第25話「好きにしろ、ではなかった」
翌朝、仕事をしながら今夜のことを考えていた。
シィラに会いに行く。
それだけだ。特別な目的はない。ただ、会いに行く。
前回、シィラが自分から「また来るか」と聞いてきた。
あの一言が、まだ頭の中にある。
来るか、と聞いた。つまり、来ることを想定している。
想定しているということは、待っているということかもしれない。
待っている、とは言わない。でも、来ることを想定している。
その差が、陸にはわかる気がした。
昼すぎ、チャイムは鳴らなかった。
柚希は今日、夜勤だ。
陸は一人でコーヒーを飲んで、午後の仕事を片付けた。
夕方、ログインした。
広場に全員が集まっていた。ガロードもいた。
「今夜は廃坑だ」と陸は言った。
「シィラに会いに行くか」と宗介。
「そうだ」
「何か目的があるのか」
「ない」
「ないのに行くのか」
「会いに行くのに、目的が必要か」
宗介は少し間を置いた。「……お前、本当にそういうやつだな」
「そうか?」
「そうだ」
ガロードが静かに言った。「それでいい」
全員が廃坑に向かった。
坑道の中は暗い。
ガロードの覇気が先行して、魔物の気配が引いていく。
ハルが《気配遮断》Lv.2で消えた。罠の位置を確認している。
幻視を使った。
シィラの気配がある。
前回より、入り口に近い。
口の中が、少し乾いた。
急かしてはいけない。でも、近づいている。
その事実だけが、静かに重かった。
前回と同じ場所で止まった。
足音が聞こえた。
杖をつく音。ゆっくりとした歩き方。
シィラが、暗い坑道の奥から現れた。
今回は、前回より早く出てきた。
全員を見た。ガロードを見た。陸を見た。
「来たか」
「来た」
「……また大勢だ」
「仲間だ。毎回同じだ」
「そうだな」
シィラがゆっくりと近づいてきた。
前回は、中間地点で止まっていた。
今回は、もう少し近い。
陸は《幻視》Lv.2を使った。
見えた。
シィラの周囲に、薄い光の層が見えた。信頼度を示す色だ。前回より、少し明るい。
でも、それだけじゃなかった。
もっと深いところに、別の何かが見えた。
言葉にするのが難しい色だった。
暗くて、重くて、でも端の方が少しだけ、薄くなっていた。
口を開けた。
息だけが出た。
何も言えなかった。
「どうした」とシィラが言った。
「いや」と陸は言った。「なんでもない」
シィラはしばらく陸を見た。「……幻視を使ったな」
陸は少し驚いた。「わかるのか」
「目が変わる。昔、同じ目をした術師を知っていた」
「見えた」と陸は言った。
「何が見えた」
口の中がまた乾いた。
「言っていいかわからない」
シィラは、それを聞いて、少し動いた。
杖をつく手が、わずかに強くなった。
「言わなくていい」
「……そうか」
「だが」とシィラが続けた。「見た者が、黙っていてくれるなら」
「黙っている」
「……そうか」
また、沈黙が落ちた。
宗介が、陸の隣で刀の柄から手を離した。いつの間にか握っていたらしい。
「聞いてもいいか」とシィラが言った。
全員が、空気ごと止まった。
シィラが自分から聞いてきた。
これまで、シィラは答えるだけだった。
「何だ」と陸は言った。声が、少し遅れた。
「お前たちは、なぜ何度も来る」
「気になるから来る」
「それだけか」
「それだけだ」
シィラはしばらく、その答えを見るように陸を見た。
「……気になる、か」
「そうだ」
「俺は、気になるようなものを持っていない」
「持っている」
「何を」
口の中が乾いた。さっきと同じ感覚だ。
「まだうまく言えない」
シィラは少し間を置いた。
「正直だな」
「そうかもしれない」
「……好きにしろ」
今回の「好きにしろ」は、これまでと少し違った。
突き放すような言葉じゃなかった。
何かを、許可するような言葉だった。
坑道の奥に気配が動いた。
シィラが踵を返そうとした。
その瞬間、陸の《幻視》に何かが引っかかった。
廃坑の外だ。
入り口の方向。
「シィラ」と陸は言った。
「何だ」
「外に、誰かいる」
シィラの動きが止まった。
「……誰かいるのか」
「プレイヤーだ。一人だ」
シィラはしばらく、何も言わなかった。
杖を持つ手が、わずかに動いた。
「……長い間、外に誰かが来ることはなかった」
「そうか」
「今は、来るのか」
「来る。俺たちが来るから、他の者も来るようになった。すまない」
シィラはしばらく黙った。
「……謝るな」
「そうか」
「謝られると、俺が被害者みたいだ」
陸は少し考えた。「そうじゃないのか」
「……わからん」
シィラが踵を返した。杖の音が、遠ざかっていった。
消えた。
全員が、シィラが消えた方向をしばらく見ていた。
誰も喋らなかった。
宗介が最初に口を開いた。
「……今の、なんだったんだ」
「わからない」と陸は言った。
「シィラが自分から聞いてきた。なぜ何度も来るかって」
「そうだ」
「それと、外に誰かいるって。一人だって言ってたが」
「そうだ」
「誰だと思う」
陸は《幻視》で入り口の方向を確認した。
気配がある。
Lv.35。黒い外套。
「黒崎零だ」と陸は言った。
宗介の手が、また刀の柄に伸びた。
「また来たのか」
「来た」
「どうする」
陸は少し考えた。シィラが「外に誰かいるのか」と言った。あの声が、まだ耳に残っていた。
「出る」
「出るのか」
「ここは、シィラの場所だ。もめ事を持ち込みたくない」
全員が動き始めた。
坑道の入り口から出ると、月明かりの下に黒崎零が立っていた。
今回は一人だった。
部下を連れていない。
「また来た」と陸は言った。
黒崎零は、陸を見た。それから、小夜を見た。フェニクスを見た。ガロードを見た。
何かを確認するように。
「一つ、聞いていいか」と黒崎零は言った。
前回と同じ言葉だった。
「何だ」
「お前は、命令しないことで、何かを失うと思わないのか」
陸は少し考えた。
「失うかもしれない。でも」
「でも?」
口の中が乾いた。今夜、三度目だ。
「命令して手に入れたものが、本当にお前のものかどうか」
黒崎零は、その言葉を聞いて、黙った。
長い沈黙だった。
月が雲に隠れた。廃坑の入り口が、少し暗くなった。
黒崎零が、また踵を返した。
今回は、振り返らなかった。
でも、歩くスピードが、前回より遅かった。
全員がその背中を見ていた。
誰も何も言わなかった。
炎のような色の月明かりが、地面に落ちていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
シィラが初めて自分から「聞いてもいいか」と言いました。黒崎零が一人で戻ってきました。陸の言葉が、二人の何かを動かし続けています。次話、何かが変わります。
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