第85話「実りの守り神」
その日は、日曜だった。
陸が昼前に目を覚まして共用廊下へ出ると、ちょうど柚希が、洗いたてのシーツを抱えて歩いてくるところだった。今日は、しっかり休めたらしい。昨日の、あの隈だらけの顔が、嘘のように晴れ晴れとしている。
「あ、陸くん。おはよ! ……ってもう、お昼だけど」
「元気そうだな。……昨日は無理させて、悪かったな」
「ううん。あれくらい、へっちゃら」柚希は、えへんと胸を張った。それから、わくわくした顔で陸を見る。「今日は、たっぷり寝たから、ばっちりだよ。……いよいよ最終日だね」
「ああ。……なんか、運営が、とっておきを用意してる噂だ」
「とっておき?」柚希の目が、輝いた。「なにそれ、こわい。……でも、ちょっと、楽しみかも」
その無邪気な笑顔に、陸も、つられて笑う。豊穣祭も、いよいよ大詰めだ。この三日間の賑やかなお祭りが、どんな幕引きを迎えるのか。陸自身、楽しみで仕方なかった。
その夜、会場は、これまでにない異様な緊張に包まれていた。
空が、どんよりと曇っている。畑を渡る風も、どこか重く湿っていた。世界中のプレイヤーたちが、最終日の畑に集まり、固唾を呑んで、その“何か”を待っている。
「なんか……嫌な感じだね」ハルが、ぽつりと言った。
そのときだった。
地の底から、ずうんと、腹に響く重い震動が、突き上げてきた。畑の中央の地面が、大きく盛り上がる。土くれが、雨のように降りそそいだ。
そして――それは、姿を現した。
見上げるほど巨大な、いがぐりの魔物。全身に無数の棘を生やし、その体からは、どす黒い瘴気が、絶えず噴き出している。まわりには、無数の収穫荒らしが、王を守る兵のように付き従っていた。
「あれが……“収穫荒らしの主”か」宗介が、剣の柄を、ぐっと握りしめる。
主が、咆哮した。大気が、びりびりと震える。その一声で、周囲の畑が、みるみる枯れ落ちていく。禍々しく、圧倒的な存在感だった。
「みんな、来るぞ! ……総力戦だ!」
宗介の号令で、Stray Wolvesが、いっせいに動いた。
大和が、盾で、主の突進を正面から受け止める。地面が、めきめきとめり込んだ。宗介の剣が、その巨体に斬りつける。だが、噴き出す瘴気が、みるみる傷を塞いでしまう。
「くそっ、硬い上に、再生までするのか……!」
静が《具現》で足場を組み、雪乃が《不落の聖域》で、味方の傷を癒し続ける。シィラの全属性魔法が、主の巨体を、絶え間なく打ち据えた。神獣たちも、負けてはいない。ジオが大地から蔦を伸ばして、主の足を絡めとり。グランが、その巨体で、突進を押し返す。サンダーウルフが、雷をまとって、主のまわりを駆けめぐった。
そこへ、黒崎と葛城も、加勢に加わる。
「手を貸すぞ! ……昨日の、礼だ!」黒崎の覇王剣が、収穫荒らしの兵を、なぎ払っていく。
ガロードは、剣こそ抜かないが、主に付き従う兵の群れが後方へ回り込むのを、その覇気だけで封じていた。老将がにらみを利かせる一帯には、一匹の兵も通れない。おかげで、前線は、主ひとりに集中できた。
だが、それでも。主は、倒れなかった。
削っても、削っても。噴き出す瘴気が、その傷を、埋めていく。まるで、底なしの、絶望のようだった。
「きりが、ないぞ……!」大和が、盾ごしに歯を食いしばる。「これじゃ、こっちの体力が、先に尽きる!」
主が、再び咆哮した。その衝撃波だけで、前線の何人かが吹き飛ばされる。雪乃の聖域が、すかさずその傷を癒すが、押されているのは明らかだった。守り抜いてきた畑が、じわじわと主の瘴気に蝕まれていく。
「このままじゃ、まずいわね」雪乃が、焦りをにじませた。「なにか、決め手が、いる……!」
「……ハル。あいつの、弱点は?」陸が、鋭く訊いた。
「待って。いま、見てる……!」
ハルが、両手を広げ、《残影》を発動する。主の動きの残像を、いくつも宙に映し出す。その無数の軌跡を、解析していく。
「……見えた」ハルが、目を見開いた。「あいつの瘴気の“源”……体のいちばん奥に、なにか光るものがある。あれをなんとかしないと、いつまでも再生する」
「奥に、光るもの……」
陸は、じっと、その巨大な主を見つめた。そして――《幻視》で、その内側をそっと覗き込む。
その瞬間、陸の胸に、流れ込んできたのは。
敵意でも、破壊衝動でも、なかった。
深い、深い、悲しみだった。
「……そうか」陸は、思わず、呟いた。「お前……泣いてるのか」
見えたのは、遠い記憶だった。まだ、この土地に人がいなかった、はるかな昔。この主は、豊穣を司る精霊だった。畑を実らせ、大地に恵みをもたらす。そういう、優しい守り神だったのだ。
けれど――長い時のなかで。人々は、いつしか、その存在を忘れていった。感謝も、祈りも、絶えて久しい。顧みられることのなくなった精霊は、少しずつ、その心を荒ませていった。誰にも必要とされない。その深い孤独が。この主を、こんなにも禍々しい姿に変えてしまったのだ。
「陸? どうした!」宗介が、叫ぶ。「弱点は、あの、光るやつなんだろ?」
「……いや」陸は、静かに首を振った。「あれは、弱点じゃない。……あれは、この子の“心”だ」
陸は、みんなに向かって、手を上げた。攻撃を、やめてくれ、と。
「陸くん、なにを……!」柚希が、慌てる。
「大丈夫だ。……ちょっとだけ、信じて、待っててくれ」
陸は、丸腰のまま、ゆっくりと、荒ぶる主の前へ進み出た。すさまじい瘴気が、渦を巻いている。誰もが、息を呑んで、見守った。
陸は、懐から、あの古い笛を取り出した。“調べの笛”。獣の心を、やわらかくほぐす笛。
ゆっくりと、息を、吹き込む。
ひゅうう、と。澄んだやさしい音色が、荒れ狂う戦場に、そっと流れていった。
その音を聞いた瞬間、主の動きが、ぴたりと止まった。噴き出していた瘴気が、少しずつ勢いを失っていく。
陸は、笛を吹きながら、《心話》で、その孤独な魂に語りかけた。
――怖かったよな。ずっと、独りぼっちで。
主の巨体が、びくりと、震えた。
――でも、俺には、わかるよ。お前は、本当は、ずっと守りたかったんだろ。この畑を。この、実りを。
大きな主の目から、つう、と。ひとすじ、光る雫がこぼれ落ちた。
――もう、独りじゃない。お前のこと、ちゃんと憶えてる奴が、ここにいる。だから……もう、いいんだ。
その言葉が、届いた瞬間だった。
主の体を包んでいた、どす黒い瘴気が、いっせいに晴れていく。荒々しい棘が、ほろほろと崩れ落ちる。そして、その奥から――淡い黄金色の光をまとった、おだやかな姿が現れた。
それは、もう、禍々しい魔物では、なかった。
畑を慈しむように見つめる、優しい豊穣の精霊。忘れられていた、実りの守り神だった。
主が、陸に向かって、そっと頭を垂れた。まるで、ありがとう、とでも言うように。それから、その体から、あたたかな光があふれ出す。
その光が、触れた先から。
枯れかけていた畑が、みるみる生き返っていった。稲穂が、たわわに実り、果樹が、色鮮やかな実をつける。会場じゅうの畑が、これまでにない豊かな実りで、黄金色に輝きはじめた。
「うそ……畑が、ぜんぶ……!」
「これが、本当の、こいつの力か……」
プレイヤーたちから、感嘆の声が、あがる。荒ぶる魔物の力ではない。実りをもたらす、恵みの力。それこそが、この精霊の本当の姿だったのだ。
「……よかったな」陸は、そっと、その大きな体を撫でた。主が、気持ちよさそうに、目を細める。
戦いは、終わった。
誰ひとり、この主を、討ち取らなかった。ただ、忘れられた、その孤独に寄り添っただけ。それが、この豊穣祭の、本当の決着だった。
そして、閉会式。
会場の大きな舞台の上で、豊穣祭の結果が発表された。
「――ギルド対抗、優勝。“Stray Wolves”!」
わっと、歓声があがった。三日間、畑を守り抜き、圧倒的なスコアを叩き出した、当然の結果だった。宗介たちが、照れくさそうに舞台へと上がっていく。
授けられたのは、「豊穣の角笛」。拠点に飾れば、周辺の作物や素材の実りが豊かになるという、記念の品だ。そして、ギルド名に添えられる称号――「豊穣の覇者」。
「拠点の料理が、はかどりそうね」雪乃が、嬉しそうに、その角笛を抱えた。
「続いて――個人成績、最優秀!」
会場が、しんと静まる。個人スコアで、いちばん活躍した、たったひとり。その名が、読み上げられた。
「“Stray Wolves”所属――朝倉、柚希、選手!」
「……えっ」
呼ばれた柚希が、きょとんと目を丸くする。まさか自分が、とでも言うように。
「柚希! お前だよ! 行ってこい!」宗介が、その背を、ぽんと押した。
あの伝説の弓と、彼女自身の冴えわたる観察眼。群れの急所を見抜き、味方を導いた、その“眼”が。防衛戦での最大の功労者として、認められたのだ。合流したばかりの新入りが、いきなりの大殊勲だった。
「い、行ってきます……!」
真っ赤になりながら、柚希が舞台へと駆け上がる。授けられたのは、「実りの冠」。頭にいただくと、経験値の取得が増えるという、栄誉の品だ。そして、称号――「豊穣祭 最優秀」。
「すごいじゃないか、柚希!」
舞台の下から、陸が手を振る。柚希は、冠をかぶったまま、泣きそうな顔で、けれど精いっぱいの笑顔で手を振り返した。ずっと他人のギルドに籍を置いていた彼女が。いまでは、名実ともに、Stray Wolvesの誇りだった。
「……あたし、この冠。宝物にする」舞台を下りてきた柚希が、少し涙ぐんで、そう言った。「合流して、すぐなのに。……こんな、いいこと、あっていいのかな」
「当然の結果だよ」陸は、笑った。「柚希が、いちばん、頑張ってたんだから」
その言葉に、柚希は、ますます顔を赤くした。けれど、その笑顔は、これまで見たどの表情より、晴れやかだった。
「そして――今回、運営から、特別賞を、贈らせていただきます」
司会の言葉に、会場がざわめいた。特別賞など、聞いていない。誰に、なんのために。
「豊穣祭の最後に現れた“収穫荒らしの主”。……あれを討ち取るのではなく、その心に寄り添い、本来の豊穣の精霊へと還した、ひとりのプレイヤーへ」
会場の視線が、いっせいに陸へと集まった。
「非戦闘のテイマー、桐島陸、選手。……あなたに、特別称号“魔物に愛されし者”を贈ります」
陸は、しばし、ぽかんとしていた。まさか、自分が呼ばれるとは、思っていなかったのだ。まわりの仲間たちが、笑って、その背を押す。
「行ってこいよ、主役」宗介が、にやりと笑った。
戸惑いながら舞台へ上がった陸の隣には、いつのまにか、あの豊穣の精霊が、寄り添うようにちょこんと座っていた。もう、陸から離れる気は、ないらしい。その光景に、会場じゅうから、あたたかな拍手が沸き起こった。
「……なんか、俺は、戦ってないんだけどな」陸は、頭をかいた。
「それでいいのよ」雪乃が、微笑む。「あなたは、あなたのやり方で。……いちばん大事なものを守ったんだから」
黄金の畑を背にして。豊穣の精霊と、賑やかな仲間たちと。陸は、照れくさそうに、けれど幸せそうに笑っていた。
その頃、開発室では。
「……やられた」三浦が、モニターを見つめて、ぼやいた。その顔は、けれど心底、嬉しそうだった。「あの“主”、こっちは、最後まで倒される想定で作ってたんだぞ。……なのに、あいつは」
「なつかせちゃいましたね」こはるが、くすくす笑う。「しかも、隠し設定の“豊穣の精霊”フラグまで、綺麗に回収して」
主のデータには、開発チームだけが知る、隠された設定があった。あれは、ただ強いだけのボスではない。忘れられ、荒ぶってしまった、古い精霊。その悲しみに気づき、寄り添えたなら――本来の姿に還る。そういう仕掛けだった。
「気づくやつなんて、いないと思ってたよ」三浦は、笑った。「まさか、正攻法で殴らずに、話しかけて泣かせるとはな」
「やっぱり、あの子ですね」こはるが、しみじみと、頷いた。
モニターの中では、特別称号を授かった青年が、豊穣の精霊をなでている。世界最強の力を持ちながら、その手が選ぶのは、いつだって優しさのほうだった。
アルテのログが流れた。
アルテのログ:
「実りの祭りの、最後に現れたのは、
忘れられ、荒ぶった、古い守り神。
誰もが、それを討つべき敵と、見た。
けれど、ただ一人。
剣を持たぬ男だけが、その涙に、気づいた。
――もう、独りじゃない、と。
荒ぶりは解け、黄金の実りが、大地を満たす。
祭りは、笑顔のうちに、幕を閉じた。
力で奪う者ではなく、
心で結ぶ者が、いちばんの宝を、抱いていた。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
豊穣祭、最終日! 三話にわたって、お届けしてきた、お祭りイベントも、これで、完結です。
最後に立ちはだかった、“収穫荒らしの主”。実は、この子には、秘密がありました。忘れられ、荒ぶってしまった、豊穣の精霊。……倒すべき敵に見えた相手が、本当は、いちばん、寂しかった。それに気づいて、寄り添えるのが、やっぱり、陸なんですよね。剣ではなく、笛で。討つのではなく、抱きしめる。この物語の、いちばん大事なところを、詰め込みました。
そして、表彰式! ギルド優勝は、もちろんStray Wolves。個人最優秀は――なんと、合流したばかりの、柚希でした。彼女の“眼”が、防衛戦を、支えていましたからね。新入りの、いきなりの大殊勲に、あたたかい拍手を、送っていただけたら、嬉しいです。陸への“特別賞”も、この子らしい、結末になりました。
賑やかで、あたたかくて、ちょっぴり、泣ける。そんな、お祭りの締めくくりを、楽しんでいただけたら幸いです。
次回からは、また、のんびりとした、拠点の日常に、戻ります。新しい仲間になった、豊穣の精霊も、加わって。……どうぞ、これからも、よろしくお願いします!
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