第61話「空の新入り」
その日は、仕事が、早く片付いた。夕方には、もう、手が空いていた。柚希も、今日は休みらしい。珍しく、二人とも、ゆっくりできる日だった。
陸は、まだ明るいうちに、ヘッドセットを被った。
拠点は、おだやかだった。
焚き火のそばで、サンダーウルフが、丸くなっていた。子犬ほどの体を、ユニコーンの白い体に、ぴったりと寄せている。雷の眷属と、光の眷属が、並んで、うとうとしていた。雷と光が、こんなふうに、仲良く眠っているのは、たぶん、世界中でここだけだろう。
「すっかり、馴染んだな」と陸。
近づくと、サンダーウルフが、片耳を、ぴょこ、と動かした。眠ったまま、陸の足首に、鼻先を寄せてくる。放電が、ぱちりと、肌をくすぐった。痛くはない。あたたかい雷だ。来たばかりだというのに、もう、ここを、自分の場所だと思っている。
少し遅れて、柚希がログインしてきた。今日は、顔色がいい。しっかり休んだのだろう。
「うわ、何この、ぬくぬく空間」と柚希が、焚き火の輪を見て、笑った。モフの背では、小夜が、腹を出して寝ている。その隣で、ジオが、苔だらけの体を、ぺたりと地面に伸ばしていた。
「平和だな」と宗介が、剣を磨きながら言った。「神様、全員と知り合っちまったし。これ、もう、終わりに向かってんじゃないか?」
「どうかな」と陸。
そのときだった。
陸の肩の上で、小夜の尻尾が、ぴくり、と逆立った。
四本ある尻尾の、その付け根に。五本目が、生えかけた。金色の毛が、すうっと、伸びかけて――そして、ふっと、消えた。
小夜自身が、戸惑ったように、自分の尻尾を、振り返った。きゅう、と、小さく、不安げに鳴く。
「……今の」と陸。
だが、それきり、何も起きなかった。小夜は、何度か尻尾を振って、また、丸くなった。陸は、首をかしげたが、深くは、追わなかった。追えなかった、というほうが、正しい。意味が、わからなかったからだ。
その小さな違和感を、ふっと、押し流すように、風が吹いた。
いつもの、森の風ではなかった。高い、澄んだ、上の方から降りてくる風。焚き火が、ぶわっと、横に流れた。
「来た?」と柚希が、空を見上げた。
空の一点が、白く、光っていた。そこから、小さな影が、まっすぐ、降りてくる。
手のひらに乗るほどの、白い、天馬だった。額のあたりに、淡い風をまとっている。ぱたぱたと、小さな翼を動かして、まっすぐ、陸の肩に、降り立った。
アルシオンだった。
いつか、東の崖で、一度だけ会った。風の神ゼフィロの眷属。あのときは、陸に頬を擦り付けて、それから、ゼフィロと一緒に、去っていった。
その天馬が、今、また、陸の肩で、鼻先を、頬に、押し付けてきた。
「お前……」と陸。
風が、くるくると、陸たちの周りを、回った。声が、その風に、混ざっていた。
「言ったろう」と、軽い、掴めない声。ゼフィロだった。姿は、見えない。風だけが、笑っている。「会いたいやつには、会える、と。お前が、お前のままでいれば、向こうから、来る、と」
「こいつ、勝手に来たのか」と陸。
「とめても、聞かん」風が、肩をすくめるように、ゆれた。「ずっと、お前のとこに、行きたがってた。……好きにしろ。眷属が、自分で選んだんだ。おれが、口を出すことじゃない」
それは、他の神たちと、同じ言葉だった。
陸は、肩のアルシオンを、見た。つぶらな目が、陸を、まっすぐ、見返してくる。
「俺は、命令しない」と陸。「来たいなら、来い。嫌になったら、いつでも、帰っていい」
アルシオンが、ぶるり、と首を振った。前足で、陸の肩を、とん、と踏む。行く、という意思表示だった。
「決まりだな」
肩の反対側で、小夜が、新入りを、じっと見た。しばらく、にらみ合っていたが、やがて、ふん、と鼻を鳴らして、尻尾を揺らす。認めた。アルシオンが、嬉しそうに、小さくいなないた。
風が、満足げに、ひとつ、渦を巻いて――消えた。ゼフィロは、もう、何も言わなかった。
陸の視界に、システムの表示が、流れた。
天馬アルシオンが、仲間に加わりました
使役者の移動速度・回避率が、大幅に上昇
風属性攻撃力+四百/落下ダメージ無効
「移動速度に、回避率……」と静が、陸のステータス画面を、横から、のぞきこんで、黙った。普段、ほとんど表情を変えない静が、めずらしく、眉を寄せている。「……これ、もう、魔物使いの、ステータスじゃ、ないです」
「そうなのか?」と陸。
「そうなのか、じゃ、ないです」と静が、低く言った。
「神獣、六体目……」と雪乃が、こめかみを、押さえた。「もう、数えるの、やめていい?」
馴染む間も、なかった。
アルシオンの来訪に、呼応したのか。あるいは、あの収束の余波か。空の、遠くから、耳障りな羽音が、近づいてきた。
黒い、鳥のような影が、いくつも。風をはらんで荒れた、飛行型の魔物の群れだった。収束のうねりに、巣を乱されたのかもしれない。まっすぐ、拠点の上空へ、突っ込んでくる。
「数、多いな」と宗介が、剣を構えた。だが、空を見上げて、舌打ちする。「……届かねえ。あいつら、ずっと上だ」
ジオが、地面から、蔦を、伸ばそうとした。だが、蔦は、空の半分も届かずに、力なく、垂れた。ジオが、しょんぼりと、苔の体を、縮める。
「蔦は、空には届かないよな」と陸が、その頭を、撫でた。「お前は、休んでろ」
モフは、前に出て、地上の守りに、構えた。だが、空の敵には、その巨体も、手が出ない。サンダーウルフも、地を蹴る構えのまま、上空をにらんで、唸るしかなかった。雷の脚は、速いが、空は、駆けられない。
そして、小夜は。いつもなら、あくび一つで竦ませるところを、今日は、自分の尻尾を、気にして、落ち着かなかった。さっきの、五本目の感触が、まだ、抜けないのだろう。陸は、それに気づいて、小夜を、そっと、胸に抱えた。
「お前は、いい。今日は、休んでろ」
空の敵には、空の戦力だ。
アルシオンが、陸の肩を、蹴った。
小さな体が、宙に躍り出た、その瞬間――ぶわりと、白い光が弾けた。風が、爆ぜるように四方へ広がり、焚き火が、大きく、傾く。光がおさまったときには、巨大な、天馬が、そこにいた。風をまとった、純白の翼。たてがみが、風に、流れている。蹄が、空を、駆ける。さっきまで手のひらサイズだったとは、誰も、思わない。
「うわっ」とハルが、風圧に、目を、細めた。「さっきの、ちっこいの、どこ行った!?」
アルシオンが、群れの、ど真ん中へ、突っ込んだ。風の刃が、翼から、扇状に広がる。魔物が、木の葉のように、吹き散らされた。
「速っ……」と大和が、口を、開けた。
そこへ、フェニクスが、頭上から舞い上がった。普段の、くしゃみの炎ではない。炎の翼を広げ、アルシオンが散らした魔物を、上空で、まとめて焼く。風と炎が、空で、絡み合った。
地上では、柚希が、弓を引いていた。
「アルシオンが、追い込んでくれてる」と柚希。風で乱れたはずの軌道を、《風の導き》が、まっすぐ通す。「なら、こっちは、楽」
二本の矢が、同時に、空を裂いた。《二射》。アルシオンの風に、追い立てられて、隊列を崩した魔物の、急所を、的確に、撃ち抜く。
陸は、地上から、それを、見上げていた。胸の中で、小夜が、ちらりと、空を、気にしている。
「俺、何もしてないんだが」
「知ってる」と柚希が、次の矢を、つがえながら言った。空を、見たままで。
数分も、かからなかった。
空が、静かになった。荒ぶった群れは、一羽残らず、地に落ちるか、逃げ散るかしていた。アルシオンが、ゆっくりと、降りてくる。地面に蹄がつくころには、また、手のひらサイズに、戻っていた。
「お前、すごいな」と陸が、その鼻先を、撫でた。アルシオンが、得意げに、いなないた。
そのときだった。
陸の腕の中で、小夜が、また、びくり、と震えた。
尻尾の付け根に、五本目が、生えかけて――今度は、さっきより、長く、伸びた。金色の毛が、月の光のように、ゆらめいて。それから、また、ふっと、消えた。
小夜が、不安げに、きゅう、と鳴いた。自分の体に、何が起きているのか、わからない、というように。陸は、その小さな体を、ぎゅっと、抱きしめた。
「大丈夫だ」と陸。「大丈夫」
そのやりとりを、焚き火のそばから、シィラが、じっと、見ていた。
「……封じたものは」とシィラが、ぽつりと言った。火を、見たまま。「いつか、緩む」
「シィラ?」
「あの、七つの力が、一つに集まっただろう」シィラの声が、低かった。「ああいう、大きな揺らぎは……古い封じ目を、撫でる。眠っているものを、起こす。あの子の尻尾も、たぶん、それだ」
陸は、小夜を見た。それから、シィラを見た。
シィラの横顔は、いつもの、穏やかなものとは、違った。どこか、遠くを、見ていた。昔を、見ているような目だった。
その視線の先で、ガロードが、火に、薪をくべる手を、止めていた。シィラと、目が合う。二人とも、何も、言わなかった。だが、その沈黙は、初めて会う者の沈黙では、なかった。同じ何かを、知っている者の、沈黙だった。
「二人とも」と陸。「どうした」
「なんでもない」とガロード。短く。火に、目を戻す。
「なんでもない、わけ、ないだろ」
「……昔の話だ」ガロードが、それだけ言った。「お前が、気にすることじゃない」
シィラは、何も言わず、ただ、薪の爆ぜる音を、聞いていた。
だが、しばらくして、ガロードが、ふいに、口を開いた。誰に言うともなく、火に、向かって。
「……忘れた日は、一日も、ない」
それが、何を指すのか、陸には、わからなかった。だが、シィラが、その横顔を、見た。何か言いかけて、やめる。代わりに、薪を、一本、くべた。火の粉が、ふわりと、舞う。
二人のあいだの沈黙には、長い年月の、重さがあった。
陸は、それ以上、聞かなかった。聞いても、今は、答えないと、わかったからだ。胸の中の小夜が、二人の顔を、不思議そうに、見上げていた。
拠点に、夜が、降りてきた。
アルシオンが、焚き火のそばで、サンダーウルフと、ユニコーンの、間に、体を、丸めた。風と、雷と、光。そこに、また一つ、新しい寝息が、加わった。
陸は、その光景を、見ていた。あたたかい。いつもの、何も求められない、あたたかさ。
でも、その夜は、いつもより少しだけ、小夜の尻尾のことと、火を見つめるシィラとガロードの横顔のことが、頭の隅に、残っていた。
ヘッドセットを外したのは、夜の十一時過ぎだった。
新しい仲間が、増えた。空を駆ける、天馬。これで、神獣は、六体。
でも、その日は、それより、別のことが、気にかかっていた。
小夜の、尻尾だ。生えかけては、消える、五本目。あれは、何かが、緩み始めている、ということなのか。シィラは「封じたものは、いつか緩む」と言った。あの収束が、撫でた、と。
そして、あの二人の顔。シィラと、ガロード。同じ何かを、知っている顔。聞いても、答えなかった。
陸は、ぬるい麦茶を、飲み干して、目を閉じた。
開発室は、その夜も、起きていた。
「三浦さん」とこはるが、モニターを、指した。「この数値、ずっと、おかしいんです。あの収束のあとから」
三浦が、のぞきこんだ。封印系オブジェクトの、安定値を示す、グラフだった。本来なら、まっすぐな、一本の線。それが、収束の夜を境に、細かく、波打っていた。
「世界中の、封印が」と三浦が、低く言った。「いっせいに、揺れている。九尾の封も。古い戦場の、封も」
「古い戦場?」
「七柱の力が、一点に集まった反動だ」三浦は、答えにならない答えを、返した。「眠っていたものが……起きかけている。私たちが、設計したわけじゃ、ない。あの男の周りで、世界が、勝手に、動き出してる」
こはるが、ごくり、と、喉を鳴らした。
「起きたら……どうなるんですか」
三浦は、答えなかった。ただ、波打つグラフを、見つめていた。
アルテのログが、流れた。
アルテのログ:
「空を駆ける者が
火のそばに、降りた
風と、雷と、光が
並んで、眠っている
あたたかい夜だった
けれど
その火の、ずっと下で
長く、眠っていたものが
寝返りを、打った
九本目の尻尾が
生えかけている
逃げた者と
生き残った者が
同じ方を、見ている
あたたかさの底で
古い悲しみが
目を、覚ましかけている
物語は
やさしいだけでは
いられない」
その夜、誰もいないはずの、遠い古い戦場跡で、地面が、かすかに、鳴動した。
拠点の焚き火のそばで、シィラと、ガロードが、同時に、顔を上げた。そして、同じ方を、見た。誰にも、何も、言わずに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
七柱すべてと出会い、ひと区切り……と思いきや、ここからが新しい物語の始まりです。今回は、いつか東の崖で懐いてくれた天馬アルシオンが、ついに陸のもとへ。風・雷・光の眷属が並んで眠る焚き火、書いていて幸せでした。空の敵には空の戦力を、というように、これからは「敵に合う神獣」で戦っていきます。そして、あの七つの力の収束が、思わぬ余波を呼び始めました。小夜の封印が、緩み始めている。火を見つめるシィラとガロードの、同じ何かを知っている横顔。二人が背負ってきた“あの戦”の過去が、いよいよ動き出します。やさしいだけではいられない物語、次話もお楽しみに。
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