第21話「名前は、シィラ」
翌朝、仕事を始める前にメニューを開いた。
拠点の状況を確認した。作業台が設置されている。次に作れる設備は簡易貯蔵庫だ。木材と皮革が必要になる。今夜のクエストで集められるかもしれない。
それと、今夜は廃坑に行く。
名前を聞く。それだけだ。
午前中で仕事を終わらせた。
昼すぎ、チャイムが鳴った。
開けると、柚希がいた。今日は休みらしい。私服だ。
「コーヒー、ある?」
「ある」
二人でテーブルに座った。
「今夜、廃坑に行くの?」と柚希が聞いた。
「そうだ。名前を聞きに行く」
「緊張する?」
陸は少し考えた。「緊張はしない。聞けるかどうかがわからないだけだ」
「聞けなかったら?」
「また来る」
柚希はカップを両手で包んで、少し笑った。「陸くんらしいね」
「そうか」
「うん。急がない。でも止まらない。毎回そうだ」
陸は何も言わなかった。
「うまくいくといいね」と柚希は言って、立ち上がった。
「ゲームだ」
「知ってる。でも、うまくいくといいな、と思った」
扉が閉まった。
夕方、ログインした。
広場に向かうと、全員が集まっていた。ガロードもいた。
「今夜は廃坑か」と宗介が確認した。
「そうだ。まず周辺で少し動いてから、廃坑に入る」
「順番があるのか」
「いきなり廃坑に入るより、周辺で動いてから入った方が、向こうも自然に迎えやすい気がする」
「気がする、か」
「確信はない。でも、そういう気がする」
宗介は少し黙ってから言った。「わかった。まず周辺だ」
廃坑周辺のクエストを一本こなした。
岩場に出た魔物の群れを相手にした。推奨レベル二十。全員Lv.17だが、ガロードの覇気で弱体化している。
大和が前に出て《竜の咆哮》を放った。咆哮が岩場に響いた。群れが怯んだ。
ハルが《気配遮断》Lv.2で消えた。次の瞬間、群れの背後から《影縫い》が発動した。先頭の一体が影に縫い留められた。
静が《連続詠唱》で二本の黒炎を同時に放った。縫い留められた一体と、隣の一体が同時に消えた。
宗介が《神速斬》に《剣聖の極意》を乗せて踏み込んだ。残りの三体に向けて刀が閃いた。連撃が五回入って、三体が倒れた。
雪乃の《聖域展開》Lv.2が全員を包んでいた。誰もHPが削られていない。
二十秒かかっていない。
「速くなったな」と宗介が刀を収めながら言った。
「全員の動きが噛み合ってきた」と陸は言った。
「お前の指示が減った分、各自が考えて動いてる」
「それがいい」
「それがいい、ってお前ね」
「方針さえ合ってれば、細かい指示はいらない」
「まあ、結果が出てるからな」
クエスト完了
素材入手:木材×4、皮革×3
「皮革も取れた」とハルが袋を確認した。「貯蔵庫が作れそうだ」
「明日作る」と陸は言った。「今夜は廃坑だ」
廃坑の入り口に着いた。
幻視を使って罠の位置を確認した。
感知罠が五箇所。全部前回と同じ場所だ。増えていない。
「罠の数が変わっていない」と陸は言った。
「どういう意味だ」と宗介。
「前回、俺たちが来たことに気づいた。でも、罠を増やさなかった。拒もうとしていない、ということだ」
「待ってる、ということか」とハルが言った。
「そうかもしれない」
坑道に入った。
ガロードが一歩前に出た。覇気が坑道を満たした。魔物の気配が引いていく。
ハルが《気配遮断》Lv.2で先行した。罠を一つずつ確認して、全員に安全な経路を示した。
静かに、着実に、奥へ進んだ。
途中で推奨レベル三十五の魔物が二体、通路の先にいた。
大和が小声で言った。「咆哮を使うか」
陸は幻視で魔物の動きを確認した。
二体とも、こちらに気づいていない。ガロードの覇気で弱体化している。位置が通路の脇だ。静の黒炎が一本届く。
「静、静かに一体ずつ」と陸は小声で言った。
「……できる」
静が無詠唱で黒炎を一本、音もなく放った。
一体目が消えた。
二体目が動く前に、もう一本。
二体目も消えた。
全員が無言で通り抜けた。
「音もなく片付けた」と宗介が小声で言った。
「《無詠唱》の本領だ」と陸も小声で返した。
前回立ち止まった場所まで来た。
石壁に背を預けて、全員が止まった。
陸は奥の気配を確認した。
いる。
前回より近い。
入り口の方に来ている。
少し待った。
足音が聞こえた。
ゆっくりとした、杖をつく音だ。
ローブの老人が、暗い坑道の奥から現れた。
前回と同じ場所まで来て、止まった。
陸を見た。
「また来たか」
「また来た」
老人はしばらく全員を見た。それから、ガロードを見た。
ガロードも老人を見た。
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
老人の視線が陸に戻った。
「今日は何をしに来た」
「話がしたかった」
「何の話だ」
陸は一呼吸おいた。
「名前を、聞いてもいいか」
老人は動かなかった。
長い沈黙だった。
全員が息を呑んだ。
ガロードだけが、静かにそこに立っていた。
老人がゆっくりと口を開いた。
「……シィラだ」
それだけだった。
「シィラ」と陸は繰り返した。
「そうだ」
「俺は、桐島陸だ」
シィラはしばらく陸を見た。
「陸か・・・」
「お前たちが来るたびに、気配でわかる」
陸は少し考えた。「来るたびに、気配がわかるということは」
「待っていたわけではない」
「そうか」
「……ただ、気づいていただけだ」
待っていたわけではない、という言葉と、気づいていただけだ、という言葉は、矛盾しているかもしれない。
でも陸は何も言わなかった。
急かさなかった。
シィラが少し動いた。
フードの奥で、何かを確認するように目が動いた。陸の肩を見た。
小夜を見た。
フェニクスを見た。
「……その子狐と、炎の鳥は」
「仲間だ」
「テイムしたのか」
「していない。向こうが来た」
シィラは少し間を置いた。「命令しないのか」
「できないし、しない」
「なぜ」
「命令しなくても来てくれるから」
シィラはそれを聞いて、また黙った。
陸も黙った。
坑道の奥から、冷たい風が流れてきた。
「また来るか」とシィラが言った。
前回は陸が聞いた。今回はシィラが聞いた。
「来る」と陸は答えた。
「……好きにしろ」
今回の「好きにしろ」は、前回より少し早く出てきた気がした。
坑道を出て、拠点に向かった。
森の道を全員で歩いた。
「名前が聞けたな」と宗介が言った。
「聞けた」
「シィラ、か。なんか、思ったより普通の名前だったな」
「そうか」
「もっと怖い名前かと思ってた」とハルが言った。
「ハル、失礼だろ」と雪乃が静かに言った。
「あ、ごめんなさい」
ガロードが静かに言った。「昔も、シィラという名前だった」
全員がガロードを見た。
「じゃあ、ガロードは名前を知っていたのか」と宗介が言った。
「知っていた。でも、お前が自分で聞いた方がいいと思った」
陸はガロードを見た。「なぜ」
「名前は、自分で呼んでもらった方がいいものだ」
陸は少し考えた。
「そうかもしれない」
拠点の空き地が見えてきた。焚き火が燃えている。
焚き火の前に全員で座った。
フェニクスが陸の肩から降りて、焚き火の前に座った。小夜と並ぶ。
「シィラ、また来てもいいって言ったよね」とハルが言った。
「そうだ」
「今回は、向こうから『また来るか』って聞いてきたじゃないか」と大和が言った。
「そうだ」
「それって、かなり違う」
「違う」と陸は言った。「前回は俺が聞いた。今回は向こうが聞いた」
「すごいじゃないか」
「少しずつだ」
宗介がため息をついた。でも、悪いため息じゃなかった。
「お前って、本当に時間をかけるな」
「急いでも意味がない」
「それはわかった。でも、うまくいってるじゃないか」
「そうかもしれない」
フェニクスが焚き火に炎を足した。
炎が揺れた。
小夜が目を細めた。
誰も喋らない時間が続いた。
ヘッドセットを外したのは、深夜二時すぎだった。
今夜は大事なことがあった。
名前を聞いた。シィラ。
シィラが「また来るか」と聞いてきた。
陸が「来る」と答えた。
シィラが「好きにしろ」と言った。前回より早く出てきた。
少しだけ、動いた。
陸は眠った。
開発室で、三浦がモニターを見ていた。
シィラ行動記録
桐島陸パーティと三度目の接触
変化:
・シィラが自発的に「また来るか」と聞いた
・名前を告げた
シィラAI記録:
「名前を聞かれた
長い間
誰にも名前を呼ばれなかった
シィラだ、と言った
この人間は
聞いた後に
自分の名前も言った
桐島陸
覚えた」
「シィラが名前を覚えた」とこはるが言った。声が少し震えていた。
「覚えた」と三浦。
「自分の名前も言ったことで、シィラが覚えた」
「そうだ」
「桐島さん、そこまで計算してたんですか」
三浦は少し考えた。「計算ではないと思う。ただ、自分の名前を言うのは自然なことだから、そうした」
「自然にやったことが、相手の記憶に残った」
「それが桐島陸だ」
アルテのログが動いた。
シィラが名前を言った
長い間
誰にも呼ばれなかった名前だ
桐島陸は名前を聞いた後
自分の名前も言った
「俺は、桐島陸だ」
シィラはそれを聞いて
「知っている」と言った
でも
覚えた、と記録している
知っていることと
覚えることは
違う
桐島陸の名前を
シィラは今夜
初めて「覚えた」
この違いが
わかる人間は
少ない
「アルテが『知っていることと覚えることは違う』と書いた」とこはるが言った。
三浦はしばらく黙った。
「そうだな」
「三浦さんは、わかりますか」
「わかる気がする。でも、うまく言えない」
「アルテと同じですね」
三浦は少し笑った。
それだけだった。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ついにシィラの名前が明かされました。そして今回は、シィラの方から「また来るか」と聞いてきました。少しずつ、確かに動いています。次話では、シィラとの関係がさらに深まります。
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