第88話「よみがえる泉の、その先へ」
世界樹の若木が、焚き火の光を浴びて、静かに葉をそよがせている。
涸れた土地を救い、拠点に戻ってきた夜のことだった。陸たちは、まだログアウトせず、焚き火を囲んでいた。遠い土地をひとつ潤したという、心地よい疲れと満足感。それを、ゆっくり味わっていたのだ。
「いやあ、それにしても」大和が、伸びをした。「今日の泉の主、最初はどうなることかと思ったぜ」
「陸くんが、いつものやつやったからね」ハルが、笑う。「にらんできた相手を、なでなでして味方にしちゃうの」
そんな、他愛ない話をしていた、そのときだった。
拠点の中央の世界樹が。ふいに、その葉を、ざわりと大きく鳴らした。まるで、なにかに応えるように。
「……ん?」
同時に、大地の神ガイアが、はっと顔を上げた。実直なその表情が、驚きに染まっていた。
『……妙だな』ガイアが、低く唸った。『あの土地が甦ったせいか。……眠っていた何かが、目を覚ましたようだ』
「眠っていた、何か?」陸が聞き返す。
『うむ。……お前たちが水を取り戻した、あの泉。その、ずっと奥。長いあいだ涸れて塞がれていた場所が、いま、ひらこうとしている』
その言葉に、シィラも、目を細めた。
「なるほどね。……水が戻ったことで、ずっと埋もれていたものが姿を現しはじめた、というわけか」古の術師は、ふっと笑った。「こいつは、ちょいと、面白くなってきたね」
陸は、宗介たちと顔を見合わせた。
「……見に、行ってみるか」
「おう。乗った」宗介が、にやりと笑う。「なんだか、久々にわくわくするな」
あの土地は、山をいくつも越えた遠い場所だ。歩いていては、夜が明けてしまう。そこで、天馬のアルシオンが翼を広げた。何人かずつ、その背に乗せて、夜空をひとっ飛び。残りは、ガイアが大地をなだらかに隆起させて、道をつくる。神々と神獣の力を借りれば、遠い土地もあっというまだった。
こうして、一行は、ふたたび、あの土地へと戻っていった。
今夜、救ったばかりの土地は。もう、涸れた大地ではなかった。潤った土に若い緑が芽吹き、月明かりの下で、生まれたばかりの川がさらさらと流れている。ほんの数刻前とは、まるで別の場所のようだった。
水を取り戻した泉から、あふれ出した水が。乾ききっていた大地を、勢いよく、潤していく。その流れが、やがて、土地の端の切り立った岩壁のほうへと向かっていた。
「……なあ、あそこ」宗介が、その岩壁を指さした。「水が、流れ込んでる。……なんか、あるぞ」
近づいてみると。岩壁のふもとには、長いあいだ土砂や枯れ木に埋もれていたらしい大きな穴が、ぽっかりと口を開けていた。涸れていた頃は、乾いた土に、すっかり塞がれていたのだろう。だが、いま。よみがえった水が、その土砂を押し流し、奥へと続く古い道を、あらわにしていたのだ。
その穴の入口には。苔むした古い石の階段が、地の底へと、まっすぐ続いている。両脇には、見たこともない古代の文字が、びっしりと刻まれていた。
「……階段?」大和が、目を、丸くする。「こんなの、さっきは、なかったよな」
「ずっと土に埋もれてたんだ」陸は、その石段を見下ろした。「この土地が涸れて、乾いた土砂に塞がれて。……水が戻って、その土が流されて。また姿を見せたんだな」
そこへ、あの泉の主が、ゆっくり近づいてきた。今夜、陸が孤独を解いた、あの古い獣だ。澄んだ瞳で、じっと陸を見つめると。その大きな頭を、石段のほうへ向ける。まるで、行ってごらん、とでも言うように。
『この者は知っておるのだ』ガイアが言った。『ここは、大昔。この土地が豊かだった頃、水源を敬い守っていた、古い民の遺跡だ。……その、いちばん奥に。この地を潤していた、“大地の力の本源”が眠っておる』
「大地の力の、本源……」陸は、呟いた。
『うむ。……もし、それに触れることができれば』ガイアの声が、少し震えた。『お前の、あの世界樹は。……いまより、ずっと大きく育つやもしれん』
その言葉に、陸の胸が高鳴った。世界樹を育てる。そのための手がかりが、この古い遺跡の奥に眠っている。
「……行こう」陸は、みんなを見回した。「せっかく道がひらけたんだ。この奥に、何があるのか。……確かめに行こうぜ」
「よし、決まりだ!」宗介が、剣の柄を叩いた。
空を駆けるアルシオンは、この狭い地下では翼を広げられない。陸が頼むと、天馬は、心得たように、涸れた土地の入口で、みんなの帰りを待った。かわりに、地下の道を得意とするジオと、闇を見通す小夜が先導役についてくる。行く先に合わせて、力を借りる仲間を選ぶ。それも、テイマーの大切な役目だった。
こうして、一行は、古い水源の遺跡へと足を踏み入れた。
石段を下りていくと。そこは、ひんやりとした地下の回廊だった。
壁には、水の流れをかたどった古い彫刻が並んでいる。天井からは、水滴が、ぽたり、ぽたりと落ち、足元には細い水路が流れていた。長いあいだ涸れていたはずの水路にも。いまは、少しずつ清らかな水が戻りはじめている。
「きれいなところだね」柚希が、あたりを見回した。この夜の遠征から、ずっと一緒だった彼女も、その神秘的な光景に見とれている。
「昔の人が、大事にしてたんだろうな」陸は、壁の彫刻をそっと撫でた。水を敬い守っていた古い民。その想いが、この遺跡の隅々にまで宿っているようだった。
ジオが、うれしそうに蔦を伸ばし、崩れかけた通路を支えていく。地下とはいえ、水と緑の気配のある場所は、この森の神獣の得意とするところだった。小夜も、五本の尾を揺らしながら、先の道を、そっと示してくれる。
「この彫刻……ぜんぶ、水の絵だね」柚希が、壁を見上げた。渦を巻く水、天から降る雨、湧き出す泉。壁一面に、さまざまな水の姿が、生き生きと刻まれている。「昔の人、よっぽど水を大事にしてたんだ」
「それだけ、この土地にとって水が大切だったんだろうな」陸は、頷いた。かつて豊かに水をたたえていた、この土地。それが涸れ果ててしまったとき。この遺跡も、乾いた土砂に埋もれて、地の底で長い眠りについていたのだ。
だが、静かなばかりでは、なかった。
回廊の奥から。ずるり、と。水をまとった青白い魔物が姿を現した。古い遺跡に棲みついた、番人のような魔物たちだ。ぬめる体をくねらせて、じりじりと、こちらへ迫ってくる。
「お出ましだな」宗介が、前に出た。「久々の、ダンジョンだ。……肩慣らしと、いこうか」
宗介の剣が、ひと薙ぎで、その魔物をいなす。返す刀で、もう一体。危なげは、まるでない。大和が盾で後続を受け止め、その隙に、静が魔法でまとめて薙ぎ払う。派手な大立ち回りでは、ないが。仲間との、息の合った連携は。何度見ても、頼もしかった。
ガロードは、剣を抜かなかった。だが、その将としての覇気だけで。近づこうとする魔物が、びくりと足を止める。老騎士がいるだけで、この一行の守りは、盤石だった。
「無理はするなよ」ガロードが、静かに言った。「ここは、まだ入口だ。……この先、何があるか、わからん」
そうして、しばらく、進んでいくと。
回廊の先が、ふっと開けた。
そこは、円形の、小さな広間だった。中央に、古い石の祭壇がある。そして、その祭壇の上で――ゆらり、と。青い炎が、静かに燃えていた。
「……火?」ハルが、首をかしげる。「こんな地下で、誰もいないのに燃えてる」
その青い炎は。不思議とあたたかく。そして、見ているだけで、心が落ち着くような。そんな優しい光を放っていた。
『これは……“守り火”だ』ガイアが、感慨深そうに言った。『古い民が遺した火よ。この火のそばだけは、いかなる魔物も近づけん。旅する者が、安心して体を休められるように。彼らが遺した、優しさだ』
たしかに。その青い炎のまわりだけは。さっきまでの魔物の気配が、嘘のように消えていた。ふしぎと、張りつめていた気持ちが、ほどけていく。
「へえ……。地下の休憩所、みたいなものか」宗介が、感心した。
「それだけ、じゃ、なさそうだよ」
シィラが、その炎に手をかざした。すると、青い火が、応えるようにふわりと揺れる。
「この火は、外の世界と繋がっている。……ここは、遺跡の深いところだ。本来なら、そう簡単には出入りできない、閉じた場所さ」シィラが言った。「けれど、この守り火のそばでだけは。……外へ帰ることができる。そういう結び目に、なっているんだよ」
「外へ、帰れる……」陸は、その言葉を噛みしめた。
つまり、こういうことだった。この深い遺跡の中で。唯一、この守り火のそばだけが、現実へとログアウトできる安全な場所。次に、また潜るときも。この火から、再び始められる。長い探索の、拠り所。それが、この青い炎だった。古い民が、旅する誰かのために遺してくれた、ささやかで、何より心強い贈り物。
「いい場所を、見つけたな」陸は、微笑んだ。「今日は、もう遅い。……ここで、いったん切り上げよう」
みんなも頷いた。守り火のまわりに腰を下ろす。青い炎は、ぱちぱちと爆ぜることもなく、ただ静かにあたたかな光を放ち続けている。その火にあたっていると、地の底の冷たさも探索の疲れも、すうっと溶けていくようだった。
「なんか、不思議な火だね」柚希が手をかざした。「熱くないのに、あったかい。……ずっと、見ていられそう」
「古い人たちが、旅人のために遺したんだ」陸は、その炎を見つめた。何百年も、何千年も。この地の底で、ずっと消えることなく燃え続けてきた火。それは、いつか、ここを通る誰かのための道しるべだったのだ。名も知らぬ古い民の、そんな優しさが。いまも、こうして、自分たちをあたためてくれている。
「……大事に、しないとな。この火は」陸は、そっと、呟いた。
柚希が、あくびを、ひとつこぼした。この夜、涸れた土地の遠征から、ずっと通しだったのだ。さすがに、疲れが出てきたのだろう。
「柚希、先に休んでいいぞ」陸が、声をかける。「よく頑張ったな、今日は」
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えて」柚希が、へにゃりと笑った。「陸くんも、あんまり無理しないでね。……おやすみ」
そう言って、柚希の姿が守り火のそばで、ふっと光の粒になって消えていく。ログアウトだ。彼女は、現実のベッドへと帰っていった。
陸も、大きく伸びをした。今日は、本当に長い一日だった。涸れた土地を救い、世界樹が育ち。そして、こんな大きな遺跡まで見つけてしまった。
「さて。……俺たちも、今日は、帰るか」
宗介たちも、次々と、守り火のそばでログアウトしていく。陸は、最後に、もう一度、地の底へ続く暗い通路を見つめた。この奥に。世界樹を大きく育てる、大地の力の本源が眠っている。
「……明日からが、本番だな」
胸の高鳴りを抱えたまま。陸もまた、守り火のそばで、そっと目を閉じた。
その頃、開発室では。
「三浦さん……これ、見てください」こはるの声が、上ずっていた。「あの涸れてた辺境エリアの地下……とんでもない規模のダンジョンが、出現してます」
三浦が、モニターを覗き込む。そこには、地下深くへと幾層にも広がっていく、巨大な遺跡の構造が映し出されていた。その、あまりの広大さに、三浦は思わず息を呑む。
「なんだ、これは……。こんなデータ、実装した覚えが、ないぞ」
「はい。……たぶん、これも。あの土地が復活したことで、連動して出現したんだと思います」こはるが、モニターを指した。「大昔に封印された、古代遺跡の設定だけが残っていて。それが、いま、目を覚ました……」
三浦は、その途方もない地下遺跡を、じっと見つめた。いちばん深いところに、ひときわ大きな力の反応がある。それが、何なのかは。まだ、わからない。
「あの子は、また……とんでもないものの扉を開けちまったな」三浦は、苦笑した。だが、その目は。どこか、わくわくしている少年のようでも、あった。「さて。……どこまで行くのか、見せてもらおうか」
現実の、夜。
ヘッドセットを外した陸は、ふう、と息をついた。窓の外は、もう、すっかり深い夜だ。長いゲームの一日だった。だが、不思議と、疲れは心地よかった。
ふと、スマートフォンに、メッセージが届いた。柚希からだ。
『今日は、一日、ありがとね。すっごく、楽しかった! あの遺跡の奥、気になるなあ。次は、いつ潜る? あたしの次の休み、待っててよ!』
その、はしゃいだ文面に、陸は思わず笑った。
『了解。みんなの予定、合わせて決めるよ。……無理すんなよ、夜勤』
そう返して、陸は、窓の外の夜空を見上げた。あの青い守り火の灯る、地下の遺跡。その、いちばん奥に眠るもの。それが、世界樹を、どこまで育てるのか。そして、その先に、ガロードの言う“途方もないもの”が本当に待っているのか。
まだ、何も、わからない。けれど。
「……明日からが、楽しみだな」
陸は、そっと、呟いた。長い旅の、まだ、ほんの入口。その扉が、いま、静かにひらいたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
前回、涸れた土地を救ったところから、地続きの、お話です。実は、その土地に水が戻ったことで。乾いた土砂に埋もれていた、古い遺跡の入口が、姿を現しました。ここから、しばらく、この地下遺跡を、じっくり探索していく、ダンジョン編の、はじまりです!
今回、特に、書きたかったのが、“守り火”という場所です。深い遺跡の中で、唯一、安心して休める、青い炎の祭壇。ここでだけ、現実に帰る(ログアウトする)ことができる。……長い探索の、心の拠り所に、なる場所です。これから、この守り火を、道しるべに。少しずつ、奥へと、進んでいきます。
いちばん奥に眠るのは、世界樹を大きく育てる、“大地の力の本源”。そこに、たどり着くまでに。どんな、仕掛けや、出会いが、待っているのか。……もちろん、陸のことですから。最後は、力ずくではない、いつものやり方に、なるはずです。
久々の、じっくりした、冒険を。どうぞ、一緒に、楽しんでいただけたら、嬉しいです。次回から、いよいよ、遺跡の、奥へ!
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