第84話「守り抜け、黄金の畑」
昼下がり、陸が近所のスーパーへ買い出しに出ると、店先で大きなあくびをする柚希と行き合った。
「あ……陸くん。おはよ……ふぁ」
「おはよう、って。……お前、それ、夜勤明けだろ」
「うん。さっき帰ってきたとこ」柚希が、眠そうに目をこすった。ゆうべは病棟が忙しかったらしい。目の下に、うっすらと隈が浮いている。「これから寝る。……でも、夜にはちゃんと起きるから。豊穣祭、二日目でしょ」
「無理すんなよ。疲れてるなら、休んでくれていいんだぞ」
「やだ。……昨日、あんなに楽しかったのに」柚希は、むくれた顔で言った。「一日でも休んだら、絶対、後悔する。……ちょっとだけでも、出るから」
その負けん気の強さに、陸は苦笑した。ほんの少し前まで他人行儀だった彼女が、いまでは、こんなにもこの輪に加わりたがっている。それが、なんだか、嬉しかった。
「わかった。じゃあ、無理のない範囲で、な」
「うん。……じゃ、おやすみ」
ふらふらと手を振って、柚希は、自分の部屋へと帰っていった。
その夜、陸がログインすると、会場は、昨日にも増して張りつめた空気に包まれていた。
「陸、来たか」宗介が、掲示板を険しい顔で見ている。「二日目の告知、見たか?」
「いや、まだ。……なんて?」
「今日は、“大襲撃”だとさ」宗介が、その一文を指した。「昨日の比じゃない。収穫荒らしが大群で、畑ぜんたいに、いっせいに押し寄せてくる。……それを守りきれるか、だ」
掲示板には、こう書かれていた。
――豊穣祭 二日目。収穫荒らしの“大波”が接近中。畑を、守り抜け。守り抜いた畑の広さが、そのままスコアとなる。
「守りきれた面積が、スコアになるのか」大和が、腕を組んだ。「攻めるだけじゃ、だめってことだな」
「そう。一箇所を必死に守っても、他が食い荒らされたら意味がない」雪乃が、深刻な顔で言う。「広い畑を、少人数で、どこまで守り抜けるか。……これは、なかなか厳しいわね」
昨日までの、景気のいいバトルとは、わけが違う。守るべき畑は、広大だ。そこへ、数えきれないほどの魔物が、津波のように押し寄せてくる。倒しても倒しても、きりがない。守るべきものを抱えたままの戦いは、いつだって苦しいものだった。
「陸くん、どうする?」柚希が、隣に来た。眠そうな目を、それでも、しゃんとさせている。約束どおり、起きてきてくれたのだ。
「柚希……。無理、してないか」
「へーき、へーき。……それより、作戦、あるんでしょ?」
その信頼のこもった目に、陸は、ふっと笑った。指揮官らしいことは、できない。だが、みんなの力を、いちばん活きる形に繋ぐ。それくらいなら、自分にもできるはずだ。
「……アルシオン」
陸が呼ぶと、天馬が、ひときわ高く空へ舞い上がった。地上の戦いには、直接は加わらない。その代わり、空のいちばん高いところから、戦場の全体を見渡してくれる。
やがて、アルシオンが、ある一点で旋回した。翼を、大きく二度、羽ばたかせる。
「……北だ」陸は、その動きを読んで、みんなに告げた。「いちばん大きな群れが、北の畑から来る。まずは、そこを抑えないと」
命令ではない。ただ、見えたことを伝えるだけ。だが、それだけで、みんなの動きがぴたりと噛み合った。
「よし、行くぞ!」
宗介を先頭に、Stray Wolvesが、北の畑へと駆けた。
そこは、まさに、地獄絵図だった。地平線を埋め尽くすほどの収穫荒らしの大群が、黄金の畑へと殺到している。その数、数百。いや、数千か。
ずずず、と地響きが、足の裏から伝わってくる。無数の魔物が、いっせいに大地を蹴る振動だった。ぎちぎちと歯を鳴らす音が、津波の轟きのように、あたり一面に満ちている。押し寄せる黒い波の向こうに、守るべき黄金の畑が、頼りなく揺れていた。
「うわ……多すぎだろ、これ」大和が、思わず、たじろぐ。
一匹一匹は、大した敵ではない。だが、この数だ。少しでも綻びを見せれば、その隙間から、なだれ込まれる。そうなれば、後ろの畑は、あっというまに食い荒らされてしまうだろう。守るべきものが、背後にある。その重圧が、じりじりと、みんなの肩にのしかかってきた。
だが、ひるんでは、いられない。大和が、まず、前へ出た。例の大盾を、地面に、どんと突き立てる。
「みんな、俺の後ろに! ……《盾の絆》!」
大和の盾から、幾筋もの光が伸び、仲間ひとりひとりへと繋がった。これで、仲間が受けるはずだった致命の一撃は、すべて大和が肩代わりする。前線に立つ、鉄壁の守護者。彼がいるかぎり、後ろの仲間は、攻撃に集中できた。
「静! 畑の、東側が、破られそう!」ハルが叫ぶ。
見ると、東の一角に、収穫荒らしがなだれ込もうとしていた。あのままでは、その一帯の作物が、食い荒らされてしまう。
「……まかせて」
静が、静かに手をかざした。次の瞬間、地面から、魔力の光でできた巨大な壁がせり上がる。《具現》。魔力で、実体を、創り出す力。突如現れた壁が、収穫荒らしの侵入を、がっちりとせき止めた。
「“消す”のが専門の、あんたが。まさか、“創る”とはな」宗介が、感心して呟く。
「……状況が、そう言ってる」静は、短くそれだけ答えた。だが、その横顔は、少しだけ誇らしげだった。
宗介は、宗介で、群れの中心へと斬り込んでいく。手にした伝説の剣が、ひと薙ぎで数十体の収穫荒らしを、なぎ払った。だが、そのとき。倒したはずの魔物の残骸から、どろりとした黒い瘴気が、湧き出してくる。
「なんだ、これ……! 斬っても、この靄が、まとわりついてくる!」
「宗介、その靄!」陸が、《幻視》で見抜いて叫んだ。「それ、実体がない! 普通の攻撃は、効かないぞ!」
「……なら、こうだ。――《斬理》!」
宗介の刃が、青白い光を帯びる。振り抜くと、その一閃は、まとわりつく瘴気ごと、すぱりと断ち切った。実体のないものさえも断ち斬る、その剣。厄介な靄は、跡形もなく消え去った。
そして、後方では。
柚希の矢が、風を切って、飛んでいた。
「……そこ」
放たれた三本の矢が、それぞれ別々の急所へと、吸い込まれる。《三射》。一度に、三体を、同時に射抜く。しかも、柚希は、ただ数を撃つだけではなかった。
「……大和くん! そっちの、いちばん奥の一匹、そいつが、群れを、引っ張ってる!」
柚希が放った特別な一矢が、群れのなかの一体に、光の印をつける。《標の矢》。印をつけられた魔物の位置と弱点が、味方全員の視界に共有された。看護師の観察眼が、群れの中の“急所”を、正確に見抜いていた。
「よし、見えた!」大和が、その一匹めがけて突進する。
柚希の“眼”が戦場を見通し、みんなの攻撃を、いちばん効く一点へと導いていく。伝説の弓の力だけではない。彼女自身の冷静な目が、この防衛戦の、影の指揮を執っていた。
神獣たちも、負けてはいなかった。
陸の肩から飛び降りた小夜が、五本の尾を、ふわりと揺らす。金色の目がぎらりと光った瞬間、押し寄せていた収穫荒らしの群れが、びくりと足を止める。恐怖に竦んだのだ。あくびひとつで上位魔物を退ける、その眷属の圧が、大群の勢いをそぐ。
ユニコーンは、畑を、静かに歩き回っていた。収穫荒らしが通り過ぎたあとの土は、どす黒く腐りかけている。その穢れを、ユニコーンの《浄化の光》が、片端から清めていく。守るのは、いのちを刈る力ではない。実りそのものを蘇らせる、優しい光だった。
畑の一角を、シィラがたったひとりで支えていた。老術師が杖を振るうたび、炎と氷と雷が渦を巻いて、押し寄せる群れをまとめて薙ぎ払う。全属性を意のままに操るその魔法は、まさに一騎当千。若い頃、宮廷でその名を轟かせたという話も、うなずける戦いぶりだった。
そして、ガロードは、畑のいちばん手薄な一角に、静かに立っていた。剣は、抜いていない。にもかかわらず、その周囲にだけ、収穫荒らしが近づけずにいる。将としての、凄まじい覇気。それが目に見えぬ壁となって、群れを押しとどめていた。
「わしは、ここを動かん」ガロードが、腕を組んで、どっしりと構える。「安心して、存分に、暴れてこい」
その一言が、みんなに、なんとも言えない安心感を与えた。あの一角だけは、絶対に破られない。そう思えるだけで、前線の戦いに、思いきり集中できるのだ。
「陸くん、あっちの畑! 漆黒の絶対者が、押されてる!」
柚希の声に、陸は、そちらを見た。隣の畑では、黒崎と葛城が、押し寄せる大群に防戦一方になっていた。二人だけでは、さすがに、広い畑を守りきれない。
「……助けに行こう」
「いいのか? 敵ギルドだぞ」宗介が、確認する。「スコアの、ライバルだ」
「関係ないだろ、そんなの」陸は、笑った。「困ってる隣人を、放っておけるかよ」
Stray Wolvesの面々が、迷わず、隣の畑へと加勢に走った。宗介の剣が、葛城を囲む群れを吹き飛ばし。大和が、盾で、黒崎の背を守る。
「……お前たち」黒崎が、驚いたように目をみはった。「なぜ、俺たちを助ける。競争相手だろう」
「祭りだからな」陸が、あっけらかんと言った。「みんなで、守り抜いたほうが、楽しいだろ?」
黒崎は、しばし、呆気にとられていた。それから、ふっと肩の力を抜いて、笑う。
「……ふ。かなわんな、お前には」
こうして、ふた組のギルドは、いつしか肩を並べて戦っていた。ライバルでありながら、同じ畑を守るために。競い合う相手が、いつのまにか、背中を預け合う仲間になっている。それは、なんとも清々しい光景だった。
戦いは、長く、激しかった。
だが、Stray Wolvesの噛み合った連携の前に。そして、途中から加わった漆黒の絶対者との共闘の前に。さしもの大群も、次第に、その数を減らしていった。
そして、ついに――最後の一匹が、討ち取られる。
畑には、静けさが、戻ってきた。
見渡すかぎりの、黄金の畑。そのほとんどが、無傷のまま守り抜かれていた。刈り入れを待つ稲穂が、夜風にさらさらと揺れている。
「……守り、きったな」宗介が、剣を納めて、大きく息を吐いた。
「ぎりぎり、だったけどね」ハルが、へなへなとその場に座り込む。
みんな、疲れきっていた。だが、その顔には、やり遂げた者の満ち足りた笑みが、浮かんでいた。守り抜いた黄金の畑が、二日目の月明かりに、静かに輝いている。
「陸くん、あたし……もう、限界かも」
隣で、柚希が、ふらりとよろめいた。夜勤明けの体で、ここまで戦ったのだ。もう、とっくに、限界だったのだろう。
「よく、頑張ったな」陸は、そっとその肩を支えた。「もう、休め。あとは、大丈夫だから」
「……うん。ごめんね。……最後まで、いられなくて」
「なに言ってんだ。……お前の“眼”が、なかったら。今日は、守りきれなかったよ」
その言葉に、柚希は、ふにゃりと嬉しそうに笑った。そして、みんなに手を振って、そっとログアウトしていった。ゆっくり、休むといい。今日の働きは、じゅうぶんすぎるほどだったのだから。
「さて」宗介が、明日を思って、空を見上げた。「二日、乗りきった。……いよいよ、明日が、最終日だな」
「なんだか、嫌な予感がするのよね」雪乃が、ぽつりと言う。「最終日に、なにか……とんでもないものが、出てきそうな」
その予感は、当たっていた。だが、それを、このときの陸たちは、まだ知らない。
その頃、開発室では。
「二日目、無事に終了しました」こはるが、報告する。「守り抜かれた畑の面積、Stray Wolvesが、またしてもトップです。……途中から、ライバルのギルドと共闘しはじめたのには、驚きましたけど」
「あいつららしいや」三浦は、笑った。「勝ち負けより、目の前の畑を守るほうを、選んだか」
「明日は、いよいよ最終日ですね」佐々木が、腕を組む。「例の、“主”……本当に、出すんですか。あれ、調整ミスかってくらい、強いですよ」
「出すさ」三浦は、モニターの中の、静かな畑を見つめた。「あれは、ただ強いだけのモンスターじゃない。……ちょっとした仕掛けがある。あの子なら、きっと気づくはずだ」
三浦は、意味ありげに、笑った。
「豊穣祭の、本当の主役は。……明日、決まる」
アルテのログが流れた。
アルテのログ:
「黄金の波を、黒い波が、呑もうとした。
守るべきものを、抱えた戦いは、苦しい。
それでも、彼らは、一歩も退かなかった。
盾を繋ぎ、壁を創り、靄を断ち。
遠くを射抜く、澄んだ眼が、道を照らす。
やがて、競い合うはずの者さえ、
肩を並べ、同じ畑を、守っていた。
守り抜かれた、黄金の畑。
それは、力ではなく、
心を、繋いだ者たちの、勝利だった。
祭りは、明日、その頂を迎える。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
豊穣祭、二日目。今回は、イベントの山場となる、大規模な防衛戦を、お届けしました。
倒すだけなら、簡単です。でも、今回は「畑を守り抜く」のが、目的。攻めながら、守る。この、両立の難しさが、防衛戦の、醍醐味です。大和の《盾の絆》、静の《具現》、宗介の《斬理》。そして、柚希の“眼”。ずっと温めてきた力が、こういう「守る」場面で、次々と輝くのは、書いていて、爽快でした。
そして、いちばん書きたかったのは、黒崎たちとの、共闘です。スコアを競い合うライバルのはずが、隣が押されていたら、迷わず助けに行く。陸の「困ってる隣人を、放っておけるかよ」という一言に、この物語の、すべてが詰まっている気がします。
柚希は、夜勤明けの体で、それでも、最後まで戦い抜いてくれました。無理をさせちゃったな、と思いつつ。その負けん気を、頼もしく、感じています。
さあ、いよいよ、次回は、最終日。運営が用意した“とっておきの主”とは――。そして、陸は、それに、どう向き合うのか。どうぞ、お楽しみに!
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