第93話「大樹の木陰で」
夕方。陸が、郵便を取りに、アパートの一階へ降りると。ちょうど、日勤を終えた柚希が帰ってきたところだった。看護師の制服の上にコートを羽織っている。
「あ、陸くん。……ふう、今日も忙しかったあ」柚希が、ぐっと伸びをする。だが、その顔は、どこか晴れやかだった。「でも、なんか、頑張れちゃった。……あの守り人さんのこと、思い出すとね」
「わかるよ」陸も、微笑んだ。あの、地の底での出来事。凍った心がとけた、あの瞬間を。二人は、まだ、心のどこかで抱きしめていた。守り人の、あの、安らかな微笑みは。きっと、ずっと、忘れないだろう。
「今夜、ちょっとだけ、ログインしよ」柚希が、言う。「なんか……あの世界樹、見たくなっちゃって」
「奇遇だな。……俺も、同じこと、考えてた」
その夜。拠点に降り立って。二人は、思わず、足を、止めた。
世界樹が。見違えるように、大きく、なっていた。
以前は、見上げるほどだった若木。それが、いまや。太い幹を天へと伸ばし、大きく枝を広げている。その葉むらは、こんもりと生い茂り。足元には、ゆったりとした木陰さえ、できていた。幹の太さは、大人が何人か手をつないで、ようやく囲めるほど。あの頼りなかった苗木の面影は、もう、どこにもなかった。
とはいえ。伝説に語られる、天を衝くほどの世界樹には。まだまだ、遠い。これでも、ようやく、立派な一本の木に、なったというところ。育てる旅は、まだ、道半ばだった。
「わあ……!」柚希が、駆け寄る。「こんなに、大きくなったんだね。……木陰で、お昼寝、できちゃいそう」
葉のすきまから、やわらかな木漏れ日がこぼれ落ちて。地面に、ちらちらと、光の模様を描いている。風が吹くたびに、その光が、さわさわと揺れた。見ているだけで、心がほどけていくような。そんな穏やかな光景だった。
その、木陰では。すでに、仲間たちが。思い思いに、くつろいでいた。
大和は、幹に背をあずけて、うたた寝をしている。時折、むにゃむにゃと寝言をこぼしては、みんなの笑いを誘っていた。雪乃と、ハルは、木の実を、つまみながら、おしゃべり。宗介は、静と、のんびり、剣の手入れを、していた。少し離れた木陰では、豊穣の精霊が、うとうととまどろんでいる。
ダンジョンでの、長い戦いのあとこうして、みんなで、ただのんびりする時間。それが、なんとも心地よかった。張りつめていた気持ちが、この木陰ではすうっとほどけていく。
「よう、二人とも」宗介が、手をあげる。「お前らも、休みに来たか」
「うん。……なんか、落ち着くね、ここ」柚希が、木陰に、腰を、下ろす。
「だろ? この木陰、最高なんだ」大和が、うたた寝から目を覚まして、笑う。「ダンジョンの、ひんやりした空気も、よかったけどさ。やっぱ、こういう、あったかい木陰で、ごろごろするのが、いちばんだよな」
「大和は、いっつも、寝てるだけでしょ」ハルが、くすくす笑う。
「休むのも、大事な仕事なの!」大和が、むきになって言い返す。その、やりとりに、みんなが、どっと笑った。
陸も、幹に手を当てた。あたたかい。まるで、世界樹が、みんなを抱きしめてくれているような。そんな、優しさが、伝わってくる。
ふと、陸は、自分の、ステータスに、目を、やった。
レベルが上がっていた。四十一から、四十二へ。ダンジョンを踏破した、ぶんの成長だ。見れば、宗介たちも、そろって四十から四十一に。柚希は、四十二から四十三へと伸びていた。
「みんな、強くなったなあ」陸は、しみじみ、呟いた。
思えば、長い、道のりだった。あの、涸れた土地の泉から、はじまって。動かなくなった地下の遺跡。石の守り手との戦い。地底湖の静けさ。そして、いちばん奥で待っていた、守り人。……ひとつひとつの出来事が、みんなを少しずつ強くしてきた。
けれど。数字が上がったこと以上に。この、ダンジョンで、得たものは大きかった。仲間との絆。困っている者に手を差し伸べる、そのやり方。相手を倒すのでなく、その悲しみに寄り添うこと。……それは、レベルにはあらわれない。けれど、たしかに、みんなを成長させていた。
「なあ、陸」宗介が、剣を磨きながら言った。「お前と旅してると。……なんか、強さって、なんだろうって考えちまうよ」
「どういう、意味だ?」
「いや。……前は、強いって、敵をたくさん倒すこと、だと思ってた」宗介が、笑う。「でも、お前は。倒すより先に、相手の話を聞くだろ。……そっちのほうが、よっぽど難しいし。よっぽど強いよな、って」
陸は、少し、照れて。頭を、掻いた。
「そういえば」ハルが、思い出したように、言う。「あの、涸れてた土地。……もっと、緑が、増えたんだって」
「へえ、ほんとか」
「うん。大地の力が、ちゃんと巡りはじめたみたい」ハルが、微笑む。「守り人さんが還してくれた力が。……ちゃんと、土地を潤してるんだね」
陸は、天を見上げた。地の底で、あの人が放してくれた大地の力。それが、いま、世界をめぐり、この世界樹を育て、涸れた土地を蘇らせている。
「あの人も……どこかで、見てるかな」陸は、ぽつりと、言った。
「見てるよ、きっと」柚希が、頷く。「“もう、ひとりじゃない”って。……あたし、そう信じてる」
そのときだった。ふわりとあたたかな風が、木陰を吹き抜けた。
「……お?」
風の神、ゼフィロが、ふらり、と姿を現した。噂好きの風の神。その、いたずらっぽい目が、きらり、と光る。
『よお、英雄どの。……いい休みっぷりだな』ゼフィロが、にやりと笑う。『そういやあ、耳寄りな話を拾ってきたぜ。……この世界樹が大きくなったろ? そのおかげで、遠くの“風の淀み”の気配が。……こっちまで届くように、なったんだ』
「風の、淀み……」陸は、聞き返した。
『ああ。……どこか、遠くで。風が、流れを失って、うずくまってる。それが、この樹の次の糧になるかもしれん』ゼフィロは軽やかに宙を舞った。『世界樹が、大きくなったぶん。今まで、届かなかった、遠くの声も。……拾えるように、なってきたのさ。この樹は、世界と、繋がってるからな』
「風が、うずくまってるか……」陸は、その言葉を噛みしめた。涸れた土地の泉。流れを忘れた、遺跡の水。そして今度は、風。……きっと、そこにも。何か、事情を抱えた誰かが、いるのだろう。
『ま、詳しいことは、また、今度』ゼフィロは、いたずらっぽく、笑った。『せっかくの休みだ。今日は、ゆっくりしな。……次の風は、俺が道案内してやるよ』
そう言って、風の神は、また、ふわりと風に溶けていった。
「次は……風、か」陸は、呟いた。
大地、水、と来て。次の力の気配が、もう、そこまで来ている。この、大きくなった世界樹が。また、新しい旅へと、みんなを誘っていた。
「……焦らなくて、いいさ」
いつのまにか、そばに来ていた、ガロードが言った。老騎士は、大樹を、見上げる。
「今日は、休む日だ。……この木陰で、ゆっくりな」ガロードは、ふっと笑った。「旅は、逃げやしない。それに……こうして、育った樹を眺める時間も、悪くはない」
だが、その目の奥には。ほんの少し、あの消えない影が、よぎった。世界樹が育つほどに、ガロードの胸に宿る、あの、漠然とした予感。……けれど、老騎士は。今日は、それを口にしなかった。頑張ったみんなの休息を、壊したくは、なかったのだ。
「……そうだな」陸も、微笑んだ。ガロードの、その気遣いを。なんとなく、察しながら。
木陰を吹き抜ける、やさしい風。生い茂った葉のざわめき。仲間たちの、のんびりとした笑い声。頑張った、そのあとの、この、あたたかな時間。
陸は、幹にもたれて、そっと目を細めた。次の旅は、また明日から。今日は、この大樹の木陰で、ゆっくりと羽を休めよう。
やがて、日が暮れて。一人、また一人と、みんなが、拠点の灯りのそばで、光の粒になって消えていく。陸も、最後に、大樹を見上げてから、そっと目を閉じた。
ヘッドセットを、外すと。窓の外は、穏やかな、宵だった。
柚希から、メッセージが、届く。
『あー、癒やされた! やっぱり、あの木陰、最高だね。次は、お弁当、持ってこ!』
その、のんきな、提案に。陸は、思わず、噴き出した。
『いいな、それ。……次の旅の前に、一回、やるか』
送信して。陸は、窓を、開けた。夜風が、やわらかく、頬を、なでる。まるで、あの、木陰の風のように。
守り人を、救い。世界樹を、育て。そして、みんなで、木陰で、笑った、一日。次の旅は、また、明日から。風の、淀む場所で。きっと、また、誰かが、待っている。……その人にも。ちゃんと、手を、差し伸べに行こう。
長い、戦いのあとの、静かな夜。次の旅への、力を、そっと、蓄えながら。陸は、深く、息を、吸い込んだ。窓の外の、夜空には。あの、大樹の枝のように。星が、いっぱいに、広がっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ダンジョン編、おつかれさまでした! 今回は、頑張ったみんなへの、ごほうびのような。のんびりとした、休憩回です。
大きく育った、世界樹の木陰で。みんなが、思い思いに、くつろぐ。……こういう、なんでもない時間が、あるからこそ。また、次も、頑張れるんだと思います。レベルも、しっかり、上がりました。でも、いちばんの成長は、数字じゃない。……そんなふうに、陸は、感じているようです。
そして、風の神ゼフィロが、次の旅の、気配を、運んできました。大地、水、と、来て。次は、風。……大きくなった世界樹が、また、新しい場所へと、みんなを、誘います。
でも、焦りは、しません。今日は、ゆっくり、木陰で、ひと休み。次の旅は、また、明日から。
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