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『戦闘力ゼロのテイマー、なぜか神様に気に入られながら気づいたらギルド最強になってた』~ハズレ職だと笑われた俺、神獣を仲間にしてしまった件~  作者: 赤ん坊


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第68話「連れて帰る」

シィラの杖の先で、全属性の光が渦を巻いていた。


小夜の九つの尾がそれに重なる。封印を司る眷属の力だ。何十年も解けなかった封印を、いま、もう一度。光はいまにも魔の核を呑み込もうとしていた。


このまま封じれば、終わる。世界は救われる。


それで、いいはずだった。けれど陸の足は、勝手に動いていた。あの靄の中に、まだ一人残っている。それを知ってしまった以上、見て見ぬふりはできなかった。たとえ世界が救われても、誰か一人を暗闇に置き去りにして得る平和なら、陸はきっと一生、それを忘れられない。


だから陸は、一歩前へ出た。


「待って」


その声でシィラの手が止まった。光が宙で揺らぐ。


「シィラ。封じる前に、やることがある」陸は黒い靄の中心を見据えた。「ロランを、出さなきゃ」


誰もが息を呑んだ。あの渦の中にまだ、人の形をした影があった。何十年も魔を抑え、いままた封じ直されようとしている、その中心に。封じてしまえば、ロランごと永遠に閉じ込めることになる。あの日と、同じように。


「でも、どうやって」と大和。「あんなものの中に手を入れたら……」


陸は答えなかった。代わりに、靄の中心へ向かってまっすぐ歩き出した。


「陸くん!」と柚希が叫ぶ。


「危ない、戻れ!」と宗介。


それでも陸は止まらなかった。最弱の魔物使い。戦う力はない。けれどこれだけは、自分にしかできない気がした。


何十年も人の心を失わずに、たった独りで魔を抑え続けた人。その人に届く言葉があるとすれば、それは強さでも剣でもない。ただ独りじゃないと知らせることだ。それなら、戦えない自分にもできる。


足元には、小夜の気配があった。九尾の白銀の狐が、いつでも魔を抑えられるよう、陸の歩みに寄り添っている。背中にはガロード。まわりには仲間。陸もまた、独りで歩いているわけではなかった。


陸の《幻視》が靄の奥を見抜いていた。そこにいるのは化け物ではない。一人の、疲れ果てた男だった。何十年もたった独りで、踏ん張り続けてきた男。その心の色が、はっきり見えた。底の見えない疲れ。そして、誰にも言えなかったひとつの願い。


もう、休みたい。


「ロラン」と陸は呼んだ。「あんた、もう、いいんだよ」


靄の中の影が、ぴくりと動いた。


「ずっとここにいてくれて、ありがとう。あんたが抑えててくれたから、外の世界は無事だった。誰もあんたのことを知らないままだったけど……俺は知ってる。ガロードが、ずっとあんたの話をしてた」


靄の奥から、低い声が返ってきた。拒むような、それでいてどこか、すがるような声だった。


「……来るな。俺は、ここにいなきゃならない。俺がいなくなれば、これが外に出る」


「もう、出ないよ」と陸。「あんたの代わりに、これを抑えられる子がいる」陸は、頭上の小夜を見上げた。九尾の白銀の狐を。「それに、あんた一人に背負わせない。もう、そういうのは終わりにしよう」


「だが……俺には、もう、生きてここを出る資格なんて」


「資格なんて、いらない」陸は首を振った。「助けたいから、助ける。それだけだよ。あんたはもう、じゅうぶん戦った。あとのことは、俺たちに任せて」


ガロードが陸の隣に並んだ。


「ロラン」


その声は震えていた。豪傑と呼ばれた老騎士の声が。


「あの日、お前は俺を突き飛ばして笑った。隊長、先に行け、と。俺はお前を置いて逃げた。ずっと、その背中が忘れられなかった。何十年も。一日だって」


靄の中の影がゆっくりとこちらを向いた。


「礼を言いたかった」とガロード。「お前のおかげで、俺は生きた。生きて……こんなにいい仲間に、出会えた。だから――ありがとう、ロラン。そして、すまなかった」


靄が、揺れた。


そのなかから声が聞こえた。かすれた、けれど確かに、人の声だった。


「……隊長。やっと、笑えるようになったんですね」


ガロードの目から涙がこぼれた。


「あの日のあなたは、ずっとつらそうな顔をしていたから。……俺は、これでよかったんです。あなたが生きてくれて。それで、じゅうぶん報われた」


「ばか野郎」とガロード。「報われてなんか、いるものか。お前は何十年も、こんなところで……もう、いい。もう、休め。今度は俺が――俺たちが、お前を連れて帰る」


ガロードが靄の中へ手を伸ばした。


あの日ロランが、ガロードを突き飛ばした、その手とは逆向きに。今度は、引き寄せるために。


「掴まれ、ロラン!」


けれど靄が、その手を拒んだ。黒い瘴気が、ガロードの腕を焼く。魔の核は、長いあいだ自分を抑えてきたものを、手放したくないのだ。


ガロードの顔が、苦痛に歪んだ。腕の鎧が、じゅうと音を立てて黒く焦げていく。それでも、引っ込めなかった。


「ロラン!」ガロードが奥歯を噛んで叫んだ。「俺はもう、お前を置いていかん! 一度なら、許せる! だが二度は、絶対に御免だ!」


「小夜!」と陸。


九尾の小夜が吼え、魔の核がひるむ。その隙に、ユニコーンの光が靄の中心へ、一筋差し込んだ。闇に、細い道ができる。


「いまだ!」


雪乃の鎖がガロードの体を支えた。大和がその背を押さえた。宗介と柚希が、群がろうとする瘴気を払い続ける。静の魔法が、ハルの影が、靄の動きを縫いとめた。


神獣たちも、総出だった。モフがガロードの足元に巨体を据えて、地面ごと踏ん張る。フェニクスの炎が、襲いくる瘴気を焼き払った。ジオの蔦が靄の腕を絡めとり、サンダーウルフの雷が、その巨体の動きを鈍らせる。アルシオンが頭上を旋回し、零れた瘴気から仲間をかばった。


シィラが全属性の光で、魔の核そのものを抑え込む。九尾の小夜が、その傍らで、封印の力を解き放ち続けた。


その場の全員が、ガロードの伸ばした一本の腕に、力を託していた。誰も命じてはいない。それでも、ひとつになっていた。


靄の中の手が、ためらいがちに伸びてきた。


ガロードの手がそれを掴んだ。


固く。二度と離さないと。


「離さんぞ。もう、絶対に離さん」


ガロードが渾身の力で引いた。みんなが、それを支えた。


そして黒い靄の中から、一人の騎士が、引きずり出された。


古びた鎧。けれどその兜の奥には、確かに、穏やかな目があった。何十年ぶりに、戦いの外に出た男の目が。


「……外は」とロランが呟いた。「こんなに、明るかったんですね」


ガロードが、その鎧の肩を両手で掴んだ。確かめるように。震える指で、何度も。


「……ロランだ」とガロードが、呻くように言った。「本物の、ロランだ」


「お久しぶりです、隊長」ロランの声には、何十年ぶんの疲れと、安らぎが滲んでいた。「ずいぶん、白髪が増えましたね」


「うるさい」ガロードが、泣き笑いの顔で、その額を自分の額にこつんと当てた。「お前は何も変わっとらん。あの日のまま、馬鹿みたいに、いい顔をしておる」


ロランが抜けたあと、魔の核は、ただの力の塊に戻っていた。中に、誰もいない。もう、誰も閉じ込めてはいない。


「シィラ」と陸。


「ああ」とシィラが頷いた。「今度こそ……誰も置いていかずに」


シィラの杖が、振り下ろされた。小夜の九つの尾が、いっせいになびく。全属性の光と封印の力がひとつになって、魔の核を包み込んだ。


黒い靄が、ゆっくりと小さくなっていく。何十年もこの地を蝕んできたものが、ようやく鎮められていく。


光に呑まれながら、魔の核はもう暴れなかった。中に抑えるべき相手がいなくなった檻は、ただ静かに閉じていく。シィラの杖を握る手は、もう震えていなかった。あの日、逃げるしかなかった少女は、もういない。いまここにいるのは、最後まで踏みとどまった、一人の術師だった。


そして、静寂が訪れた。


立ち枯れた古戦場に、初めて静けさが戻ってきた。剣戟の音は、もう聞こえない。倒れ伏した騎士たちは、みな安らかに横たわっている。何十年も終われなかった戦いが、ようやく終わったのだ。


ロランが、ガロードを見た。それから、シィラを。


「シィラ殿。あなたが封じてくれたから、王国の外の、たくさんの命が助かった。あなたは逃げたんじゃない。守ったんです」


シィラの皺深い顔が、くしゃりと歪んだ。何十年も自分を責め続けた女が、初めてその言葉を受け取っていた。


「……すまない」とシィラが、ようやく声を絞り出した。「もっと早く、戻ってやれていたら。あなたたちを、こんなに長く、待たせずにすんだ」


「いいんです」とロランの声は、穏やかだった。「あなたも、ずっと戦っていたんでしょう。その杖を、置けないまま。……お互い、よく保ちましたよ」


シィラの目から、何十年ぶりかの涙が、こぼれ落ちた。


「隊長」とロラン。「俺は、もう行きます。ずっと、眠たかったんだ。……でも最後に、あなたの笑った顔が見られて、よかった」


ロランの姿が淡い光になってほどけていく。


「ロラン!」とガロード。


「先に行って、待ってます。今度こそ、ゆっくり酒でも飲みましょう。隊長」


最後に、その影は確かに笑った。あの日と、同じように。そして光は、白みはじめた空に溶けるように消えていった。


ガロードは、しばらくその場に立ち尽くしていた。それから、ゆっくりと顔を上げて、誰にともなく言った。


「……ああ。先に行ってろ。すぐにとは言わんが――いつか、必ず」


その背中に、陸はかける言葉を持たなかった。ただ、隣に立っていた。シィラが反対側に立つ。宗介たちが、静かにそのまわりを囲んだ。小夜が、いつのまにか元の小さな姿に戻って、ガロードの足元に、そっと身を寄せた。


モフがのっそりと歩いてきて、ガロードの大きな背中に、もふもふの体をぽすんと預けた。フェニクスが頭上で、小さく炎をくゆらせる。まるで、立ちのぼる線香の煙のように。神獣たちなりの、弔いだった。


ガロードは、足元の小夜の頭を、ごつごつした手でそっと撫でた。その手は、まだ少し震えていた。


「……世話をかけたな。みんな」


掠れた声だった。それで、じゅうぶんだった。


誰も、何も言わなかった。それでよかった。




開発室では、三浦とこはるが、言葉もなく画面を見つめていた。


あれほど荒れ狂っていたデッドエリアのデータが、いま嘘のように凪いでいた。何十年も未終了だった戦闘インスタンスが、ついにクローズしている。億を超えていた戦闘回数のカウンターが、ゆっくりと、ゼロになった。


「……終わりました」とこはるが、小さく言った。「あの子たち、終わらせちゃいました。誰のことも、倒さないで」


三浦は、何も言わなかった。ただ画面の隅で、淡い光がひとつ空へのぼっていくのを、最後まで見届けた。データ上はありえない挙動だ。一個のNPCが消えるだけで、こんな演出は組み込んでいない。それでも三浦には、それが何なのか、わかる気がした。長く眠れずにいた魂が、ようやく眠りにつく。ただ、それだけのことだった。


「……お疲れさん」と、三浦は誰にも聞こえない声で呟いた。




アルテのログが流れた。


アルテのログ:

「何十年も、終われなかった。

誰にも知られず、誰にも数えられず、

ただ独りで、踏ん張り続けた人がいた。


その人を、力で消すことはできた。

封じてしまうことも、できた。

けれど彼らは、どちらも選ばなかった。


手を伸ばした。

あの日、突き飛ばした手とは、逆向きに。

連れて帰るために。


世界を救った夜に、

彼らがいちばん大事にしたのは、

たった一人を、置いていかないことだった。」




東の空が白みはじめていた。


長い夜が終わろうとしていた。古戦場を覆っていた瘴気は晴れ、立ち枯れた木々の根元に、小さな緑の芽がひとつだけ顔を出していた。


石柱の上から、柚希がふわりと舞い降りた。アルシオンが、その背をそっと受け止める。


「あたしは、ここで落ちるね」と柚希。さすがに限界らしく、目がとろんとしていた。「夜勤明けでこれは、もう無理。寝る」


「ありがとう、柚希」と陸。「助かった。ほんとに」


「貸し一つ」柚希は小さく笑った。「今度、コーヒーくらいおごってよね。陸くん」


そう言って、その姿はログアウトの光に包まれて消えた。ようやく、眠りにつくために。


「帰ろうか」と陸は言った。「みんなも、待ってる」


シィラが頷いた。ガロードが、もう一度だけ空を見上げて、それから前を向いた。その顔は、廃坑で初めて会ったときよりも、ずっと穏やかだった。


ガロードが、焦げた腕をぐるりと回した。「さて。帰って、酒だな」


「その前に、腕の治療です」と雪乃が呆れ顔で言った。「かすり傷だ」「かすり傷じゃないでしょう。見せてください」


そんないつものやりとりが、戻ってくる。長すぎた夜は、もう終わったのだ。


長すぎた夜の決着が、ついた。けれど物語は、まだ終わらない。陸たちの知らないところで、七つの神の力がいまも静かに、一点へ向かって収束を続けていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


古戦場編、ついに決着です。陸が選んだのは、封じることでも、倒すことでもなく、「連れて帰る」ことでした。あの日、ロランがガロードを突き飛ばして生かした。その手とは逆向きに、今度はガロードが手を伸ばして、ロランを引き上げる。この一場面を書くために、ずっと積み上げてきたつもりです。


ロランは、最後に笑って、眠りにつきました。救えた、とは言えないかもしれません。それでも、誰にも知られないまま暗闇に置き去りにされるのと、仲間に手を引かれ、礼を言われ、笑って見送られるのとでは、まるで違う。陸たちが守ったのは、世界だけではありませんでした。シィラが何十年も背負ってきた罪も、ロランの言葉が、そっと降ろしてくれました。


そして物語は、終わりません。陸たちの知らないところで、七柱の神の力が、いまも一点へ収束を続けています。次回は、長い夜のあとの帰還と、ささやかな余韻を。読んでくださって、ありがとうございました。


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