第94話「主力のいない夜」
その夜。陸がログインすると、拠点は、いつもより、ずっと静かだった。
「あれ……宗介たち、いないのか」
『ああ、主よ』焚き火のそばのガロードが、答えた。「今夜は、皆、都合がつかんらしい。宗介は、仕事が立て込んでおるとか。大和と雪乃は、家の用事。ハルと静も、来られんそうだ」
いつもは賑やかなギルドの面々。それが、今夜はひとりもいない。なんだか、拠点ががらんとして、感じられた。
そこへ、ふわりと柚希がログインしてきた。
「陸くん、お待たせ! 今日は、お休みだから、ゆっくりできるよ」柚希が、あたりを見回す。「あれ、みんなは?」
きゃっきゃと、はしゃぐ柚希は今日は、二連休の初日なのだという。夜勤続きだった、この前とはうってかわって。その顔は、すっかり元気を取り戻していた。
「今夜は、俺たちだけみたいだ」陸は、笑った。「珍しく静かな夜だな」
「なら」シィラが、杖を片手に進み出た。古の術師は、いたずらっぽく笑う。「たまには、少人数で、そのへんをぶらついてみるのも、いいんじゃないかい? 大所帯だと、見落とすものも、あるからね」
「それ、いいな」陸も、頷いた。「じゃあ、今日は、のんびり見回りでも行くか」
こうして、少人数の別動隊が、できあがった。陸に、ガロード。シィラ。そして、柚希。神獣からは、炎のフェニクスが、ついてきてくれる。いつもとは、少し違う顔ぶれ。それが、なんだか、新鮮だった。
一行は、拠点を出て。近くの、森を、ぶらぶらと、歩きはじめた。
大きく育った世界樹の、おかげだろうか。森は、以前よりも、ずっと緑が濃くなっていた。小鳥が、さえずり。木漏れ日が、やわらかく差し込む。平和な、夜の散歩だった。
「こうして、少人数で歩くのも、いいもんだね」柚希が、伸びをする。「みんなでいると、賑やかで楽しいけど。……たまには、こういうのも」
「ああ」陸も、頷いた。仲間が大勢いる心強さ。そして、少人数の気楽さ。どちらも、それぞれに、いいものだった。
だが。森の、奥へ、進むにつれて。
陸は、ふと、違和感を、覚えた。
「……なあ。なんか、静かすぎないか?」
さっきまで、あんなにさえずっていた小鳥の声が、ぱたりとやんでいた。それどころか、動物の気配そのものが、この一帯から消えている。
「言われてみれば……」柚希も、あたりを見回す。「なんだか、空気が、ぴりぴりしてる」
シィラが、目を細めた。地面に手を当て、じっと、何かを探る。
「……妙だね」古の術師が、呟いた。「この森の、少し先。そこの風の流れが。……おかしなことに、なっている」
「風の、流れ?」
「ああ。まるで、風が。……何かに怯えて、逃げ出したような」シィラの表情が、険しくなる。「動物たちがいなくなったのも、そのせいだろう。この先に、何か……あるね」
陸は、その森の奥を見つめた。木々が、不自然に、ざわめいている。まるで、そこだけ別の世界のように。
「行ってみよう」陸は、言った。「何か、困ってるやつが、いるのかもしれない」
だが、と。陸は、少しだけ心細さを覚えた。いつもなら、宗介の剣が、大和の盾がある。だが、今夜は、戦える仲間が少ない。もし、この先に、手強い何かがいたら。
その、迷いを。見抜いたように。
「案ずるな、主よ」
ガロードが、静かに前へ出た。老騎士のその背中がいつもより大きく見えた。
「たしかに、今夜は、頼れる若い衆がおらん」ガロードは、ふっと笑った。「だが、忘れるな。……この老いぼれとて、かつては、一国の騎士団を率いた身だ」
そう言って、ガロードは、腰の剣の柄に、そっと手をかけた。
「主が心で道をひらくなら。……その道中の露払いは、儂が引き受けよう。この剣を執るのも久方ぶりだが。……なに、体は覚えている」
その言葉に、陸は、あの日のことを、思い出した。まだ、旅を始めて間もない頃。宗介たちと、別れてガロードと二人で山岳エリアへ向かったあの日。ガロードは、武器屋で剣を求め、久しぶりにその刃を抜いてみせた。覇気だけではない。剣を執った老騎士の凄み。あのときの、鮮やかな、太刀筋は。今も陸の目に焼きついている。
あれ以来だ。ガロードが、剣を執るのは。……いつもは、頼れる仲間が、前に立つからその必要がなかっただけ。いざとなれば、この老騎士は、誰よりも、頼りになる剣士なのだ。
「……ありがとう、ガロード」陸は、微笑んだ。「頼りにしてる」
「うむ。任せておけ」
森の奥へ。一行は、慎重に、進んでいった。
やがて、木々の切れ間に開けた場所が見えてきた。そこは、小さな丘の上。ぽっかりと、風の渦巻く空間だった。
「うわ、なにこれ……」柚希が、目を、見張る。
丘の上では、風がぐるぐると渦を巻いていた。まるで、小さな竜巻のように。その風の中心に、何か、黒い影のようなものがうずくまっているのが見えた。
「魔物……?」陸が、目を、凝らす。
そのときだった。うずくまっていた影が、ふいに、こちらに気づいた。ぶわりと、渦巻く風が、いっそう激しくなる。ゴォォッと。風が鋭い刃のように、一行めがけて吹きつけてきた。
「来るぞ!」
とっさに動いたのは、ガロードだった。
シャアッ――と。腰の剣を抜き放つ。久しく鞘に収まっていた、その刃が。月明かりを受けて、きらりと光った。ガロードは、陸と柚希を、庇うように、前に立ち、振りぬいた、一閃で。吹きつける、風の刃を。ガキィンッと、断ち切った。
続けて、二の太刀、三の太刀。ヒュンッ、ヒュンッと。老騎士の剣が、宙を舞う。渦巻く風が、いくつもの鋭い刃となって襲いかかるが。ガロードは、そのひとつひとつを、落ち着いて払い、いなし、断ち切っていく。ズバッ、ガキンッと、風の刃が、砕けて散った。
「……ふん。なまっては、おらんな」ガロードが、不敵に、笑う。
その、鮮やかな、太刀筋に。陸は、思わず見とれた。無駄のない動き。一撃、一撃が、正確で重い。これが、将としての覇気だけではない。
剣を執った、ガロードの本当の姿だった。長い年月、拠点の焚き火のそばで、静かにしていた
あの老騎士が。こんなにも頼もしい剣士だ。
「柚希! そなたも、援護を、頼む!」
「うんっ!」
柚希も、弓を構えた。“射手の眼”。ぎりり、と弦を引き絞る。ヒュンッと放たれた矢が、渦のすきまを縫って、風の刃のひとつを射抜いた。ガロードと柚希。二人の連携で、荒れ狂う風を、少しずつ抑え込んでいく。
「主よ! あの、風の中の、何かを。……頼めるか」ガロードが、叫ぶ。「露払いは、儂が、引き受ける!」
「ああ! 任せた!」
風は、なおも、荒れ狂っている。だが、その、中心で。うずくまる、影は。ただ、怯えるように。身を、縮めているだけ、だった。
敵、なのか。それとも。……助けを、求めて、いるのか。
陸には、まだ、わからない。けれど、ひとつだけ確かなことがあった。あの風の中の何かは、きっと、何かに傷ついている。荒れ狂う風は、攻撃、というより。近づくな、と叫んでいるように、陸には思えた。あの守り人が、そうだったように。
「……大丈夫だ」陸は、渦巻く風へ向かって、静かに呼びかけた。「怖がらなくて、いい。俺は、お前を傷つけたりしない。……今、そこへ行くからな」
その声が、届いたのか。ほんの一瞬、渦巻く風が、ゆらり、と揺れた気がした。だが、すぐに、また激しく荒れ狂う。よほど深い怯えが、あの影を包んでいるのだ。
「焦らなくて、いい、主よ」ガロードが、風の刃をいなしながら言う。「時間なら、儂が稼ぐ。……そなたは、そなたのやり方で」
「ああ。……ありがとう」
長い夜は。まだ、始まった、ばかりだった。
その日は、日が変わるまで粘ってみたものの。風の勢いは衰えず、あの影に近づくことは、できなかった。
「今日は、いったん引こう」陸は、みんなに告げた。「相手の事情も、まだわからない。……仕切り直しだ」
無理はしない。それも、大切なことだった。一行は、その夜は、そこで切り上げることにした。拠点へ戻り、めいめいが、光の粒になって消えていく。陸も、あの渦巻く丘を心に留めながら、そっと目を閉じた。
その頃、開発室では。
「三浦さん。妙な反応が出てます」こはるが、モニターを指した。「拠点近くの、森に……未登録の、風属性の、エネルギー体が」
「また、想定外か」三浦が、苦笑する。「で、例の、プレイヤーは?」
「はい。……少人数で、そこへ向かってます」こはるが、答えた。「珍しく、いつものギルドメンバーがいなくて。かわりに……あの老騎士のキャラクターが、剣を抜きました」
「ほう」三浦が、身を乗り出す。「あの、じいさんが、な。……こいつは、珍しいものが見られそうだ」
ヘッドセットを、外すと。夜も、深い、時間だった。
柚希から、メッセージが、届く。
『なんか、大変なことになってきたね! でも、ガロードさん、かっこよかった……! 続き、気になる!』
『ああ。……あの、風の中のやつ。放っては、おけないな』陸は、返した。
風が怯えて逃げ出す森。その中心で、うずくまる影。……あれは、いったい、何者なのか。少人数の静かな夜は、思いがけない出会いへと、陸たちを導いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回から、少し、趣向を変えて。いつものギルド大所帯ではなく、少人数の別動隊で動く、お話です。宗介たちが、揃わない夜。陸は、ガロード、シィラ、柚希、そしてフェニクスと、森へ、繰り出しました。
そして、今回の、いちばんの、見どころ。……あの、ガロードが、久しぶりに、剣を、抜きました! いつもは、拠点で、どっしり構えて、覇気だけで、魔物を、竦ませている老騎士。かつて、陸と二人きりで、山岳エリアを、旅したとき以来の、抜刀です。その、本当の、実力が。少人数だからこそ、また、発揮される。……書いていて、わくわくしました。
森の奥で、うずくまる、風の中の、影。敵なのか、それとも、助けを求めているのか。……もちろん、陸のことですから。まずは、呼びかけることから、始めます。次回、その正体に、迫ります。
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