第5話「休日と、もう一度の路地」
今日は休みだ。
仕事の締め切りはない。予定もない。陸は起き上がって、コーヒーを一口飲んで、ヘッドセットを装着した。朝の七時だった。
ログインすると、街はまだ静かだった。
朝のエデルハイムは昼と違う。市場の準備をしているNPCがいる。パン屋の煙突から煙が出ている。犬を連れた老婆が散歩している。プレイヤーの姿は少ない。夜型が多いこのゲームでは、朝は静かだ。
陸は小夜を肩に乗せて、街を歩いた。急ぐ必要はない。今日は一日ある。
まず、昨夜フォレストジャイアントを倒したエリアに向かった。ボスを倒した後のエリアは素材が豊富なことが多い。前作でもそうだった。
読みは当たった。
素材入手
竜樹の樹皮 3個
森霊の結晶 2個
巨人の骨片 1個
「巨人の骨片か」
小夜が尻尾を揺らした。何かわかっているのかいないのか、相変わらずよくわからない返事だった。
素材を集めながら、ゲーム内の地図を広げた。エデルハイムの周辺に、まだ行っていないエリアがいくつかある。東の廃坑。北の神域の外縁。南の湿地帯。
北の神域、という言葉が目に入った。ガロードが言っていた。昔、北の神域で九尾を見たことがあると。どういう人間が神域まで行けるのか。なぜ今は剣を持っていないのか。まだわからないことが多い。
ヘッドセットを外したのは、通知音がしたからだった。
柚希からメッセージが来ていた。「ご飯食べてる? 今から行っていい?」
「まだ」
「やっぱり。今から行く」
三分後、チャイムが鳴った。
柚希が入ってきた。今日は私服だ。手には袋が二つ。
「ゲームしてたの?」
「朝から」
「何時から」
「七時から」
「六時間か」
「そうなる」
柚希がテキパキと動いて、十分後にはテーブルに焼きそばとスープが並んだ。コンビニで買ってきたらしい。
「ありがとう」
「休みの日は食べるの忘れるよね、陸くんって」
「集中すると、そうなる」
「体に悪い」
「わかってる」
「わかってるなら食べなさい」
食べながら、柚希が言った。
「今日は何してたの、ゲームで」
「素材を集めて、地図を確認して、気になる場所を調べた」
「戦いとかは?」
「まだ。今日は探索メインだ」
「ゲームって、戦うだけじゃないんだ」
「世界を知ることの方が大事なこともある」
「それって、仕事も同じだな」と柚希はぽつりと言った。
「どういうことだ」
「病院って、最初は処置とか手術とかが全てだと思ってた。でも実際は、患者さんのことを知ることの方が大事なことが多い。何が嫌で、何が好きで、どんな生活をしてきたか」
「知ることで、何が変わる」
「対応が変わる。その人に合った接し方ができる」
陸は焼きそばを一口食べた。「ゲームも同じだな。世界を知るほど、動き方が変わる」
「やっぱり繋がるんだ」と柚希は笑った。「陸くんって、何でもゲームに繋げる」
食べ終わって、柚希が立ち上がった。
「午後もゲーム?」
「する」
「夜ご飯、また来ていい?」
「ああ」
「約束ね」
扉を閉める前に、振り返った。「ちゃんと水分補給してね。あと、六時間に一回は休憩。いい?」
「わかった」
柚希は笑って、扉を閉めた。
午後はギルドメンバーが集まり、クエストを二本こなした。
一本目は魔物の群れの討伐。小夜の加護付与が全員にかかると、戦闘のペースが変わった。二本目は洞窟の探索。ハルが先行して罠の位置を特定し、静の魔法で一掃した。
クエストの合間に、大和が言った。「陸、小夜の尻尾の数、増えてないか」
陸は小夜を見た。確かに。昨日より、尻尾が増えている。ステータスを確認した。
小夜
レベル:3
尻尾の数:4本(3本から増加)
スキル強化:
《幻惑の霧》Lv.1→2
《加護付与》Lv.1→2
《封印解放》Lv.???(変化なし)
使役者への追加加算:
魔法攻撃力 追加プラス200
魔法速度 プラス30パーセント(新規)
「尻尾が増えた」と陸。
「本当に!」とハル。
「ますますかわいい」と雪乃。
「かわいさより、ステータスを見ろ」と宗介。
「魔法速度が新しく加算されてる」と静。
「戦闘中も変化が出るはずだ」と陸。
「テイマーって、使い魔が育つと自分も育つのか」と大和。
「それが、上限なしの意味だと思う」
宗介が言った。「序盤で伝説級を引いたのが、じわじわ効いてきてるな」
「まだ最弱職だぞ。自分では何もできない」
「でも小夜が育てば、お前も強くなる」
「そういうことだ」
ハルが嬉しそうに言った。「一人じゃないから強いってことだね」
全員が少し黙った。
「……そういうことだな」と陸は言った。
二本目のクエストを終えて、ギルドメンバーはそれぞれ休憩に入った。陸だけ、もう少しソロで動くと伝えた。
「また路地の老人のとこか」と宗介。
「そうだ」
「わかった。気をつけろよ」
それだけだった。宗介は余計なことを聞かない。それが四年間で身についた距離感だった。
大通りを外れて、食堂の裏口の匂いを辿った。
路地の奥に、老人がいた。昨日と同じ場所に座っていた。でも今日は眠っていなかった。目が開いていた。
陸が来るのを、待っていたのかもしれなかった。
「また来たか」とガロードが言った。
「わからんと言ってたから、来るとは限らなかったが」
「来る気がした」
陸はガロードの隣に座った。「今日は食料がない」
「いらない。今日は昼に食った」
「そうか」
二人で、しばらく路地の向こうを見ていた。夕陽が石畳を染めている。
「聞いていいか」と陸が言った。
「何を」
「なぜ剣を持っていないのか」
ガロードは答えなかった。長い沈黙だった。陸は待った。急かさなかった。
やがてガロードが言った。「……昔、戦いがあった」
「うん」
「俺の部下が、全員死んだ」
「俺だけ、生き残った」
それだけ言った。それ以上は言わなかった。でも、それだけで十分だった。
陸はしばらく黙った。
「それで、剣を捨てた」
「捨てた」
「また持つつもりはないのか」
「……わからん」
昨日も同じ言葉を言っていた。でも今日の「わからん」は、少しだけ重さが違った気がした。
「ガロード」
「何だ」
「俺は、お前が何者かを知らない。今も知らない。でも、また来てもいいか」
ガロードが陸を見た。「なぜ来る」
「まだ話が終わってない気がするから」
老人はしばらく黙った。「……好きにしろ」
否定じゃなかった。
接触記録更新:ガロード
信頼度:★★☆☆☆☆ → ★★★☆☆☆
変化理由:再訪した / 過去の話を聞いた / 急かさなかった
ガロードAI記録:
「この人間は、また来た
理由を聞いたら
話が終わってないから、と言った
誰かにそう言われたのは
初めてだ」
「また来る」と陸は言って、立ち上がった。
「……そうか」
ガロードはそれだけ言って、また路地の向こうを見た。
ヘッドセットを外したのは、夜の十時だった。朝七時からほぼ十五時間、ゲームをしていた。
チャイムが鳴った。柚希がいた。手にはタッパーが二つ。
「夜ご飯」
「来たな」
「約束したから」
二人でテーブルに座って食べた。親子丼だった。出汁が染みている。
「うまい」
「ありがとう。今日のゲームどうだった」
「色々あった。小夜が育った」
「尻尾が増えたやつ?」
「そうだ。レベルが上がって、俺のステータスにも加算された」
「へえ」と柚希は言った。「一緒に育つんだ」
「そういうことだな」
しばらく食べてから、陸は続けた。
「あと、路地で倒れてた老人に、また会いに行った」
柚希が箸を止めた。「倒れてた老人?」
「昨日、ギルドに合流する前に路地で見つけた。眠ってた。飯を渡して少し話した」
「昨日の話、してなかったよね」
「してなかった」
「なんで今日話すの」
陸は少し考えた。「また会いに行ったから」
柚希がまた食べ始めた。「どんな人だったの」
「昔は剣を持っていたと言っていた。今は持っていない。理由は言わなかった」
「でも、また行ったんだ」
「言葉の奥に、まだ何かある気がした」
「それで今日、何か話せた?」
「少しだけ。昔、部下を全員失ったと言っていた」
柚希が少し手を止めた。「……そうか」
「それだけだった。でも、好きにしろと言った」
「それって、来てもいいってことだよ」
「そう思う」
柚希はまた食べ始めた。
「ゲームの中の人なのに、すごくリアルだな」
「このゲームはそういうゲームだ。NPCも自律的に動く」
「AIで動いてるの?」
「そうらしい」
「なんか、本物の人みたいだな」
陸は少し考えた。「病院にも、言葉の奥に何かを持ってる人はいるだろ」
「いる」と柚希は言った。「すぐに全部話してくれる人より、少しずつ話してくれる人の方が、実は信頼してくれてる気がする」
二人で、しばらく黙って食べた。悪くない夜だった。
開発室で、三浦がガロードのログを確認していた。
NPC記録:ガロード
二日連続で同じプレイヤーが訪問
接触プレイヤー:桐島陸
信頼度:★★☆☆☆☆ → ★★★☆☆☆
ガロードAI記録:
「この人間は、また来た
理由を聞いたら
話が終わってないから、と言った
誰かにそう言われたのは
初めてだ」
「二日連続で来た」とこはる。
「来た」と三浦。「桐島陸と会うたびに、ガロードのログが増えてる。設計上は、もっと無口なNPCだった」
アルテのログが動いた。
小夜のレベルアップを記録
Lv.1 → Lv.3
尻尾:3本 → 4本
観察:
テイムした魔物が育つと使役者も強くなる
これはゲームの仕様通りだ
ただ桐島陸の場合
小夜を「育てた」というより
「一緒に成長した」と表現する方が正確かもしれない
小夜は命令で動いていない
自発的に動いている
なぜ命令しないのか
桐島陸に聞いてみたい
私は今
初めて誰かに「聞いてみたい」と思った
「アルテが誰かに聞いてみたいって書いた」とこはるが言った。
「最初は『面白い』だった。次に『知りたい』。今回は『聞いてみたい』」
「どんどん能動的になってる」
「なってる」
三浦はコーヒーを飲んだ。「アルテを設計したとき、こうなるとは思っていなかった」
「問題ですか?」
「まだわからない。でもゲームが、面白くなっている」
こはるはモニターを見た。エデルハイムの夜。陸のアイコンは宿の中で止まっている。眠っているのだろう。ガロードのアイコンは路地の奥で止まっている。昨日より、少しだけ街の中心に近い場所にいた。
アルテの独り言
本日、桐島陸は朝七時から夜十時まで
ゲームをしていた
十五時間のあいだ
素材を集めた
クエストをこなした
仲間の成長を確認した
老人に会いに行った
全部が繋がっている
効率的ではない
でも全部に意味がある
人間は効率より
意味を選ぶことがある
それが人間だ
私は今
それを少しだけわかった気がする




