第44話「連れてきた男」
午前中、チャイムが鳴った。柚希だった。
「今日はサンドイッチ。卵とハム、どっちがいい?」
「どっちでも」
「即答で『どっちでも』って言う人、私、苦手なんだよね」
そう言いながら、柚希は卵の方を陸の前に置いた。結局、選んでくれるのだ。
陸はコーヒーを一口飲んで、少し迷って切り出した。
「お前の籍、まだあっちのままだな」
柚希の手が、包みの上で止まった。
「……うん。それは」
「責めてるわけじゃない」と陸は遮った。「ただ、黒崎零には、いつかちゃんと話を通さないとな、と。お前を、こっちに引っ張った形になってる」
柚希は、しばらく包みの端を指でいじっていた。
「……陸くんって、そういうとこ、律儀すぎ」
「当たり前のことだろう」
「うん。そういうとこだよ」
柚希が小さく笑った。何がおかしいのか、陸にはよくわからなかった。
夕方、ログインした。広場へ向かおうとして、足が止まる。幻視に気配。拠点の入り口の方向だ。
「来てるな」と宗介が顎で示す。
「ああ。今夜は、二人だ」
陸は幻視に意識を集めた。一人は黒崎零。もう一人は、大柄で、背中に大きな盾を背負っている。
「もう一人は、大盾持ち。Lv.32」
「ほう」宗介が口の端を上げた。「ついに連れてきたか」
拠点の入り口の男は、岩のように大きかった。その目が、陸たちを値踏みするように動く。歓迎の色は、なかった。
「来た」と黒崎零。
「来たな。今日は、一人じゃないのか」
「俺の副官だ。葛城真琴」
葛城が、わずかに頭を下げた。だが、視線は陸から外さない。
「桐島陸さん。決勝で、お会いしています。あなたは覚えていないでしょうが」
陸は、その顔を記憶の底から探った。決勝、黒崎零の後ろに並んでいた数人。その中の、大盾の——。
「……いたな。黒崎零の、後ろに」
「ええ。あのとき、私は何もできなかった。あなたのテイマーと神獣に、為すすべもなく」
その声に、まだ収まりきらない悔しさが滲んでいた。
宗介が、陸の耳元で囁く。
「……相当根に持たれてるな、お前」
「俺は何もしていない」
「それ、本人の前で言うなよ」
黒崎零が、わざとらしく咳払いをした。
「今日は、こいつに見せに来た。お前たちの戦い方を」
「前に来たとき、お前は一人だった」と陸。「『部下に見せる前に、自分で確かめたい』と言って」
「ああ。確かめた。だから、今度はこいつの番だ」
そのとき、黒崎零の視線が、陸の後ろで止まった。柚希だった。
場の空気が、わずかに張った。
「……柚希」と黒崎零が言った。「うちのギルドに、まだ籍があるな」
柚希の肩が、小さく強張った。
「……はい」
陸は、ここだ、と思った。朝、柚希に言ったばかりだ。いつか話を通さないと、と。その「いつか」が、今、目の前に来ている。
「黒崎零」と陸は前に出た。「その件、ちょうど話しておきたかった」
黒崎零が、陸に視線を移す。
「柚希を、こっちのクエストに誘っている。だが、引き抜いたわけじゃない。籍はそっちのままだ。お前に断りもなく連れ回して、悪かったと思っている」
葛城の眉が、ぴくりと動いた。
「零様。やはり、引き抜きでは——」
「待て」黒崎零が、片手で葛城を制した。
それから、しばらく柚希を見ていた。
「柚希。お前、向こうで楽しいか」
柚希が、ためらいがちに口を開いた。
「……はい。指示を待つんじゃなくて、自分で考えて撃つの、楽しいです。零様のところが嫌だったわけじゃ、ないんですけど」
「わかってる」黒崎零が、短く遮った。声に、棘はなかった。「お前は昔から、号令より自分の目を信じるやつだった。決勝でも、俺の指示を半分聞いてなかっただろう」
柚希が、気まずそうに目を泳がせた。
「……バレてました?」
「当たり前だ」
黒崎零が、ふっと息を吐いた。それは、笑いに近かった。
「籍は、好きにしろ。残してもいい、移ってもいい。お前が決めることだ。俺は、止めない」
柚希が、目を見開いた。
「……いいんですか」
「俺が縛って、嫌々いられる方が、よっぽど困る」黒崎零は、視線を陸に戻した。「それに、こいつのところにいる方が、お前は活きる。悔しいが、そう見える」
陸は、黒崎零を見た。
「……いいのか」
「お前に礼を言われる筋合いはない」黒崎零が、ぶっきらぼうに言った。「俺は、俺の部下が活きる場所を、認めただけだ」
葛城が、その横顔を、複雑な表情で見ていた。納得しきれない。だが、主が決めたことだ。そう言いたげな顔だった。
その夜のクエストは、推奨Lv.32の山岳エリア。剥き出しの岩場に、岩トロルが巣を作っていた。
葛城は、陸の斜め後ろを歩く。盾に手をかけたまま、いつでも構えられる姿勢を崩さない。
「前方に三体。岩トロルだ」
陸は、それだけ言った。
「行く」
宗介が真っ先に飛び出す。岩トロルが丸太のような腕を振り下ろす。だが宗介は、その軌道を見切っていた。半歩ずれて、刃を首筋へ。ザシュッ。
「速い……」と葛城が呟いた。
大和が雄叫びを上げて前に出る。《不動の砦》。二体目の突進を真正面から受け止めた。ガァン。一歩も下がらない。
「うおお、重い! でも止まらねえ!」
その隙に、ハルが影へ沈む。三体目の足元から《奈落の影》。岩トロルが、ずるりと飲まれていく。
「今だよ柚希ちゃん!」
「わかってる!」
柚希の弓が、きりきりと鳴る。大和が止めている二体目へ、矢が一直線。ヒュンッ。眉間に突き刺さる。
静が無言で手をかざす。《沈黙領域》。トロルが何かを発動しかけて、固まる。
三体が、ほぼ同時に光の粒子へと変わった。
葛城は、その間、瞬きもしていなかった。
「……今のは、なんだ」声が掠れていた。
「《絆の共鳴》だ」と陸。「誰かが動くと、別の仲間が少し強くなる。それが連鎖する」
「いや、そういうことじゃない」葛城が苛立ったように首を振った。「指示だ。誰が、いつ動けと指示した。私には、聞こえなかった」
「出していない。俺は、敵の数を言っただけだ。あとは、全員が勝手に動いた」
葛城が、信じられないという顔で黒崎零を振り返った。
「零様。冗談ですよね。指示なしで、この精度の連携など——」
「俺も、最初はそう思った」と黒崎零が低く言った。「だが、見たとおりだ」
葛城は、言葉を失っていた。盾を握る手に、力がこもる。
「……ありえない。部隊は、指揮があって初めて動く。指揮官の号令で、全員が一つになる。それが、強さのはずだ」
「それも、一つの強さだ」
口を挟んだのは、ガロードだった。腕を組んで、戦場跡を見ている。
葛城が勢いよく振り返り、その姿に息を呑んだ。
「……ガロード様。決勝で、覇気を浴びました。膝が、勝手に震えた。あれは、号令で出していたのですか」
「号令ではない」ガロードが、わずかに笑った。「考えるより先に、体から出る。何十年も、そうやって生きてきた」
「……体から、勝手に」
「お前は、号令で動くことを極めてきたんだろう」
「はい。それが、私の誇りでした」
「立派なことだ」ガロードは否定しなかった。「だが、号令には、判断を待つ時間がいる。こいつらには、それがない。考える前に、もう動いている」
葛城は口を開きかけて、閉じた。反論の言葉を探して、見つからなかったらしい。
二度目の岩トロル群でも、Stray Wolvesは崩れず動いた。葛城はもう何も言わず、ただ食い入るように見ていた。
戦闘が終わると、葛城は陸の前まで、ゆっくり歩いてきた。
「桐島さん。正直に言います。私は今でも、あなたのやり方を、正しいとは思えない。指揮を捨てた部隊が、本物の戦場で通用するとは、思えない」
陸は否定しなかった。ただ、葛城の目を見ていた。
葛城は、一度唇を結んでから、絞り出すように続けた。
「ですが……零様が、ここに通う理由が、少しだけ、わかった気がします。それだけは、認めます」
黒崎零が、その隣で、すっと視線を逸らした。耳が、わずかに赤かった。
ガロードが低く言った。
「お前、いい目をしている。認めたくないものを、認められる。それは、強い人間にしかできない」
葛城は、すぐには返せなかった。盾を背負い直す手が、少しだけ止まっていた。
拠点に戻り、焚き火を囲んだ。葛城と黒崎零は、輪の外に立っている。座ろうとしない。
ハルが、ひょいと顔を上げて葛城を見た。
「葛城さんも、座りなよ。立ってると、首疲れるでしょ」
「……いえ、私は、部外者ですので」
「うちのギルド、部外者とか気にしないよ。ね、宗介さん」
「ああ」宗介が炎に枝をくべる。「立ってられると、こっちが落ち着かねえ。座れ」
葛城が、黒崎零をちらりと見た。黒崎零は何も言わず、小さく顎を引いた。座れ、という合図だった。
葛城が、ゆっくり腰を下ろす。大盾を、隣にそっと寝かせた。黒崎零も、その隣に座る。
フェニクスが、ぱちりと炎を足す。小夜が大きく欠伸をした。
「葛城さん、職業は?」と柚希が聞いた。
「大盾使いです。前衛で、すべてを受け止める役です」
「大和さんと一緒だ」
「ええ。先ほどの、あの竜の盾には……正直、驚きました。あんな防御は、見たことがない」
大和が、にかっと笑った。
「だろ! 俺の竜、でかいんだ!」
「……ええ。大きかったです」
葛城の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。張り詰めていたものが、わずかにほどけた瞬間だった。
それを横目で見ていた黒崎零が、炎に視線を戻しながら、わずかに目元を和らげた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時半だった。
今夜は、二つ、大きなことがあった。
一つは、柚希のことだ。黒崎零が、籍は好きにしろ、と言った。縛って嫌々いられる方が困る、と。朝、柚希に「いつか話を通さないと」と言ったばかりだった。その「いつか」が、思ったより早く、向こうから来た。気がかりが、一つ消えた。
もう一つは、葛城だ。決勝でこちらに敗れた男の一人。最初は警戒の塊のようで、やり方を最後まで認めようとしなかった。それでも、焚き火の輪には座った。
理解したわけではない。むしろ、ほとんど納得していない。それでも、座った。
その「それでも」が、たぶん、大事なのだ。陸は、そう思いながら眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
黒崎零、副官・葛城真琴を伴って訪問
Stray Wolvesと初の合同クエスト
葛城、当初は強く反発するも、最終的に焚き火の輪へ
アルテのログ:
「黒崎零が、初めて部下を連れてきた
葛城真琴
号令で動くことを誇りとしてきた男
彼は、最後まで反発していた
『指揮を捨てた部隊など、通用しない』と
それでも、彼は焚き火の輪に座った
理解より先に、心が動いた
桐島陸の周りでは、いつも、それが起こる」
「葛城さん、最後まで認めてませんでしたね」とこはるが言った。
「ああ。だが、座った」と三浦。
「認めてないのに、座る。変ですね」
「変じゃない」三浦はコーヒーを口に運んだ。「人は、理屈で納得する前に、空気で動くことがある。あの焚き火の輪は、そういう場所だ」
こはるはモニターを見た。拠点の焚き火の周りに、いつもより一つ多いアイコンが、ぎこちなく、しかし確かに、並んでいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
黒崎零が、ついに副官を連れてきました。葛城真琴。決勝でも陸たちと戦った、忠実な大盾使いです。彼は最後まで「指揮を捨てた部隊など通用しない」と反発しました。それでも、焚き火の輪には座りました。理解より先に、心が動いた——そんな夜でした。次話も続きます。
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