第86話「実りの精霊のいる家」
夕方、陸が仕事を終えて郵便受けまで下りると、買い物袋を提げた柚希が、ちょうど帰ってきたところだった。日勤明けらしく、私服姿だ。
「あ、陸くん。おつかれさま」
「おつかれ。……お、なんか、いっぱい買ったな」
「うん。ちょっと、豪勢にしようかなって」柚希が、袋を軽く持ち上げてみせた。それから、少し照れくさそうに笑う。「……なんか、あの“最優秀”のあと、妙に気分がよくてさ」
豊穣祭で、柚希が個人成績の最優秀に選ばれた。あの「実りの冠」を授かった夜のことだ。合流したばかりの新入りが、いきなりの大殊勲。その余韻は、現実の彼女まで、ふわふわと浮き立たせているらしい。
「まだ、実感ないんだけどね」柚希が、髪を指でいじる。「あたしなんかが、いいのかなって。……宗介くんたちのほうが、ずっと強いのに」
「柚希の“眼”がなかったら、あの防衛戦は守りきれてない」陸は、きっぱり言った。「みんな、わかってる。……胸、張っていいって」
「……うん」柚希の頬が、ほんのり、赤くなる。「実はさ。……あの冠、もらったとき。ちょっとだけ、泣きそうになっちゃった」柚希が、白状するように言った。「ずっと別のギルドにいたのに。移ってすぐ、こんな大きな賞を、もらえて。……なんか、ちゃんと仲間に、なれたんだなって」
「なれてるよ、とっくに」陸は、笑った。「柚希は、もう、うちの大事な一人だ」
その言葉に、柚希は、ふにゃりと顔をほころばせた。それから、照れ隠しのように、買い物袋を抱え直す。
「……ありがと。じゃ、また、ゲームでね」
軽い足どりで階段を上がっていく、その背中を見送って。陸も、なんだか、あたたかい気持ちになった。
その夜、陸がログインすると、拠点は、いつにも増してのどかな空気に包まれていた。
焚き火のそばに、あの豊穣の精霊が、ちょこんと座っている。淡い黄金色の光をまとった、おだやかな姿。豊穣祭の最後に、陸がその孤独に寄り添った、あの守り神だ。もう、すっかり、この拠点の一員になっていた。
「よう。……なじんでるみたいだな」
陸が声をかけると、精霊は、うれしそうに、その光をふわり揺らした。言葉は話さない。けれど、その気持ちは、ちゃんと伝わってくる。
精霊のまわりでは、神獣たちが、思い思いにくつろいでいた。とりわけ、ジオトレントとは、すっかり仲良しだ。森と草木を司るジオと、実りを司る精霊。二人が並ぶと、あたりの草花が、いっそう生き生きと色づいて見えた。ユニコーンも、その清らかな光で、精霊をそっと照らしている。
小夜は、精霊のやわらかな光が、お気に入りらしい。その膝のあたりで、五本の尻尾を丸めて、うとうとしていた。モフとグランも、精霊のそばに、のっそりと寄り添っている。荒ぶる魔物だった頃を思えば、信じられないほど穏やかな光景だった。
「みんな、あいつのこと、受け入れてるんだな」陸が、目を細める。
言葉は通じない。それでも、この拠点のあたたかさは、ちゃんと精霊にも伝わっているらしい。誰も、あの過去を責めたりしない。ただ、あたりまえのように、輪の中へ迎え入れる。それが、この家の、いつものやり方だった。
思えば、この精霊が来てから、拠点は、いっそう緑が濃くなった気がする。花壇の花は、ふだんの倍も大きく咲き、湖のほとりの草は、みずみずしく艶を増した。精霊が、そこにいるだけで。この土地そのものが、少しずつ、豊かになっていくのだ。恵みを司る者とは、こういうことなのか、と陸は、あらためて感心した。
そこへ、宗介たちが、やってきた。手には、あの立派な角笛を、抱えている。
「陸、そろそろ、これ設置しないか」宗介が言った。豊穣祭の優勝賞。「豊穣の角笛」だ。「拠点に飾ると、周りの実りが豊かになるらしいぞ」
「お、いいな。どこに置く?」
「やっぱり、拠点の中央かな」雪乃が、微笑む。「世界樹の苗のそばとか」
その提案に、みんなが頷いた。拠点の中央には、いつか植えた世界樹の苗が、二枚の葉をそよがせている。あの小さな若木の、すぐ隣。そこに、角笛を設置することになった。
「よし。……せーの」
大和が、角笛を慎重に、地面へと据える。すると、角笛が淡い光を放ち、その光が、じわじわと拠点じゅうへ広がった。
その様子を見て、いつのまにか集まっていた神々も、面白がって手を貸しはじめた。ガイアが、大地をひとなでして、土を豊かに耕す。タラサが、澄んだ水を、そっと地面にしみこませた。ゼフィロの風が、種を運ぶように、やさしくあたりを吹き抜けていく。
「まったく。神様たちは、こういうの、好きだねえ」ハルが、あきれたように笑った。
だが、その顔は、嬉しそうだ。世界を揺るがした七柱が、我が家の畑作りに、こぞって手を貸している。なんとも、贅沢で平和な光景だった。
その、光に、応えるように。
拠点の一角の土が、ふっくらと盛り上がる。まるで、そこに豊かな畑が生まれるのを、待っているかのように。
「……畑?」ハルが、目を丸くする。
「角笛の力で、この土地が、作物を育てるのにぴったりの状態になったみたいだね」静が、めずらしく口を開いた。「……ここで、いろんなものが育てられる」
「うちの拠点に、畑ができるのか」大和が、わくわくした顔で言う。「いいな、それ。自給自足だ」
そのときだった。
ふわり、と。豊穣の精霊が、その畑になるはずの土の上へ進み出た。そして、そっと、その黄金の光を地面にそそぐ。
すると――土から、みるみる緑の芽が、顔を出した。ぐんぐんと育っていく。あっというまに、それは、たわわに実った野菜や果実の畑になった。
「うわ、はやっ!」ハルが、歓声をあげる。
「これが……こいつの、本当の力か」宗介が、感嘆した。荒ぶる魔物の力ではない。実りをもたらす、恵みの力。それこそが、この精霊の、本来の姿だった。
精霊は、少し得意げに、光を揺らした。まるで、役に立てて嬉しい、とでも言うように。
「ありがとな」陸が、その頭を、そっと撫でると。精霊は、気持ちよさそうに目を細めた。
そして――もうひとつ、変化が、起きていた。
「陸くん、あれ、見て!」柚希が、指をさす。今夜は休みの柚希も、ちゃんと、拠点にいた。
その先を見て。陸は、目をみはった。
拠点の中央の、世界樹の苗。ずっと二枚の葉のままだった、あの小さな若木が。いつのまにか、葉を四枚に増やしていた。幹も、心なしか、太くなっている。豊穣の精霊の、恵みの力。それが、隣でこの苗の成長を、後押ししたのだ。
「育ってる……」陸は、思わず、呟いた。「世界樹の苗が、育ってるんだ」
まだ、ほんの少しだ。世界を繋ぐ大樹になるまでには、気の遠くなるような時間がかかるだろう。それでも。たしかに、この若木は、一歩ずつ大きくなっている。
「よかったな、お前」陸は、その若い葉を、そっと撫でた。「いい、隣人が、来たじゃないか」
世界樹の苗と、豊穣の精霊。実りを司る者どうしが、寄り添って、拠点の中央で静かに光っていた。
「さて!」ハルが、ぱんと、手を打った。「せっかく、畑もできたことだし。今夜は、収穫祭の打ち上げと、いこうよ!」
その一声で、拠点は、たちまち、賑やかになった。
さっそく、精霊の畑で、採れたての野菜や果実が収穫される。雪乃と大和が、腕によりをかけて料理をはじめた。ぐつぐつと、煮込みのいい匂いが、焚き火のまわりに漂ってくる。
「うわ、この野菜、あまい!」味見をした大和が、目を丸くした。「精霊の畑で育つと、こんなに、味が違うのか」
「豊穣の力、伊達じゃないわね」雪乃も、感心したように頷く。手際よく、次々と料理が仕上がっていく。
いつのまにか、神々も集まってきていた。ガイアが、大地の恵みを、しみじみと味わい。イグニスが、フェニクスのために、こんがりと実を焼いてやる。タラサは、湖のリヴァイアに、料理を運ばせていた。ラドンは、そっぽを向きながら、しっかり、いちばんいい席に陣取る。
「ふん。……別に、この実りがうまいから、来たわけではないぞ」ラドンが、ぼそりと言い訳をする。だが、その皿は、とっくに空になっていた。
「はいはい、おかわり、どうぞ」
ハルに、すかさず皿を差し出されて。ラドンは、ばつが悪そうに、しかし、しっかりとそれを受け取った。もう、荒ぶる雷神の面影は、どこにもない。
豊穣の精霊も、うれしそうに、その光を揺らしていた。自分の育てた実りで、みんなが笑っている。それが、たまらなく幸せなのだろう。忘れられ、荒ぶっていたあの頃が、嘘のようだった。
ガロードとシィラも、焚き火のそばで、盃を傾けていた。
「……いい夜だな」ガロードが、ぽつりと、言った。「争いもない。ただ、実りを分かち合う。……こういう夜のために、我々は戦ってきたのかもしれん」
「柄にもないことを、言うじゃないか」シィラが、くつくつと笑う。
賑やかな、宴の輪。その真ん中で、陸は、ぐるりと、みんなを見回した。
神々に、神獣。エルフの里から、遊びに来た、妖精たち。ガロードと、シィラ。ギルドの、仲間たち。そして、新しく家族になった、豊穣の精霊。
みんなが、笑って、同じ火を囲んでいる。
隣では、柚希が、実った果実を頬張って、幸せそうに目を細めていた。その頭に、いつのまにか、妖精たちが、ちょこんと乗っている。あの「実りの冠」よりも、ずっと似合いの飾りだった。
「……なあ、柚希」陸は、隣の柚希に言った。「俺さ、思うんだ。……いつのまにか、すごい、大所帯に、なったなって」
「ほんとだね」柚希も、笑った。「最初は、陸くんと、小夜だけ、だったのに」
いつか、力がゼロだと笑われた。ハズレ職だと、馬鹿にされた。それでも、目の前の誰かを、放っておけなくて。ただ、手を差し伸べてきた。神獣も、神も、老兵も、消えかけた里も。荒ぶる守り神さえも。気づけば、みんな、この火のまわりにいる。その結果が、この、あたたかな食卓だった。
「悪くない、よな」陸は、しみじみと、呟いた。
力なんて、いらなかった。ただ、目の前の誰かを、放っておけなかった。それだけで、ここまで、来られたのだ。
「うん。……最高だよ」
柚希の、その一言が。今夜のどんな料理よりも、あたたかく、陸の胸に、しみた。
焚き火の火が、ぱちぱちと爆ぜる。実りの精霊のいる、あたたかな家で。今夜も、賑やかな夜は、更けていった。
その頃、開発室では。
「三浦さん、ちょっと、これ……」こはるが、モニターを見て首をかしげた。「あのプレイヤーの拠点の、世界樹のオブジェクト。……成長データが動きはじめてます」
「成長?」三浦が、顔を上げる。
「はい。あの世界樹、実装したときは、ただの飾りだったんです。……成長する設定なんて、入れてなかったのに」こはるが、モニターを指した。「なのに、いま……ゆっくり育ちはじめてます。まるで、意思があるみたいに」
三浦は、しばらく、そのデータを見つめていた。世界樹の若木。まだ、頼りない、その苗が。たしかに、少しずつ大きくなろうとしている。
「なあ、こはる」三浦が、ふと訊いた。「この世界の、いちばん古い設定資料。……“世界樹”について、なにか、残ってないか」
「世界樹、ですか?」こはるが、首をかしげる。「えっと……たしか、企画の、初期の初期に。“いつか、世界の中心に大樹が育つ”みたいな、構想メモが、あったような……。でも、実装は、されなかったはずです」
「その、育った先に、何が起こるか。……そこまで、書いてあったか?」
こはるは、しばらく古い資料をたどっていたが。やがて、困ったように、首を振った。
「……いえ。そこは、空欄でした。“誰かが育てたときに考える”って、書いてあるだけで」
三浦は、ふっと笑った。それから、モニターの中の、小さな若木を見つめる。
「……あの子が、育ててるんだ。だったら、俺たちも、そろそろ考えないとな。……その先に、何を、用意するか」
その答えを知る者は、まだ、誰もいなかった。
アルテのログが流れた。
アルテのログ:
「荒ぶる守り神は、
いま、あたたかな家の、一員となった。
その手が触れた土から、実りが、あふれる。
隣に植えられた、小さな世界樹は、
その恵みを浴びて、そっと、葉を増やした。
まだ、頼りない、若木。
けれど、たしかに、育ちはじめている。
力で奪う者の周りには、何も残らない。
けれど、心で結ぶ者の周りには、
神も、獣も、実りも、笑顔も。
すべてが、集まってくるのだった。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
賑やかだった豊穣祭も終わり、今回は、ほっと一息の、その後の日常回でした。
新しく家族になった、豊穣の精霊。荒ぶる魔物だった彼が、いまでは、拠点で、みんなに囲まれて、幸せそうにしている。その姿が、書いていて、とても嬉しかったです。優勝賞の「豊穣の角笛」で、拠点に畑もできて。陸の家は、ますます、賑やかに、なっていきます。
そして、ひそかな、変化も。ずっと、二枚の葉のままだった、世界樹の苗が。豊穣の精霊の恵みを浴びて、そっと、成長をはじめました。……この小さな若木が、いつか、大きくなったとき。何が起こるのか。作者も、楽しみにしながら、書いています。
力ではなく、心で。目の前の誰かに、手を差し伸べてきた陸の周りには、いつのまにか、こんなにも、たくさんの笑顔が、集まりました。そのあたたかさを、味わっていただけたら幸いです。
次回からは、また、新しい物語が、動きはじめる、かもしれません。育ちゆく世界樹とともに。どうぞ、これからも、よろしくお願いします!
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