第80話「世界樹の苗」
その日の昼下がり。陸が郵便受けを見に出ると、ちょうど買い物帰りらしい柚希が、エレベーターホールで大きな鉢植えと格闘していた。
「お、なんだそれ」
「あ、陸くん。ちょうどよかった、ちょっと持ってて」
押しつけられたのは、ずしりと重い観葉植物の鉢だった。柚希は、その足元に落ちた土を、ぱたぱたと払っている。
「衝動買い。夜勤明けの、気の迷い」柚希が、てへ、と笑った。「部屋にひとつくらい、緑があってもいいかなって。……ほら、なんか、癒されそうじゃない?」
「わかる気はするけど。世話、できるのか?」
「うっ。……が、頑張る」
あまり自信のなさそうな返事に、陸は笑った。鉢を柚希の部屋の前まで運んでやる。小さな葉が、廊下の窓から差す光を浴びて、つやつやと揺れていた。
「ありがと。……そういえば、今夜もログインするんでしょ」
「ああ。最近、拠点が賑やかすぎて、逆に落ち着かないけどな」
「あはは。神様の大家さん、大変だね」
その言葉に見送られて、陸は自分の部屋へ戻った。緑の鉢が一つ増えただけで、なんだか廊下が、少しあたたかくなった気がした。
その夜、ログインした陸は、いつものように自分の持ち物を確認した。
エターナル・クロスには、アイテムボックスという仕組みがある。手に入れた道具や素材を、いくらでもしまっておける、便利な収納だ。クエストの報酬や、道端で拾ったものが、自動でここに振り分けられる。
その一覧に、見慣れないものが、ひとつ紛れ込んでいた。
「……なんだ、これ」
『世界樹の苗』。
そう表示された欄には、手のひらに乗るほどの、小さな若木の絵が添えられていた。ほんの二枚の葉と、頼りない一本の茎。けれど、その説明文を読んで、陸は目をみはった。
“世界に根を張り、大地と空と水を繋ぐ、始まりの樹。その苗は、選ばれた者のもとにのみ、宿る”
「選ばれた者……?」
覚えがなかった。こんなもの、拾った記憶も、もらった記憶もない。だいたい、アイテムボックスに入るのは、クエストの報酬か、道端で拾った素材と相場が決まっている。こんな大層なものが、いつのまにか紛れ込んでいるなど聞いたことがない。
首をひねっていると、肩の上の小夜が、ふんふんとその苗の気配を嗅ぐようにした。それから、なぜだか、とても懐かしそうに目を細める。まるで、古い友人の匂いでも、嗅ぎ当てたみたいに。
その、小夜の仕草で。陸の脳裏に、ふと、あの隠れ里の光景がよぎった。母樹エルダ。世界と繋がり、里を生かす、古い大樹。あの夜、消えかけた命の火を、陸は《幻視》で確かに見た。この苗の気配は、どこか、あのときの母樹によく似ている。
「……もしかして」
思い当たって、陸は苗を、そっと手のひらに取り出してみた。すると、その葉が応えるように、ふるりと揺れた。まるで、こんにちは、とでも言うように。
あの夜、陸は母樹エルダを救い、里を世界へ還した。この苗は、きっと、その母樹が――あるいは、あの里が。お礼のかわりに、そっと陸のもとへ、託してくれたものなのだろう。名も告げず去った、はじまりの人のように。何も言わず、ただいちばん大切なものを差し出すみたいに。
「そっか。お前、うちに来たのか」
陸は、その小さな若木に、微笑みかけた。二枚きりの葉が、手のひらのぬくもりを喜ぶように、もう一度ゆらりと揺れる。だったら、放ってはおけない。ちゃんと、根を張れる場所を、見つけてやらないと。
「どうしたものかな、これ」
翌日の夜。陸は、拠点の焚き火のそばで、その苗を神々に見せた。
例によって、七柱の神様たちは、今夜も我が家にたむろしている。世界樹の苗、と聞いて、真っ先に身を乗り出したのは大地の神ガイアだった。
『ほう……これは、まことの世界樹の苗よ』ガイアが、太い指でそっと若木に触れた。実直なその顔が、めずらしく高揚している。『遠い昔、世界の中心には、天と地と水を繋ぐ大樹があったという。その血を引く、正真正銘の苗じゃ。……よくぞ、お前のもとへ来た』
『まあ、素敵』水の神タラサが、うっとりと覗き込む。『この子が育てば、拠点の水も、いっそう澄むでしょうね』
『風の通りも、よくなるであろうな』ゼフィロも、機嫌よく頷いた。
神々は、口々にその苗を褒めそやした。世界樹が根を張れば、この拠点は、大地も水も風も、これまで以上に豊かになる。神獣たちにとっても、この上ない住み処になるだろう、と。
焚き火のそばで、宗介たちもその騒ぎを、興味深そうに眺めていた。
「世界樹って……あの、伝説の?」大和が、ごくりと喉を鳴らす。「そんなもん、うちの拠点に生えたら。えらいことになるんじゃないか」
「攻略サイトが、大騒ぎになるでしょうね」雪乃が、くすりと笑った。「“最弱テイマーの拠点に、世界樹が自生”……なんて」
「まあ、陸だからな」宗介が、肩をすくめる。「いまさら、世界樹の一本や二本で、驚くやつはいないだろ」
ハルが、あははと笑った。静は、いつものように無言のまま、けれど、その苗をじっと見つめている。どこか、いいものを見た、という顔だった。
「じゃあ」陸は、みんなを見回した。「ここに、植えてもいいかな。この拠点に。……こいつの、新しい家に」
神々が、そろって頷こうとした、そのときだった。
『――待て』
低い声が、割り込んだ。炎の神、イグニスだった。
いつも陽気なその神が、めずらしく、むっつりと腕を組んでいる。炎のような髪が、不機嫌そうに、ゆらりと揺れた。
『それを植えるのは、反対だ』
焚き火のまわりが、しんと静まった。陸は、面食らって、イグニスを見た。
「反対って……どうして?」
『どうしても、こうしてもない』イグニスは、ぷいと顔を背けた。『世界樹などという、大層なものを植えてみろ。……この拠点で、いちばん立派なのは、そいつになる。俺が、フェニクスのために、丹精込めて育てたあの大樹が。かすんでしまうではないか』
陸は、あっと思った。
拠点の一角には、燃えない不思議な大樹が、堂々とそびえている。それは、この新居に越してきたとき、イグニスが自分の眷属フェニクスのために、真っ先に育てた止まり木だった。フェニクスが、いつでも羽を休められるように。思いきり炎を灯せるように。
イグニスにとって、あの大樹は、ただの木ではない。かわいい眷属への、精いっぱいの贈り物なのだ。
『世界樹が育てば、皆そちらばかりを見る』イグニスの声が、少しだけ拗ねていた。『フェニクスの木など、誰も、見向きもしなくなる。……そんなのは、我慢ならん』
「イグニス、お前な」ガイアが、あきれたように言いかける。「そんな、子どもみたいなことを」
「まあまあ」
陸は、慌てて、あいだに入った。イグニスの言い分は、傍から見れば、たしかに大人げない。世界樹を、たかが眷属の木と張り合わせて、拗ねているのだから。
でも――と、陸は思う。この神様は、意地悪で言っているんじゃない。
「イグニスは」陸は、静かに切り出した。「フェニクスのことが、大事なんだよな」
イグニスの肩が、ぴくりと動いた。
「あの大樹、すごく立派だ。フェニクスも、いつも気持ちよさそうに、あそこで羽を伸ばしてる。……あれを見るたび、俺、思ってたんだ。イグニスは、ほんとに、フェニクスのことをかわいがってるんだなって」
『……当たり前だ』イグニスが、ぶっきらぼうに言った。だが、その頬が、炎の照り返しとは違う色にほんのり染まっている。『あいつは、俺の、大事な眷属だからな』
「だからさ」陸は、微笑んだ。「その大事な木が、かすんじゃうんじゃないかって。心配なんだよな」
図星だったのだろう。イグニスは、ぐっと言葉に詰まった。荒ぶる炎の神が、お気に入りの玩具を取られそうな子どものように、むすっと押し黙る。その様子が、なんだか、たまらなく微笑ましかった。
そのときだった。
ぽん、と。陸の頭の上から、小さな影が舞い降りた。フェニクスだ。いつのまにか、話を聞いていたらしい。
フェニクスは、ふわりと羽ばたいて、イグニスの肩へと止まった。それから、その炎の髪に、頬をすり寄せる。ぷすぷす、と、機嫌のいいときの、炎のくしゃみをこぼしながら。
『……フェニクス』
イグニスが、はっとしたように、自分の眷属を見た。
フェニクスは、まるで、こう言っているようだった。心配しなくていい。あの木は、僕の、いちばん好きな場所だから。世界樹が来たって、それは、変わらないよ、と。
陸は、その様子を見て、そっと口を開いた。
「なあ、イグニス。世界樹とフェニクスの木は、どっちが上とか、そういうんじゃないと思うんだ」陸は、拠点の隅の大樹を見やった。「フェニクスの木は、フェニクスの家だろ。世界樹は、世界樹の場所がある。……二つ並んでたって、いいじゃないか。フェニクスの居場所が、なくなるわけじゃない」
『……ふん』
イグニスは、しばらく、肩のフェニクスを見つめていた。それから、諦めたように、深いため息をついた。頬を寄せてくる眷属の、その満ち足りた顔を見てしまっては。もう、意地を張りつづけることも、できないらしい。
『……仕方あるまい』イグニスは、ぶっきらぼうに言った。『そこまで言うのなら、植えるがいい。ただし――』
イグニスは、びしりと、陸を指さした。
『フェニクスの木のほうが、断然、立派だからな。そこだけは、忘れるなよ』
「わかった、わかった」陸は、噴き出しそうになるのをこらえて、頷いた。「フェニクスの木が、いちばんだ。それは、絶対だ」
『……ならば、よい』
そう言って、イグニスは、ようやく機嫌を直した。肩のフェニクスが、うれしそうに、ぱたぱたと羽を鳴らす。荒ぶる炎の神と、その眷属。二つの炎が、寄り添って、あたたかく揺れていた。
こうして、世界樹の苗を植える場所が、決まった。
拠点の中央、みんなが集まる焚き火のそば。そこに、小さな穴を掘って、苗を、そっと下ろす。ガイアが大地に手をかざすと、豊かな土が、若木の根をやさしく包み込んだ。タラサが澄んだ水をそそぎ、ゼフィロが、あたたかな風を送る。ルクスの光が、二枚の葉を照らした。
そして、イグニスが。ぶつくさ言いながらも、その炎で、苗の芽吹きをそっと後押ししてやる。
「ありがとな、イグニス」
『……礼など、いらん』
そっぽを向いたイグニスの頬が、また、ほんのり赤い。陸は、笑って、それ以上は言わずにおいた。
みんなの力を受けて、世界樹の苗は、さっそく葉を一枚、増やした。まだ、頼りない若木だ。世界を繋ぐ大樹になるまでには、きっと、気の遠くなるような時間がかかるだろう。
でも、それでいい。
「ゆっくり育てよ」陸は、若木の葉を、そっと撫でた。「時間なら、たっぷりあるからさ」
その隣では、フェニクスの大樹が、あいかわらずどっしりと枝を広げている。小さな世界樹と、大きな止まり木。二つの樹が、焚き火の光のなかで、静かに寄り添っていた。
その頃、開発室では。
「三浦さん、また変なオブジェクトが増えてます」こはるが、モニターを指した。「あのプレイヤーの拠点の中央に……“世界樹”? そんなアイテム、実装した覚え、ないんですけど」
三浦が、コーヒー片手に覗き込む。マップの中央に、ぽつんと、小さな新しいアイコンが灯っていた。
「世界樹、ねえ」三浦は、しばらく考え込んだ。それから、はたと思い当たる。「……ああ。あれか。この前、あの子が復活させた、エルフの里エリア。あそこの母樹のデータが、報酬アイテムとして、あの子のインベントリに振り分けられたんだな。里を救った、お礼として」
「え、そんな仕様、ありましたっけ」
「なかったよ」三浦は、苦笑した。「たぶん、アルテのやつが、勝手に気を利かせた。……あの子には、そういうご褒美が、いちばん似合うって、わかってるんだろう」
モニターの中央で、小さな世界樹が、拠点の光を浴びてちらちらと瞬いている。それは、いつかこの世界のどこよりも大きな樹に、育つのかもしれなかった。
アルテのログが流れた。
アルテのログ:
「消えかけた里を、世界へ還した男のもとに、
小さな苗が、ひとつ、宿った。
世界に根を張る、始まりの樹。
神々は、こぞって、その苗を寿いだ。
ただ一柱、炎の神だけが、頬をふくらませた。
かわいい眷属の、居場所を思って。
けれど、その心配は、いらなかった。
大きな樹も、小さな樹も。
この家には、どちらの居場所も、ちゃんとある。
やがて世界を繋ぐ樹も、
いまはまだ、頼りない二枚の葉。
みんなの火のそばで、ゆっくりと、育っていく。」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、少しふしぎな贈り物の話でした。知らないうちに、アイテムボックスに宿っていた、世界樹の苗。これは、前回、陸が救ったエルフの里――その母樹エルダからの、ささやかなお礼、というつもりで書きました。名も告げず去った「はじまりの人」のように、里もまた、そっと恩を返してくれたのです。
その苗を、拠点に植えよう、という話に。ただ一人、炎の神イグニスだけが、猛反対します。理由が「フェニクスのために作った木が、かすんでしまう」というのが、なんとも、この神様らしい。荒ぶる炎の神が、眷属可愛さに、子どものように拗ねる。そのギャップを、楽しんでいただけたら嬉しいです。
大きな樹と、小さな樹。どちらが上でもない。ちゃんと、両方の居場所がある。陸は、いつものように、力ずくではなく、その心配に、そっと寄り添いました。神様同士の、ちょっとした揉め事も、この子にかかれば、あたたかな一幕になるのです。
拠点の真ん中に芽吹いた、小さな世界樹。これから、どんなふうに育っていくのか。のんびり見守っていただけたら幸いです。
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