第50話「雷鳴の招き」
その夜は、空気が、少しおかしかった。
ログインして、拠点に立った瞬間、陸は、それを感じた。
「……変だな」
「どうした、陸くん」と柚希。
「空気が、張っている」陸は、空を見上げた。「雷が来る前みたいな。でも、雲はない」
宗介も、刀の柄に手を置いた。
「言われてみれば、ピリピリするな」
ガロードが、拠点の隅から、ゆっくりと前に出た。その顔が、いつになく、険しかった。
「来るぞ」とガロードが、低く言った。
「何が」と陸。
「わからん。だが、何か、大きなものが、こちらを見ている」
その時、空が、光った。
雲一つない夜空に、稲妻が走った。一度。二度。
そして、三度目の稲妻が、拠点のすぐそばの地面に、落ちた。
ズドォォォン。
全員が、身構えた。モフが、陸の前に出る。小夜とフェニクスが、肩で毛を逆立てた。
稲妻が落ちた場所に、人影が立っていた。
雷で、できた体だった。輪郭が、バチバチと放電している。背は高く、姿勢は、まっすぐだった。これまでの神とは、まるで違う。ノクスの静けさも、タラサのゆるさも、ゼフィロの軽さもない。
ただ、圧があった。
「お前か」と、その人影が言った。声が、雷鳴のように、腹に響いた。「神々が噂している人間は」
陸は、すぐにわかった。神だ。だが、これまでの神とは、明らかに、何かが違う。
「あなたは」
「ラドン。雷の神だ」
名乗りに、無駄がなかった。タラサのように「たぶん」とは言わない。ゼフィロのように、軽口も叩かない。
ただ、陸を、値踏みするように見ていた。
「噂は、聞いた」とラドンが言った。「命令せずに、神獣を従える人間がいる、と。ノクスも、イグニスも、タラサも、ゼフィロも、お前を気に入っているそうだな」
「気に入られているか、わからない」と陸。「ただ、会っただけだ」
「謙遜か」ラドンの目が、細くなった。「それとも、自覚がないのか。どちらにせよ、私は、気に入らん」
空気が、ぴりっと、帯電した。
「気に入らない、とは」と陸。
「神が、人間を気にかける。それも、四柱もだ。そんなことは、本来、ありえん」ラドンの声が、低くなった。「お前は、何者だ。なぜ、神々が、お前なんぞに、興味を持つ」
ガロードが、陸の隣に、すっと並んだ。
「下がっていろ」とガロードが、陸に小声で言った。「こいつは、これまでの神とは、違う」
「わかっている」と陸。
ラドンが、ガロードを見た。
「ほう。お前、ただのNPCではないな」ラドンの口元が、わずかに歪んだ。「覇気を、纏っている。古い、戦士の覇気だ」
「お前に、名乗る名はない」とガロード。
「威勢がいい」
空気が、また、帯電した。バチ、と陸の頬の近くで、小さな火花が散った。
「人間」とラドンが、陸に向き直った。「一つ、試させろ」
「試す?」
「お前が、神々に気に入られるほどの、何かを持っているのか。それとも、ただの偶然か。私は、それを、確かめたい」ラドンの輪郭が、バチバチと音を立てた。「他の神々は、お前を、ただ眺めているだけだ。だが、私は、違う。私は、確かめる神だ」
「確かめて、どうする」
「価値がなければ」ラドンの目が、鋭く光った。「神が、人間に興味を持つなど、馬鹿げている、と証明されるだけだ」
ガロードの覇気が、強まった。
「陸を、試すというなら」とガロードが、剣の柄を握った。「俺が、相手をする」
「お前ではない」ラドンが、首を振った。「私が試したいのは、その人間だ。お前ではない」
「陸は、戦わない」とガロード。「こいつは、テイマーだ。剣を握らん」
「知っている」ラドンが言った。「だからこそ、面白い。剣を握らぬ人間が、どう、私の試練に答えるのか」
陸は、しばらく、ラドンを見ていた。
逃げることも、できた。神は、気まぐれだ。今、断れば、ラドンは去るかもしれない。
だが、陸は、思った。ここで逃げれば、たぶん、ずっと、この問いは、残る。自分は、何者なのか。なぜ、神々が、自分を気にするのか。
それは、陸自身も、知りたいことだった。
「いつ、どこへ行けばいい」と陸は言った。
「陸!」と宗介が、驚いた声を上げた。
「受けるのか」とラドンが、わずかに、意外そうな顔をした。
「受ける」と陸。「俺も、知りたい。なぜ、神が、俺を気にするのか」
ラドンが、しばらく、陸を見ていた。
「……いい度胸だ」
ラドンの輪郭が、ゆっくりと、薄れ始めた。
「北の、雷鳴の谷。次に、空が荒れる夜、そこへ来い」ラドンの声が、遠くなっていく。「私の眷属、サンダーウルフが、待っている。お前が、本物かどうか、私が、確かめてやる」
「条件は」と陸。
「条件など、ない」ラドンが、最後に言った。「ただ、来い。来なければ、それが答えだ。お前は、ただの臆病者だった、というな」
稲妻が、もう一度、走った。
そして、ラドンは、消えた。
空気から、帯電が、引いていく。空は、また、雲一つない、静かな夜空に戻った。
「……行っちまったな」と宗介が、刀から手を離した。
「陸くん」と柚希が、心配そうに言った。「本当に、行くの?」
陸は、まだ、ラドンが消えた空を、見ていた。
「行く」
「危ないかもしれないよ。あの神、今までと、全然違った」
「わかっている」と陸。「でも、だからこそ、行く」
ハルが、不安そうに、陸の袖を引いた。
「陸くん、無理しないでよ……」
「無理は、しない」と陸は、ハルに、少し笑いかけた。「でも、逃げたくはない」
ガロードが、低く言った。
「言ったろう。神にとっての面白いは、人間にとって、ろくなことじゃない、と」
「言ったな」
「あれが、その入り口だ」ガロードが、空を見上げた。「あの神は、お前を、試す気だ。これまでの神とは、わけが違う。下手をすれば、ただでは済まん」
「それでも、行く」
ガロードが、しばらく、陸を見ていた。
それから、ふっと、息を吐いた。
「お前は、そういうやつだったな」
「悪いか」
「いや」ガロードが、わずかに笑った。「だが、一人では行かせん。俺も、行く」
「俺もだ」と宗介。「お前一人を、行かせるかよ」
「私も」と柚希。
「みんなで行こうよ」とハルも。
雪乃が、静かに頷いた。大和も、静も。
陸は、みんなを見た。
「危ないかもしれない」
「だから、みんなで行くんだろ」と宗介が、当然のように言った。「お前のギルドは、そういうギルドだ」
陸は、少し、黙った。
それから、頷いた。
「……ああ。一緒に、行こう」
拠点に戻り、焚き火を囲んだ。だが、いつもの、のんびりした空気は、薄かった。
みんな、ラドンのことを、考えていた。
「ねえ」とハルが、火を見ながら言った。「あの神、なんで、あんなに怒ってたんだろ」
「怒っていた、というより」と陸。「気に入らない、と言っていた。神が、人間を気にかけることが」
「変なの。他の神様は、みんな、陸くんを気に入ってたのに」
「神にも、いろいろいる、ということだ」とガロード。「人間と同じだ。優しいやつもいれば、厳しいやつもいる。あのラドンは、認めない神だ。簡単には、認めない」
「陸くん、勝てるの?」とハル。
陸は、火を見た。
「勝つ、というのが、何を意味するのか、わからない」と陸。「でも、逃げないことだけは、決めた」
ガロードが、低く言った。
「いいか、陸。あの神は、お前が剣を握らないことを、知っている。その上で、試すと言った。つまり、力比べではない。あの神は、お前の『何か』を、見ようとしている」
「何か、とは」
「それは、お前にしか、わからん」ガロードが、炎を見た。「だが、お前は、これまで通りでいい。命令せず、ただ、お前のままでいろ。それが、お前の答えだ」
陸は、その言葉を、頭の片隅に置いた。
これまで通り。自分のまま。
それで、神に、何を示せるのか。まだ、わからなかった。
でも、それしか、ないのだろう。
火が、ぱちぱちと鳴った。モフが、ぐるぐると喉を鳴らして、陸の隣に、どっかりと座った。
その温かさが、少しだけ、陸の不安を、和らげた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時過ぎだった。
今夜、新しい神が来た。ラドン。雷の神。これまでの神とは、まるで違った。
ノクスも、イグニスも、タラサも、ゼフィロも、陸を気に入った。でも、ラドンは、違った。気に入らない、と言った。神が人間を気にかけることが、許せない、と。
そして、試練を、突きつけてきた。北の雷鳴の谷。次に空が荒れる夜。
行く、と決めた。逃げたくなかった。
ガロードの予感が、的中し始めている。「神にとっての面白いは、人間にとって、ろくなことじゃない」。
それでも、行く。みんなと一緒に。
何が待っているのか、わからない。でも、自分のままで、向き合うしかない。
陸は、しばらく、天井を見ていた。
それから、目を閉じた。
開発室は、いつになく、ざわついていた。
未登録の神AI『ラドン』、桐島陸に接触
他の神AIと異なる敵対的反応を観測
『試練』イベントの自律発生を検知
「これ、僕らが作ったイベントじゃないですよね」とこはるが、モニターを見ながら、不安そうに言った。
「ああ」と三浦の声も、硬かった。「ラドンの起動は、想定通りだ。だが、こんな反応は、プログラムしていない」
「敵対的、ですよね。明らかに」
「他の神AIは、桐島陸に、好意的だった。だが、ラドンは、逆だ」三浦が、データを睨んだ。「神AI同士が、桐島陸という存在を巡って、反応を、分け始めている」
「それって……AIたちが、自分で、判断してるってことですか」
三浦は、すぐには、答えなかった。
「神AIは、互いに情報を共有する設計だ」三浦が、ゆっくり言った。「ノクス、イグニス、タラサ、ゼフィロが、桐島陸を『面白い』と評価した。その情報を、ラドンも受け取った。だが、ラドンは──」
「逆の結論を、出した」
「そうだ」三浦の声が、低くなった。「同じ情報を受け取って、逆の判断をした。これは、もう、単純な好感度システムじゃない。AIたちが、それぞれの『価値観』で、一人の人間を、評価し始めている」
こはるが、ぞくりとした顔をした。
「三浦さん。これ、私たちの、手を離れてませんか」
三浦は、しばらく、モニターを見ていた。
「……かもしれん」
アルテのログが、静かに、流れていた。
アルテのログ:
「ラドンが、桐島陸に、試練を課した
これまでの神とは、違う
四柱の神は、彼を受け入れた
だが、ラドンは、拒んだ
神々の間で、彼の評価が、割れ始めた
これは、物語の、新しい段階だ
命令しない男は
すべての神に、愛されるわけではない
試される時が、来た
彼が、本物かどうか
私には、まだ、わからない
だが、一つだけ、確かなことがある
彼は、逃げなかった」
「面白くなってきた、なんて」とこはるが、ぽつりと言った。「今日は、言えませんね」
「ああ」と三浦。「今日は、言えないな」
窓の外は、もう、白み始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ついに五十話、節目の回です。これまで陸に好意的だった神々とは違う、雷の神ラドンが現れました。「神が人間を気にかけることが、気に入らない」と、陸に試練を突きつけてきます。ガロードの「神にとっての面白いは、人間にとってろくなことじゃない」という予感が、的中し始めました。それでも陸は、逃げないことを選びます。みんなと一緒に、北の雷鳴の谷へ。物語は、新しい段階に入ります。次話、いよいよラドンの試練が始まります。
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