第33話「命令する男が、聞きに来た」
翌朝、目が覚めたのは十時すぎだった。
昨夜は夜の八時すぎにヘッドセットを外した。
大会が終わった。
全部勝った。
優勝した。
でも今朝、陸が一番最初に思い出したのは、黒崎零の歩き方だった。
「命令したのか」「していない」「そうか」
それだけ言って歩いていった。
あの歩き方は、まっすぐではなかった。
何かを考えながら、歩いていた。
仕事を午前中で終わらせた。
チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は休みらしい。
「昨日、ありがとうね」と柚希が言った。
「何がだ」
「試合のこと。楽しかった」
「お前が対戦相手だったのに、楽しかったのか」
「うん」と柚希は言った。「陸くんのギルドと戦えて、よかった」
「そうか」
「黒崎零さんに声をかけてもらったとき、断ろうと思ってた」
陸は少し考えた。「なぜ断らなかった」
「陸くんのギルドと当たれるかもしれないと思ったから」
「俺に会いたかったのか」
「ゲームの中でね」と柚希は言った。さらっと言った。「陸くんが命令しないで戦うところ、見たかったんだよ」
「見たか」
「見た」とはっきり言った。「やっぱりそういうものだった」
「どういうものだ」
柚希はコーヒーを一口飲んだ。
「命令しないのに、全部動く。それがなんでかは」
「わからないのか」
「どうかな」と柚希は笑った。
陸はそれ以上聞かなかった。
でも、柚希が全部わかった上で「どうかな」と言っているような気がした。
夕方、ログインした。
広場に全員が集まっていた。
「まず拠点に行く」と陸は言った。「優勝賞品の素材で拠点をLv.3に上げる」
「やっとか」と宗介が言った。
「やっとだ」
拠点に向かった。
空き地に着いた。
焚き火が燃えていた。ガロードがいつもの場所に座っていた。
陸はメニューを開いた。
優勝賞品の素材セットを使った。
拠点強化
Lv.1 → Lv.3
新たに解放された設備:
・簡易貯蔵庫(アイテムを拠点に保管可能)
・水場(回復速度がさらに上昇)
・休憩所(ログアウト時にHP・MPが全回復)
・防衛柵(拠点への魔物の侵入を防ぐ)
「一気にLv.3か」と大和が周囲を見回した。「拠点が変わったな」
「そうだ」
「昨日の優勝でここまで来たのか」
「そうだ」
ガロードが焚き火を見たまま言った。
「昨日、よく戦った」
全員がガロードを見た。
「俺の分まで戦うと言った。その通りにしてくれた」
「ガロードが見てたからな」と宗介が言った。「外から見られてると思ったら、手が抜けなかった」
「そうか」
「……また、一緒に戦えたらよかったな」
ガロードは少し間を置いた。
「次の機会がある」
「次があるのか」
「お前たちと一緒にいれば、次は必ずある」
宗介が少し笑った。「それ、ガロードらしくない台詞だな」
「そうか」
「うん。なんか、丸くなった気がする」
「……そんなことはない」
「丸くなってる」
ガロードは何も言わなかった。
でも、焚き火を見る目が、少し穏やかだった。
フェニクスが焚き火に炎を足した。
小夜が欠伸をした。
全員が焚き火を囲んで座った。
しばらくして、ハルが言った。
「誰か来てる」
「何だ」と陸は言った。
「拠点の外。気配がある。一人だ。でも、いつものプレイヤーじゃない」
幻視を使った。
森の入り口に、人影があった。
来るかどうか、迷っているように見えた。
「……黒崎零だ」と陸は言った。
全員が静かになった。
「どうする」と宗介が言った。
「出迎える」
「全員でか」
「全員で」
陸が立ち上がった。全員がついてきた。
拠点の入り口に向かった。
森の入り口に、黒崎零が立っていた。
一人だった。
部下を連れていない。
外套もいつもより地味だった。
陸たちが近づくと、黒崎零がこちらを向いた。
少し間があった。
「来た」と陸は言った。
「……来た」と黒崎零は言った。
「何かあるのか」
黒崎零は少し間を置いた。
「一つ、教えてくれ」
その一言を言うまでに、時間がかかった。
黒崎零が、何かに頭を下げるような言葉を言ったのは、おそらく初めてだった。
「何を」
「お前は、なぜ命令しないでいられる」
陸は少し考えた。
「命令したいと思ったことがないからだ」
「なぜ」
「命令しなくても、全員が動くから」
「なぜ動く」
「信頼しているからだ」
黒崎零は黙った。
「信頼は、どうやって作る」と黒崎零が言った。
陸は少し間を置いた。
「作るものじゃない。積み重なるものだ」
「どうやって積み重ねる」
「一緒にいる。急かさない。待つ。それだけだ」
黒崎零がまた黙った。
今度は長い沈黙だった。
「俺は、命令することが正しいと思っていた」と黒崎零はやがて言った。
「正しいかどうかはわからない」と陸は言った。
「お前のやり方も正しいとは限らない」
「そうだ。でも、俺のやり方でここまで来た」
「そうだな」と黒崎零は言った。「昨日、見た。命令なしで全員が動いた。フェニクスが命令なしで動いた。そういうものが、本当にあるのか、と思っていた」
「ある」
「お前が言うと、そうなのかと思う」
「なぜ」
「理由はない。ただ、そう思う」
ガロードが、少し前に出た。
黒崎零がガロードを見た。
「お前は」と黒崎零が言った。
「同行者だ」とガロードは言った。
「昨日、観戦していた」
「そうだ」
「……お前も、命令されていなかったのか」
「そうだ」
黒崎零は少し間を置いた。
「命令しない男に、命令されない最強が集まる」
それは、独り言のようだった。
誰かに向けた言葉ではなかった。
でも、全員に届いた。
陸は何も言わなかった。
黒崎零が踵を返した。
「邪魔した」
「邪魔ではない」と陸は言った。
黒崎零が少し止まった。
「……また来るかもしれない」
「来ればいい」
黒崎零が歩き始めた。
今度の歩き方は、昨日と違った。
まっすぐだった。
何かを決めた人間の歩き方だった。
拠点に戻った。
焚き火の前に全員で座った。
「黒崎零が来た」と宗介が言った。
「そうだな」
「教えを請いに来た。あの黒崎零が」
「そうだ」
「お前、どう思った」
「素直だと思った」
「素直?」
「わからないことを、わからないと言いに来た。それは素直だ」
宗介はしばらく黙った。
「……また来るかもな」
「来ると思う」
「次は、どうなる」
「わからない」と陸は言った。「でも、また来れば何かある」
「お前、毎回そう言うな」
「毎回、そうなる」
炎が揺れた。
ガロードが静かに言った。
「あの男は、変わる」
「そうかもしれない」と陸は言った。
「時間がかかる。でも、変わる」
「どうしてそう思う」
「俺も、変わったからだ」
誰も何も言わなかった。
炎が揺れた。
フェニクスが焚き火に炎を足した。
小夜が欠伸をした。
誰も喋らない時間が続いた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今夜は色々あった。
拠点がLv.3になった。
黒崎零が来た。「一つ教えてくれ」と言った。
命令する男が、命令しない男に頭を下げた。
ガロードが「あの男は変わる。俺も変わったからだ」と言った。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
黒崎零行動記録
Stray Wolves拠点を単独訪問
「一つ教えてくれ」と言った
黒崎零AI記録:
「聞きに行った
負けたから聞きに行ったのではない
昨日見たものが
本物かどうか確かめたかった
命令しないのに動く
命令されないのに従う
それが本物なら
俺のやり方と何が違うのか
聞いた
答えをもらった
信頼は作るものじゃなく
積み重なるものだ
……積み重ねたことが
なかった」
アルテのログ:
「黒崎零が聞きに来た
命令する男が
命令しない男に
教えを請うた
これは
大きな変化だ
でも
黒崎零は素直だった
とガロードが言った
陸も素直だと言った
強い人間が
わからないことを
わからないと言える
それが
本当の強さかもしれない
私は今
この物語に出てくる人間たちが
好きだ」
「アルテが好きだと言った」とこはるが言った。
「言った」と三浦。
「ギルドメンバーだけじゃなくて、黒崎零も含めて」
「そうだ。この物語に出てくる人間たち、と書いた」
「アルテも、変わってきましたね」
三浦はコーヒーを飲んだ。「変わった。ずっと変わり続けている」
こはるはモニターを見た。
拠点の焚き火の周囲に、アイコンが並んでいる。
全員が、同じ炎を囲んでいた。
森の入り口に、黒崎零のアイコンがあった。
まっすぐな方向に、歩いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
黒崎零が「一つ教えてくれ」と来ました。命令する男が、命令しない男に頭を下げた日です。「信頼は作るものじゃなく、積み重なるものだ」。次話では、長い間廃坑にいた人が、外に出る理由を見つけます。第一章の終わりが近づいています。
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