第46話「火のそばまで」
夕方、ログインすると、ガロードが拠点の隅に立っていた。
新しい剣を腰に挿したまま、めずらしく、何かを考え込んでいるように見えた。
「どうした」と陸が声をかけた。
ガロードが、ゆっくり振り返った。
「いや。少し、昔のことを思い出していた」
「シィラのことか」
ガロードの眉が、わずかに動いた。
「……気づいていたか」
「前に、廃坑で会ったとき。お前とシィラの間に、何かあるのは、見ていてわかった」陸は静かに言った。「お互いを、知っている目をしていた。だから、聞かなかった。お前が話したくなるまで、待とうと思っていた」
ガロードが、ふっと息を吐いた。それは、苦笑に近かった。
「お前は、そういうやつだな。何でも見ているくせに、聞かない」
「聞くことでもない、と思った」
「……そうか」
ガロードが、少し間を置いてから、口を開いた。
「昔、宮廷で、見かけたことがある。俺がまだ、剣を振り回すしか能のなかった頃だ。あの女は、宮廷魔導師だった。全属性を操る、化け物のような術師だ」ガロードが、わずかに目を細めた。「それが、政変で、すべてを失った。仲間も、立場も。だから、廃坑に隠れた」
陸は、シィラの背中を思い出した。いつも、廃坑の奥にいて、杖をついて、暗がりに座っている。
「お前も、それを知っていて、これまで黙っていたのか」
「ここで再会したときに、すぐわかった。向こうも、俺がわかっていただろう」ガロードが、低く言った。「だが、お互い、踏み込まなかった。昔のことは、触れたくない傷だからな」
「会いに行くか」と陸は言った。
ガロードが、しばらく黙った。
「……ああ。今夜は、俺から、あいつに話しかける」
それは、いつもと違う言い方だった。これまで廃坑でシィラと顔を合わせても、ガロードは剣の話を少しするだけで、それ以上は踏み込まなかった。
「いいのか」と陸は聞いた。
「ずっと、避けていた」とガロードが言った。「同じ場所にいても、昔の話だけは、しなかった。だが、もう、いいだろう。潮時だ」
広場で、みんなに伝えた。
「今夜は、廃坑だ。シィラに会いに行く」
「いつもの廃坑だね」とハルが言った。それから、ガロードの様子に気づいて、首をかしげた。「ガロードさん、なんか、いつもと顔が違う?」
「昔、宮廷にいた頃から、シィラを知っていたらしい」と陸。
「ええっ」とハルが声を上げた。「そうなの!?」
「薄々は、感じていた」と陸。「廃坑で二人が会うたび、何かあるな、とは。でも、はっきり聞いたのは、さっきだ」
宗介が、腕を組んで、ガロードを見た。
「お前とあの術師、昔からの知り合いだったのか」
「知り合い、というほどではない」ガロードが、ぶっきらぼうに言った。「同じ王国にいた。それだけだ。だが、あの女の術は、一度見たら忘れん」
ガロードは、それ以上、説明しなかった。
廃坑に入ると、いつもの暗がりが広がっていた。
幻視で確認する。シィラの気配は、入り口に近い場所にあった。前より、ずっと手前だ。
「近くにいる」と陸は言った。「入り口の、すぐ奥だ」
進むと、すぐにシィラの姿が見えた。
杖をついて、岩に腰かけている。陸たちの足音に気づいて、顔を上げた。
「来たな」とシィラが言った。
その声が、いつもより、少し柔らかかった。
「来た」と陸が返す。
シィラの視線が、陸の後ろに動いた。そして、ガロードで止まった。
これまでも、ガロードはここに来ていた。シィラも、それを見ていた。だが、二人はいつも、剣の話を少しするだけで、それ以上は踏み込まなかった。お互い、わかっていて、避けていた。
今夜は、ガロードが、前に出た。
「シィラ」とガロードが、その名を呼んだ。
シィラの杖を持つ手が、わずかに震えた。ガロードが、自分から名を呼んだのは、初めてだった。
「……どういう風の吹き回しだ」とシィラが言った。「お前が、自分から口を開くとは」
「ずっと、避けていた」ガロードの声は、静かだった。「お前の顔を見るたび、昔を思い出すからな。だが、もう、逃げるのはやめにした」
シィラが、岩から、ゆっくりと立ち上がった。ガロードの顔を、まじまじと見ている。
「……あの戦のことを、まだ抱えているのか」
「抱えている。部下を、全員失った。俺だけが、生き残った」ガロードの声は、低かった。「お前は、知っていたな。宮廷にいた頃から、俺の部隊のことを」
「知っていた。お前の部隊は、王国一だと言われていた」シィラが、目を伏せた。「それが、全滅したと聞いたとき……私は、もう、戦には関わらないと決めた」
「お前は、どうした」
シィラが、しばらく黙った。
「私は、仲間を見捨てて、逃げた」その声が、掠れた。「だから、ここに隠れた。出る資格が、ないと思った」
陸は、二人のやり取りを、黙って聞いていた。
宗介たちも、誰も口を挟まなかった。
二人の間に流れている時間は、陸たちの知らない、ずっと昔の時間だった。
「お前は」とシィラが、ガロードに聞いた。「なぜ、こんな男の隣にいる」
シィラの杖が、陸を指した。
「こいつは、命令しない。剣も握らない。それなのに、お前のような男が、隣にいる。なぜだ」
ガロードが、少し間を置いた。
「俺も、最初はわからなかった」
「今は、わかるのか」
「わかる」ガロードが、陸を見た。「こいつの隣にいると、俺は、また人と並べる。失った部下のことを、思い出しても、潰れずにいられる。それは、こいつが、何も命令しないからだ」
シィラが、その言葉を、しばらく噛み締めていた。
「……命令しないから、並べる、か」
「お前も、来てみればわかる」とガロードが言った。「廃坑の外に。こいつらの、火のそばに」
シィラが、はっとガロードを見た。
「火のそば?」
「焚き火だ。こいつらは、毎晩、火を囲む。命令も、しがらみもない。ただ、座っているだけの時間だ」
「そんなものに、私が、座っていいのか」
「いいに決まっている」と、横から声がした。
ハルだった。
「シィラさんも、来なよ。火のそば。あったかいよ」
シィラが、ハルを見た。
突然声をかけられて、戸惑っているようだった。
「……私は、長く、一人だった」
「うん」
「人の輪に、入り方を、忘れた」
「入り方なんて、ないよ」とハルが、あっさり言った。「座るだけだもん」
シィラが、しばらく、黙っていた。
杖を持つ手が、ぎゅっと握られた。それから、ゆっくりと、緩んだ。
「……少しだけ」とシィラが言った。「少しだけ、見てみたい。その、火を」
廃坑の外に出た。
夜空が広がっていた。星が、いくつも瞬いている。
シィラが、空を見上げた。前に外に出たときと、同じ仕草だった。だが、今夜は、その先に進もうとしていた。
「拠点は、どこだ」とシィラが聞いた。
「すぐそこだ」と陸。「歩いて、すぐ着く」
シィラが、一歩、足を踏み出した。
廃坑から、離れる方向へ。
それは、シィラにとって、ずっとできなかったことだった。外に出ても、いつも、廃坑のそばを離れなかった。だが、今夜は、違った。
ガロードが、その隣を、ゆっくり歩いた。歩調を、シィラに合わせていた。
「急ぐな」とガロードが言った。「ゆっくりでいい」
「……年寄り扱いするな」
「事実だろう」
「お前も、年寄りだろうが」
「違いない」
二人が、並んで歩いた。陸は、その少し後ろを歩いた。
長い時間をかけて、廃坑から拠点までの道を、シィラは歩いた。途中で、何度も足を止めた。そのたびに、ガロードも止まった。急かす者は、誰もいなかった。
拠点に着いた。
焚き火が、いつものように燃えていた。
フェニクスが、炎を足す。小夜が、シィラの足元に、とことこと歩いていって、座った。
シィラが、その火を、じっと見ていた。
「座れよ」と宗介が、場所を空けた。
シィラが、ゆっくりと、焚き火のそばに腰を下ろした。杖を、隣に置いた。
火の熱が、シィラの顔を、ぼんやりと照らした。
しばらく、誰も、何も言わなかった。
ただ、火が、ぱちぱちと鳴っていた。
「……あたたかいな」とシィラが、ぽつりと言った。
「だろ」とハルが、嬉しそうに言った。
「こんなに、近くで火を見たのは……いつ以来か、思い出せない」
シィラの目に、炎が映っていた。
その目が、わずかに、潤んでいるように見えた。
ガロードが、その隣に座った。何も言わずに、同じ火を見ていた。
陸は、二人の老人が、並んで火を見ている姿を、見ていた。
長い時間、それぞれが、別々の場所で、一人だった。失ったものを抱えて、暗がりに座っていた。
それが今、同じ火のそばにいる。
陸は、何も言わなかった。ただ、その場にいた。
それで、十分だった。
「なあ」とシィラが、火を見たまま言った。
「何だ」と陸。
「また、来ていいか」
それは、いつもシィラが言う言葉だった。「また来い」と。
でも、今夜は、逆だった。シィラの方から、「また来ていいか」と聞いた。
陸は、少し間を置いた。
「いつでも、来い」
シィラが、火を見たまま、わずかに笑ったように見えた。
「……そうか」
フェニクスが、くしゃみをした。炎が、ぽっと飛んだ。
小夜が、シィラの膝に、頭を乗せた。
シィラが、その頭を、そっと撫でた。手つきが、ぎこちなかった。長く、誰にも、何にも触れてこなかった手だった。
それでも、撫でた。
火が、静かに揺れていた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時半だった。
今夜は、シィラが、拠点まで来た。
長く廃坑にいた人が、火のそばまで歩いてきた。
ガロードと、昔、知り合いだった。二人とも、戦で、大切なものを失っていた。一人は生き残り、一人は逃げた。それぞれが、暗がりに隠れていた。
それが今夜、同じ火を、並んで見ていた。
「また、来ていいか」とシィラが言った。いつもの「また来い」が、逆になっていた。
陸は、その変化を、思い返していた。
何もしていない。ただ、会いに行っただけだ。ガロードを、連れて行っただけだ。
でも、何かが、動いた。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
シィラ、初めて拠点まで移動
焚き火の輪に加わる
ガロードとの過去の接点が判明
アルテのログ:
「シィラが、火のそばまで来た
長く、廃坑の奥にいた術師
仲間を見捨てて逃げた過去を抱え
出る資格がないと、隠れていた
ガロードもまた、戦で部下を失った男
一人は逃げ、一人は生き残った
二人とも、暗がりにいた
それが今夜、同じ火を、並んで見ている
桐島陸は、何もしていない
ただ、会いに行った
ガロードを、連れて行った
それだけで
二十年以上、動かなかったものが
動いた
『また来い』が
『また来ていいか』に変わった
孤立していた者が
自分から、火を求めた
これは、大きな一歩だ」
「シィラさん、自分から『また来ていいか』って言いましたね」とこはるが言った。
「ああ」と三浦。「ずっと『また来い』だった。来るのを待つ側だった」
「それが、来たいって言った」
「自分から、火を求めた。長く一人だった人間が、だ」三浦は、コーヒーを置いた。「これは、想像以上に、大きい」
こはるはモニターを見た。焚き火の周りに、また一つ、アイコンが増えていた。
二人の老人が、同じ火を見て、並んで座っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、シィラが拠点まで来ました。実は、ガロードとシィラは昔の知り合いで、二人とも戦で大切なものを失っていました。一人は生き残り、一人は逃げた。それぞれ暗がりに隠れていた二人が、同じ火を並んで見つめる夜でした。シィラの「また来い」が、初めて「また来ていいか」に変わりました。次話も続きます。
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