〜繰り糸付きの哀れな人形はそれでも君の夢を見る〜
人形と勇者の旅路は順調だった。
「――――そうそう、上から二番目のボタン。これをスルーズにやるんだよ」
魔物に襲われ、幾度となく魔王種と遭遇していたが、少なくとも暗殺者を差し向けられることはなくなった。聖女のおかげだ。
「ん? なんでって、昔の風習? いや実は、あいつが急にくれって言い出してさ」
四大魔術師『小人の女王』でもある彼女の影響力は世界各国に渡り、このまま追手もなく『砂漠の隠者』の元へたどり着けるものと思われた。
そこで、ひとつの誤算が生じる。『聖なる狂気』だ。
「異世界にも第二ボタンあるんだってビックリしたけど、聞いたらどうも違くて。でも説明したらあいつすっかりその気になってさ」
トール教。勇者の名を無断で冠せし、小さな教団。
そこの指導者であり、目的地手前にあるこのオアシスの街まで二人を追いかけてきた男こそ、聖なる狂気のひとつ『信仰』だった。
「え? なんでその場であげなかったか? だって俺まだ卒業する年齢じゃないし……なんて言わず、渡しときゃ良かったかもな」
寒い砂漠の夜。がくらんの第二ボタンをいじりながら、黒髪頭だけを小さな窓からのぞかせる勇者。外には身を潜めるこの家と同じ、日干しレンガの平屋根住居が建ち並ぶ。
そして迷路と化す細い路地には、正体をなくしてさまよう住民たちの姿があった。
「異世界でまさかのゾンビもの、か。苦手なんだよなー俺」
冗談交じりの弱音に、言い得て妙だと人形は感心した。
聖なる狂気とはつまり固有文字の極致。人類史では『希望』と『知恵』のみが発現し、今回の『信仰』含めほかの五つはまったくの未知数。だが能力には共通する部分もあった。
それは、周囲に狂気を感染させること。
――ガタッ。
「! ウソだろおい……」
かつての『希望』は自死に至らせ、『知恵』は人類を選別。
そして『信仰』は、狂気に指向性を与えられるらしい。
「手足縛ってるどころか、骨も折れてやがんのに……!」
あるいは、それが能力か。
――ガタガタッ……ガタンッ!
椅子に縛りつけた家主が無理やり倒れて手枷を外し、あらぬ方向に曲がった腕で這いずり寄る。猿ぐつわの奥からはうめき声。足枷はそのまま、引きずる椅子で倒す家財。瞳には狂気。
屍肉でなかろうと、まさにゾンビとも呼べる姿。
「クソッ!」
腹部を蹴り上げた勇者の足へとすがりつく感染者。痛がる様子もなく、神の子様、とうめき声は聞き取れるほどに。もはや命を絶つ以外に止める術はなさそう。
しかし、それはできない。今も問答無用で頭部を蹴り飛ばせなかった彼には。
「おい離せ、このっ……!」
その躊躇が命取りに。
――ガシャンッ!
割れた窓から無数の手。バリケードの出口からは激しい物音。神の子様、とうめき声の大合唱。見つかった。
人形はへの字に曲がる短杖を腰から素早く抜き取った。
「どいつもこいつも崇めてる相手喰おうとすんじゃねえよ! 復活とかするわけ……あ」
――猛牛。
天井に放つ風の砲弾。
破壊音、風穴。吹き荒ぶ音に礫がパラパラ。
「う、撃つなら撃つってえええっ!?」
人形は勇者を肩に担ぎ、残った屋根の端へと飛んだ。家主も小脇で抱える。崩落の危機を察した無意識、すなわち本能が発動。
三原則のひとつ、人類の保護だ。
「おいコラ、自分で跳べ……フェオ! 腕!」
これが人形にとっては厄介だった。
着地した勇者が叫ぶも、猿ぐつわの取れた家主に腕を噛ませ続ける。自己防衛本能は働かない。「離れろこのっ!」と勇者の拳に救われるも、肉を食い千切られた後。
人形は無力だった。
「ゲッ、こんなにいんのかよ!?」
真下の室内になだれ込み、家の四方を囲む狂気の感染者たちに対して、人形を支配する三原則の自己防衛本能だけは働かなかった。
勇者が髪をかきむしって言う。
「まさかもう、街中全部……?」
砂漠のオアシスに建てられた小さな街、二百名ほど。ざっと見た限り間違いない。
だからもう、要救助者はいない。すぐに逃げよう。人形は出血する腕を押さえながら説得したものの、勇者は聞き入れず。
「そんな簡単に見捨てられっかよ! だってみんな、俺のせいで……俺が来なきゃこんなことには……!」
しかし現実を承知していることは、その歯ぎしりでわかった。
聖なる狂気は特別でない普通の人間。だから勇者は不殺、人形は不可殺。敵の意識さえ奪えれば周囲の狂気も解けたが、砂漠の中継地点でわざわざ待ち伏せたのだから隠れ場所も念入りだろう。発見の望みは薄い。
「クソッ、どうにかして見つけらんねえか!?」
人形は首を振った。しかも『信仰』はかつて勇者が助けた非力な奴隷で、強者としての気配や魔力をたどるのは不可能に近い。
残る手段はただひとつ。
「どうすりゃいい、どうすりゃ……うおっ!? 登ってくんなこのっ!」
狂信者を蹴落とす彼へ実力行使。無理やり連れ去る。ただ、それだと神の槍が危険。勇者へ攻撃しかねない。八方ふさがり。
こんな時、思考ならば。人形はそう考え――
「グッ……! ここ、は……?」
――姉のようなカラスの悲しむ声を思い出した。
「へ? 家主なんで正気にってまたかよおいっ!?」
亡者のはしごが掛けられた屋根から一時退却。勇者を肩に担ぎ、家主を小脇に抱える。すぐそばからうめき声。
しかし、狂気的なものではない。
「グゥッ……!?」
痛覚を取り戻したのだろう。遠く離れた二階建ての平屋根で寝かせると、すぐに前後不覚へ。ひとつにまとめた長いドレッドヘアーがのたうち回る。
人形は屋根の上に文字を描き、唱えた。
――故郷。
「だ、大丈夫かこの人、ていうかなんで正気に戻ってんの!?」
勇者が取り乱すも無視して診察。
光の円の中、折れた骨が徐々に修復。和らぐ苦痛に落ち着く呼吸。あくまで円内の物質のみを土地の記憶どおりに戻す魔術であり、別の場所で失った血や歯は戻らないが大丈夫だろう。あとは自然治癒の範囲だ。
「おいフェオ、聞いてんのかよ!」
ガッ、と乱暴に肩を掴まれる。
よぎる頭痛。
――ズクン。
食い縛る歯。誰が。
「? 今なんて……っとと」
勇者の手を振り切って呪符を取り出すと同時に、腰から抜いた長杖で家屋間に架かるロープを揺らす。夜風にはためく洗濯物が細い路地へと落下。
一番適しているのは、あれか。
――氷。
「……え、何あれ空飛ぶ絨毯!? 夜の砂漠とかロケーションもバッチリじゃんチョー乗りたいんだけど!」
空中で静止させた絨毯が思いのほか好評だった理由は聞かず、ならばと勇者に乗るよう急かす。
しかし、すぐ冷静に。
「逃げるのは無しだぜ。策でもあんのか?」
コクンと頷く。ウソはついていない。
「マジで!? うっし、じゃあ急ぐか!」
だから簡単に、だまされてくれたのだろう。
「よっと。あ、ヤベ、これ動けなくなるんだった」
絨毯に飛び乗った勇者へと魔術の効果が伝播。好都合。ドレッドヘアーの家主へと視線を移し、昏迷状態からの回復を確認。
長杖を握ったまま唱える。
――炬火。
「え、あの……?」
火の剣を手渡すと、家主がその特徴的な赤眼を白黒。
月なき夜。松明とともに在りて。
「おい、明かりに釣られてあいつら来ちまってるぞ!?」
群れて火を追う砂漠の狂気。
「クソッ! さっさとその人連れてこっちに……フェオ?」
人形は首を振った。この人間は大丈夫。標的は勇者と神の槍だから、危険はない。
それに、もう狂気には感染しない。
「……お前、さっきから何を――――っ!」
動けぬ勇者が目を血走らせ、ギョロギョロと動かす。
絨毯へ伸びる腕の食い千切られた跡と、口元に血を滴らせて正気に戻った家主の間を。
「ウソ、だろ……冗談だよなおい、アンパ○マンにでもなろうってのか!?」
それがどんな人物かはわからなかったが、おそらく察したのだろう。
「お前がそこまでしなくてもいいじゃねえか!」
自分が、やろうとしていることを。
人形は口元を緩ませて言った。だって、君ならきっとこうするから。
「バッ……!」
そして手を動かし、宙に浮いていた絨毯へと文字を描く。
――推進。
「バッキャロォ――――ッ! 人のせいにしてんじゃねぇぇぇ――――……」
勇者を乗せ、街の外へとまっすぐに飛ぶ絨毯を見送りながらボソリ。逆ギレで草。
使い方は、合ってたかな。
「……あの、いったい何事ですか? それに街の者たち、あっ」
人形は口元を引き締め、二階建ての屋根から飛んだ。細い十字路へと静かに降り立つ。
そこはすでに、狂気の真っただ中。
「え、みんな……?」
変わり果てた姿で練り歩く友人知人に、絶句するドレッド頭の家主。彼に噛まれても自己防衛本能が働かなかったのは、おそらく優先順位の問題。自己防衛よりも人類の保護、人間の危機的な精神状況の回復を三原則が優先したのだろう。
つまり人形は、供物なのだ。
「あっ。あ、あぁ、なんてことを……」
食人行為による治療。この血肉がなぜ狂気を癒せるかは知らないが、自分にとって聖なる狂気はとんだ天敵らしい。
蔓延させた狂気に手も足も出ないどころか、この身を捧げなければならない原則なのだから。
「や、やめろみんなっ! 正気に戻れ!」
あぁ、人形どころか供物とは。生きながらに喰われる中でそう自嘲し、やがて意識が途絶える瞬間。
「頼むからもう、やめてくれぇ……!」
――だからもう、こんな真似やめなさいよ。
悲しむ姉のようなカラスに、申し訳なく思った。
※
灰は灰に、塵は塵に。なれば槍は神の手に。
投げられし賽は落ちて戻り、再び出目は掌の内。
正しきに留まれぬもの。揺れ動くものは改め、地に放たれん。
ただ英雄を殺さんがため。
※
聞こえたのは思考の声。
「――――しっかりしなさいよあんたっ!」
怒られているのかと思った。
また、悲しませたから。
「ここまで来て、こんな……こんな終わり方でいいの!?」
だけど、熱砂の丘をふさぐ巨大なカラスに申し訳ないとは思わなかった。
邪魔だ。
「――――『猛牛』」
短杖から放つ風の砲弾。巻き上がる砂。
「このっ……!」
昂り荒ぶる翼からは風の魔法。
衝突。巻き起こる砂嵐。
――ジャマダ?
戸惑い。
迷わぬ手。
「――――『四風』」
呪符が塵に。
巡る四方を操り、拮抗する砂嵐をまとめて叩きつける。
「ギィッ……!」
切り刻まれるカラス。吹き飛んで元のサイズに戻り、小さなその身が砂漠へと墜ちる。太陽に灼かれども身じろぎせず。
――ヤメロ。
目指す地の途上にいたのはたまたま。
――ヤメロッ!
灰銀の足が、思考を無慈悲に踏み潰した。
人のいない最果ての地。あるいは誰かの理想郷。どこまでも広がる緑の大地と青い空、遥か高い山々。ここに勇者が封印されている。
成功、したのか。
「――――フェオ!」
彼だ。人形は歓喜に沸いた。
「無事だったんだな、良かった……!」
しかし口は、冷たく言葉を紡いだ。
「これは『家畜』であってフェオじゃない」
草原を駆ける足がピタリ。
「は? 何?」
「これは『揺れ動くもの』」
抜き放ち、標的を差す長杖。
殺気。
「英雄を殺す『槍』だ」
――チガウッ!
届かぬ叫び。
勇者は唖然とした。
「グングニルっておい……」
動揺、疑問。理解、絶望、諦観。段々と青くなる顔色。
だが最後になぜか一瞬、憑き物が落ちたような表情。
「つまり擬人化? 何それ刀剣男子?」
それを隠すように片手で顔を覆う。
乾いた笑い。
「ハハ、爆イケに納得。乙女ゲーの世界だったか、ここ。どうりで主役待遇じゃねえわけだ」
とたんに、か細い声。
「……ごめん、スルーズ」
――ドウシテ、アヤマルンダ。
「ごめんな、フェオ……」
――ドウシテ。
「これは『家畜』だ。フェオじゃない」
「……うるせえ」
「これは『揺れ動くもの』。正しき場所に留まれず、縛りがなければ間違う槍。世界の守護者たる精霊」
「黙ってろ」
「そして魔王に対する勇者が暴走した場合、神工魔王装置として処理を――」
「黙れっつってんだよ!」
勇者が右手を突き出す。
それは、自ら「三級チート」と称する能力。
「剣!」
差し向けられる長杖と鏡合わせに、突如現れる長剣。
奮う気迫。怒り。
「神の槍が勝手に、俺の友達を語んじゃねえ!」
そこは、尊さの内。
愚かな。
――ウレシイ。
「――――『炬火』」
――ケド、ダメダ。
「ハッ、怒られたからおしゃべりは終わりか? 素直なとこはそっくりだな」
――ニゲロ。
「……上等だ。来いよ、松明持ちの騎士。天国だかヴァルハラだか知らねえが」
――ニゲテ。
「そう簡単に、連れてけると思うなっ!」
――タスケテ、スルーズ。
人形は聖女の名を呼んだ。まるで人の子が、母を求めて泣くように。
そうして人形は、勇者をその手に掛けることとなった。




