第53話「嵐のあとの火」
翌日は、土曜だった。
昼過ぎに目が覚めた。昨夜は、深夜三時過ぎまでゲームの中にいた。雷の神と対峙して、四柱の神に守られた夜だった。
コーヒーを淹れながら、ぼんやりと、昨夜のことを思い返した。
ラドンの雷。あの圧は、思い出すだけで、肌が、ぴりっとする。
でも、不思議と、怖さより、別のものが残っていた。
ノクスが、来てくれた。イグニスも、タラサも、ゼフィロも。
神々が、自分を、守ってくれた。
「……何なんだろうな、俺は」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
チャイムが鳴った。柚希だった。
「おはよ。って、もう昼だけど」と柚希が、紙袋を掲げた。「サンドイッチ買ってきた。昨日、あんなだったから、二人とも絶対昼まで寝てると思って」
「正解だ」
「でしょ」
二人でテーブルに座った。柚希が、サンドイッチを並べながら、ふと、手を止めた。
「……昨日のこと、夢じゃないよね」
「夢じゃない」
「神様が、四人も来たんだよ。陸くんを守るために」
「守るため、というより、見ていたいかららしい」
「もう、それ、同じことだってば」柚希が、少し笑った。それから、真顔になった。「でも、ラドン、また来るって言ってたね」
「ああ」
「怖くない?」
陸は、コーヒーを一口飲んだ。
「怖い。でも、考えても仕方ない。来たら、また、向き合うだけだ」
「……陸くんの、そういうとこ」と柚希が、サンドイッチをかじった。「すごいと思うけど、ちょっと心配にもなる」
「心配?」
「無理してないかなって。陸くん、なんでも『向き合うだけだ』って言うから」
陸は、少し、黙った。
「無理は、していない」と陸は言った。「それに、一人じゃない。昨日だって、みんながいた。ガロードが、前に立ってくれた。お前も、いた」
柚希が、サンドイッチを持ったまま、少し、目を見開いた。
それから、ふっと、笑った。
「……うん。いるよ、これからも」
夕方、ログインすると、広場が、いつもより賑やかだった。
宗介たちに加えて、黒崎零と葛城が来ていた。シィラも、焚き火のそばに座っている。
「お、来たな」と宗介が、手を上げた。「噂の男が」
「噂?」
「黒崎零が、聞きつけてきたんだよ。昨日の夜のこと」
黒崎零が、腕を組んで、陸を見ていた。
「……神と、やり合ったそうだな」
「やり合ってはいない」と陸。「問いかけただけだ」
「その問いかけで、神が引いた、と聞いたが」
「引かせたのは、俺じゃない。他の神たちだ」
黒崎零が、しばらく、陸を見ていた。それから、ふっと、息を吐いた。
「相変わらず、お前は、自分の手柄を、自分のものにしないな」
「事実を言っているだけだ」
「その事実の真ん中に、お前がいる。それも、事実だ」
葛城が、その横で、難しい顔をしていた。
「桐島さん」と葛城が、口を開いた。「一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「神に、問いかけた、と聞きました。戦わずに。それは……怖くなかったのですか。相手は、神ですよ」
陸は、少し考えた。
「怖かった」と陸は、正直に言った。「雷が落ちたとき、終わったと思った」
「では、なぜ」
「他に、やり方を知らないからだ」と陸。「俺は、剣を握れない。命令もしない。なら、問うしかない。それだけだ」
葛城が、黙った。
「……私には、まだ、わかりません」と葛城が、絞り出すように言った。「ですが、その『それだけ』で、神が動いた。その事実は、認めるしかない」
黒崎零が、わずかに、口角を上げた。
シィラが、焚き火のそばから、杖で、とん、と地面を突いた。
「陸。こちらへ来い」
陸が、シィラの隣に座った。
シィラは、しばらく、火を見ていた。
「……神々が、お前を巡って、割れている、と聞いた」
「ああ」
「四柱が、お前を守り、一柱が、お前を拒んでいる」シィラの声は、静かだった。「いいか、陸。神に好かれるのは、悪いことではない。だが、神に注目されるのは、別の話だ」
「どういう意味だ」
「注目は、重さだ」シィラが、陸を見た。「人でも、神でも、同じだ。見られ続けるというのは、それだけで、重い。お前は今、七柱の神のうち、五柱に、見られている。残りの二柱も、いずれ、お前を見るだろう」
陸は、黙って、聞いていた。
「私は、昔、宮廷で、見られ続けた」とシィラが、ぽつりと言った。「全属性を操る術師として、期待され、注目され、頼られた。その重さに、私は……最後まで、耐えられなかった」
火が、ぱちりと、鳴った。
「お前は、私とは違う」とシィラが続けた。「お前には、この火がある。仲間がいる。だから、たぶん、大丈夫だ。だが、忘れるな。重くなったら、降ろせ。一人で、背負うな」
陸は、シィラの横顔を、見ていた。
長く、一人で、暗がりにいた人の言葉だった。重さに潰れて、隠れた人の言葉だった。だから、重かった。
「……わかった」と陸は言った。「重くなったら、ここに降ろす」
「それでいい」
シィラが、わずかに、笑ったように見えた。
ハルが、火の向こうから、ひょこっと顔を出した。
「ねえねえ、それよりさ! 見てみて!」
ハルが、ぴょんと立ち上がって、夜の闇を指差した。
「《夜目》! 真っ暗なのに、あっちの森の奥まで、ぜーんぶ見えるの! ノクス様の贈り物、最高!」
「便利そうだな」と宗介。
「便利なんてもんじゃないよ! 影使いに夜目って、最強の組み合わせだもん!」
大和が、自分の胸を、とん、と叩いた。
「俺の《不滅の闘志》も、すげえぞ。一度だけ、絶対に倒れない。タンクには、これ以上ない贈り物だ」
「私の《癒しの水脈》も、ありがたいです」と雪乃が、穏やかに言った。「消費魔力が半分。これで、長い戦いでも、最後まで、みんなを支えられます」
「《風の導き》も」と柚希が、弓を撫でた。「昨日の帰り、試しに撃ってみたの。風が強くても、矢が、まっすぐ飛ぶ。狙撃手には、夢みたいな力」
宗介が、苦笑した。
「みんな、自慢しやがって。俺と静は、お預けだってのに」
「でも、ノクス様、言ってたじゃん」とハル。「土と光の神様が、二人に合うものを持ってるかも、って」
「ああ。だから、待つさ」宗介が、刀の柄を、軽く叩いた。「焦らず、な」
静が、こくり、と頷いた。
「それにしても、神様たちって、ほんと、個性強いよね」とハルが、笑った。「ノクス様は星空みたいでかっこいいし、イグニス様は豪快だし、タラサ様はふわふわだし、ゼフィロ様は口が軽いし」
「神も、いろいろ、ということだ」とガロードが、低く言った。「人間と、同じだ」
「ガロードさんは、昨日、神様の前に立ったんだよね」とハル。「怖くなかったの?」
ガロードが、ふん、と鼻を鳴らした。
「怖いか怖くないかで言えば、怖い。相手は、神だ」ガロードが、火を見た。「だが、怖いから退く、という選択は、俺にはない。主が前に出るなら、俺は、その前に立つ。それだけだ」
「……かっこいい」とハルが、ぽつりと言った。
「世辞はいい」
「世辞じゃないもん」
モフが、ぐるぐると、喉を鳴らした。その背中で、小夜が、丸くなっている。フェニクスが、炎を、ぱちりと足した。
いつもの、火のそばだった。
昨夜、神と対峙した。消されかけた。それでも、今日は、いつも通り、この火を、囲んでいる。
陸は、ふと、ガロードの言葉を、思い出した。
強くなっても、この火のそばを、忘れるな。
忘れていない。ここが、帰る場所だ。
「そういえば」と柚希が、ふと、言った。「残りの神様って、あと二人なんだよね」
「ああ」と陸。「ガイアと、ルクス。土の神と、光の神だ」
「その二人も、いつか、会いに来るのかな」
「来るかもしれない。来ないかもしれない」と陸。「ゼフィロが言っていた。会いたいやつには会える、と。俺が、俺のままでいれば、向こうから、興味を持つらしい」
「じゃあ、会うね、絶対」と柚希が、笑った。「陸くん、ずっと陸くんのままだもん」
「どういう意味だ」
「褒めてるんだよ」
火が、ぱちぱちと、鳴った。
夜が、静かに、更けていった。
ヘッドセットを外したのは、深夜一時前だった。今日は、早めに切り上げた。昨夜の疲れが、まだ、残っていたからだ。
今日は、戦わなかった。ただ、火を囲んで、話した。
シィラが言った。「重くなったら、降ろせ。一人で、背負うな」と。
長く一人だった人の言葉は、重かった。でも、温かかった。
残りの神は、あと二柱。ガイアと、ルクス。いつか、会うのだろう。ラドンも、また、来るのだろう。
それでも、帰る場所は、ここだ。あの火のそばだ。
それだけは、変わらない。
陸は、眠った。
開発室で、三浦が、モニターを見ていた。昨日の喧騒が嘘のように、今日は、静かだった。
Stray Wolves、通常活動に復帰
ラドンAI:待機状態・桐島陸の観測を継続中
他神AI:通常挙動に復帰
「今日は、平和ですね」とこはるが、伸びをした。
「ああ」と三浦。「だが、ラドンは、まだ、見ている。観測ログが、それを示してる」
「ずっと、桐島さんを?」
「ずっとだ。昨日から、一度も、観測を切っていない」三浦が、データを眺めた。「認めるまで、諦めない。あれは、本気だ」
「執念深い神様ですね」
「執念深い、か」三浦が、少し笑った。「あるいは、それだけ、気になって仕方ない、のかもしれんな」
アルテのログが、流れた。
アルテのログ:
「嵐の翌日、彼らは、いつも通り、火を囲んだ
神と対峙した翌日に
特別なことは、何もしない
ただ、話して、笑って、火を見る
シィラが、彼に言った
『重くなったら、降ろせ』と
長く孤独だった者の言葉が
今、彼を支える側に回っている
このギルドは、不思議だ
強さも、神の注目も
この火のそばでは
ただの話題の一つになる
それが、彼らの、強さの源かもしれない
なお、ラドンは、まだ、見ている
そして、残りの二柱も
いずれ、動くだろう
物語は、続いていく」
こはるが、モニターの隅の、小さなログに、目を留めた。
「……三浦さん。これ」
「ん?」
「未接触の神AI、ガイアとルクスの観測ログです。昨日から、アクセス頻度が、上がってます」
三浦が、データを、覗き込んだ。
「……他の神AIから、情報を、受け取ってるな。昨日の、一件の」
「ガイアとルクスも、桐島さんに、興味を?」
「かもしれん」三浦が、椅子に、もたれた。「七柱のうち、五柱が、すでに動いた。残りの二柱が、いつまでも、黙っているとは、思えん」
窓の外で、街の灯りが、静かに瞬いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
嵐のような夜の、翌日のお話でした。神と対峙した翌日でも、彼らは、いつも通り火を囲みます。シィラの「重くなったら、降ろせ。一人で背負うな」という言葉は、長く一人だった彼女だからこそ言えるものでした。そして開発室では、残り二柱の神、ガイアとルクスにも動きの兆しが。ラドンも、まだ見ています。物語は続いていきます。次話もお楽しみに。
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