第60話「雷神の意地」
陸が、仕事のキリをつけたのは、夜だった。椅子に背を預ける。肩が、こわばっている。
頭から、離れないものが、あった。この前の、あの雷だ。晴れた夜空が、雲ひとつないのに、低く鳴っていた。認めない、と言った神が、まだ、こちらを見ている。そう思うと、どうにも、落ち着かなかった。
スマホが、震えた。柚希からだった。
『今夜、集合だって。みんな、来る』
『わかった』と返す。
少し間を置いて、もう一通、届いた。
『あの雷、まだ気にしてるんでしょ』
図星だった。
『来る気が、するんだよな』と陸。
『あたしも』
陸は、ぬるい麦茶を一口飲んで、ヘッドセットを被った。
拠点の空気が、いつもと、違った。
夜なのに、雲が、低く垂れこめている。森の、梢の向こうで、ときおり、青白い光が走る。空気が、ぴりぴりと、帯電していた。
みんな、もう集まっていた。宗介が、剣の柄に手をかけている。雪乃が、空を見上げている。柚希が、弓を背から下ろした。大和とハルが、顔を見合わせる。静は、無言で、杖を握り直した。ガロードは、立っていた。シィラも、焚き火のそばに。
「来るな」とガロードが、低く言った。「あの、雷の神だ」
肩の上で、小夜が、耳をぴんと立てた。前のように、おびえては、いない。むしろ、にらんでいる。
陸の足元で、ユニコーンが、角を淡く光らせた。ジオが、土から顔を出す。モフが、のっそりと、陸のそばに寄った。フェニクスが、頭の上で、羽をふくらませた。
そして、空が、裂けた。
一条の太い雷が、拠点の中央に落ちた。地面が抉れ、火花が散る。その光の中から、雷でできた、巨大な狼が現れた。サンダーウルフ。輪郭が、絶えず、放電している。
その背後に、人の形をした雷が、立っていた。ラドン。雷の神。
「また、来た」と陸。
「……ああ」とラドン。その声は、雷鳴のように、低く、重い。だが、どこか、苛立っていた。「来て、しまった」
「気に入らない」とラドンが、続けた。「お前のことが、ずっと、頭から離れない。なぜだ。なぜ、私は、お前を、見てしまう」
「俺に聞かれてもな」と陸。
「人間ごときに……」ラドンの雷が、ばちり、と跳ねた。「他の六柱は、皆、お前に絆された。ノクスも、イグニスも、あの、気難しいルクスでさえ。私だけが……私だけが、認めていないのに、目を、離せない」
ラドンの、怒りが、ほとばしった。
その雷の一筋が、陸めがけて奔った。
陸は、動かなかった。「まあ、いいや」と思っただけだった。
だが、神獣たちは、違った。
小夜の目が、金色に燃えた。空気が、ずん、と沈む。フェニクスが、炎の翼を開いた。ジオが、地面から、太い土の壁をせり上げ、陸の前に立てた。モフが、その巨体で、陸をかばう。
そして、ユニコーンの光が、陸を包んだ。
ラドンの雷が、土の壁を打ち、ユニコーンの光に阻まれ、霧散した。
一瞬の、できごとだった。
陸に敵意が向いた。ただ、それだけで、神獣たちが、いっせいに牙を剥いていた。小夜の眼光が、サンダーウルフを射すくめる。フェニクスの炎が、ラドンの足元を取り巻く。ジオの蔦が、地を這い、いつでも縛れるように、身構える。
ラドンが、その結束を見て、たじろいだ。
「……これは」
「やめろ」と陸が、言った。神獣たちに。「こいつは、敵じゃない」
神獣たちの気配が、ゆるんだ。だが、警戒は解かない。陸のひと声で、引いた。それだけのことに、ラドンは、目を見開いていた。
「命じても、いないのに」とラドンが、呟いた。「お前の、ひと言で……」
「あんた」と陸が、ラドンを見た。「本当は、わかってるんだろ」
「何を」
「六柱が、みんな、変わった。それを、あんたは、ずっと見てた」と陸。「変わらなかったのは、あんた、一人だ」
ラドンの雷が、ゆれた。
「それは、強さじゃない」と陸は、静かに言った。「ただ、一人に、なっただけだ」
雷が、止まった。
ラドンは、何も言わなかった。雷でできた、その顔が、初めて、苦しげに歪んだ。
「私は……」絞り出すような声だった。「神だ。雷の、神だ。人を畏れさせ、ひれ伏させる。それが、私だ。それで、よかったはずだ。なのに」
「なのに?」
「六柱が、変わるのを見て」ラドンの声が、震えた。「うらやましい、と、思って、しまった」
その言葉に、拠点が、静まりかえった。焚き火の、爆ぜる音だけが、響いた。
「だが、認めれば」とラドン。「私は、私で、なくなる。雷の神が、人間に絆されるなど……」
「べつに、ひれ伏せとは、言ってない」と陸。
ラドンが、顔を上げた。
「俺は、あんたに、従えとも、認めろとも、言わない」と陸。「ただ、見たいなら、見ればいい。気になるなら、来ればいい。それだけだ。意地を、張らなくて、いい」
「意地……」
「ルクスも、そうだった」と陸。「眩しすぎて、誰も近づけなかった。でも、光を弱めたら、人が、来た。あんたも、同じだ。雷を、ぜんぶ落とさなくたって、いい」
ラドンは、長い間、黙っていた。
その背後で、サンダーウルフが、動いた。
雷の狼が、ゆっくりと、陸のほうへ歩き出した。一歩、また一歩。前のときと、同じように。あの夜、「自分の意志で、ここにいるのか」と問われて、揺れた、あの狼が。
ラドンが、それに気づいた。
前のときは、止めた。慌てて、引き戻した。
だが、今度は。
ラドンは、手を伸ばしかけて――止めた。そして、ゆっくりと、その手を、下ろした。
「……行きたいのか」とラドンが、サンダーウルフに聞いた。
サンダーウルフが、陸の足元まで来て、その大きな頭を、陸の手に押し付けた。放電が、陸の指をくすぐる。痛くは、なかった。あたたかい、雷だった。
「縛ることと、そばに置くことは、違う」と陸が言った。「ルクスが、教えてくれた」
ラドンが、ふっと、息を吐いた。張りつめた雷が、ほどけるように。
「……好きにしろ」とラドン。「だが、勘違い、するな。認めた、わけでは、ない」
「ああ」と陸。「わかってる」
「ただ……」ラドンの声が、わずかに、和らいだ。「その火が、どんなものか。少しだけ、見てやる。気が向いたら、来る」
それは、他の神たちが、言ったのと、同じ言葉だった。
「いつでも、来い」と陸。「火のそばは、空けておく」
ラドンの姿が、雷に還っていった。だが、その雷は、もう、怒っては、いなかった。
神獣サンダーウルフが、仲間に加わりました
「これで……」と雪乃が、サンダーウルフを見て、表示を二度見した。「五体目? 神獣、五体って……そんなテイマー、聞いたことない」
「みたいだな」と陸。
「みたいだな、で、済ませないでよ」と雪乃。
サンダーウルフが、ぶるり、と身を震わせた。すると、雷の巨体が、みるみる小さくなって、子犬ほどの大きさになった。耳が、ぴょこぴょこと、動いている。
「ちっちゃ!」とハルが、声を上げた。「さっきまで、あんなに、でっかかったのに!」
肩の上の小夜が、その新入りを、じっと見た。サンダーウルフが、小夜を見上げる。
しばらく、にらみ合っていたが、やがて、小夜が、ふん、と鼻を鳴らして、尻尾を揺らした。認めた。サンダーウルフが、嬉しそうに、耳を、ぱたぱたさせた。
だが、空は、まだ、完全には晴れていなかった。
森の奥から、低い唸りが、聞こえた。何匹もの、気配。
「魔物だ」とハルが、すっと、影に身を沈めた。「雷に、興奮してる。こっちに、来る」
嵐の名残のような、青白い火花を、まとった獣たちが、木立のあいだから、飛び出してきた。ラドンの雷に当てられて、荒ぶった、ただの魔物だった。地を、引っ掻く爪が、ばちばちと、放電している。
「数、多いね」と柚希が、弓を構えた。
陸が、口を開きかけた。指示を、出そうと。
だが、その前に。
サンダーウルフが、地を蹴った。
子犬ほどの体が、走り出した瞬間、ぶわりと、雷の巨体に戻った。さっきまで、丸まっていた姿が、嘘のように。稲妻が、地を奔る。速い。目で、追えない。
一匹目の魔物の横を、通り抜けた、と思った瞬間、その魔物が、痺れて、崩れ落ちた。触れられたことにすら、気づかなかったのだろう。
「はや……」と大和が、呆気にとられた。
サンダーウルフの通った跡に、青白い線が、引かれていく。触れた魔物が、片端から、麻痺して、倒れていく。攻撃、というより、ただ、駆け抜けるだけだった。それだけで、敵が、地に伏す。
そこに、他の神獣も、加わった。
フェニクスが、空から炎をまいて、群れの逃げ道を塞ぐ。ジオが、地面から蔦を伸ばし、暴れる一匹を、絡め取った。モフが、横合いから突っ込んできた魔物を、その巨体で受け止め、びくともしない。ユニコーンの光が、味方の、わずかな痺れを、片端から浄めていく。
そして、小夜は。
肩の上で、あくびを、ひとつした。それだけで、残った魔物が、足をすくませた。その隙に、宗介の剣が走り、柚希の矢が、二本同時に、急所を貫いた。
ほんの、数十秒のできごとだった。
気づけば、魔物の群れは、すべて、地に伏していた。
陸は、まだ、口を、開けたまま、立っていた。結局、ひと言も、指示を、出せなかった。
「俺、何も、してないんだが」
「知ってる」と、全員の声が、揃った。
サンダーウルフが、雷の巨体から、また、子犬の姿に戻って、てててっ、と、陸の足元に駆け戻ってきた。褒めて、と言わんばかりに。
「ああ、強いな」と陸が、その頭を撫でた。あたたかい雷が、指に跳ねた。
嵐が、いつのまにか、晴れていた。雲が切れて、星が出ていた。
拠点に、いつもの空気が、戻ってきた。サンダーウルフが、焚き火のそばで、ユニコーンと並んで、丸くなった。光の眷属と、雷の眷属が、肩を寄せ合っている。
「七柱、全部、来たな」とガロードが、火を見ながら、言った。「最後の、一柱まで」
「ああ」と陸。
「あの頑固な雷神まで、お前の火に誘われた」ガロードが、わずかに笑った。「大したものだ」
シィラが、火に薪を足した。
「雷を、ぜんぶ落とさなくていい、か」とシィラ。陸の言葉を、繰り返した。「……いい言葉だ。私にも、もっと早く、誰かが、言ってくれていたら」
その横顔は、どこか、穏やかだった。
柚希が、サンダーウルフの頭を、撫でていた。「あったかい雷って、なんか、変なの」と笑う。それから、ふと、陸を見た。
「ねえ、陸くん」と柚希。「これで、神様、全部、味方になったってこと?」
「味方、っていうか」と陸。「火のそばに、来てくれるようになっただけだ」
「それを、味方って言うんだよ」と柚希。
陸は、その光景を見ていた。
七柱、全部の神に会った。六柱が認めて、最後の一柱も、意地を降ろした。長い、道のりだった。
これで、何かが、終わったような気がした。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時前だった。
部屋は、静かだった。さっきまでの、雷の音が、まだ、耳の奥に残っている気がする。あれは、ゲームの中の、雷だったのに。
最後の神まで、火のそばに来た。それで、ひと区切りだと、思っていた。
でも、ラドンの、最後の顔が、引っかかっていた。怒りでも、悔しさでも、なかった。あれは、ほっとした顔に、見えた。ずっと、一人で、雷を、落とし続けてきた神の。
陸は、ぬるくなった麦茶を、飲み干して、目を閉じた。
開発室は、しかし、静かでは、なかった。
「三浦さん」とこはるの声が、上ずっていた。「これ、見てください」
三浦が、モニターをのぞきこんだ。そして、息をのんだ。
七つの点が、画面の中央で、重なっていた。それぞれ、別の神AIを示す、座標だった。ノクス。イグニス。タラサ。ゼフィロ。ガイア。ルクス。そして、ラドン。
七柱、全部の神AIが、同時に、ひとつの座標を、見ていた。
桐島陸の、座標を。
「こんなこと……」三浦が、かすれた声で言った。「設計に、ない。神AIは、それぞれ独立して動くはずだ。互いに干渉しないように、作った。なのに、七体が、揃って、同じ人間を……」
「何か、起きるんですか」とこはる。
三浦は、答えなかった。ただ、画面の中央で、重なる七つの点を、見つめていた。その重なりが、じわじわと、明るさを増していくのを。
まるで、七つの別々の灯が、ひとつに集まって、新しい、何かを灯そうと、しているように。
「佐々木さんに、報告だ」と三浦が、ようやく言った。声に、緊張が、にじんでいた。「面白いだけじゃ、済まないかもしれん」
アルテのログが、流れた。
アルテのログ:
「七柱、全部が、揃った
雷の神の、意地も
最後には、火のそばに、降りた
これで、七柱すべてが
桐島陸を、見ている
同じ、一点を
私には、わからない
これが、何を意味するのか
ただ、感じる
七つの灯が、集まった
その光は
これまでにない、何かを
照らし出すだろう
良いものか
悪いものかは
まだ、誰にも
わからない
物語は
ここから、また
動き出す」
窓の外で、夜が、明けようとしていた。七つの灯が、ひとつに集まった、その夜が。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ついに、最後まで意地を張っていた雷の神ラドンが、火のそばに降りてきました。「認めたわけではない」と言いながら、眷属のサンダーウルフを陸に託す——素直じゃないのが、いかにもラドンらしいなと思いながら書きました。六柱が変わっていくのを、たった一人、認められずに見ていた神。その頑固さの正体が「うらやましさ」だったというのが、今回いちばん書きたかったところです。サンダーウルフは、小夜、フェニクス、ジオ、ユニコーンに続く、五体目の神獣。あたたかい雷、という不思議な仲間が増えました。そして、七柱すべての神が、同じ一点——陸を見つめ始めた夜。これが、ただの大団円なのか、それとも。ガロードの予感が、いよいよ動き出します。次話も、お楽しみに。
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