第38話「また来た男が、今度は違う顔をしていた」
翌朝、目が覚めた。
コーヒーを淹れながら、昨夜のことを思い出した。
ガロードが新しい剣を選んだ。
廃坑の帰り道で、初めて使った。
六秒で終わった。「悪くなかった」と言った。
それで十分だった。
仕事を始めた。
午前中で仕事を終わらせた。
今日はチャイムが鳴らなかった。
柚希は夜勤の日だ。
陸は一人でコーヒーを飲んで、今夜の予定を考えた。
シィラに会いに行く。
昨夜は深い場所にいた。今夜は入り口に近い場所にいるかもしれない。
それだけだ。
夕方、ログインした。
広場に全員が集まっていた。
「今夜は廃坑だ。シィラに会いに行く」と陸は言った。
「昨夜は会えなかったな」と宗介が言った。
「そうだ。深い場所にいた。今夜はどうかわからない。でも、行く」
「わかった」
全員で廃坑の方向に向かおうとした。
そのとき、幻視に気配が引っかかった。
拠点の方向だ。
「待て」と陸は言った。
「何だ」
「拠点の近くに誰かいる。一人だ」
幻視で確認した。
黒崎零だ。
拠点の入り口の前に立っていた。
入ろうとはしていない。
ただ、立っていた。
「黒崎零だ」と陸は言った。
「今度は一人か」と宗介が言った。「部下がいない」
「拠点の前で待っている。入ろうとはしていない」
「どうする」
「行く」
全員で戻った。
黒崎零が、全員を見た。
今日の黒崎零は、これまでと少し違った。
一人だった。
いつも部下を連れている。でも今日は、一人で来ていた。
「一人か」と陸は言った。
「そうだ。部下は別のクエストに出している」
「改まって来た理由は」
黒崎零が少し間を置いた。
「一つ、頼みたいことがある」
「頼みたいこと、か」とガロードが静かに言った。
黒崎零がガロードを見た。「そうだ」
「珍しいな」と宗介が言った。「お前が頼み事をするとは思わなかった」
「……そうかもしれない」と黒崎零は言った。
「何を頼みたい」と陸は聞いた。
黒崎零が、少し間を置いた。
「一緒に、動いていいか。お前たちと同じ場所で、一度動いてみたい。自分で確かめたいことがある」
「黒崎零のギルドはどうする」と雪乃が静かに言った。
「今回は俺一人だ」と黒崎零は言った。「部下に俺の変化を見せる前に、自分で体感しておきたい」
「自分で体感する、か」と陸は言った。
「そうだ。命令して確かめるのではなく、自分で動いて確かめる」
陸は少し考えた。
拒む理由はなかった。
「わかった。一緒に来い。でも、俺は命令しない。何をすべきかを指示することもない。自分で判断して動くことになる」
「それでいい」
「それがお前にとって、難しいかもしれない」
「難しいのはわかっている。でも、やってみないとわからない」
宗介が、隣で小声で陸に言った。「それ、お前が毎回言う台詞だぞ」
陸は少し考えた。確かに、自分がよく言う言葉だった。
「黒崎零も、同じことを言うようになったか」
「変わってきてるんだろうな、あいつも」と宗介は言った。「最初に会ったときとは、別人みたいだ」
「そうだな」
廃坑に向かった。
全員で歩いた。
今日は八人だ。
先頭を歩くガロードが、足を進めるたびに、周囲の空気が張り詰めていく。
覇気だ。
ガロードが意識して出しているわけではない。歩いているだけで、その圧が自然と広がっていく。
森の奥にいた魔物の気配が、すっと引いていった。
黒崎零が、その変化を肌で感じ取った。
「……これが、ガロードの覇気か」と黒崎零が、隣を歩く陸に静かに尋ねた。
「そうだ」と陸が答えた。
「常に出ているのか」
「常時だ。ガロード本人も、止めようと思って止めているわけじゃない。歩いているだけで出ている」
黒崎零が、前を行くガロードの背中を見た。
「なぜ、そんなことができる」と黒崎零がガロードに向かって問いかけた。
ガロードは前を向いたまま、低い声で答えた。
「長い年月、戦い続けた。覇気を出そうと考えたことは、もう何十年もない。考えるより先に、体から滲み出る。そういうものだ」
「意識せずに、滲み出る」と黒崎零が繰り返した。
「お前は、力を出すとき、頭で考えるだろう」とガロードが言った。「どう動くか、どう指示するか、頭で組み立てる。それは強い。だが、頭で組み立てたものは、組み立てるための時間がいる」
「お前のは、時間がいらない」
「体が覚えているからな。考える前に、もう出ている」
黒崎零は、しばらく何も言わなかった。
でも、前を行くガロードの背中を見つめたまま、歩くペースが少しだけ落ちた。
何かを考えているようだった。
陸は、その二人のやり取りを、隣で黙って聞いていた。
廃坑の入り口に着いた。
幻視でシィラの気配を確認した。
「いる。今夜は入り口に近い場所だ」
「入るか」と宗介が言った。
「入る」
坑道に入った。
しばらく進むと、足音が聞こえた。
杖をつく音だ。
シィラが現れた。
いつもの場所より、さらに入り口に近かった。
シィラが全員を見た。
それから、黒崎零を見た。
「……また増えたな」とシィラが言った。
「新しく一緒に動くことになった男だ」と陸は言った。
「お前の周りは、本当に人が増える」
「そうかもしれない」
シィラが黒崎零を、しばらく見ていた。
黒崎零も、シィラを見返した。
「お前は、人に従わせてきた人間だな」とシィラが言った。
黒崎零が、わずかに目を動かした。
「どうして、それが」
「長く生きていると、目を見ればわかる。人を従わせてきた者には、特有の硬さがある。お前の目には、それがある」
黒崎零は、すぐには答えなかった。
否定もしなかった。
「……否定はしない」とやがて言った。
「だが」とシィラは続けた。少し間を置いてから。「今日の目は、その硬さが少し緩んでいる」
「緩んでいる」
「迷っているのだろう。これまで信じてきたものが、本当に正しかったのか、と」
黒崎零が黙った。
何か言おうとして、言葉が出ないようだった。
陸は、その様子を黙って見ていた。
割り込まなかった。
シィラが、陸に視線を移した。
「また来てくれたな」
「来た。今夜は外の様子を見たいか」
「……見たい」とシィラは言った。「お前が来ると、なぜか外を見たくなる」
幻視で確認した。「穏やかだ。魔物の気配は少ない」
シィラがしばらく黙った。
杖を持つ手が、少し動いた。
「……出てみる」
誰も何も言わなかった。
シィラが、ゆっくりと入り口に向かって歩き始めた。
全員が道を開けた。
外に出た。
夕暮れの空だった。
シィラが空を見上げた。
それから、黒崎零を見た。
「お前は、なぜここに来た」
黒崎零が少し間を置いた。「一緒に動いてみたかった。陸の隣で」
「陸の隣で、か」
「そうだ」
シィラが、また空を見た。
夕暮れの色が、少しずつ濃くなっていた。
「……俺も、そうだった」とシィラが言った。
黒崎零が、シィラを見た。
シィラは空を見たまま、続けた。
「陸が来るたびに、少しずつ入り口に近づいていた。最初は奥にいた。気づいたら、ここまで出てきていた。あの男は、何も言わなかった。ただ、来た。それだけで、私は動いた」
「何も言わずに、人を動かすのか」と黒崎零が聞いた。
「動かされたのではない」とシィラは言った。「自分で動いた。あの男が来るのを見て、自分で出てこようと思った。それが違いだ」
黒崎零が、黙った。
その言葉の意味を、噛み締めているようだった。
陸は何も言わなかった。
ただ、その場にいた。
小夜が陸の肩から降りた。
シィラの足元に、のそのそと歩いていって、座った。
シィラが、小夜を見た。
そっと、頭に触れた。
「外は、悪くない」とシィラが言った。
それは、前回も言った言葉だった。
でも、今夜は黒崎零に向けて言った言葉だった。
黒崎零は、その言葉を、静かに聞いていた。
帰り道、黒崎零が陸の隣を歩いた。
「あの人は、何者だ」と黒崎零が聞いた。
「廃坑に長くいた人だ。外に出る理由がなかったらしい」
「今は出るのか」
「少しずつ、出るようになった。今夜で、二度目だ」
「お前が来続けたからか」
「どうだろうな」と陸は言った。「俺は特別なことはしていない。会いに行って、隣にいて、また来ると言って帰る。それを繰り返しただけだ」
黒崎零が、しばらく黙って歩いた。
それから、ぽつりと言った。
「俺なら、効率を考える。一度で信頼を得る方法を探す。最短の手順を組む」
「それでもいいと思う」
「だが、お前はそうしない」
「最短かどうかは、考えたことがない」と陸は言った。「ただ、急ぐと、相手が引く気がする。だから、待つ」
黒崎零が、前を向いたまま、少し考えるような顔をした。
「……待つ、か」
「そうだ」
「俺は、待ったことがないかもしれない」と黒崎零は言った。声が、少し低かった。「いつも、最短で結果を出すことばかり考えていた」
陸は、何と返そうか少し迷った。
「待つのは、たぶん、結果を急がないことだ」とやがて言った。「結果が出るかどうかより、その人と一緒にいる時間そのものを、大事にする。そういうことかもしれない」
黒崎零は何も言わなかった。
でも、歩くペースが、少し落ちた。
考えながら、歩いていた。
拠点に戻った。
焚き火の前に全員で座った。
黒崎零は、少し離れたところに座った。
全員の輪の外だ。
でも、輪を出ていったわけでもなかった。
ハルが、黒崎零を見た。
「輪に入っていいよ」とハルが言った。
黒崎零が、ハルを見た。
「……いいのか」
「うん。もう来たんだから」
黒崎零が、少し間を置いた。
それから、静かに輪の中に移動した。
焚き火の光が、全員を照らした。
フェニクスが焚き火に炎を足した。
小夜が欠伸をした。
誰も喋らない時間が続いた。
でも、その沈黙は、居心地が悪いものではなかった。
「こういうものなのか」と黒崎零が言った。
「何が」と陸は言った。
「お前のギルドの、普通の夜だ」
「そうだ」
「命令もなく、指示もなく、ただ座っている」
「そうだ」
「……不思議だな」
「そうか」
「俺のギルドは、こういう時間がなかった。何かをするか、何もしないかのどちらかだった。こういう、間、というものがなかった」
陸は少し考えた。「この間が、大事なんだと思う」
「なぜ」
「命令がない時間に、各自が自分で何かを考える。それが、次に動くときの判断になる」
黒崎零が、炎を見た。
しばらく、炎を見ていた。
「……そうか」
今夜の「そうか」は、これまでと少し違う声だった。
納得しているような、でもまだ全部は理解できていないような。
その途中にある声だった。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今夜は色々あった。
黒崎零が「一緒に動いていいか」と来た。
シィラがまた外に出た。
黒崎零とシィラが、同じ場所で言葉を交わした。
「来るたびに、何かが変わった」とシィラが言った。
黒崎零は、その言葉を聞いていた。
帰り道、黒崎零が「待ったことがないかもしれない」と言った。
いつも最短で結果を出すことばかり考えていた、と。
まだ全部はわかっていないかもしれない。
でも、わかろうとしている。
それで十分だ。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
本日の記録
黒崎零が拠点に来た
「一緒に動いていいか」と言った
シィラが外に出た
黒崎零にシィラが言った
「陸が来るたびに、何かが変わった」
黒崎零AI記録:
「一緒に動いた
命令しなかった
指示もなかった
でも全員が動いた
シィラという人間が言った
『来るたびに、何かが変わった』
ただ来るだけで
何かが変わる
俺にはまだ
理解できない
でも
今夜
焚き火の輪の中に
入った
それが
最初の一歩かもしれない」
アルテのログ:
「黒崎零が輪の中に入った
ハルが声をかけた
『輪に入っていいよ』
黒崎零は少し間を置いた
それから入った
命令ではない
招かれたから入った
命令しない男の周りに
また一人
近づいてきた」
「黒崎零が輪の中に入った」とこはるが言った。
「入った」と三浦。
「ハルが声をかけたから」
「そうだ」
「ハルって、そういう子だな」
「そうだな」と三浦は言った。「輪の外にいる人間に気づいて、声をかける。それがハルだ」
こはるはモニターを見た。
拠点の焚き火の周囲に、これまでより一人多いアイコンが並んでいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
黒崎零が「一緒に動いていいか」と来ました。シィラがまた外に出て、黒崎零と言葉を交わしました。「来るたびに、何かが変わった」という言葉が、黒崎零に届いたようでした。焚き火の輪の中に、静かに入ってきました。次話も続きます。
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