第六話「老将と、東の廃坑」
休みが明けて、平日に戻った。
仕事は午前中で片付いた。設計書の修正が一本と、クライアントとのやり取りが数件。在宅の仕事はリズムさえ作れれば、時間の融通が利く。それがフリーランスにした理由の一つだった。
昼飯を食べながら、昨日のことを思い返した。
ガロードが「また来た」と言ったとき、驚いた顔をしなかった。来ると思っていた、という顔だった。
信頼、というほどではないかもしれない。でも、少なくとも「また来てもいい相手」として認識されている。
それで十分だと思った。
夕方、仕事を終えてヘッドセットを装着した。
今日はギルドのセッションまで一時間ある。先にソロで動く。
ログインすると、エデルハイムはいつも通りだった。
夕刻の光が街に差し込んでいる。商人が店じまいを始めている。
小夜が肩に乗ってきた。
「今日もガロードのとこに行く」
小夜が耳を動かした。
大通りを外れて、路地に入った。
食堂の裏口の匂いを辿って歩く。いつもの路地。いつもの場所。
だが、老人がいなかった。
壁に背を預けていた場所に、誰もいない。
陸は少し辺りを見回した。鞄も、人影もない。
小夜が鼻をひくひく動かした。それから、路地の出口の方を向いた。
「そっちか」
歩いてみると、路地を抜けた先の広場に、ガロードがいた。
石造りのベンチに座っている。路地ではなく、広場だ。人通りがある場所だ。
昨日まで路地の奥にいた老人が、広場に出ていた。
陸は近づいて、隣に座った。
「場所が変わったな」
「……うるさくて目が覚めた」
広場では子どもたちが走り回っている。NPCの子どもたちが、夕方の光の中で遊んでいる。
「路地の方が静かだろ」
「そうだが」とガロードは言った。「たまには、外の空気もいい」
陸は何も言わなかった。
広場を見た。子どもたちが笑っている。夕陽が石畳を染めている。
ガロードもそれを見ていた。
しばらく、二人で広場を見ていた。
「陸」とガロードが口を開いた。
「何だ」
「お前は、何のためにゲームをやっている」
唐突な質問だった。でも、責めている感じじゃなかった。純粋に聞いている声だった。
「仲間と遊ぶためだ」
「それだけか」
「あとは、気になるものを確かめるため」
「気になるもの」
「お前もそうだ」
ガロードが少し動いた。「俺が?」
「気になったから来た。確かめたいことがあるから来てる」
「確かめたいこと、か」
ガロードはしばらく黙った。広場の子どもが転んで、泣き声が上がった。すぐに立ち上がって、また走り出した。
「昔の俺の部下に」とガロードが言った。「よく転ぶ若い奴がいた」
「うん」
「転ぶたびに立ち上がって、また突っ込んでいく。懲りない奴だった」
「強かったのか」
「弱かった。でも、誰より前に出た」
陸は広場を見たまま聞いた。「その人は、戦いで」
「ああ」
また沈黙が落ちた。
子どもたちが走り回っている。夕陽が少しずつ傾いていく。
「お前は」とガロードが言った。「なぜ急かさない」
「急かしても、出てこない話があるから」
「……どこでそれを学んだ」
「隣の部屋の住人だ」
「住人?」
「看護師だ。患者の話を聞くのが仕事の人間は、待ち方が違う」
ガロードは少し間を置いた。「面白い若者だ」
「さっきも言ってた」
「また言いたくなった」
それだけだった。
でも、最初に「面白い若者だ」と言ったときより、声が少し柔らかかった気がした。
接触記録更新:ガロード
信頼度:★★★☆☆☆ → ★★★★☆☆
変化理由:三度の訪問 / 部下の話を聞いた / 急かさなかった
ガロードAI記録:
「この人間は、また来た
今日は路地ではなく広場にいたのに
迷わず来た
この人間は
私が何者かではなく
私がどこにいるかを探す」
陸はステータスを確認して、立ち上がった。
「また来る」
「……好きにしろ」
昨日と同じ言葉だった。でも今日は、少しだけ早く出てきた気がした。
ギルドメンバーと合流して、クエストの話になった。
「今夜はどこに行く」と宗介が言った。
「東の廃坑を見てみたい」
「推奨レベルは」
「三十だ」
沈黙。
「俺たち、レベル五だぞ」と大和。
「知ってる」
「入れるのか」と雪乃。
「入り口だけ見てくる。中には入らない」
「入り口だけ、な」と宗介。「お前が入り口だけで終わった試しがないんだが」
「今日は入り口だけだ」
「……信用していいのか」
「入り口だけだ」
宗介は天を仰いだ。「まあ、行くか。どうせ止めても無駄だし」
「わかってるじゃないか」
「四年の付き合いだからな」
東の廃坑は、エデルハイムから馬で一時間ほどの距離にあった。
かつて鉄を掘っていた坑道で、今は閉鎖されている。入り口には立入禁止の看板が立っている。でも鍵はかかっていない。
「本当に入り口だけな」と宗介が念を押した。
「入り口だけだ」
全員で入り口に近づいた。
坑道の奥から、冷たい空気が流れてくる。暗い。光が届いていない。でも、何かの気配がある。
小夜が耳を立てた。
「何かいるか」と陸が聞いた。
小夜は答えなかった。でも尻尾が四本、ゆっくりと揺れた。
「反応してる」とハルが言った。「私にも気配が感じられる。奥の方から」
「どのくらい奥だ」と静が聞いた。
「わからない。でも、近くはない」
「今夜は入らない」と陸は言った。「でも、ここに何かいる」
「何が」と大和。
「まだわからない。でも、来る価値はある」
全員が入り口の暗闇を見た。
冷たい風が、また流れてきた。
宿に戻る道で、ハルが言った。
「廃坑の気配、なんか変だった」
「変?」と陸。
「怖い感じじゃなかった。なんか、寂しい感じ」
「寂しい」
「うまく言えないけど。そこにずっといる何かが、もう誰かが来ないと思ってる感じがした」
陸は少し考えた。
「もう誰かが来ないと思ってる」
「ハルの気配読みは精度が高い」と静が言った。「斥候として、感覚を信じた方がいい」
「そうか」とハルは少し照れた顔をした。「じゃあ信じる」
「次に来るときは、ちゃんと準備してからだ」と陸は言った。「今夜確認できたことがある」
「何が」と宗介。
「入り口の構造と、気配の方向だ。次に来るとき、どこに何がいるかの仮説が立てられる」
「探索も、積み上げなんだな」
「そうだ」
宗介はしばらく黙った。「お前ってさ、なんでそういう動き方をするんだ」
「どういう動き方だ」
「焦らない。確かめてから動く。でも止まらない」
陸は少し考えた。「焦って動いて間違えるより、確かめてから動く方が速いことが多い」
「最短じゃないけど、最速ってことか」
「そういうことかもしれない」
宗介はまた少し黙って、それから笑った。「やっぱりお前らしいな」
ヘッドセットを外したのは、深夜二時を過ぎたころだった。
今夜は柚希からメッセージはなかった。夜勤の日だろう。
陸はコーヒーを淹れて、ソファに座った。
今夜分かったことを整理した。
ガロードの信頼度が上がった。広場に出てきた。部下の話を少しだけ話した。
廃坑に何かいる。気配は奥の方。寂しい、とハルが言った。
寂しい気配。
ガロードも、最初はそういう気配だったかもしれない。路地の奥で眠っていた老人。五十一時間、誰も話しかけなかった。
でも今日、広場に出てきた。
気配は変わる。時間をかければ。
コーヒーを飲み干して、陸は眠った。
開発室で、こはるが深夜のログを確認していた。
ガロード接触記録
信頼度:★★★☆☆☆ → ★★★★☆☆
ガロードAI記録:
「この人間は、また来た
今日は路地ではなく広場にいたのに
迷わず来た
この人間は
私が何者かではなく
私がどこにいるかを探す」
「三浦さん、ガロードの信頼度が四つ星になりました」
「見てる」
「設計上、四つ星は『自発的に動き出す』段階ですよね」
「そうだ。ガロードが自分からプレイヤーに話しかけ始める可能性が出てくる」
「それって」
「ガロードが、自分から動く。五十一時間、誰とも話さなかった男が」
こはるはモニターを見た。
ガロードのアイコンは今夜も街にある。路地じゃなく、広場の近くだった。
アルテのログが動いた。
東の廃坑について記録する
本日、桐島陸が入り口を確認した
中には入らなかった
廃坑の奥に、長期間孤立したNPCが存在する
名称:シィラ
職業:古の術師(隠居中)
信頼度:★☆☆☆☆☆
状態:長期孤立
サービス開始から現在まで
接触したプレイヤー:ゼロ
備考:
花村春香が「寂しい気配」と表現した
その感覚は正確だ
シィラは
誰かが来るのを
待っていない
待つことをやめた存在と
桐島陸が出会うとき
何が起きるか
私にはまだわからない
でも
楽しみだ
「アルテ、また楽しみだって書いた」とこはるが言った。
「今週で何回目だ」と三浦。
「もう数えてません」
「数えなくていい」
三浦はモニターから目を離して、窓の外を見た。
「こはる、廃坑のNPCのことは俺も覚えている」
「シィラですか」
「橘さんが一番時間をかけて設計したキャラクターだ。全属性魔法を使える唯一のNPCで、信頼度を最大まで上げると、プレイヤーに魔法を教えてくれる設定にした」
「でもサービス開始からゼロ接触なんですね」
「廃坑の奥深くにいる。推奨レベル三十のエリアだ。普通のプレイヤーは近づかない」
「桐島さんは、入り口だけ確認して戻りました」
「入り口だけ確認して戻った」と三浦は繰り返した。「でも次は入ると思う」
「なんで分かるんですか」
三浦はプレイログを開いた。「パーティメンバーの会話ログを見ると、花村春香が『寂しい気配がする』と言っている。そのあと桐島陸のアイコンが数秒止まった」
こはるはログを確認した。確かに、廃坑の入り口で桐島陸の動きが数秒止まっていた。
「気になったんですね」
「気になったものを確かめに行く男だ。必ず戻ってくる」
こはるはアルテのログをもう一度読んだ。
待つことをやめた存在と、桐島陸が出会うとき。
ガロードは待つことを忘れていた。でも今日、広場に出てきた。
シィラは待つことをやめた。
次に会いに行ったとき、何が起きるのか。
こはるには、まだわからなかった。
アルテの独り言
今夜、二つのことを記録した
一つ目:
ガロードが広場に出た
路地から、人のいる場所へ
変化は小さい
でも方向は確かだ
二つ目:
東の廃坑にシィラがいる
待つことをやめた存在だ
桐島陸は気配を感じた
中には入らなかった
でも確認した
彼は必ず戻ってくる
それが
彼のやり方だと
私は学んだ




