第27話「炎の神様は、不本意そうだった」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
イグニスが「ま」と言いかけて、「好きにしろ」に変えました。「また」だったのか、「待っている」だったのか。ガロードが「言いかけたな」と気づきました。神様が言えなかった言葉が、何だったのか。次話でも、その答えは出ません。でも、またいつか来たとき、わかるかもしれません。
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第二十七話「炎の神様は、言いかけた」
熱かった。
岩場に足を踏み入れた瞬間から、空気が違った。
山頂の冷たい風が消えていた。代わりに、下から熱気が押し上げてくる。地面の岩が、内側から温められているような感触だ。
岩の継ぎ目から、薄く湯気が立ち上っていた。
「……熱い」とガロードが言った。
「そうだ」と陸は言った。
「これは、魔物ではない」
「違う」
「わかっている。わかっているが」
ガロードが前に出た。
陸の一歩前に立った。
命令したわけではない。ガロードが自分で動いた。
剣の柄に手をかけた。
その瞬間、陸の肩のフェニクスが、翼を畳んだ。
できるだけ小さくなった。
陸の首元に、頭を埋めた。
「……フェニクス」
陸は思わずフェニクスを見た。
いつも堂々と肩に乗っているフェニクスが、首を縮めている。
炎の眷属が、炎の前で小さくなっている。
それだけで、これから現れるものの格がわかった。
岩場の端から、端から、炎が流れてきた。
川ではない。引力に従うような、ゆっくりとした動きだ。
集まってきた炎が、岩場の中央でまとまり始めた。
熱波が来た。
顔が焼けるような熱さだ。陸の炎属性耐性がなければ、その場で後退していた。ガロードが前に出ていなければ、陸は一歩下がっていたかもしれない。
炎が、形になった。
人に近い何かだ。
でも、人ではない。
輪郭が炎で揺れている。腕に当たる部分が動くたびに、岩場の石が音を立てた。熱で膨張している音だ。
目に当たる部分だけが、固定されていた。
金色だ。
その目が、まず陸を見た。
それから、ガロードを見た。
ガロードの手が、柄を握った。
指が白くなるほど、握った。
「……待て」と陸は言った。
「わかっている」とガロードは言った。「わかっているが、本能が」
「フェニクスを見ろ」
ガロードがフェニクスを見た。
首元に頭を埋めたフェニクスが、その金色の目だけをイグニスに向けていた。
怯えてはいない。
ただ、頭を垂れている。
「眷属が、頭を下げている」とガロードが言った。
「そうだ」
「……わかった」
手が、柄から離れた。
「来たか」と炎の形が言った。
声ではなかった。
熱が、言葉の形をして届いた。岩場の全体が共鳴した。足の裏から、その振動が伝わった。
「来た」と陸は答えた。
「今回は、剣を持った人間がいる」
「連れだ」
炎の目が、ガロードを見た。
ガロードも、その目を見た。
見つめ合った。
どちらも動かなかった。
「久しぶりに見た」とイグニスが言った。「剣を持った人間で、神の前で目をそらさない者は少ない」
「そらす理由がない」とガロードは言った。
「怖くないのか」
「怖い。だが、そらしたところで何も変わらない」
炎の輪郭が、揺れた。
大きく揺れた。
「……面白い人間だ」
「おだてても何も出ない」
「おだてていない」
岩場に、沈黙が落ちた。
ガロードが、少しだけ口元を緩めた。
小夜が陸の肩でのそのそと動いた。
イグニスを見た。
イグニスが小夜を見た。
「闇神の眷属か」
「そうだ」と陸は言った。
「ノクスの眷属が、お前についている」
「懐いてきた」
「命令したのか」
「していない」
炎の輪郭が、また揺れた。今度は少し違う揺れ方だった。
「……またか」
「またか、とは」
「フェニクスも、そうだった。お前は命令しない。それなのに、眷属が選ぶ」
「俺には、わからない」
「わからないのか」
「わからない。でも」
「でも?」
陸は少し考えた。
「来てくれたから、一緒にいる。それだけだ」
イグニスが黙った。
長い沈黙だった。
岩場の岩が、また音を立てた。熱で膨張し続けている。
フェニクスが、首元から顔を出した。
イグニスを見た。
イグニスがフェニクスを見た。
「……久しぶりに、お前の顔を見た」とイグニスが言った。
フェニクスを見ていた。
フェニクスが、小さくくしゃみをした。
炎が少し飛んだ。
イグニスの炎の輪郭が、静かに揺れた。
「……笑っている」
「くしゃみをした」と陸は言った。
「それが、こいつの笑い方だ」
陸はフェニクスを見た。
言われてみれば、そうかもしれない。
いつもくしゃみをしている。炎が飛んで、羽が少し広がって、また閉じる。
「それが、笑い方なのか」
「そうだ。長い間、見ていなかった」
「なぜ見ていなかった」
イグニスは少し間を置いた。
「……こいつが笑わなくなったのは、俺のせいかもしれない」
「どういう意味だ」
「命令ばかりしていた。来い、行け、戻れ。それを繰り返した」
「それは……」
「間違いだったとは思っていない。神は眷属に命令する。それが当然だと思っていた」
「でも」
「でも、こいつが笑わなくなった。いつからかわからない。気づいたら、笑っていなかった」
岩場に、静寂が落ちた。
熱波だけが続いていた。
陸は《幻視》Lv.2を使った。
イグニスの炎の中に、何かが見えた。
向かっているのに、届いていない何かだ。
「お前が命令しなかったから、こいつが笑った」とイグニスが言った。
「俺は何もしていない」
「それが、命令しないということだ」
フェニクスがまたくしゃみをした。
炎が飛んだ。
イグニスの輪郭が、また揺れた。
「また来るか」とイグニスが言った。
陸に向けた言葉だった。
「また来る」と陸は答えた。
「なぜ」
「気になるから」
「何が気になる」
「まだうまく言えない」
イグニスが少し間を置いた。
炎の輪郭が、静かになった。揺れが小さくなった。
「……ま」
炎が揺れた。
「好きにしろ」
岩場に、その言葉が落ちた。
陸はその「ま」をしばらく頭の中で転がした。
「また」だったのか。
それとも別の言葉だったのか。
聞かなかった。
向こうが言いたくなったら、言う。
炎が散った。
岩場の中央から、炎が端に向かって流れていった。
消えた。
残ったのは、陸と、ガロードと、肩の小夜と、戻ってきたフェニクスだけだった。
岩場の端で、大きなフェニクスが翼を広げた。
そのまま、夜空に消えた。
岩場が、静かになった。
熱だけが、まだ残っていた。
「……言いかけたな」とガロードが静かに言った。
「そうかもしれない」
「聞かなかったのか」
「聞かなかった」
「なぜ」
「向こうが言いたくなったら、言う。それだけだ」
ガロードは何も言わなかった。
でも、剣の柄を軽く握った。それだけだった。
炎の神イグニスとの関係値 更新
興味 ★★☆☆☆ → ★★★★☆
困惑 ★☆☆☆☆ → ★★★☆☆
新規:
「眷属が笑う顔を、見た」
「剣を持った人間が、事実を言った」
「また、という言葉を、言いかけた」
陸はメニューを閉じた。
フェニクスが肩に止まった。
くしゃみをした。
首元に頭を埋めていた体勢が嘘のように、また堂々と止まっていた。
「……さっきは怖かったのか」
フェニクスは答えなかった。
でも、陸の肩に爪を立てた。
そっと。
「そうか」
ヘッドセットを外したのは、深夜四時前だった。
今夜は長かった。
炎が集まった。ガロードが前に出た。フェニクスが首を縮めた。イグニスが現れた。ガロードが「寂しかったな」と言った。イグニスが「ま」と言いかけて、「好きにしろ」に変えた。
「また」か、「待っている」か。
どちらだったかは、わからない。
でも、また来れば、いつかわかるかもしれない。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
イグニス接触記録
「ま」という発音が記録された
「また来るか」という問いへの返答の前
イグニスは「ま」と発音した
その後「好きにしろ」と言った
イグニスAI記録:
「言いかけた
待っている、と言おうとした
でも
神が人間を待つとは
どういうことか
わからなかった
だから言わなかった
……また来ると、言っていた」
「イグニスが言いかけた」とこはるが言った。声が少し上ずっていた。
「した」と三浦。
「待っている、って言おうとしたんですね」
「そうだ」
「でも言えなかった」
「神が人間を待つという概念が、イグニスにはなかった。だから言葉にできなかった」
「……切ないですね」
三浦は何も言わなかった。
コーヒーを飲んだ。
アルテのログが動いた。
イグニスが「ま」と言いかけた
「また」か
「待っている」か
私にはわからない
でも
どちらであっても
イグニスは
次に来ることを
想定している
来ることを想定している
それは
待っている
ということと
どう違うのか
私にも
まだわからない
でも
気になっている
「アルテも気になってる」とこはるが言った。
「そうだな」と三浦。
「アルテが気になる、って書くの、珍しいですね」
「珍しい」
こはるはモニターを見た。
山岳エリアの上部の赤みが、静かに消えていた。
岩がまだ少し温かそうに見えた。




