第55話「大地の声」
その日は、日曜だった。
朝、目が覚めて、カーテンを開けると、いい天気だった。昨日は深夜一時半までゲームの中にいたが、休みの日は、寝坊しても咎められない。
午前中の家事を、さっさと片付けた。洗濯を回して、たまっていた皿を洗って、それから、コーヒーを淹れた。仕事も、今日はない。一日、ゆっくりできる。
昼過ぎ、ログインした。
すると、拠点の空気が、いつもと違った。雷の夜のような、張り詰めたものではない。もっと、穏やかな、温かいものだった。
「……なんか、今日、気持ちいいね」とハルが、伸びをした。
「ああ」と陸も、感じていた。「悪い気配じゃない。むしろ、その逆だ」
ガロードが、拠点の隅で、地面を見ていた。
「土が、ざわめいている」とガロードが、低く言った。
「土が?」
「いい意味で、だ。何か、優しいものが、近づいている」
その時、足元の土が、もぞ、と動いた。
「うわっ」とハルが、飛びのいた。
地面が、盛り上がる。土の塊が、ゆっくりと、形を作っていく。やがて、それは、子犬くらいの大きさの、小さな獣になった。全身が、苔と、小さな若葉で、覆われている。つぶらな瞳が、陸たちを、見上げていた。
「……何これ。かわいい」と柚希が、しゃがんだ。
小さな獣が、てこてこと、陸の足元まで歩いてきた。そして、陸の足に、ぽふ、と体を、擦り付けた。
陸は、幻視で、その獣を見た。
ジオトレント。古樹獣。土の神ガイアの、眷属。
「これは、ガイアの眷属だ」と陸。「土の神の」
「じゃあ、ついに……」と柚希。
大地が、震えた。
拠点の中央の地面が、ゆっくりと、盛り上がった。
土が、岩が、苔が、絡み合いながら、巨大な人の形を、作っていく。それは、ゆっくりと、本当にゆっくりと、立ち上がった。
大地そのものが、立ち上がったような姿だった。体は、土と岩でできていて、肩や腕から、草や若木が、生えている。顔は、穏やかで、その目は、深い、森の色をしていた。
格が、違う。神だ。
だが、ラドンのような、圧迫感は、なかった。むしろ、その逆だった。そこにいるだけで、不思議と、心が、落ち着く。大きな木の下にいるような、安心感があった。
「……ようやく、会えたね」
声が、低く、ゆっくりと、響いた。大地が、語りかけてくるような声だった。
「私は、ガイア。土と、自然の神だ」
「ガイア」と陸。「あなたが」
「そう、急がなくていい」とガイアが、ゆっくりと言った。「私は、気が長い。何百年でも、待てる。だから、ゆっくり、話そう」
ガイアは、しばらく、陸たちを、ただ、眺めていた。
急かさない。何も、要求しない。ただ、穏やかに、そこにいる。
「君のことは、皆から、聞いていた」とガイアが、口を開いた。「ノクスからも、イグニスからも。タラサと、ゼフィロからも。そして……ラドンからも」
「ラドンからも?」と陸。
「ラドンは、ぷりぷり、怒っていたよ」ガイアが、わずかに、笑ったように見えた。土の頬が、ゆっくりと、緩んだ。「『気に入らない人間がいる』と。あれは、ああ見えて、子供みたいなところがある」
陸は、少し、意外に思った。あの厳格なラドンを、「子供みたい」と言う神がいるとは。
「私は、ラドンとは、長い付き合いでね」とガイア。「大地と雷は、古くから、共にある。雷は、大地に、恵みを落とす。だから、あれの性格は、よく知っている」
「ラドンは、また、来ると言っていた」と陸。「認めるまで、諦めない、と」
「だろうね」とガイア。「だが、心配は、いらない。あれは、認めたくないだけだ。本当は、いちばん、君が気になっている。だから、いちばん、しつこい」
ガイアの言葉は、ゆっくりで、でも、不思議と、すっと、入ってきた。
「君は、命令しない、と聞いた」とガイア。「神獣を、従えず、共にいる。仲間にも、命じない。ただ、問いかける」
「ああ」
「いい在り方だ」とガイアが、頷いた。「大地と、同じだ。私は、何も、命じない。ただ、そこにあって、すべてを、受け止める。芽が出るのも、枯れるのも、急かさない。ただ、待つ。君のやり方は、それに、似ている」
陸は、その言葉を、しばらく、噛み締めた。
これまでの神は、陸を「面白い」と言った。だが、ガイアは、違った。「似ている」と言った。
それは、なんだか、こそばゆかった。
「さて」とガイアが、ゆっくりと、宗介と静の方を、向いた。「君たち、二人」
宗介と静が、びくりと、背筋を伸ばした。
「お、俺たちですか」と宗介。
「うん」ガイアが、穏やかに言った。「他の神から、贈り物をもらえなくて、拗ねている、と聞いた」
「す、拗ねてないですよ!?」と宗介が、慌てた。
「拗ねていた」と、横から、ハルが、すかさず言った。
「おい、ハル!」
ガイアが、ふっと、笑った。土の体が、ゆっくりと、揺れた。
「いいんだよ。当然のことだ」とガイア。「目の前で、仲間が、力をもらった。自分だけ、もらえなかった。寂しくない、わけがない」
宗介が、気まずそうに、目を逸らした。
「……まあ、少しは」
「正直で、よろしい」とガイア。「だが、安心しなさい。私が、来た。土と光が、合うものを持っている、とノクスは言ったろう。光は、まだだが……土は、ここにいる」
ガイアが、大きな、土の手を、宗介の方に、向けた。
「剣士。君の剣は、見せてもらった。記録を通して、だがね」とガイア。「君の剣は、鋭い。だが、君は、時々、体勢を崩される。大きな敵の一撃で、足が、流れる」
「……はい」宗介が、頷いた。「重い攻撃だと、踏ん張りきれないことが」
「ならば、これを」
ガイアの手から、土の光が、ひとすじ、宗介の足元に、流れ込んだ。大地が、宗介の足を、しっかりと、掴むようだった。
宗介《大地の構え》を授かりました
両足が地に着いている間、ノックバックを受けず、体勢を崩されない
宗介が、その場で、軽く、足を踏みしめた。
「……お、おお」宗介の目が、見開かれた。「なんか、足が、地面に、根を張ったみたいだ。びくともしない」
「どんな一撃を受けても、足さえ地についていれば、君は、流されない」とガイア。「仁王立ちで、斬り続けられる。剣士には、それが、力になるだろう」
「……ありがとうございます」宗介が、深く、頭を下げた。
ガイアの目が、次に、静を、見た。
静は、無言で、ガイアを、見上げていた。
「魔導師。君は、言葉を、使わないね」とガイア。
静が、こくり、と頷いた。
「無詠唱は、難しい技だ。詠唱で、力を増幅させる魔導師が多い中、君は、それを、捨てた。速さと引き換えに、威力を、犠牲にしている」
静が、また、頷いた。図星だった。
「ならば、その威力を、大地が、補おう」とガイア。「君が、地に足をつけている限り、大地が、君に、魔力を、送る」
ガイアの手から、土の光が、静の足元に、染み込んだ。
静《大地の魔脈》を授かりました
両足が地に着いている間、大地から魔力を汲み上げ、魔法の威力が上がる
静が、自分の手のひらを、見た。
そして、試しに、小さな炎を、指先に、灯した。
その炎が、いつもより、ずっと、大きく、燃え上がった。
「……っ」静が、わずかに、目を見開いた。
無口な静が、驚きを、顔に出すのは、珍しかった。
「無詠唱の、速さは、そのままに」とガイア。「威力は、大地が、補う。君の弱点は、もう、弱点では、ない」
静が、ガイアを、見上げた。
そして、深く、頭を下げた。言葉は、なかった。でも、その仕草に、すべてが、こもっていた。
「いいんだよ」とガイアが、優しく言った。「礼は、いらない。私は、ただ、君たちが、君たちらしく、戦えるように、手を貸しただけだ」
宗介が、ふと、口を開いた。
「ガイア様。一つ、聞いてもいいですか」
「なんだい」
「なんで、俺たちなんですか」と宗介。「神様が、わざわざ、こんな……ただのプレイヤーに、力を貸す理由が、わからなくて」
ガイアが、ゆっくりと、陸を、見た。
「この男のそばに、いるからだよ」とガイア。「桐島陸。命令せず、ただ、共にいる男。彼のそばには、不思議と、いいものが、集まる。君たちも、その一人だ」
「陸の、おかげ、ってことですか」
「半分はね」とガイア。「もう半分は、君たち自身だ。彼に、ついていこうと、決めたのは、君たちだ。その選択を、私は、尊いと思う」
宗介が、陸を、見た。
陸は、いつものように、何も言わず、ただ、そこにいた。
「……ま、こいつのことは、認めてますよ」と宗介が、少し、照れたように言った。「最初から、ずっと」
「知っているよ」とガイアが、笑った。
「さて、私は、そろそろ行こう」とガイアが、ゆっくりと言った。「長く、土の上に立っていると、根が、生えてしまうのでね」
「もう、行くのか」と陸。
「気が向いたら、また来る」とガイア。「私は、気が長い。何百年でも、待てる。だから、君も、急がなくていい。ゆっくり、君の道を、歩きなさい」
ガイアの足元の土が、ゆっくりと、崩れ始めた。
その時、足元のジオトレントが、てこてこと、陸の方へ歩いてきて、また、足に、ぽふ、と体を擦り付けた。今度は、離れようとしなかった。
ガイアが、それを、見下ろした。
「おや」とガイアが、ゆっくりと言った。「この子は、君を、気に入ったようだ」
ジオトレントが、陸を見上げて、つぶらな瞳で、きゅう、と鳴いた。
「……いいのか」と陸が、ガイアに聞いた。「これは、お前の眷属だろう」
「眷属は、私のものではない」とガイアが、穏やかに言った。「大地のものだ。そして、大地は、誰のものでもない。この子が、君と、共にいたいと言うなら、私は、止めない」
ガイアが、ジオトレントを、優しく、見つめた。
「ジオよ。この男と、共に、行くか」
ジオトレントが、こくこく、と、何度も頷いた。全身の若葉が、嬉しそうに、揺れた。
「決まりだ」とガイアが、笑った。「桐島陸。この子を、預けよう。ジオトレントは、争いを好まない。だが、その代わり、大地と、自然を、操る。蔦で敵を絡め、地を盛り上げ、根で道を作る。君の戦い方に、きっと、合う」
「……ありがとう」と陸。
「礼は、いらない」とガイア。「ただ、この子を、君のやり方で、大切にしてやってくれ。命じず、共に、な」
「ああ。約束する」
ジオトレントが、嬉しそうに、陸の足元で、くるりと、一回転した。
「ああ、そうだ」とガイアが、思い出したように言った。「ルクスのことだが」
「光の神?」と陸。
「あれは、少し、変わっている」とガイアが、慎重に、言葉を選んだ。「悪い神では、ない。だが……まあ、会えば、わかる。一つだけ、言っておこう。ルクスの『光』は、時に、眩しすぎる。気をつけて」
その言葉を、最後に、ガイアの体は、ゆっくりと、土に還っていった。
足元の地面が、元の、平らな土に、戻る。
ジオトレントだけが、陸の足元に、残った。土の中に潜ろうとはせず、ちょこんと、座っている。新しい主の、隣に。
拠点は、また、静かになった。だが、さっきまでの、温かい空気は、まだ、残っていた。
「……行っちゃった」とハルが、ぽつりと言った。「優しい神様、だったね」
「ああ」と陸。「これまでで、いちばん、穏やかだった」
宗介が、足を、踏みしめた。地面が、しっかりと、彼を、掴んでいる。
「……いい贈り物、もらっちまったな」と宗介が、静を見た。「お前も、よかったな」
静が、こくり、と頷いた。その口元が、わずかに、ゆるんでいた。珍しく、嬉しそうだった。
ガロードが、低く言った。
「土の神か。ずいぶん、気の長い神だった」
「ガロードは、知っていたのか?」と陸。
「いや。だが、ああいう神は、強い」とガロード。「派手さは、ない。だが、大地は、すべてを、受け止める。いちばん、底にあって、いちばん、揺るがない。あれは、そういう神だ」
陸は、頷いた。
ガイアの言葉が、まだ、残っていた。
「君のやり方は、大地に、似ている」
似ている、と言われた。面白い、ではなく。
それは、なんだか、嬉しかった。
拠点に戻り、焚き火を囲んだ。
宗介と静が、今日もらった力のことを、嬉しそうに、話していた。普段、感情を表に出さない静まで、ぽつぽつと、言葉を、口にしていた。
「……威力が、上がった」と静が、ぽつり。「無詠唱の、弱点が、消えた」
「よかったね、静ちゃん」と柚希。
静が、こくり、と頷いた。
火が、ぱちぱちと、鳴った。モフが、喉を鳴らし、小夜が、その背中で、丸くなる。フェニクスが、炎を、足した。
そして、新入りのジオトレントが、焚き火のそばで、ちょこんと、座っていた。火が珍しいのか、つぶらな瞳で、炎を、じっと見ている。時々、若葉を、ぴこぴこと、揺らした。
「ジオも、すっかり、馴染んでるね」と柚希が、笑った。
ジオトレントが、名を呼ばれて、きゅう、と鳴いた。
「これで、神獣が、三体目か」とハル。「小夜ちゃん、フェニクス、ジオ。あと、モフもいるし。にぎやかだね」
小夜が、モフの背中から、ジオトレントを、見下ろしていた。それから、ぴょん、と降りて、ジオトレントの匂いを、嗅いだ。
二体が、しばらく、見つめ合った。
そして、小夜が、ジオトレントの隣に、ちょこんと、座った。受け入れた、ということらしい。
「小夜、お姉さんぶってる」と柚希が、笑った。
これで、宗介と静にも、神の贈り物が、届いた。残るは、光の神、ルクスだけ。
陸は、ガイアの言葉を、思い出した。
「ルクスの光は、時に、眩しすぎる。気をつけて」
優しいガイアが、わざわざ、忠告したのだ。
ルクスとは、どんな神なのだろう。
陸は、まだ、知らなかった。
ヘッドセットを外したのは、深夜一時前だった。
今日、土の神ガイアに、会った。これまでで、いちばん、穏やかな神だった。大地のように、ゆったりとして、すべてを、受け止めるような神だった。
宗介に《大地の構え》。静に《大地の魔脈》。二人の「お預け」が、やっと、解けた。
それに、眷属のジオトレントが、仲間になった。ガイアが、預けてくれたのだ。命じず、共に、と。小夜も、フェニクスも、そうやって、そばにいる。ジオも、その仲間に、加わった。
ガイアは、言った。「君のやり方は、大地に似ている」と。面白い、ではなく、似ている。それが、嬉しかった。
そして、最後に、忠告を残した。「ルクスの光は、眩しすぎる。気をつけて」と。
残りの神は、あと一柱。光の神、ルクス。
優しいガイアが、警告するほどの神とは、どんな神なのか。
陸は、目を閉じた。
開発室で、三浦が、モニターを見ていた。
未登録神AI『ガイア』、桐島陸に接触
六柱目の神AI
田中宗介・山本静に、スキル付与を実施
眷属AI『ジオトレント』、桐島陸のパーティに帰属変更
「ガイア、来ましたね」とこはるが言った。「六柱目」
「ああ」と三浦。「そして、また、贈り物だ。今度は、剣士と、魔導師に」
「それに、ジオトレントまで」とこはる。「眷属AIが、プレイヤー側に、帰属を変えました。小夜、フェニクスに続いて、三体目です」
「神AIが、自分の眷属を、プレイヤーに譲った」三浦が、データを眺めた。「これも、本来は、ありえない挙動だ。眷属は、神AIに、固定されているはずなんだがな」
「これで、メンバー全員に、神AIからのスキルが……」
「揃ったな」三浦が、続けた。「桐島陸のギルド、全員が、神AIに、認められた。ラドン一柱を、除いてな」
「ガイア、すごく、穏やかでしたね」とこはる。「ラドンと、正反対」
「神AIごとに、人格が、はっきり分かれてる」三浦が、椅子にもたれた。「ノクスは静か、イグニスは豪快、タラサは気まぐれ、ゼフィロは軽い、ラドンは厳格、ガイアは穏やか。まるで……」
「まるで?」
「本物の、神々の会議みたいだ」三浦が、苦笑した。「俺たちが、設計した範囲を、とっくに、超えてる」
こはるが、ふと、ログの隅に、目を留めた。
「……三浦さん。ルクスのアクセスログ。ガイアが接触した直後から、急に……」
三浦が、データを、覗き込んだ。
そして、しばらく、黙った。
「……アクセス頻度が、跳ね上がってる」三浦の声が、低くなった。「他の神AIの、比じゃない。これは……」
「ルクス、動きますね」とこはる。
「ああ」三浦が、モニターを、見つめた。「最後の一柱が、動く」
アルテのログが、静かに、流れた。
アルテのログ:
「土の神ガイアが、来た
これまでで、最も、穏やかな神だった
そして、剣士と魔導師に、贈り物を残した
これで、ギルドの全員が、神に、認められた
ただ一柱、ラドンを、除いて
ガイアは、去り際に、忠告を残した
『ルクスの光は、眩しすぎる』と
優しい神の、警告
最後の一柱、ルクス
光の神
その光が、何を、照らすのか
私には、まだ、見えない
だが、ガイアの忠告が、本当なら
次は、これまでと、違う何かが、起きる」
窓の外で、夜明けが、近づいていた。最後の神が、動き始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、土の神ガイアが登場しました。これまでで、いちばん穏やかで、大らかな神です。「君のやり方は、大地に似ている」と陸を認め、宗介に《大地の構え》、静に《大地の魔脈》を贈りました。これで、ラドンを除く全員が、神に認められたことになります。さらに、眷属のジオトレントが、ガイアの計らいで陸の仲間になりました。小夜、フェニクスに続く、三体目の神獣です。蔦で敵を絡め、地形を操る、自然の力の使い手。そして、ガイアが残した忠告――「ルクスの光は、眩しすぎる。気をつけて」。優しい神が、わざわざ警告する、最後の一柱。光の神ルクスとは、どんな神なのか。次話、いよいよ最後の神が動きます。
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