第92話「凍った心が、とけるまで」
その日の夕方。玄関のチャイムが鳴った。出てみると、柚希が、満面の笑みで立っていた。
「陸くん! 休み、取れた! 今夜、行けるよ!」
その、はしゃぎようがおかしくて。陸は、思わず笑った。
「わかったわかった。……じゃあ、今夜、決着をつけに行くか」
「うん!」柚希が、こぶしを握る。「あの守り人さんに。……ちゃんと、会いに行こう」
その夜。三層の守り火のそばに、仲間たちが集まった。柚希の姿も、ある。今夜こそ。あの、いちばん奥へ。
「みんな……ありがとうな」陸は、静かに言った。「あの人を、ひとりにしないために。力を、貸してくれ」
「あたりまえだろ」宗介が、笑う。「ここまで、来たんだ。最後まで、付き合うさ」
「その、守り人さんも」ハルが、頷く。「きっと、待ってるよ。……気づいて、ないだけで」
みんなの、あたたかい言葉に、陸は頷いた。ひとりでは、できないことも。仲間と、一緒なら。守り火から、最深部へ。一行は、まっすぐ、進んでいった。
いちばん奥の広間。くすんだ本源を抱いて、守り人は、今日も、うずくまっていた。陸たちの気配に、びくり、と身をこわばらせる。
「……また、来たのか」掠れた声が、響いた。「何度、来ても、同じだ。……これは、渡さない」
ふたたび、風が、渦を巻こうとする。だが。
「――行け、主よ」ガロードが、静かに、言った。剣の柄には、手を、かけない。「あの心を、ひらけるのは。剣でも、力でも、ない。……お前の、言葉だけだ」
「ああ」陸は、頷いた。
「渡せなんて、言わないよ」
陸は、静かに、一歩、踏み出した。両手を広げて、武器を持たないことを示しながら。
「本源は、あんたが、持ってていい。……俺たちは、それを、奪いに来たんじゃない」
守り人の、風が。ぴたり、と、止まった。
「……なに?」
「俺たちが来たのは」陸は、まっすぐ彼女を見た。「あんたに、会いに来たんだ。ずっと、ひとりで頑張ってた、あんたに」
その言葉に。守り人の、肩が。かすかに、震えた。
そこへ、柚希が、そっと歩み出た。膝を折り、うずくまる守り人と、目線を合わせる。
「あのね」柚希が、やさしく微笑んだ。「ずっと、ひとりで。……よく、頑張ってきたね」
守り人が、はっと顔を上げた。長い髪の隙間から、おびえた瞳が、のぞく。
「その言葉を」柚希は、言った。「あたし、あなたに、いちばん、言いたかったの。……もう、ひとりじゃ、ないよ」
守り人の、瞳が。みるみる、潤んでいく。何百年も。誰にも、言ってもらえなかった、言葉。頑張ったね、と。その、たった一言を。彼女は、ずっと。待っていたのだ。
「……こわいの」守り人が、ぽつり、と、こぼした。「また、信じて。また、裏切られたら。……もう、耐えられない。だから、わたしは……誰も、そばに、置かないと、決めた」
「うん。……こわいよな」陸は、静かに頷いた。責めも、急かしもしない。ただ、その恐れを、まるごと受け止めるように。「そんだけ、深く、傷ついたんだ。当たり前だよ」
「でも」柚希が、そっと手を伸ばした。守り人の冷たい手に、自分の手を重ねる。「あたしたちは、いなくならない。……すぐには、信じられ、ないよね。だから、これから。何度でも、会いに来る。ゆっくり、証明するから」
守り人の手が、びくり、と震えた。だが、柚希は、その手を離さなかった。あたたかな体温が、凍りついた指先に、じんわりと伝わっていく。
「……あたたかい」守り人が、呟いた。「ひとの手が、こんなに、あたたかかったなんて。……わたし、もう、忘れていた」
「……わたし、は」守り人の、声が、震えた。「わたしは、ただ……この子を、守りたかった。それだけ、なのに。……みんな、いなくなって……」
「知ってる」陸は、頷いた。「あんたは、間違ってなかった。……ひとりで、守り抜いた。じゅうぶん、すごいことだよ」
守り人の頬を、ひとすじ、涙が伝った。凍りついていた、その心に。あたたかなひびが入っていく。ぱきり、ぱきりと。長い冬が終わって、春が来るように。
「もう……いいの、かな」守り人が、ぽつりと、呟いた。「もう……手を、開いても。……この子を、世界に、還しても」
「ああ」陸は、微笑んだ。「今度は、俺たちも、一緒に、守るから。あんたひとりに、背負わせない」
「それに」柚希も、頷いた。「その子だって。ずっと暗いところにいるより。……みんなを、また潤したいって、思ってるかもしれないよ」
守り人は、腕の中の本源を、そっと見つめた。長いあいだ、守ることが、抱え込むことに、なっていた。それに、彼女は、ようやく気づいたのだ。
そして。長い、長いためらいのあと。守り人は、そっと、本源を抱いていた腕を、ゆるめた。
その、瞬間だった。
くすんでいた本源が、ふわり、と、あたたかな光を放ちはじめた。抱え込まれ澱んでいた力が、解き放たれて、うれしそうにあふれ出す。ずっと、閉じ込められていた、大地の恵みが。ようやく、息を、吹き返したように。
光は、天井を、突き抜け。地の底から、地上へと。まっすぐ、駆けのぼっていった。長いあいだ、忘れられていた、大地の力が。ようやく、世界へと、還っていく。
そのとき。地の底に、あたたかな風が吹いた。土の匂いを含んだ、やさしい風。それは、まるで。この土地が、長い眠りから、目を覚まし。深く、息を、吸い込んだ、かのようだった。
『……よくやった、主よ』
いつのまにか、そばに。大地の神、ガイアが、立っていた。実直なその顔が。めずらしく、感極まって、いる。
『この地の力が、還ってきた。……何百年も澱んでいたものが、お前のおかげで、また巡りはじめた』
「俺だけの力じゃないよ」陸は、首を振った。「この人が、ずっと守ってきてくれた。……だから、還せたんだ」
「……あたたかい」守り人が、その光を、見上げた。もう、その顔に。おびえは、なかった。憑き物が、落ちたような。穏やかな、微笑みが、そこに、あった。
「ありがとう」守り人が、囁いた。「わたしを……見つけて、くれて」
彼女の姿は。安らかな、光に、包まれて。少しずつ、透きとおっていく。だが、それは。消えるのでは、なかった。ようやく、重い荷を、下ろして。本源とともに、この地を、見守る。そんな、あたたかな、光へと。還っていくのだった。
「これからは……この子と、一緒に。あなたたちの、旅を、見守っているわ」
その言葉を、最後に。守り人の姿は、やさしい光に、溶けていった。もう、そこに。孤独の、影は、なかった。ただ、あたたかな、ぬくもりだけが。広間に、残されていた。
拠点に、戻ると。
世界樹が。ざわめいていた。地の底から、還ってきた、大地の力を、浴びて。その若木が、めきめきと背を伸ばしていく。葉は、青々と生い茂り、幹は、たくましく太くなった。ひとまわりも、ふたまわりも。大きく、育ったのだ。
まるで、何年ぶんもの、成長を。この一瞬に、詰め込んだかのよう。枝は、大きく腕を広げ、降りそそぐ光を、うれしそうに浴びている。豊穣の精霊も。その周りを、くるくると、舞い、祝福していた。
「すごい……こんなに」柚希が、見上げて、息を、呑む。
まだ、天まで、届く、大樹には、遠い。けれど。たしかに、この樹は。大きな、一歩を、踏み出した。忘れられた泉の主。涸れた土地。そして、守り人。……この土地の、ひとつひとつの悲しみを解いてきた、そのぶんだけ。世界樹は、たしかに育っていた。
「よかったな、お前」陸が、幹を、撫でると。世界樹は、応えるように、葉を、鳴らした。まるで、あの守り人の、笑顔のように。やさしく。
やがて、めいめいが、守り火のそばで、光の粒になって消えていく。陸も、最後に、育った世界樹を見上げてから、そっと目を閉じた。
その頃、開発室では。
「三浦さん! せ、世界樹が……!」こはるの声が、裏返る。「成長値が、跳ね上がってます! それに、あの、最深部の反応が……消えて。かわりに、大地の、エネルギーが、全マップに、還流し始めました!」
三浦は、モニターに、映る、世界樹を、見つめた。ひとまわり、大きくなった、その若木を。
「……救ったんだな。あいつは。あの子を」三浦は、静かに、呟いた。そして、ふと、育ちゆく、世界樹に。あの、ガロードの言葉を、思い出す。
――あれが、大きくなった、その先に。
「……さて」三浦の、胸に。かすかな、予感が、よぎった。「この樹は。……どこまで、育つのかな」
その答えは。まだ、誰も、知らない。
ヘッドセットを、外すと。深い夜が、窓の外に、広がっていた。
すぐに、柚希から、メッセージが、届いた。
『間に合って、よかった。……あの人が、笑ってくれて。ほんとに、よかったね』
『ああ』陸は、返した。『……柚希が、いてくれたからだよ。ありがとう』
長い、旅の、ひとつの、区切り。凍った心が、とけて。世界樹は、また、大きく、育った。その、あたたかさを、噛みしめながら。陸は、静かに、目を、閉じた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ダンジョン編、クライマックスです! ついに、守り人の、凍った心が、とけました。
彼女が、いちばん、欲しかったのは。力でも、慰めでも、なく。「よく頑張ったね」という、たった一言だったのだと思います。それを、伝えたのが、柚希でした。陸だけじゃ、なく。みんなで、あの人を、迎えに行けた。それが、今回の、いちばんの、鍵でした。
そして、解き放たれた、大地の力が。ついに、世界樹を、大きく育てました。長かった、地下遺跡の旅も、これで、一区切りです。……でも、世界樹は、まだ、若木。旅は、まだまだ、続きます。
次回は、少し、のんびりした、お話に、なる予定です。頑張った、みんなに。ゆっくり、休んでもらいましょう。
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