラ呼びはやめてほしい。
「そうそう帰ってきませんよ、叔父様は。スカウトした弟子に推薦状だけ持たせて、自分はずっとフラフラしてるんですから。あとせめてクマさんにしてくれませんか?」
「そこのこだわりはよくわかんないけど、まあゴリラで合ってるんじゃないかい? 兄より一回りでかく育っちまったもんねえ」
「……そりゃゴリラやな」
「ゴリラだろ!?」
「もうどっちでもいいですからそれよりフェオは!?」
脱線した話を無理やり戻すも、反応は芳しくなかった。
ライアンがサッとお手上げポーズ。
「何も手掛かりなしだ。報酬に目の色を変えた冒険者たちでも探し出せないとなると、もう王都にはいない。まっすぐどこかよそへ行ったんじゃないか? と、剣聖殿にも報告したんだが……」
言葉を切り、いわくありげな目つきをドナへ遣る。なんだ、何かあるのか。
肩を落としかけたリアが期待の眼差しを向けるも、ドナは素知らぬふりで煙管をくわえた。燻らせる紫煙は明後日の方向へ。
「あんたでも追えなかったかい、セシル」
寝転がっていたセシルが猫耳をピクリと反応させ、こちらへ寝返りを打つ。
「せやな。残念やけど、ウチもライアンと同じ見解や」
「そんな……」
「おいおい、なんちゅー顔してんねん。まだ結論出たわけちゃうがな。こっからは捜索範囲広げるで」
悲しむ少女を気さくに励ました猫耳幼女が、三本目のバナナで素早く栄養補給。
「お前は引き続きぼんくらどもまとめて、今度は王都の外を人海戦術や」
そして身軽に立ち上がり、隣の赤毛頭へバナナの皮をポイッと被せた。
「ただし、北と東には人数割くな。あいつが松明持ちの騎士ならトール教圏にはおいそれと近寄らへんはずや。まずは西を重点的にしらみつぶし、南はウチ一人でええ。下手したら国境沿いまで行くかもしれへんけど、そん時は姐さんにつなぎ頼むわ。迅速に行くで、ライアン」
「お、おう……?」
生返事するも、バナナの皮は乗せたまま。呆然とする気持ちもわかる。
いつになく、セシルが真面目だ。
「どうしたんですかセシル、何か悪いものでも……もしかしてバナナ腐ってました?」
「ウチかて時と場合を選ぶっちゅーんに、ジブンが冗談言うてどないすんねん。あいつに惚れてんねやろ?」
「へ!? い、いや、別に私は――」
「みなまで言わんでええ」
クルリと向ける小さな背中。
風に揺れる、若草色の外套。
「惚れた男が姿くらまし、涙に暮れる女の日々。つけ込む男の下心ってな。救ったるんが、女の仁義っちゅーもんやないか?」
言っていることは意味不明だったが、セシルの後ろ姿がいつもよりカッコよく見えた。
きれいに逆立つ猫耳と、横顔に浮かぶ笑み。
「必ず見つけ出したる。ま、大船に乗った気でいろや」
憂いを溶かす頼もしさ。
後ろ手でサヨナラを送り、颯爽と去りゆく小さな背中が大きく感じて――
「言い忘れてたけどあんた、フェオの呪符で一儲けとかできないからね? 元素文字だから効果も弱いし知名度もなくて、たぶん買い手が付かない」
「はいおひらきおひらきっ! 閉店ガラガラー!」
全部気のせいだった。
断固労働拒否姿勢とばかりに大の字で寝転ぶセシルのそばへ、四つん這いでサササーッ。
「ちょっと、女の仁義は!?」
「仁義でおまんま食えまへーん」
「セシルが言い出したんじゃないですか!」
「やかましい! ウチにこれ以上働け言うなら今すぐパパにきっちり耳そろえて報酬支払わせろや! 追加料金の話はそっからじゃボケェ!」
「まだお金取る気ですか!? この守銭奴猫耳胃袋オバケ!」
「おうよ昼飯もフルコースで所望したろやないかい! バナナ三本で足りるかアホンダラァ!」
「知りませんよそんな空腹事情!」
やいのやいの騒ぐ二人をながめていたライアンが、被るバナナの皮をポイッ。
「なんの話か知らないが、言わないほうが良かったのでは?」
「十分働いたよ、セシルは。これ以上は無駄足さね」
「……諦めているわりに、確信しているんだな。まだ近くにいると」
その言葉に、じゃれつくような取っ組み合いへと発展していた二人が反応。
猫パンチを繰り出しながらセシルが言う。
「おいなんやねんそれ。聞いてへんぞ、そんな話」
「僕だって知るか。剣聖殿への報告の時に、ドナがそう言ったんだ」
「正確には監視してるだけどね。ついでに捜索も打ち切るよう助言しといた」
「ど、どういうことですか!?」
ワンツー猫パンチを横目で受け止めて驚愕したリアへ、ドナが口を開いては閉じ、開いては閉じ。垂れがちな目をギュッ。さらに目頭を押さえてウーン。何やらお悩みのご様子。
「……とりあえず、そこんとこ含めいろいろと、いったん話をまとめようかね。数で見つかる相手じゃないってわかったわけだし」
「いや姐さん、舌の根も乾かんうちにどこ行くねん」
話をまとめると言いつつ、雨雲でスイーッと逃げ出す背中をセシルが咎める。
だが説明放棄ではなく、説明会場を変えるだけらしい。
「ここまで来たらグランも交えないと意味ないでしょうが。騎士団の会議室、もう押さえてもらってるから。あたしゃリアを呼びに来ただけさね」
わずらわしそうに振り返ったドナが、赤毛と猫耳を順にジロリ。
「あとゲンドゥルと、レニは無理だから代わりにテスに同席してもらうけど、あんたらは自由参加だよ。邪魔だから来てほしくないんだけどどうする?」
「そんなひどい前置きで自由意思だと……? だが、僕は行くぞ。中途半端でもやもやする」
「中途半端も何も、あんた事情わかってんだっけ?」
「? だから、リリアーナ嬢があいつにフラれたんだろ?」
「……なんにも把握してないわけね」
「お前主要人物降りろや」
登場人物紹介だと五番手ぐらいなのに悲しいほど蚊帳の外だった赤毛の青年は首を傾げつつ、三番手に名前が上がるはずの魔女の後を追った。そして暇だったのか、四番手の猫耳幼女がなんとはなしに続く。
しかし、一番手は動かない。
「? おい何してんねん、渦中の主役が来んと話にならんやろ」
「あ……はい」
促されてやっと歩を進めるも、足取りは重い。
主役。果たして、本当にそうだろうか。
(なんにも把握してないのは、私もいっしょだ)
自分自身のこと。自分がどれだけ、周囲に守られてきたのかということ。今、何が起こっているのかということ。
そして、フェオのこと。
(私だけずっと、なんにも知らない……)
呪いのことも。父やドナが、どれほど尽力してくれたかも。どんな危険が迫っているのかも。
自分の王子様のことも、何も知らない。
(……バカみたい、王子様なんて。フラれたってのもあながち間違いじゃないかも)
重たい思考に頭が下がり、黙って俯きトボトボ歩く。やる方ない思いは木剣を握る左手に。
そこへ投げかけられた問いはなんでもない、当たり前のもので。
「そういやジブン、左利きなん?」
それでいて、沈む少女をさらなる絶望へと突き落とすものだった。




