第40話「一緒に、やらないか」
翌朝、目が覚めた。
コーヒーを淹れながら、昨夜のことを思い出した。
ノクスに会った。「次は、もう少し早く来い」と言われた。「小夜を、頼む」と言われた。
神に、頼まれた。
陸はコーヒーを一口飲んだ。
ふと、考えた。
俺の周りには、随分と人が増えた。
宗介がいる。雪乃がいる。大和がいる。静がいる。ハルがいる。
ガロードがいる。小夜がいる。フェニクスがいる。
シィラが外に出てくるようになった。黒崎零が輪の中に入った。ノクスが小夜を託してくれた。
みんな、ゲームの中の存在だ。
でも、ゲームの外で、ずっと支えてくれた人がいる。
柚希だ。
毎日のように、ご飯を持ってきてくれた。
ゲームの話を、聞いてくれた。
「気をつけてね」と、毎回言ってくれた。
でも、一緒にプレイしたことは、一度もなかった。
陸は、コーヒーを飲みながら、しばらく考えた。
そういえば、と思った。
俺は、柚希を一度も誘ったことがない。
午前中で仕事を終わらせた。
昼すぎ、チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。
「今日はスープ。寒くなってきたから」
「ありがとう」
二人でテーブルに座った。
柚希がスープをよそった。湯気が立った。
陸は、そのスープをしばらく見ていた。
「どうしたの」と柚希が聞いた。
「いや」
「変だよ。じっとスープ見て」
陸は、スプーンを置いた。
少し、間があった。
「柚希」
「何」
「一緒に、やらないか」
柚希の手が、止まった。
スープをよそうスプーンを持ったまま、動かなくなった。
「……一緒に、って」
「ゲームだ。今度、俺たちと一緒にプレイしないか」
柚希が、陸を見た。
しばらく、何も言わなかった。
「……いいの?」と柚希が、小さな声で言った。
「ああ」
「私が、混ざって、いいの?」
「ずっと、支えてくれた。ご飯を持ってきてくれた。話を聞いてくれた。でも、俺は一度も、お前を誘ったことがなかった」
陸は、少し言葉を選んだ。
「気づいたんだ。今朝、ノクスに会ったことを思い出していて。俺の周りには、随分と人が増えた。神様まで、いる。でも、一番近くで支えてくれた人を、俺は誘っていなかった」
「でも、私……漆黒の絶対者のメンバーだよ」と柚希が言った。「いいの?」
「ギルドはそのままでいい」と陸は言った。「いきなり引き抜くような真似はしたくない。黒崎零にも筋が通らない。ただ、一緒にプレイしたいだけだ。籍はどこにあってもいい」
柚希が、少し驚いた顔をした。
「……そこまで考えてるんだ」
「当然だ。黒崎零も、最近よく顔を出す。あいつのギルドのメンバーを勝手に連れていったら、これまでの関係が壊れる」
「陸くんって、そういうところ、ちゃんとしてるよね」
「当たり前のことだ」
柚希が、スプーンを置いた。
下を向いた。
しばらく、下を向いたまま、何も言わなかった。
「柚希?」
「……ちょっと待って」
声が、少し震えていた。
陸は、待った。
急かさなかった。
柚希が、ゆっくりと顔を上げた。
目が、少し赤くなっていた。
「ずるいよ、陸くん」
「何が」
「そういうの、急に言うの、ずるい」
「そうか」
「そうだよ」
柚希が、少し笑った。涙のにじんだ顔で、笑った。
「やる。陸くんたちと、一緒にやる」
「ありがとう」
「お礼を言うのは、こっちだよ」
「そうか」
「そうだよ」
二人で、少し笑った。
スープを飲みながら、柚希が言った。
「あのね、陸くん。ちゃんと言っておこうと思って」
「何だ」
「私、このゲームのベータテスターだったの。前に聞かれたとき、はぐらかしちゃったけど」
陸は、スプーンを持つ手を止めた。
大会の決勝のあとだ。確かに、あのとき聞いた。「ベータテスターだったのか」と。柚希は「どうかな」と笑って、答えなかった。
「やっぱり、そうだったのか」
「うん。あのときは、なんとなく言いそびれちゃって」
「気づいてはいた」と陸は言った。「ゲームに詳しすぎた。神獣の行動パターンを知っていた。決勝で、ハルの動きを先読みした。普通のプレイヤーには、できないことだ」
柚希が、少し恥ずかしそうに笑った。
「うん。ベータテストのとき、ずっとプレイしてたから。神獣のことも、隠しダンジョンのことも、だいたい知ってる」
「だから、あのときか」と陸は言った。
「あのとき?」
「ゲームを始めてすぐの頃だ。ノクスの祠で、幻の試練を受けた日があった。ヘッドセットを外したら、お前が『ちゃんと、帰ってこられた?』と聞いた。あのとき、なぜそれを知っているのか、不思議だった」
柚希が、少し目を見開いた。
「……覚えてたんだ、そんな昔のこと」
「気になっていた。ずっと」
「あれはね」と柚希は言った。「ベータテストのとき、私もあの祠に行ったの。幻の試練を受けた。帰ってこられない人もいるって、噂で聞いてた。だから、心配で」
「そうだったのか」
「うん。言えなかったんだ。ベータテスターだって言うと、なんか、ずるしてるみたいで」
「ずるじゃない」と陸は言った。「知っていることは、強さだ」
柚希が、少し黙った。
「……陸くんは、そう言うと思った」
「なぜ」
「陸くんは、いつも、相手のいいところを見る。命令しないで、ただ信じる。だから、私のことも、そう言ってくれると思った」
陸は、何も言わなかった。
でも、スープをもう一口飲んだ。
温かかった。
「いつから入れる?」と柚希が聞いた。
「いつでもいい。今夜でも」
「今夜?」
「ああ。みんなに紹介する」
「緊張するな」
「しなくていい。みんな、いいやつだ」
「知ってるよ」と柚希は言った。「決勝で戦ったもん」
「そうだったな」
「宗介さんの剣、本当に速かった。静さんの魔法、怖かった。ハルさんの影、読めなかった。大和さんの竜、でかかった。雪乃さんの回復、固かった」
「全部、覚えているのか」
「ベータテスターだからね」と柚希は笑った。「観察するのが、癖なんだ」
陸は、少し考えた。
「お前、いいプレイヤーになる」
「なんで」
「観察するのが癖なら、仲間の動きがよく見える。《絆の共鳴》と、相性がいい」
「絆の共鳴?」
「俺のスキルだ。仲間が動くたびに、他の仲間が強くなる。お前が仲間の動きを見て、合わせて動けば、もっと連鎖が強くなる」
柚希が、少し嬉しそうな顔をした。
「……楽しみになってきた」
「そうか」
「うん」
夕方になった。
「じゃあ、夜にログインするね」と柚希が言った。
「ああ」
「ちゃんと、紹介してね」
「する」
柚希が、玄関で靴を履いた。
振り返った。
「陸くん」
「何だ」
「誘ってくれて、ありがとう」
「ああ」
「ずっと、待ってたのかもしれない」
「待っていた?」
「うん。陸くんが、誘ってくれるのを」
陸は、少し驚いた。
「言ってくれれば、もっと早く誘った」
「それじゃ、意味がないでしょ」と柚希は言った。「陸くんが、自分で気づいて、誘ってくれた。それが、よかったんだよ」
扉が閉まった。
陸は、しばらくその扉を見ていた。
待っていた、と柚希は言った。
シィラも、ノクスも、待っていた。
待っていた人が、また一人いた。
一番近くに、いた。
夜、ログインした。
広場に全員が集まっていた。
「今夜は、一緒にプレイする人を紹介する」と陸は言った。
「一緒にプレイする人?」と宗介が言った。
「もうすぐ来る」
その時、広場に一人のプレイヤーが入ってきた。
見覚えのある装備だった。
決勝で見た装備だ。
「……お前は」と宗介が言った。
柚希だった。
「漆黒の絶対者の」と宗介が続けた。
「うん。籍はまだあっち」と柚希は言った。「でも今日は、こっちで一緒に遊ばせてもらう」
全員が、陸を見た。
「俺の、隣の部屋に住んでいる人だ」と陸は言った。「朝倉柚希。今日は、一緒にプレイする」
「ギルドに入れるんじゃないのか」と大和が聞いた。
「柚希は漆黒の絶対者のメンバーだ。勝手に引き抜くわけにはいかない。黒崎零との筋もある。だから今は、一緒にプレイするだけだ」
「……お前、そういうとこ律儀だな」と宗介が言った。
「当たり前のことだ」
宗介が、しばらく柚希を見た。
それから、少し笑った。
「決勝で、ハルの動きを読んだやつか」
「読んだね」と柚希は言った。
「あれ、悔しかったんだよな」とハルが言った。「全然読めなかったのに、読まれた」
「ベータテスターだからね」
「ベータテスター!?」とハルが叫んだ。「ずるい!」
「ずるくないよ」と柚希は笑った。
広場が、賑やかになった。
陸は、その様子を見ていた。
また一人、隣に来た。
一番近くにいた人が、ようやく、ゲームの中で一緒に立っていた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今日は、大きなことがあった。
柚希を、誘った。
自分から、誘った。
柚希が、泣きそうな顔で笑った。「一緒にやる」と言った。
ベータテスターだったことを、教えてくれた。
ゲームを始めてすぐの頃、祠の試練を心配してくれていたことも。
「ずっと、待ってた」と柚希は言った。
俺が、誘うのを。
陸は、少し考えた。
待っていてくれたなら、もっと早く誘えばよかった。
でも、柚希は「自分で気づいて誘ったのがよかった」と言った。
そういうものかもしれない。
ギルドの話は、いつかでいい。
まずは、一緒にプレイする。それで十分だ。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
本日の記録
朝倉柚希(漆黒の絶対者所属)
Stray Wolvesと合同プレイを開始
※ギルド移籍ではなく、合同プレイの形
備考:ベータテスター
アルテのログ:
「桐島陸が、朝倉柚希を誘った
自分から、誘った
これまで桐島陸は
誰も誘わなかった
ただ、いた
ただ、来た
それで、人が集まった
でも今回は
自分から誘った
一番近くで支えてくれた人を
朝倉柚希は言った
『ずっと、待ってた』
待っていた人が
また一人いた
一番近くに
いた
命令しない男が
初めて
自分から手を伸ばした」
「桐島さんが、自分から誘った」とこはるが言った。
「誘った」と三浦。
「珍しいですね。いつも、向こうから来るのに」
「そうだ。今回は、自分から手を伸ばした」
「成長、ですかね」
三浦は、少し考えた。
「成長というより」と三浦は言った。「気づいたんだろう。一番近くにいた人を、誘っていなかったことに」
こはるはモニターを見た。
広場に、また一人、アイコンが増えていた。
朝倉柚希のアイコンだ。
これまでずっと、ゲームの外にいた人が、今、ゲームの中にいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
陸が、初めて自分から誘いました。ずっと支えてくれた柚希を。柚希はベータテスターでした。ゲーム序盤の祠の試練のとき、心配してくれていたことも明かされました。「ずっと、待ってた」と柚希は言いました。柚希はまだ漆黒の絶対者に籍を置いていますが、引き抜きにならないよう、まずは一緒にプレイするところから始まります。一番近くにいた人が、ようやくゲームの中で隣に立ちました。次話も続きます。
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