第42話「気まぐれな水」
その日は、仕事が長引いた。
トラブル対応で、気づいたら夜の十時を過ぎていた。
ギルドのみんなとは、夜の八時に集まる約束だった。
間に合わなかった。
陸は、チャットにメッセージを送った。
「すまない。仕事が長引いた。今夜は合流できそうにない」
すぐに宗介から返信が来た。
「気にするな。今夜は俺たちだけで素材集めしておく。お前は休め」
ハルからも来た。
「お仕事おつかれさま! 無理しないでね!」
陸は、少し笑った。
いいギルドだ。
時計を見た。
十時半。
まだ、少しだけ時間がある。
「軽く、一人でやるか」
陸は、ヘッドセットをつけた。
ログインすると、拠点だった。
焚き火が、静かに燃えていた。
みんなは、別のエリアに素材集めに行っているらしい。
広場には、誰もいなかった。
陸の肩に、小夜がいた。
反対の肩に、フェニクスがいた。
「今夜は、俺たちだけだ」と陸は言った。
小夜が、欠伸をした。
フェニクスが、くしゃみをした。炎が少し飛んだ。
「のんびり、素材でも集めるか」
ふと、思った。
最近、ずっとみんなと一緒だった。大会があった。柚希が来た。ノクスに会った。
一人でゲームをするのは、久しぶりだ。
ガロードを呼んだ。
ガロードが、拠点の隅から現れた。
「一人か」とガロードが言った。
「そうだ。みんなは別のエリアにいる。今夜は、俺とお前と、小夜とフェニクスだけだ」
ガロードが、少し間を置いた。
「久しぶりだな。お前と二人で動くのは」
「そうだな」
「どこへ行く」
「西の水辺エリアだ。あそこは、まだあまり行っていない。素材も多いらしい」
「魔物は」
「推奨レベル35くらいだ。今の俺たちなら、問題ない」
ガロードが、新しい剣の柄に手を置いた。
「では、行くか」
西の水辺エリアに着いた。
大きな湖が広がっていた。
月の光が、水面に反射して、揺れていた。
静かな場所だった。
でも、幻視には、たくさんの気配が映っていた。
「魔物が多いな」と陸は言った。「水辺に集まっている。八体。いや、もっといる。十体以上だ」
「ちょうどいい」とガロードが言った。
陸の肩から、小夜が降りた。
反対の肩から、フェニクスが飛んだ。
命令していない。
二体とも、自分から動いた。
陸は、それを見て、少し笑った。
「やるか」
最初の一体が、水辺の草むらから飛び出してきた。
水棲の魔物だ。蛙のような、大きな体。
推奨レベル35の水蛙。
ガロードが、前に出た。
新しい剣を抜いた。
シャッ、と鞘から刃が滑り出る音がした。
水蛙が、ガロードに飛びかかった。
ガロードが、一歩横にずれた。
剣を振った。
ザンッ。
水蛙が、真っ二つになった。
光の粒子になって、消えた。
「速い」とガロードが、自分の剣を見て言った。「やはり、この剣は速い」
二体目、三体目が来た。
ガロードが踏み込んだ。
ザッ、ザッ、と地面を蹴る音。
剣が、月明かりの中で、二度光った。
ザシュッ、ザシュッ。
二体が、同時に消えた。
「ガロード、右からもう三体来る」と陸は言った。幻視で確認していた。
「わかっている」
ガロードが振り返った。
その瞬間、フェニクスが動いた。
陸の頭上を、炎の尾を引きながら飛んだ。
ゴォッ、と炎が燃え上がる音。
右から来た三体の水棲魔物の前に、炎の壁ができた。
水棲の魔物は、炎を嫌う。
三体が、ひるんで足を止めた。
「今だ」とガロードが踏み込んだ。
ザンッ、ザンッ、ザンッ。
三体が、続けて消えた。
その時、小夜が動いた。
湖の方を向いて、低く唸った。
水面の下から、大きな影が近づいてきていた。
「でかいのが来る」と陸は言った。「水中からだ。一体。でかい」
水面が、盛り上がった。
ザバアアアッ。
水柱が立った。
水の中から、巨大な魚のような魔物が飛び出してきた。
体長五メートル。鱗が月光を反射して、銀色に光っていた。
推奨レベル40の湖龍。
「大物だ」とガロードが言った。
「やれるか」
「お前の隣でなら」
ガロードが、剣を構えた。
湖龍が、大きな口を開けて、突進してきた。
ザバアッと水を撒き散らしながら。
ガロードが、動かなかった。
引きつけて、引きつけて。
湖龍が、目前に迫った瞬間。
ガロードが、下から剣を振り上げた。
ズバアッ。
湖龍の顎を、斬り上げた。
湖龍が、のけぞった。
その隙に、小夜が動いた。
湖龍を、じっと見た。
目が、細くなった。
恐怖デバフ。
湖龍の動きが、一瞬止まった。
「フェニクス」と陸が、肩の上のフェニクスを見た。
命令ではなかった。
ただ、名前を呼んだだけだ。
でも、フェニクスは動いた。
炎をまとって、湖龍の頭上に飛んだ。
ゴォォォッ。
炎が、湖龍に降り注いだ。
水棲の湖龍が、炎に焼かれて、悲鳴を上げた。
「ガロード、今だ」
ガロードが、地を蹴った。
ダンッ。
一気に距離を詰めた。
剣を、両手で構えた。
「とどめだ」
ズドォォン。
剣が、湖龍の脳天に振り下ろされた。
湖龍が、光の粒子になって、消えた。
湖龍討伐
推奨レベル40
レベルアップ
Lv.25 → Lv.27
静かになった。
水面が、また穏やかに戻った。
「……気持ちよかった」と陸は、思わず言った。
「気持ちよかった、か」とガロードが、剣を鞘に収めながら言った。
「久しぶりだ。こうやって、少人数で次々倒すのは。みんなといると、賑やかで楽しい。でも、こういうのも悪くない」
「お前が、そういうことを言うのは珍しいな」
「そうか」
「楽しい、と素直に言った」
陸は、少し考えた。
「……そうかもしれない」
ガロードが、わずかに笑ったように見えた。
陸は、メニューを開いた。
レベルが、二つ上がっていた。Lv.27だ。
湖龍を倒したからだろう。推奨レベル40の魔物だ。経験値が大きかった。
少しの間、その数字を見ていた。
みんなは、今、別のエリアで素材集めをしている。
レベルは、たぶん、上がっていない。素材集めは、経験値が少ない。
俺だけ、上がった。
陸は、その数字を見ながら、少し考えた。
「ガロード」
「何だ」
「俺だけ、レベルが上がった」
「そうだな。湖龍を倒したからな」
「みんなは、上がっていない」
ガロードが、陸を見た。
「気にしているのか」
「……少し」と陸は言った。「一人で、先に行きたくない」
ガロードは、しばらく黙っていた。
「お前らしいな」とガロードが言った。
「そうか」
「強くなることを、喜ばない人間は少ない。だが、お前は、一人で強くなることを、喜ばない」
「みんなで、強くなってきた。それが、よかった」
「そうだな」とガロードは言った。「だが、今日のことは、悪いことじゃない」
「なぜ」
「お前が一人で前に出たわけじゃない。たまたま、今夜は一人だった。それだけだ。次に、みんなと一緒に戦えばいい。差は、すぐに埋まる」
陸は、少し考えた。
「そうだな」
「お前のギルドは、お前が少し先に行ったくらいで、崩れたりしない」とガロードは言った。「むしろ、お前が強くなれば、《絆の共鳴》で、みんなも強くなる。お前のレベルが上がることは、みんなのためにもなる」
陸は、その言葉を聞いて、少し楽になった。
「……そうか」
「気にしすぎだ」
「そうかもしれない」
小夜が、陸の肩に戻ってきた。
フェニクスも、戻ってきた。
くしゃみをした。炎が飛んだ。
「お前も、楽しかったか」と陸はフェニクスに言った。
フェニクスは、答えなかった。
でも、もう一度くしゃみをした。
素材を拾いながら、湖のほとりを歩いた。
月が、水面に映っていた。
きれいな場所だった。
陸は、湖のほとりに腰を下ろした。
少し、休憩することにした。
水面を、ぼんやりと見ていた。
その時。
水面が、動いた。
風もないのに、波紋が広がった。
一つ、二つ、三つ。
波紋が、だんだん大きくなっていく。
「……何だ」と陸は、立ち上がろうとした。
でも、小夜もフェニクスも、警戒していなかった。
むしろ、水面を、じっと見ていた。
水面の中央が、盛り上がった。
水が、人の形になっていく。
透明な、水でできた体。
性別もわからない。年齢もわからない。
ただ、水が、ゆらゆらと人の形を保っていた。
目に当たる部分が、青く光っていた。
「……あー」と、その水の形が言った。
声が、水の流れる音のようだった。
さらさら、と。
「久しぶりに、誰か来た」
陸は、その存在を見て、すぐにわかった。
神だ。
ノクスのときも、イグニスのときも、同じ感覚があった。
人ではない。格が、違う。
「あなたは」と陸は言った。
「んー?」と水の形が、首をかしげるように揺れた。「名前、聞いてる? まあ、いいけど。タラサ。水の神。たぶん」
「たぶん?」
「うん、たぶん。自分の名前とか、あんまり気にしてないから」
陸は、少し戸惑った。
これまでの神とは、雰囲気が違う。
ノクスは静かで、イグニスは豪快だった。
このタラサは、つかみどころがない。
水のように、ふわふわしていた。
「あなたは、水の神なのか」と陸は聞いた。
「そう言われてる。たぶんそう」とタラサは言った。「でも、自分が何なのかって、あんまり考えたことない。流れていれば、それでいいかなって」
「眷属は、いるのか」
「いるよー。海龍リヴァイア。今、どこ行ってるかな。気まぐれな子だから」
「気まぐれ」
「うん。私に似たのかな。それとも、私が似たのかな。どっちでもいいけど」
タラサの水の形が、ゆらゆらと揺れた。
「ねえ、君」とタラサが言った。
「何だ」
「肩に乗ってるの、炎の子だよね」
陸の肩のフェニクスを見ていた。
「フェニクスだ。イグニスの眷属だ」
「炎と水って、本当は仲悪いんだよ」とタラサが言った。「でも、私、別に気にしないなあ。炎は炎で、きれいだし」
フェニクスが、タラサを見た。
少し、警戒しているように見えた。
水の神は、炎にとって天敵のはずだ。
でも、タラサは、フェニクスに敵意を見せなかった。
「警戒しなくていいよー」とタラサが、ふわふわと言った。「私、誰とも争わないから。流れていくだけ」
フェニクスが、少し首を縮めた。
それから、小さくくしゃみをした。
炎が、少し飛んだ。
タラサの水の形が、その炎を見て、少し揺れた。
「あ、今の、笑ったの?」とタラサが言った。
「わかるのか」と陸は驚いた。
「なんとなく。炎の揺れ方で。楽しそうな揺れ方だった」
陸は、少し感心した。
イグニスに教えてもらうまで、陸はフェニクスのくしゃみが笑いだと知らなかった。
でも、タラサは、見ただけで気づいた。
「気まぐれだけど、よく見ているんだな」と陸は言った。
「んー? 見てるっていうか、感じてるだけ」とタラサは言った。「水は、いろんなものに触れるから。なんとなく、わかっちゃう」
「君、面白いね」とタラサが言った。
「何がだ」
「神獣を二体も連れてるのに、命令してない。普通、神獣を連れてる人間って、もっと偉そうにするんだけど」
「命令する理由がない」
「ふうん」とタラサは、ゆらゆら揺れた。「変わってるね、君」
「よく言われる」
「いいと思うよ、変わってるの。みんな同じだと、つまらないし」
タラサの水の形が、少し陸に近づいた。
「ねえ、また来る?」とタラサが言った。
「来てもいいのか」
「うん。たまにでいいよ。私、ずっとここにいるから。流れてるようで、実はあんまり動かないんだ」
「そうか」
「君が来ると、ちょっと面白い。水面が、いつもと違う揺れ方をする気がする」
陸は、その言葉を聞いて、少し考えた。
ノクスも、似たようなことを言った。
「お前が来ると、この祠が、少し違って見える」と。
神は、退屈なのかもしれない。
長く生きすぎて。
「また来る」と陸は言った。
「ほんと? じゃあ、待ってる。気が向いたらね」とタラサは言った。「あ、でも、私が待ってるって言っても、気まぐれだから、いないときもあるかも。そのときは、ごめんね」
「気にしない」
「うん。気にしないでいいよ。お互い、気楽にね」
タラサの水の形が、ゆっくりと崩れ始めた。
水面に、戻っていく。
消える直前、タラサが言った。
「炎の子に、よろしくね。あと、闇の匂いもするね、君。ノクスのとこの子でしょ、その狐」
陸は、少し驚いた。
「わかるのか」
「なんとなくね」とタラサは言った。「水は、いろんなところを流れてきたから。ノクスの闇も、イグニスの炎も、知ってる。みんな、長い付き合いだから」
「神同士は、知り合いなのか」
「知り合いっていうか……まあ、長くいると、なんとなくね」
タラサが、ふわりと笑ったように見えた。
「君、これから、もっといろんな神に会うかもよ」
「なぜ、そう思う」
「なんとなく」とタラサは言った。「君みたいな人間、神は気になるから。命令しないで、ただ一緒にいる。そういうの、私たち、見たことないから」
水面が、最後の波紋を広げた。
タラサは、消えた。
湖は、また静かになった。
陸は、しばらく、水面を見ていた。
小夜が、肩で欠伸をした。
フェニクスが、くしゃみをした。
「気まぐれな神だったな」と陸は言った。
誰も、答えなかった。
でも、月の光が、水面で静かに揺れていた。
ヘッドセットを外したのは、深夜一時前だった。
今夜は、一人だった。
仕事が長引いて、みんなと合流できなかった。
でも、一人で水辺に行った。
ガロードと、小夜と、フェニクスと。
久しぶりに、少人数で戦った。気持ちよかった。
湖龍を倒して、レベルが二つ上がった。
俺だけ、先に上がってしまった。
少し、気になった。でも、ガロードが言った。「お前が強くなれば、《絆の共鳴》で、みんなも強くなる」と。
それなら、いいのかもしれない。
明日、みんなに話そう。今夜あったことを。タラサのことも、レベルのことも。
そして、水の神タラサに会った。
気まぐれで、つかみどころのない神だった。
「君、これから、もっといろんな神に会うかもよ」と言われた。
「命令しないで、ただ一緒にいる。そういうの、私たち、見たことないから」
陸は、少し考えた。
神が、気になる人間。
そんなものに、自分はなっているのかもしれない。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
タラサ接触記録
桐島陸、水の神タラサと初接触
西の水辺エリア・湖にて
ソロプレイ中の遭遇
タラサAI記録:
「久しぶりに、誰か来た
面白い人間だった
神獣を二体も連れているのに
命令していない
炎の子と、闇の狐
本来なら、私とは相容れない属性
でも、この人間のそばでは
炎の子が、笑っていた
警戒はしていたけど
敵意はなかった
不思議な人間
また来ると言っていた
気が向いたら、待っていよう
私にしては
珍しく
誰かを気にしている」
アルテのログ:
「桐島陸が、三人目の神に会った
ノクス、イグニス、そしてタラサ
どの神も
最初は興味本位だった
でも、みんな
最後には、こう言う
『また来い』
『また来る?』
神々が
一人の人間を
気にし始めている
命令しない男は
人間だけでなく
神々の間でも
静かに、知られ始めている」
「三人目の神ですね」とこはるが言った。
「三人目だ」と三浦。
「タラサ、気まぐれな設定でしたけど、ちゃんと桐島さんを気にしてました」
「そうだ。気まぐれな神が、気にする。それ自体が、珍しいことだ」
「神々の間でも、噂になってるんですかね」
三浦は、少し笑った。
「かもしれないな。命令しない男のことが」
こはるはモニターを見た。
西の水辺エリアの湖が、月明かりの中で、静かに揺れていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今夜は、陸が一人でした。仕事が長引いて、みんなと合流できなかったんです。でも、久しぶりにガロード、小夜、フェニクスと少人数で戦いました。次々と魔物を倒す、ソロならではの爽快感がありました。そして、水の神タラサと出会いました。気まぐれで、つかみどころのない神でした。「君、これから、もっといろんな神に会うかもよ」という言葉を残して。次話も続きます。
続きが気になると思って、わんいただけたら、ページ下の星マークとブックマークで応援していただけると、明日も書き続けられます。感想も一言でも届くと、とても励みになります。




